361.黄龍王の神剣
天から降り注ぐ一筋の流星。
その正体は継承者が失われたはずの、ミスリアに伝わる神器のひとつ。黄龍王の神剣。
大地に深く突き刺さると同時に、神剣は一瞬にして場の空気を支配した。
「黄龍王の神剣――」
次から次へと湧いてくる不確定要素に、ビルフレストは不快感を滲ませる。
この状況で神器が現れたのは偶然ではない。そう考えるべきだと、彼の本能が警鐘を鳴らす。
では何故? 継承者がいない神剣はこの場に引き寄せられた。
考えうる中で最も可能性が高く、ビルフレストも納得が出来る答えは神剣を挟んだその先に在った。
黄龍王の神剣は引き寄せられたのだ。
自分と相対している騎士の一人。ヴァレリア・エトワールに。
「どうして……」
尤も、ヴァレリア本人はまだ頭の中が整理できているとは言い難い。
武器を失い、仲間が倒れた。絶体絶命の中に現れた援軍は、国王が所持していた神器。
神剣を中心に渦巻く風はまるで呼吸をしているようでもあり、語り掛けているようでもあった。
自分を手に取れと。
「……ゴチャゴチャ考えるのは、アタシらしくねぇよな」
真実がどうであれ、ヴァレリアにとって神剣が舞い降りた事は僥倖でしか無かった。
今はただその奇跡に感謝をしながら、彼女は黄龍王の神剣を手に取る。
「黄龍王の神剣! アタシに力を貸してくれ!
アンタたちが護ってくれた世界を、ブッ壊そうとする不届者を成敗しないといけないんだ!」
ヴァレリアの雄叫びに黄龍王の神剣は応える。
神剣もまた、彼女を知っていた。重すぎる責任を背負い、それでも尚弱音を吐こうとしない気高き騎士。
毎日の祈りもただただ、この国を慮ってのものだった。
彼女の願いは、自分が力を貸すに相応しい。それは神剣が司る神、大空と破邪の神の思いでもあった。
翡翠の刀身は輝きを取り戻し、ヴァレリアは力が漲るのを感じる。
この瞬間、黄龍王の神剣はヴァレリア・エトワールを軽傷者として認めた。
「やはり、貴殿が継承を――」
「アタシ自身よく分かんないけど、そうみたいだなッ!!」
傷口から血が滲み出ようとも、激痛が身体中を走り抜けようとも。
この一撃だけは全力で放つ。その思いで、剣を振るった。
ヴァレリア渾身の一撃が、ビルフレストの刃と交わる。
翡翠の刀身を中心に、纏っていた風が高速で回転をする。
「ぐう……!」
「絶対に、アタシは引かないぞ……ッ」
歯を食い縛り、己の全てを出し尽くさんと力を込めるヴァレリア。
刃が纏った小さな渦は火花を散らしながら、ビルフレストの剣を削り取っていく。
「ヴァレリア・エトワール……!」
「そうだよ! アタシはヴァレリア・エトワールだ!
ビルフレスト・エステレラ! アンタを討つのは、このアタシだ!」
黄龍王の神剣の纏った風が、ビルフレストの刃を眼前に打ち砕く。
そのままの勢いで風を纏った翡翠の刀身は、ビルフレストの胸当てをも抉り取っていく。
「……チィッ」
武器を失ったビルフレストは、半ば強引にその身を下げる。
既に己の持てる力を全て振り絞っているヴァレリアに、彼を追う足は残っていない。
「くっ……」
前のめりの倒れるようとするヴァレリアだったが、強引に黄龍王の神剣を突き立て地面を拒絶する。
肩で息をしており、出血は決して少なくない。それでも眼光だけは、一切死んではいなかった。
(深追いは禁物か……)
ビルフレストは己の置かれている状況を冷静に把握する。
相手は皆、瀕死の状態。ここからどう足掻いても自分が敗北するとは思えない。
けれど、自分も決して万全では無い。
剣はたった今破壊され、『暴食』の左手に至っては喰らいすぎた魔力により機能不全に陥っている。
万が一。『暴食』と相対している者が援軍に来ようものなら、苦戦は免れない。
(最低限の成果は得た。一度退いて、アレの回収を優先するべきか)
漆黒の外套を靡かせ、ビルフレストは背を向ける。
依然として余裕を感じさせるその行動に、ヴァレリアが吠える。
「待ちな! 逃げるつもりかい!?」
「そう思いたければ、そう思っておけば良いだろう」
ビルフレストがヴァレリアの挑発に乗るような事はなかった。
その背景には再び探知で状況を探りたかったが、機能不全に陥った『暴食』の影響か、精密な魔力の制御が叶わない。
つくづく上手くいなかいものだと毒づきながら、ビルフレストは姿を消した。
「くそ……。ビルフレストのヤツ……!」
ヴァレリアは姿を消すビルフレストを追えなかった。
啖呵を切ってみせたものの、自分もとうに限界は過ぎている。
それでも彼女は、まだ安心出来る状況では無い。
破られた結界。侵入を試みた『暴食』。
本当の脅威は依然として残ったままなのだから。
「早く、王宮に……」
残る力を振り絞り、自分達を囲んでいた雷の檻を破壊する。
道が拓けた事に笑みを浮かべながら、ヴァレリアは前のめりに倒れた。
「お、おい! ヴァレリア嬢!」
ライラスが慌ててヴァレリアへ駆け寄る。
傷は深いが、まだ息はある。死んではいない。
「ヴァレリア嬢も、テランも。
自分が医者へ連れていくまで、死ぬなよ……!」
自身も右手を失いながら、ライラスは意識を失った二人を抱える。
一刻も早く治療を受けさせる為に、彼は重い足取りでと王都へと歩みを始めた。
……*
時は僅かに遡る。
黄龍王の神剣がヴァレリアの元へ訪れる、その直前まで。
進化を遂げた『暴食』により、破壊されていく王宮。
その崩落に巻き込まれたリタは、落ちてくる瓦礫の破片を払いながら周囲を見渡す。
「……みんなはっ!?」
衝撃と轟音。そして立ち昇る煙により、周囲の状況が正確に把握できない。
レイバーンもロティスも魔力は感じる。少なくとも生きている事に、リタは胸を撫で下ろす。
しかし、同時に胸が押し潰されそうになる圧迫感も健在だった。
悪意の塊。『暴食』も間違いなく健在である証だった。
「ぐ、ぬぅ……っ!」
「レイバーン!」
レイバーンの声と共に、彼の神器へ魔力が伝えられていくのを感じる。
『暴食』と交戦していると察するまで時間は必要なかった。
「おおおおおっ!」
遅れて、ロティスの魔力が放たれる様も感知する。
ただ、方角こそ同じだが、明らかにレイバーンと位置がズレている。
リタの疑問は、舞い上がった土煙が流れると共に答えを彼女へ提示していた。
「この瓦礫……っ!」
眼前に広がるのは積み上げられた瓦礫の山。
それは自分達からレイバーンと『暴食』を隔てている。
「リタ様、ご無事でしたか」
「う、うん。でも、この瓦礫……」
リタは唖然とした。広がるのは瓦礫の山だけではない。
貫通をした床が、更に下の階層さえも見渡せる。一体どれほどの衝撃が、王宮を襲い掛かったのだろうかと息を呑む。
「はい。邪神の力がここまでとは……。
多くのものが、崩れた瓦礫に巻き込まれてしまっています。
王妃様や、イレーネ様。フローラ様が向かう先も崩落に巻き込まれている可能性が……」
「それって……」
焦りから一心不乱に瓦礫を取り除こうとするロティスの姿で、リタは最悪の事態を思い浮かべた。
アルフヘイムの森へと転移をする為の転移魔術。その魔法陣が隠されている場所が、この破壊に巻き込まれてしまった。
その可能性が決して低くないのだと。
「はい。一刻も早く、無事を確認しないことには……」
リタはまたも選択を迫られていた。瓦礫の奥ではレイバーンが『暴食』と交戦を繰り広げている。
『暴食』は敵を喰らい、自らの力へと取り込む存在へ進化を果たした。
レイバーンは負傷もしている。このまま放っておいていいはずがない。
けれど、フローラ達も崩落に巻き込まれている可能性がある。
ロティスが単独で、当てもなく探し続けるのは無茶だ。
騎士団も、侍女も、執事も。王宮内には様々な魔力が存在している。
フローラ達をピンポイントで探り当てるのは至難の業だった。
(でも、とにかく探すしか……)
自分にしか出来ない役目を果たさなくてはならない。
焦燥感を抱きながらも、リタは目を閉じる。視覚を断ち、魔力を感知する能力を研ぎ澄ませる為に。
――我を、継承者の元へ。
不意に、声が聞こえた気がした。
微かでありながら、はっきりとした意思を感じる声が。
「誰……?」
「リタ様?」
訝しむロティスの様子から、自分にだけしか聞こえていないのだとリタは察する。
一向に焦りが解消されない中、リタは声の主を探していた。
「誰? 誰なの!?」
――ここだ。我は、ここに居る。
導かれるまま崩れた王宮を彷徨うリタ。
声の主を見つけるまでに、そう時間は掛からなかった。
ただ、その姿を前にしたリタは己の目を疑った。
「あなたは……。黄龍王の神剣……?」
視線の先には、淡く輝きを放つ黄龍王の神剣の姿。
継承者を失ったはずの神剣が、横たわっていた。
「あなたが、私を呼んだの……?」
近付くにつれ、既に声は聞こえなくなっていた。
黄龍王の神剣は大気に漂う風の精霊の力を借り、妖精王の神弓を通してリタへ語りかけていた。
ただ、自身に残された力は僅かなもの。リタへ全てを伝える事は叶わない。
自分にだけ聞こえたのは、きっと偶然ではない。
そう考えたらリタは、黄龍王の神剣へ手を伸ばす。
本来であれば、神器は継承者以外が扱う事を拒絶する。
だが、今回は違っていた。黄龍王の神剣自身が、リタの助力を求めた。
自身が継承者と認めた騎士を救う為には、彼女の力が必要だった。
無論、ミスリア王宮で起きている事態も把握している。
だから、黄龍王の神剣は妖精王の神弓を通してリタへ力を貸す。
一陣の風が、彼女の中を駆け抜けた。
「――っ」
刹那、リタの中から不要な情報が根こそぎ排除されていく。
真に求めるもの。崩落によって進路を失っているフローラ達の正確な位置だけが、頭の中へと残る。
「これを、あなたが……?」
黄龍王の神剣は淡く刀身を輝かせるだけで、何も語らない。語る余力が、残っていない。
だが、リタはそれでも構わない。黄龍王の神剣のお陰で、自分がやるべき事が見つかった。
迫られた選択。その全てを、選ぶ光明が見えた。
「じゃあ、あなたが行きたいところを教えて」
リタは尋ねると、黄龍王の神剣は力を振り絞り妖精王の神弓へ伝える。
示された先は王都の郊外。激しい魔力がぶつかり合っている戦場だった。
「……わかった。全力で行くね。妖精王の神弓、力を貸して!」
通常であれば光の矢を形成する妖精王の神弓だが、今回ばかりは違っていた。
黄龍王の神剣を矢に見立て、妖精王の神弓の光が神剣を包み込む。
在るべき所へ導かれるはずだと信じて、リタは黄龍王の神剣を全力で放った。
矢のように放たれた神剣は、己が指し示した場所へ吸い込まれるように弧を描く。
フローラ達の居る瓦礫を破壊し、王宮の壁を貫通すると、そのまま天へと姿を消していった。
継承者の元へ駆けつけるかの如く。
「リタ様、今のは……!?」
「あの剣が通った先にフローラちゃんたちがいるよ。
ロティスさんは、みんなをお願い」
目を丸くするロティスへ、フローラ達の保護へ向かうようにリタは促す。
自分にはまだやるべき事があると、瓦礫で隔たれた向こう側を貫くべく妖精王の神弓を構えた。
かなり魔力を消費した。正真正銘最後の攻防になると、リタは矢を放つ。
積み上げられた瓦礫の山に、拳大の孔が開けられる。
その向こう側に立つ『暴食』へ、リタは宣戦布告の一撃を放っていた。
開けられた孔は、レイバーンの目線には程遠い。けれど、彼には分かっていた。
向こう側から漂う森の香り。彼女を彷彿とさせる、光り輝く矢。
自分の愛する女性でない訳がない。
「邪神に、いつまでも好き勝手させるわけには行かぬな……!
リタにはいいところを、見せたいのでな……!!」
『暴食』に圧され、生傷を増やしていたレイバーンが活力を取り戻す。
不思議とリタの存在を感じられるだけで無限に力が湧いてくる。
「リタ!」
「レイバーン! 絶対に、ここでやっつけよう!」
妖精王の神弓の矢により、瓦礫の山は取り除かれた。
妖精族の女王と魔獣族の王は、『暴食』と相対する。
それは捕食者と化した『暴食』にとっても朗報だった。
何を食べたらどうなるのか。『暴食』は自身の可能性を確かめたくて仕方がない。
大きく避けた口で舌舐めずりをしながら、悪意の塊が襲い掛かる。
リタとレイバーンが残りの力を振り絞った戦い。
それは時間にして一分にも満たない攻防だった。
妖精族を捕食しようと大口を上げる『暴食』へ、レイバーンが鬼武王の神爪を叩き込む。
今はレイバーンではないと怒り狂う『暴食』は、消失の左手を構える。
だが、当然ながら読まれていた。リタが『暴食』の左肩へ矢を放ち、動きが鈍った一瞬。
包み込むように掴んだ獣魔王の神爪が、その爪を漆黒の左腕を握り潰そうとする。
「――!!!」
痛みで発狂をする『暴食』。
その姿は駄々を捏ねる子供そのもので、風貌以上の力を備えていた。
それでも決してレイバーンは手を離さない。
全てをリタに託す為に、彼は叫んだ。
「リタ!!」
「うん! 妖精王の神弓、お願いっ!!」
その思いに応えるべく、リタは己の全てを注ぎ込んだ光の矢を放つ。
白と黒のコントラストに覆われた邪神の分体に、空洞が生まれる。
動きが止まった一瞬の隙を逃すまいと、レイバーンが両腕の神器を構える。
「このまま――!」
「レイバーン! 行っちゃえ!」
レイバーンが振り下ろした神爪が触れる瞬間。
突如、『暴食』の姿が消える。
空を切った神爪は、深く地面へと突き立てられた。
「消えた……だと……?」
「完全に、いなくなっちゃった……」
リタが魔力の感知を試みても、邪神の姿は見当たらない。
あと一歩が足りなかった。それでも二人は、互いの顔を見合わせては安堵した。
一先ずだが、邪神の脅威は去った。王妃や王女を護る事は、出来たのだ。
その事実だけを、素直に受け入れることにした。