幕間.ピースの旅路
揺れる幌馬車のキャビンで、揺れに身を預ける。
この世界で初めて見た馬車は、中から上級悪魔が飛び出してきた。
その心的外傷のせいで、正直に言うとビクビク怯えている自分がいる。
おれは今、港町への街道を走る馬車に乗せてもらっている。
シンから聞いた話によると、マギアはそもそも大陸が違うらしい。
仲が悪いと教えてもらっていたので、てっきり隣国だと思っていた。
港町のポレダから船に乗り、そこから更に一週間の航海。
それでようやくマギア……の隣国に到着すると言われた。
マギアから出ている船の復路後悔に乗るという手段もあるらしいのだが、ものすごく高いらしい。
船に搭載されている魔導石のおかげで速く着くらしいのだが、できればお金は節約したかった。
その魔導石を狙う海賊とも遭遇する可能性があるとも言っていた。
時間が掛かっても、リスクは最小限に抑えたいので今回は我慢する。
ウェルカ領を抜けて既に一週間。シンとフェリー、それに師匠はどこに居るのだろうかと暇さえあれば考える。
今はフェリーと一緒にギルドで稼いだ金を使って、移動用の馬車に乗っている。
隊商の護衛だとかで費用を抑えつつ、移動する手段もあるにはあった。
だが、前述の心的外傷がその選択を拒絶した。
シンとフェリーはその話に乗った結果、命を狙われたと言っていたのだから。
この馬車だって、吟味に吟味に重ねて人畜無害そうな人を必死に選んだのだ。
「ポレダまで後三日もあるのか。なっげぇなァ」
スキンヘッドのマッチョが話し掛けてくる。
単独での冒険者で腕に覚えがあると自己紹介をされた。確か、名前はゴーラ。
強面な見た目とは裏腹に、とても気の良い男で子供ながら一人旅をしているおれを気遣ってくれている。
「ゴーラさんはポレダから船に乗るんですか?」
「いや、俺はポレダのギルドに行くんだ」
「ギルドへ?」
ゴーラが言うにはこうだ。
ポレダでは旅で立ち寄った心のない人間が港やそこら中にゴミを棄てていくらしい。
毎日のようにギルドに依頼が張り出される程、ゴミが溢れてしまって住民が迷惑をしていると。
父親が漁師だったせいで海を汚す輩が気に入らないと言って、わざわざウェルカから向かっているとの事だ。
ついでにゴミを棄てる輩をとっちめて、街の人が住みやすい環境を作りたいと考えているらしい。
因みに、ゴミ拾いの依頼は雀の涙程の報酬しかないらしい。
強面なのに人間が出来過ぎててびっくりしてしまった。
「俺ァ海に育てられたからよ。その海を汚すヤツァ許せねェんだ」
そう言って上腕二頭筋を膨れ上げさせるゴーラを見て、ゴミは絶対に棄てないと心に誓った。
「ところでピースはよォ、子供独りでマギアなんか行ってどうすんだよ?」
「うーん。知り合いの知り合いに会いに行くんですよ。
ちょっと、頼まれごとも引き受けましたし」
おれがマギアに行くことを決めた夜にシンから頼まれた事があるのだ。
ある物をマレット博士へ渡してほしいという頼み。
――お前とそれに関しては、マレットは絶対食いつくよ。
シンがそう言う傍らで、フェリーが「ドンマイ……」と拝んでいたのが気になった。
一体フェリーはマレット博士に何をされたというのだろうか。
「子供独り、お遣いでマギアまで行かせる?
そいつら、マトモじゃねェな。お前、騙されてねェか?」
見た目がこうなので、子供扱いされるのは構わない。
だが、後半の発言は聞き捨てならなかった。
「ゴーラさん。海を汚す奴が許せないって言ってましたよね。
それと同じです。おれの恩人を悪く言う奴は、おれも許しませんよ」
シンもフェリーも師匠も、全く相手にしなくていいおれに良くしてくれた。
何人たりともこの三人を侮辱する事は許さない。
「そりゃそうだ、知り合いが悪く言われるのは気分悪ィよな……。
すまねェ、俺が無神経だった」
にこやかに談笑していたおれの目つきが変わるのを見て、ゴーラはたじろいでいた。
子供に言われて素直に過ちを認められるゴーラも、大概人間が出来ていると思う。
……*
そこから三日。ポレダへと無事に到着した。
おれたちを運んでくれた馬の頭を撫でて、別れを告げる。
あいつはこれからも沢山の人を運んでいくのだろう。そう思うと敬意を払いたくなった。
「おーい、ピース。置いていくぞォ」
しかし、そう思っていたのはおれだけだったようだ。
ゴーラに置いて行かれそうになるので、速足で彼を追いかける。
目的地に到着したが、まだゴーラと行動を共にするのは冒険者ギルドへ行くためだ。
折角10日間も共にしたのだから、別れる前に飯でも食おうと言われた。
おれもそれを承諾した。昼飯を食うつもりで。
そしたら、何故か昼飯を食った後でゴミ拾いを手伝う事になった。
これから船旅で海の上にいるわけだし、先に海の神様に恩を売っておくのも悪くないか。
そういう事で、今晩はポレダに滞在をする事となったのだ。
……*
「おォ、やっぱ魔術は便利だなァ」
ゴーラが感嘆の声を上げる。
おれは魔術の訓練も兼ねて、風で水面を動かす。
自然に岸へとゴミが集まるように、丁寧なイメージを心がける。
焦らず、ゆっくりと――。
心を穏やかに――。
「シャアァァァァァァッ!!」
何が起ころうと、穏やかに――。
「……ん?」
何か、声が聞こえたような……。
ゴーラの声ではないような……。
「ピース! 魔物だ! 魔物が出たぞ!!」
「えっ」
顔を上げるとそこにはゴミの集まる水面。
魔物なんてどこにもいない。
「後ろだ後ろ!」
振り向くと、確かに今度こそ魔物がいた。
それは真っ赤なハサミを両手に掲げ、陣形を組んでいる。
さっきギルドへ立ち寄った時、ボードの隅っこに討伐依頼があった事を思い出す。
この魔物の名前は確か……、軍隊ザリガニだ。
手配書通りの見た目である事に関心をしつつも、驚いたのはそのサイズだ。
1メートルは余裕で越えている。おれと同じぐらいのサイズはある。
上級悪魔や双頭を持つ魔犬で麻痺した感覚をトレントや猪の魔物で戻したはずなのだが。
このサイズのザリガニは正直言って怖い。
それも五匹だ。軍隊としては少ないだろうけど、でかいザリガニが五匹はおれの感覚ではめちゃくちゃ怖い。
「あんなサイズ、俺ァ見た事ねェぞ!」
こんな怖い魔物の手配書を依頼ボードの隅っこに置くなよ! と言いたかったが、どうやらこいつらのサイズが異常らしい。
幸い、軍隊ザリガニは俺達に目もくれていない。
このままやり過ごす事も出来るか……と思った矢先の事だった。
軍隊ザリガニは、その巨躯で港にいる人々を襲いだした。
逃げ惑う人の流れが煩雑で、人々がぶつかっては体勢を崩す。
「ひっ……」
転んだ子供の頭上に軍隊ザリガニのハサミが振り上げられる。
「まずい!」
おれは咄嗟に風刃を出そうと試みた。
しかし、人に当てないようにだとか、軍隊ザリガニのハサミを斬り落とそうだとか。
そんな雑念がイメージに影響したのだろう。
風刃はおれの思ったより遥かに高い威力で、軍隊ザリガニの甲羅を掠めていった。
しかも、刃というよりはほぼ突風だ。
師匠の言った事がなんとなく理解できた。戦闘中に詠唱を破棄するのは至難の業だ。
唯一の収穫は、軍隊ザリガニの標的が逃げ惑う街の人からおれに向いた事ぐらいだろうか。
「ピース、お前ェ!? 狙われんぞ!」
「構いません! ゴーラさん、おれはこいつらを引き付けます!
その間に街の人の非難を!」
「お前ェ一人でやるつもりか!?」
おれを子供扱いしていただけあって、一人だけ戦わせることにゴーラは抵抗を見せる。
「いいから早く!」
「お、おう!」
しかし、そんな事はどうでもいい。街の人を逃がす事が優先だ。
おれの恩人が、そうしていたようにおれも人が死ぬのは見たくない。
詠唱を破棄して魔術を使うには、熟練度が足りない。
かと言って詠唱をしながら戦闘するだけの余裕が、今のおれにあるだろうか。
状況を冷静に分析しようとすればするほど、選択肢が狭まっていく。
結局、これを使うしかないのだ。
「さぁ来い! バケモノ!」
おれは魔導刃を起動し、若草色の刃を生成した。
……*
リハビリと称したシゴキをシンから受けている間に、彼から教わった事がある。
――得体の知れない相手の攻撃は、多少大げさでもいいから確実に避けろ。
確かに、相手が何を仕込んでいるか分からない。
皮膚一枚裂いただけでも、毒が仕込まれているかもしれない。
紙一重避けたつもりでも、それが相手の攻撃範囲とは限らない。
このザリガニだって、もしかすると何か奥の手を持っているかもしれない。
おれはこの世界を何も知らない。警戒するに越したことは無いのだ。
だが、今のおれではそもそも相手の攻撃を躱し続ける事は出来ない。
その為の魔導刃だ。
おれは距離を取りながら、風の刃で相手を斬り裂いていく。
ゴーラの的確な誘導で、無事に批難はほとんど完了しているようだった。
海の男は、海で起きたトラブルなら何でも対応可能のようだ。
「よん……ひきめっ」
振り下ろした魔導刃から放たれる風の刃が、軍隊ザリガニを真っ二つに切り裂く。
これで残すは一匹。ずっと後ろで指示をしていた指揮官のようなザリガニ。
相変わらず魔導刃の使用は疲れるが、それでもザリガニ五匹ぐらいなら何とでもなる。
そう思った矢先の事だった。
突如、斃したザリガニのハサミが投げつけられる。
最後の軍隊ザリガニが、仲間の腕を引きちぎったのだ。
「うわっ!」
突拍子もない行動に驚いたが、間一髪躱す。
だが、おれはシンの言葉を忘れていたのだ。
――多少大げさでもいい。
それはつまり、確実に距離を取れという意味。
すかさず投げられた第二投を紙一重で躱したおれは、突如視界が真っ黒に染まる。
投げられたハサミがスプーンのように、泥を掬っていたのだ。
それをモロに浴びてしまったおれの視界が失われる。
一投目は囮だったのだ。何もないと思わせて、二投目でおれの視界を奪うための布石。
ザリガニなんかに一杯食わされた事へ憤慨する間もなく、おれの背筋は凍り付いた。
軍隊ザリガニは今、何処にいるのか?
それは殺気が教えてくれていた。
さっきおれが風刃を放った時のリプレイ。
あの時の子供がおれ、軍隊ザリガニはその頭上にハサミを振り上げている。
魔導刃の出力を全開にすれば、吹き飛ばしたり斬り刻めるのかもしれない。
しかし視界が閉ざされた今、それをしてもいいのか?
本当に全員逃げきったのか? ゴーラは今どこにいる? 建物や船は傷つけないか?
そんな逡巡がおれの身体を硬直させてしまう。
「っ!!」
おれは覚悟をした。四匹倒した時点で、相手を侮っていた。
この世界では、油断は『死』に直結する。高い授業料になりそうだった。
「オォォォォラァァァ!」
しかし、太い発生が聞こえ、頭上の殺気が消える。
俺の身は何ともなかった。
「ピース、大丈夫かァ!?」
泥を擦り落とし、目を開いた先にはゴーラがいた。
その先には、地にひれ伏す軍隊ザリガニの姿。
状況から推察するに、ゴーラが軍隊ザリガニを殴り飛ばしたものと思われる。
「えーと、ゴーラさん?」
「おう、避難は無事に完了したァ!」
いや、そうではなくて……。
あの甲羅とか結構斬るのも苦労したのだけれど、ヒビが入っている。
海の男は、海のトラブルなら何でもいけるようだ。
「後はコイツだけだなァ!?」
「え、ええ」
最後の軍隊ザリガニはゴーラにその腕を引きちぎられ、おれの魔導刃で切り裂かれた。
おれは今後の人生で、海を汚すような真似は絶対しないと心に誓った。
……*
「じゃあ、気ィつけてなァ」
「はい、ゴーラさんもお元気で」
三日後。
おれはマギアのあるユルディアル大陸へ向かう船に乗ろうとしていた。
三日も要したのは、あの後に軍隊ザリガニの発生源が下水道だと衛兵が突き止めたからだ。
幸い、下水道に潜んでいた軍隊ザリガニは通常のサイズだったがこれを機に一掃をする事になった。
元々は駆け出しの冒険者でも倒せるサイズなので重要視していなかったらしいのだが、また大きくなられても困るので当然の判断だと思う。
それをどうにかしようと言った海の男に付き合った為、出発が遅れた。
命の恩人の頼みを無下に断るのは良心の呵責が許さない。受けた恩は返すのがおれの道理だ。
臨時の依頼という事で報酬も割高だったのが決め手ではあるが。
ザリガニ討伐の途中で気になる話も聞いた。
こんなに巨大化する魔物は、過去の症例では見た事がないらしい。
ウェルカでの出来事は人為的なものだった。
もしかしてここも……と考えたが、何も手掛かりはない。
そもそも、『以前』を知らないおれがどうこう言っても上手く説明が出来ないのだ。
一応、王都のフォスター家へ手紙は送っておいた。
きっと師匠なら、おれより上手くこの情報を扱ってくれるに違いない。
徒労に終わった時は全力で謝ろうと思う。
ゴーラはと言うと、この三日間もゴミ拾いとザリガニ退治で縦横無尽に活躍した事からポレダの衛兵にスカウトされていた。
本人も海の街を護る事にやる気を見せており、この街に腰を据えそうだ。
ミスリアを再び訪れた時には、ゴーラにも挨拶をしようと思う。
進む度に挨拶をしないといけない人間が増えるのは、旅の醍醐味なのだろうか。
何にせよ、知り合いが増えるのはいい事である。
マレット博士との出逢いも、どうか良いものでありますように。