3.トラブルを察して
昼食を終え、二人分の料金を払ったシンは手持無沙汰となった。
シチューのレシピについてカイルに色々尋ねたかったのだが、だんだんと客足が増えてきてそれも憚られる。
「よお、兄ちゃん見ない顔だな」
「ええ、まあ」
よそ者が珍しいのか首にタオルを掛け、顔に泥をつけた常連客たちに次々と話し掛けられるので居心地が悪くなってしまう。
あまり人付き合いが得意ではない事が災いした。
結局、シンは居た堪れなくなって外へ出てしまっていった。
外は外で、弁当を受け取りに訪れた客から「ははっ、何もないとこだろ」と声を掛けられ、シンは愛想笑いで返事をする。
悪意や敵意がない事は理解できるのだが、やはり自分には向いていない。
昔はそうでもないと思っていたのだが、今はどうにも距離感を考えて動いてしまう。
フェリーなら目いっぱいの愛想を振りまいて、元気に返事でもするのだろうが。
「……フェリーのやつ、どこまで行ったんだ?」
そのフェリーはというと、周囲を見渡しても見つからない。
普段ならフラっと出ていった彼女を見つけるのは容易い。
光に反射して輝くほど美しい金髪に、均整の取れたシルエットは否が応でも目を惹きつける。
それに、精神により見た目に引っ張られているが故に彼女の行動や言動は幼い面が見られる。
きっと自分が探している事に気付いたなら、彼女は身振り手振りでリアクションをする。
目立ちすぎて無視をする方が難しいぐらいだ。
だけど、見渡す限りに彼女の姿はない。
先刻のやり取りが余程腹に据えかねるのか、稼ぎ終えるまで姿を現さないつもりらしい。
金策に奔走している彼女の姿を思い浮かべようとするが、すぐに考える事をやめた。
賞金首もいない、魔物もいない平和な村で彼女が金を稼ぐ事は絶望的だ。
さっさと大きな街にでも出て、冒険者ギルドで依頼をこなした方が現実的だった。
もちろん移動中に小言は言ってしまうだろうから、彼女は渋い顔をするだろうが。
腹でも空かせれば戻ってくるだろう。その時にフェリーが金策に成功しているかどうかは別の話だが。
どちらにしろ急ぐ目的地がある旅ではない。手持無沙汰なシンは、徐にマナ・ライドの整備に取り掛かる。
「ふうぅぅ、疲れたぁ……」
整備を続けていると、カイルがくたびれた様子で店から姿を現す。
肩を回したり、首を鳴らしたりと大分お疲れの様子だった。
「ああ、さっきは迷惑を掛けて済まなかった。もう店はいいのか?」
「なんとかね。あとは父ちゃんがやってくれるっていうからオレはちょっと休憩」
シンの隣に腰を落とすカイル。仄かに香るシチューの匂いが、彼の努力を現していた。
「ところでさ」
前のめり気味に、カイルの顔が近づく。
様々な香辛料や、焦がしたバターの匂いがシンの鼻腔を擽った。
「ずっと気になってたんだけど、それってマナ・ライドだよね?」
「ああ」
「ほんとに!? すっげえ! 初めて見た!」
魔導式自動二輪車は純度の高い魔力が込められた石、魔導石を動力部に搭載している。
魔導石から放出される魔力が車輪を動かし、人より遥かに早い速度で大地を駆ける魔導具である。
「ちょっと触ってみてもいい?」
「ああ、いいぞ」
眼を輝かせ、感嘆の声を漏らしながらカイルはマナ・ライドのボディに触れる。
無骨な見た目をしているが、それが少年の琴線に触れる。
「いいなぁ……。かっこいいなぁ……」
恍惚の表情を浮かべながら、その感触を楽しむ。
「マナ・ライドに乗ってるってことは、にいちゃんたちはマギアの方から来たの?」
魔術大国ミスリアと双璧をなす、魔導大国マギア。
人々が扱う魔術を研究、昇華させていく事に力を入れているのがミスリア。
対して、マギアは魔力が込められている物質を利用して様々な魔導具を開発する事で発展した国だった。
ミスリアはその繁栄の歴史は長いが、マギアが繁栄したのは本当にここ数十年の話だった。
それほどまでに、魔導具が生み出された事は革新的だった。
「そうだな。こっちには最近来たんだ」
マギアとミスリアは魔術に対する方向性の違いからか、非常に仲が悪い。
一触即発で何か起きればすぐ戦争が始まるといった類の仲の悪さではなく、対抗心という言葉の方が正しい。
そんな事情もあってか、ミスリアには魔導具が殆どない。
ピアリーがド田舎という事を差し引いても、ミスリア国内でマナ・ライドを目にする事は無いと言い切ってもいい。
「うわー! いいなぁ、オレも大人になったらマナ・ライド欲しいなぁ……」
ただ、そんな事情は偉い人達のものであり、少年の心を擽るかどうかは別の話である。
馬車ぐらいしか乗り物を見た事がなく、たまに来る冒険者の話で軽く耳にする程度だった幻の存在が目の前にあって、しかも触れる事までできた。
それだけでカイルの心は踊る。
「これがあったら、どこまででも行けたりする?」
「どこまでとまでは言えないが、移動はかなり楽だな。
馬車を探さなくてもいいのが助かるな」
「そっか、どこまででも行けるわけじゃないのかぁ……」
含みのある言い方だと思った。シンはそれを訝しむ。
カイルの瞳はマナ・ライドに触れた時と違って少し陰が見える。
「にいちゃん達ってさ、冒険者なの?」
「そういうわけではないけど、ずっと旅をしている」
「ずっとって、どれぐらい?」
「そうだな、10年は旅をしているな」
「へぇ、すごいなぁ。……ん?」
カイルがひとつ疑問に思う。
「それじゃあ、あの飛び出してったねえちゃんって子供の時から旅してるって事?」
「あー……。あいつは見た目ほど若くはないんだ」
不老不死という事を隠しているわけではないが、本人が居ない中で言うのも憚られる。
後でフェリーに「乙女のヒミツを勝手にバラしちゃダメ」と言われる方が面倒なので、ぼかす事にした。
一応、嘘は言っていないので大丈夫だろうとシンは一人で納得した。
「そっかぁ、そうだよね。子供の頃から旅はしたりしないよね」
どうにも先刻から、言い方に含みがあったり陰が見える。
「……旅がしたいのか?」
「うん。オレ、旅に出て強くなりたいんだ」
旅をしたい……というより、強くなりたい理由はふたつあるらしい。
まずは家の手伝いをする事が嫌なわけではないけど、こんな小さな村で一生を過ごすのが嫌だという事。
実際、カイルの作るシチューは旨いし試行錯誤した結果と感じた。
ただ、たまに訪れる冒険者の話を聴くと外の世界に憧れを持ってしまった。
好奇心が勝る事は往々にしてある。旅をしている身だから言える事かもしれないが、悪いとも思わない。
自分だって、両親の反対を押し切って家を飛び出た事があるからこそ言える。
シンが気になったのは、もうひとつの理由だった。
この近辺を領地としている領主の息子が、ピアリーに住み着いたという話。
村に入る前から気になっていた趣味の悪い館が、その男の住処らしい。
情緒もへったくれもない、自分の趣味を全面に押し出しているであろう感性からなんとなく人柄は推察できた。
「あいつが来てから、この村がおかしくなったんだ」
その息子は領主である父からこの村の統治を任されたと一方的に言い張り、事あるごとに徴税をしてくるという。
村としてもだんだん賄いきれる額ではなくなってきたが、主要産業である林業も伐採しすぎると環境の破壊にもつながりかねない。
村人一丸で考え直してもらうよう訴えた事もあったのだが、聞き入れては貰えなかったそうだ。
それでも、過度な伐採をするわけにはいかない。
過度な伐採が環境破壊に繋がるというだけではなく、その場しのぎで金を作ったとしてもドラ息子の気分ひとつでまた徴収されるのだ。
そんな事で、この村の財産や未来を棒に振るわけにはいかなかった。
一方で、積み重なる不満を持つのは村人だけではなかったという。
貴族である自分に、たかが平民が文句を言ってくる。その事実が許せなかったドラ息子は用心棒として賞金首を雇ったらしい。
先の歯切れの悪さにも得心がいった。その際に貼りだされていた手配書を全て撤去させられていたのだ。
貴族の家に、賞金首が常駐していると知られる訳にもいかないのだろう。
「そんな事をして、衛兵が動いたりはしないのか?」
「あいつらは知らんぷりだよ。たまに村まで来たと思ったら、アイツに金を貰って帰っていくだけ」
館には顔を出すという事は、賄賂でも受け取っているのだろう。どちらにしろ、貴族相手に事を荒立てるつもりはなさそうだ。
「それで、税が払いきれなくなったら今度は女の人を雇ってやるって言いだして……。
母ちゃんも、近所のおばさんやねえちゃんもみんな館に行っちゃって……」
言われてみれば、この村に入ってから女性を見た記憶がない事に気付いた。
体のいい人質か、もしくは最初から女が狙いだったのか。
どちらにしても、カイルの話が全て本当だとすればロクな人間ではない。
「もうずっと母ちゃんとも会ってないし、館に行っても追い返されるだけだし。
オレがあいつらをやっつけられるぐらい強くなれば、取り返せるのかなって……」
「それは止めておいた方がいい」
「なんでさ!?」
カイルの声が晴天に響き渡る。ふらりと現れた旅人の無神経な一言が癪に障ったらしい。
鬼の形相をするカイルに、シンは諭すように続けた。
「仮に母親を取り返した後はどうするんだ? 家族みんなで逃げるのか?」
カイルが目を丸くする。シンの予想通り、取り返した後の事までは考えていないようだった。
「事情はどうあれ、貴族、それも領主の息子に逆らっている事になるだろう。
それに相手は衛兵まで抱え込んでいるんだ。最悪、家族だけじゃなくて村全体に飛び火する可能性だってある」
「じゃあ、どうしろっていうの!?」
シンは返答に困り、眉を顰める。
この村は金欠のフェリーが金を稼ぐために、立ち寄っただけの村。
策があるわけではない。ただ、蛮勇に終わる行動で犠牲を増やす事を避けようとしただけ。
とはいえ、今の自分がした事は理不尽に耐えろと子供に言っただけ。
それはそれで後味が悪いが、こういう時に丸く収める術を持ち合わせていない。
フェリーなら同じ無責任でも、何か前向きなセリフを言ってくれたのかもしれないのだが。
いや、きっと「助けよう」と言い出すだろう。
そんな事を考えていた矢先だった。
「おう、カイル」
遅れて昼食を食べに来た男性が、カイルに声を掛ける。
「あ、おっちゃん」
カイルがぶすっとしたまま顔を向けたせいか、相手の顔が訝しむ。
「どうしたんだよ、その顔」
「……別に」
「まぁいいや。それより、さっき可愛い女の子があのバカ息子の館に歩いてったんだよ。
見たことない顔だったから、この辺の娘じゃないだろうな。あんな奴でも金さえ持ってりゃ、可愛い娘も好き放題できるってことかね」
ははっと肩をすくめる男だが、それを聞いたカイルとシンは顔を見合わせる。
嫌な予感がする。シンの経験上、こういう時に他人だった試しがない。
「にいちゃん、それって……」
「ああ」
どうやらカイルも察しがついているようだった。
「恐らく、フェリーだ」
シンにとっての状況が、変わった。
きっと彼女がこの事を知ったなら、動き出すだろう。
ならばと、シンは準備を始める。
自分にとっての本懐。それを誰にも奪わせない為に。