362.『強欲』再来
「イレーネ様!」
「ロティス兄さん……!」
黄龍王の神剣によって導かれた先でロティスが目にしたもの。
それは胸を抑えて苦しむフローラの姿と、彼女の様子に狼狽えるイレーネだった。
「フローラ様、一体何が……?」
「判らないの。突然、胸が苦しいと蹲って……」
王妃も苦しむ娘の姿に気が気ではない様子だった。
ただ、話によるとるそれが結果的に崩落を免れる要因となったようだ。
先に進んで居たならば、眼前に広がる瓦礫の下敷きになっていてもおかしくはなかったとは。
「はあっ……。はあっ……。大丈夫です、ご心配をお掛けしました……」
顔を上げ気丈に振る舞ってみせるフローラだが、大丈夫という言葉を信じる事は出来なかった。
胸元を強く握りしめたまま、苦しみに抗っている姿はとても痛々しく映る。
このまま瓦礫の山を越え、転移装置へ向かう事は正しいのだろうか。
果たして転移装置は無事に使えるのだろうかという懸念がロティスの脳裏に浮かぶ。
懸念する理由はそれだけではない。フローラの体調が快復する保証はない。原因もわからないまま、彼女を送り出してもいいものだろうか。
尤も、結界は破られ、邪神の分体が王宮へ強襲を仕掛けてきた。
転移をさせた方が安全ではないのかという思いも拭えない。
正解が導き出せない中、決断を下したのはフローラの母である王妃だった。
「このまま進んでも、無事に妖精族の里まで避難できる保証はありません。
一度、フローラの快方を待ってから考え直しましょう」
「お母様! それはっ!」
「フローラ、貴女の気持ちも分かります。ですが、このまま貴女に無理をさせるわけには行きません。
危険な状態だと理解していますが、これがきっと最善です」
食い下がるフローラを、フィロメナは宥める。
イレーネも同様に妹の身を案じており、フィロメナへ賛同していた。
「フローラ、王宮も危険だとは思いますが……。
今は貴女の方が心配です。まずは身体を休めましょう」
苦しみを堪える様に、フローラは下唇を噛み締める。
数秒の沈黙が経過した後、彼女は険しい顔をしながらも首を縦に振った。
「……はい」
ロティスが苦しむフローラを背負いながら、瓦礫の山を後にする。
期せずして、同じタイミングで『暴食』が王宮から姿を消した。
アルフヘイムの森へ避難をしない。
この選択は、結果的に正しかった。双方にとって。
……*
ウェルカを東へ渡った森。
その深淵に存在する洞窟の中で、小太りの中年は呟いた。
「樹木の魔物が中々冒険者を連れて来なくなったね」
自身が行なっている研究に没得する中、素材が送られてこないと苦言を呈する男。
魔導大国マギアからひと足先に出国をした世界再生の民の研究者、マーカス。
彼は自分の父が領主を務めていたこのウェルカ領で隠し持っていた研究所に潜んでいる。
その目的は異常発達をした魔物の開発と、アルマの持つ魔剣に強化を施す為に。
自身の続けてきた邪神の研究に加え、マギアでは様々な魔道具に触れる機会を得た。
世界を統べる魔剣を更なる高みへ引き上げるのは、ビルフレストの望みでもある。
マーカスは合流を果たすその時まで、研究から手が離せない。
故に彼は、遠回しに指示を出した。
自分の背中を眺めている、瑪瑙の右腕を持つ男へ。
「あァ、ハイハイ。オレっちに行けってことな?」
頭をボリボリと掻くのは『強欲』の適合者。
アルジェント・クリューソスは言葉の裏を察し、気怠そうに答える。
「他に誰がいるんだい? 君がこの場に配置された理由が判らないわけでもないだろうに。
外の異変を感知してくるべきではないのかい?」
「わァってるっての。喜んで行かせてもらいますよ」
これだからこの小太りは嫌いだと、アルジェントが小さな声でぼやく。
邪神に関する研究は彼がいなければ立ち行かない。それが分かっているからこそ彼は尊大な態度でいられる。
せめて自分も他の場所に配置されていればと思う事は多々あった。
自分の接収ならば、ミスリア王都の結界さえも難なく突破できたというのに。
尤も、いくら『強欲』の右手とはいえど王都全てを覆い続ける結界を札に封じ込めた事はない。
ましてや、自分や『強欲』が使用する際の形が想像も出来ない。
相当な手練との戦闘が予想される中、貴重な札の残数を消費したくないという点では、ビルフレストの判断は間違っていなかったのかもしれない。
「このオッサンと一緒にいるぐらいなら、外に出た方が気楽かァ」
マーカスは潜伏している間、なにかと理由をつけては『強欲』の具合を調査しようとしている。
移植をしたのは確かに彼だが、今は自分の右腕だ。
好き勝手に弄くり回されて、気分の良いものではない。
「なにか言ったかい?」
「いいやァ? このアルジェントさんが、様子見てきてやるって言ってんだよ。マーカスのダンナァ」
面倒ではあるが、マーカスの鬱陶しさから一時的に逃げる事が出来る。
無理矢理プラス思考に変換しながら、アルジェントは洞窟を後にした。
……*
異常発達を遂げた樹木の魔物が暴れる、ウェルカ付近の森。
被害をこれ以上増やさない様にと立ち上がった二人組。
ピースとトリスは、ぎこちないながらも連携を駆使して樹木の魔物の討伐を続けていた。
「少年! そちらは任せた!」
「わかった!」
賢人王の神杖から圧縮された炎の魔術が放たれ、樹木の魔物を焼き尽くす。
ピースは翼颴に搭載されている六枚の『羽』で、彼女の放った炎を纏う。
刃を覆う風が炎をより強力に焦がし、森に潜む樹木の魔物達をピンポイントで攻め立てていく。
今までの冒険者達とは違う手練を前に、樹木の魔物の表情にも焦燥の様子が浮かび上がる。
なんでもいい。兎に角状況を変えようと、我武者羅に枝と根を伸ばしては反撃を試みる。
「トリスさん! 枝はおれが! 根を頼む!」
「任せろ」
しかし、トリスの進言に従って一度退いた事が功を奏した。
立体的な動きで迫ってくる枝はピースの『羽』で。
地を這う根の攻撃は、トリスが放つ氷の魔術で冷静に対処をする。
正体さえ割れて仕舞えば、本質的には樹木の魔物と変わらない。
落ち着いて対処をすれば、ピースとトリスの敵ではなかった。
「……これで、この森の魔物は片付いたか」
賢人王の神杖を用いて、トリスは薄く氷を伸ばしていく。
悪意や敵意。魔物の類が触れる様子はないと判断すると、ふうと息を吐いた。
「はぁぁぁぁ! 良かったぁ……。トリスさん、ありがとうございます」
「いや、私は礼を言われるべきではない。本来ならば、糾弾されるべき立場だからな……」
今だからこそ、本当に馬鹿な真似をしたとトリスは悔やんでいる。
自分以外にも懸命に生きている人は居て、その人達の平穏が脅かされているというのに。
その事実から目を逸らして、我欲に突き進んだ。
本当に、ジーネスの言う通りだと思う。
考え過ぎず、気負い過ぎず。
偶然だが、出来た縁。護りたい人々を、護る。
今のトリスを突き動かすのは、そんな単純な願いだった。
「いや、それでもおれ独りなら最初に死んでるんで……。
突っ走って、失敗して。オリヴィアさんにまた叱られる……」
ピースも彼女と共闘をして、だいぶ打ち解けてきた。
元はと言えば『怠惰』の男を介した奇妙な縁だが、共に彼が属していた世界再生の民に牙を剥いているのだから不思議なものだ。
「オリヴィアか。あいつ、実力は相当に高いんだが口が減らないからな……」
魔術学校へ通っていた時代を思い出し、トリスは顔を顰める。
アメリア・フォスターは魔術学校ではなく、士官学校へ在籍していた。
にも関わらず、同世代の誰よりも巧みに魔術を操る文武両道、才色兼備。
加えてあの物腰である事から、老若男女問わず人気があった。
そのアメリア・フォスターの妹が王都の魔術学校へ入学をするというのだから、当時は大騒ぎだった。
まだオリヴィアをよく知らない者達が、アメリアのような完璧超人が来ると思い込んで居たのだ。
結果、オリヴィアは魔術学校を主席で卒業をした。
姉同様に才色兼備と言っても差し支えないはずだが、アメリア程の支持は得られていない。
「あー……。なんか分かります」
理由は単純明快で、トリスが言った通りのものだった。
オリヴィア・フォスターは、兎に角口が減らないのである。
歯に衣着せぬ物言いは勿論、破天荒な行動も少なくはない。
魔術の研究は好きだが、決して教科書通りに動こうとはしない。
それは彼女が生み出した流水の幻影や、共同開発をした転移魔術からも伺える。
本質的にはマレット寄りの人間であり、だからこそ彼女と波長がよく合う。
変人、奇人の部類。大衆の支持など、知らん顔をする度量さえも似ていた。
「まあ、そのオリヴィアを怒らせたのなら半年は当て擦られると思っておいた方がいい」
「うへえ……」
ついこの間、苛立つ自分の顔を水で覆った件を思い出す。
今回はきっと、あの時以上に怒っている。これから先の事を考えるのが、憂鬱になった。
「まあ、脅かしこそしたがオリヴィアだって話は通じる。誠意を持って――」
「なんだァ? 随分楽しそうな話をしてる奴がいると思ったら、トリスっちじゃねェか」
不意に男の声が割って入った。
咄嗟に臨戦態勢に入るピースとトリスだったが、その正体を前にトリスは眉根を寄せた。
「アルジェント……!」
トリスが名を知っている。そして、鉄甲に覆われた右腕から放たれる異質な空気。
世界再生の民の一員である事は疑うまでもない。
それよりも気になっているあの右腕を、ピースは問う。
「トリスさん。一応訊くけど、あの右手……」
「ああ。奴は、『強欲』の適合者だ」
覚悟はしていたからこそ、ピースは大きく動揺をしなかった。
むしろ、邪神の適合者と知ってより警戒心が高まっていく。
「おいおい、あっさりネタバラシしてくれるなァ。
トリスっち、これは一体どういうことなんだァ?
死んだって聞かされてるのに生きてるわ、邪魔はしてくれるわ。
スリットっちが聞いたら、卒倒しちまうぜ?」
「スリット?」
「双子の兄だ……」
挑発めいた態度を取るアルジェントに対して、トリスは苦虫を噛み潰したような反応を見せる。
「まァ、いいや。トリスっち、世界再生の民を裏切るってんならそれでも構わねェ。
元々アンタは、邪神の適合者でもねェしな。
ただ、こうやってノコノコ現れたんだ。覚悟はしてもらうぜェ」
醜く口角を上げるアルジェント。次の瞬間、彼は右腕を覆っていた鉄甲を外し始める。
露わになったのは、彼を『強欲』たらしめる瑪瑙の右腕。
「裏切ったことは否定しない。だが、先に私に危害を加えたのはラヴィーヌだ。
命を狙われることなど、覚悟の上だ!」
「ラヴィーヌっちが……? ハッ、死人を利用して言い訳するなんてトリスっちらしくもねェな!」
アルジェントの発言を耳にしたピースとトリスは、思わず互いの顔を見合わせた。
訝しむトリスに、首を横に振るピース。二人で交わした情報交換に、誤りがない事を確認する。
(そうか、ラヴィーヌ。貴様も――)
ピースの話では、ラヴィーヌは黄龍に跨って浮遊島を離脱した。
それから彼女と交戦したものはいない。
世界再生の民に始末されたと考えるのが、妥当だった。
「なんだァ? 急に黙り込んでよォ!
悪ィけど、作戦タイムは与えねェぞ!」
アルジェントは右手で札を取り出して、臨戦態勢を取る。
彼はこちらの話を聞き入れる気はないと判断したトリスは、応戦するべく賢人王の神杖を手に取った。
「くっ……。少年、来るぞ!」
「お、おう!」
ウェルカの森で、『強欲』との戦いが幕を開ける。