360.切り札
「ライラス。お前、無茶しやがって……」
血を流しすぎた影響か、身体をふらつかせながらヴァレリアはライラスの元へと歩み寄る。
ライラス同様、テランの影縫により強引に止血されたものの、その傷は決して浅くない。
「けど、ああでもしなければヴァレリア嬢は喰われていただろう」
ヴァレリアは言葉を詰まらせる。ライラスの言う通り、全ては焦燥感から迂闊な行動を取った自分に責任がある。
その尻拭いを、ライラスがしてくれた。取り返しのつかない大きな代償を払いながら。
「……そうだな。お前の言う通りだ、すまない」
自分と同じ影の帯に覆われた右腕に、手首から先は存在していない。
どんな高名な魔術師が治癒魔術を使おうとも、失われた手足が戻る事はない。
その事実が、ヴァレリアの胸を締め付けた。
「妙にしおらしいな……。中身がいつの間にか入れ替わったりしていないか?」
「馬鹿野郎! なんだ、その反応は!?
人が責任を感じてるってのによ!」
「おう、それでこそ鬼教官サマだ」
きょとんと目を丸くするライラスの姿に、ヴァレリアは激昂する。
だが、直後にまた思い知らされてしまう。彼は自分に気を遣わせまいと振る舞っているのだと。
「右手のことは仕方ないだろう。むしろ、全部喰われなくてラッキーなぐらいだ」
「いや、だけどだな……」
均衡を崩してしまったのは自分だという負い目から、ヴァレリアの眉が下がる。
未だ責任の所在を気にしている彼女を慮ったライラスは、視線を失われた右手へと向ける。
「ヴァレリア嬢だって、テランの義手を見ただろう。
自分も格好良いのをつけてもらうとするさ」
「……お前が前向きな奴でアタシも救われるよ」
ニカっと白い歯を見せるライラスに、ヴァレリアは毒気が抜かれてしまう。
ただ、発した言葉に嘘はない。彼がどこまで気を遣ってくれているかは判らないが、確かにヴァレリアは救われていたのだ。
「それよりも、だ。テランの奴、何を考えているんだ?」
ライラスの視線に促され、ヴァレリアも顔を上げる。
単身ビルフレストへと立ち向かったテランは、残る一枚の『羽・盾型』を駆使して巧みに間合いを調整している。
しかし、劣勢である事には変わりない。彼はきっと、攻める機会を窺い続けながら消耗していっている。
「判らないが……。このままじゃマズい。アタシたちも、早くテランの援護を。
ライラス、お前の斧を借りるぞ」
痛みを訴える身体に鞭を打ち、斧の柄を杖代わりにヴァレリアは立ち上がる。
未だ自分に出来る全てを出し尽くそうとしている、テランの援護をする為に。
……*
「テラン。いくらお前が策を弄しようとも、差は歴然だ。
それが理解できないお前ではあるまい」
「例えそうだとしても、抵抗せずに死を受け入れられるような身体ではなくなってしまいましたから」
『羽・盾型』。影縫。他にも、自分の得意とする魔術を小出しにテランはビルフレストへ果敢にも挑み続ける。
集中力や詠唱を要する魔術は使わない。いや、使えなかった。その一瞬の隙を、ビルフレストが見逃すはずもない。
「生への執着心が生まれたとしてと、お前のしていることはただの時間稼ぎだ。
苦痛が長引くだけだと思いしれ」
魔力を帯びた刃が、『羽・盾型』の本体を貫く。
最後の盾を破壊されたテランへ、ビルフレストの剣が襲いかかる。
咄嗟に魔硬金属の義手で防御を試みるが、ビルフレストの刃はすんでのところで軌道を変える。
根本的な身体能力の差から反応が間に合わないテランの胸元に、鋭い斜線が刻み込まれる。
「かはっ……」
刃に塗りたくられた赤が、傷の深さを物語っている。
しかし、自分の傷に現を抜かしている暇すら与えられない。
膝から崩れ落ちるテランの頭上には、影が覆い被せられていた。
「終わりだ。お前の全てを、私が喰らい尽くしてやろう」
眼前に広がるのは、ビルフレストを『暴食』たらしめる漆黒の左腕。
自分の全てを喰らい尽くそうと、吸収が近付いてくる。
テランはずっと待っていた。
彼の左腕が差し出される、この瞬間を。
(――今だ!)
たった一度きりの好機。逃す事は許されない。
テランは魔硬金属の義手となった右手を、『暴食』の左手へと差し出す。
「テランの奴、何を!?」
ヴァレリアも、ライラスも。テランの行動が理解できなかった。
だが、テランの眼は決して死んでいない。意図は読めなくても、それだけら分かる。
「何のつもりだ?」
ビルフレストは微かに眉を動かすが、それだけだった。
ライラスのように魔力を発して拒絶をしようとも、いずれ限界は訪れる。
彼に取っては無駄な抵抗に過ぎず、吸収を緩める理由にはなり得ない。
「まだ僕にも判らないことだらけなのですが。とある子供によるとロマンらしいですよ」
テランの脳裏に浮かぶのは、別の世界から生まれ変わったという緑髪の少年。
この義手はビルフレストの元から離れた自分が得た、かけがえのないもののひとつ。
今から放つものはピースとマレットの悪ノリに、ギルレッグが力を貸した物。それでも、決して悪い気分ではない。
今、こうして役に立とうとしているのだから。
義手の肘から、地面に向かって伸びるのは二本の杭。
それは彼の身体と腕の方向を、一直線に固定する。
「これは――」
ビルフレストの眉根が寄せられる。
テランが扱う奇妙な機構は、明らかに自分の知らないものだった。
これから何が起きるのか。百戦錬磨の彼といえど、一切の予測が付かない。
一秒にも満たない時間。ビルフレストの意識は、間違いなくテラン本人から逸れた。
テランが足元に影縫を放つ、またとない機会。
「これが僕の渾身の一撃ですよ、ビルフレスト様」
刹那、ビルフレストの左手に強い衝撃が走る。
魔硬金属で造られた肘から、延長線上にあるビルフレストの左手まで。
腕に内蔵された一本の槍が、ビルフレストを貫かんと射出される。
「――ッ」
肘の関節に搭載された魔導石から迸る魔力。
勢いよく射出された槍は、ビルフレストごと吹き飛ばしかねない勢いだった。
そんな形で逃げられてしまえば、二度と命中させる機会は訪れない。
その為の影縫だった。影の帯は、ビルフレストに巻き付いては威力が逃げる事を許さない。
「これが僕の切り札だ……」
大きく肩で息をするテランは、ビルフレストの顔を見上げる。
理解の外から繰り出される攻撃に、心身のダメージを期待してのものだった。
「面白い攻撃だ。流石の私も驚いたぞ」
「……っ」
自分の瞳に映し出された光景に、テランは息を呑んだ。
そこに居るのは、いつものように冷たい眼で佇んでいるビルフレストの姿だった。
「だが、無駄だったな。私の左手は全てを喰らい尽くす」
事実、ビルフレストも驚愕させられる一撃だった。
義手の中に槍を仕込んでいるだけではなく、射出する。
これがもしも『暴食』の左手を狙った攻撃でなければ、身体を貫かれていたかもしれない。
「……いえ。まだですよ。僕の狙いは、最初からこの左手ですから」
しかし、テランにとっても想定の範囲内だった。
彼は元々、吸収の左手だけを狙っていた。
誰かがビルフレスト・エステレラを倒す為の礎となるべく。
無謀にも素手で吸収へ挑んだライラスは、検証しようがないと諦めていた情報をテランへ与える。
それは左手に飲み込まれた直後も、指先の感覚は生きていたという事実。
だからこそ、テランは切り札を切る事を選んだ。
打ち込まれた槍は、まだその効果を全て出し尽くしてはいない。
「ならば、僕の全てを喰らい尽くしてみろ! ビルフレスト・エステレラ!」
義手の関節部分。そして、射出された槍に搭載された魔導石。
テランは自分に残る魔力を絞り出し、魔導石で増幅させる。
ビルフレストの左手よりも内側。吸収によって吸い込まれた先で、魔力を放出する。
「ぐ、おおおおおおっ!?」
止めて仕舞えば忽ち、自分の左腕が崩壊させられてしまう。
自分の内側で膨張を続ける魔力を、ビルフレストは喰い続けるしかなかった。
だが、喰えども喰えども魔力が放出され続ける。テランとの攻防はビルフレスト優勢から一転、我慢比べの様相を呈していた。
「テランの奴、あんな手段で……」
無茶苦茶だと思いつつも、効果的であると疑う必要はない。
ビルフレストの表情が物語っている。吸収の脆弱性を突いた一撃の効果を。
尤も、テランの傷も決して浅くはない。
ビルフレストの左手が破壊されるよりも先に彼が限界を迎える可能性は十分にある。
この好機で必ず仕留めなくてはならない。
ヴァレリアは帯の隙間から血を滴らせ、斧を引き摺りながらも彼らへと近付いていく。
「そう思い通りにはさせぬ……!」
ビルフレストは『暴食』の動向を把握するべく、ずっと使用していた探知を止める。
接続している左腕からも伝わる。邪神の分体は成長を遂げ、今も尚王宮で暴れ回っている。
王宮は『暴食』へ一任し、テランの始末を優先するべきだと決断を下す。
「岩石の槍」
ビルフレストとテラン。二人の間に存在する僅かな隙間に、岩石で造られた槍が出現する。
岩石の槍はテランの傷を抉り、義手の付け根を貫かんと襲いかかる。
「ぐ……っ!!」
決して怯んだりはしまいと心に誓っていたテランだったが、物理的な痛みを前に状況が変わる。
義手の付け根が狙われた一瞬。魔導石へ、テランの魔力の供給が絶たれた。
生まれた隙をビルフレストが見逃すはずもなく、吸収は魔硬金属をも喰らい尽くした。
「残念だったな、テラン。お前の狙いは悪くなかったぞ」
事実、ビルフレストにとっても想定外の連続だった。
自分の内側から魔力を放ち続けられた影響が、吸収で喰ったものを消化するまでにどれ程の時間を要するか読めない。
己の元を去った配下に賛辞を送りながら、ビルフレストは剣を振るう。
「く、そ……」
鋭い剣閃は影の帯諸共斬り裂き、テランの身体を地へと沈める。
多量の出血で意識が朦朧とする中、止めを刺すべくビルフレストが剣先をテランへ向ける。
「させて……たまるかっ!」
ここまで繋げてくれたテランを死なせる訳にはいかない。
最後の力を振り絞り、ヴァレリアが再びビルフレストへ立ち向かう。
テランの魔力が枯渇した影響か。自らの傷を塞いでいた影の帯も解けてしまった。
再び傷口が外気へ晒され、激痛が彼女の顔を歪める。
それでも退いてはならない。もう戦えるのは、自分だけなのだから。
「慣れない得物で、無理をするものではない」
しかし、ヴァレリアの気合いも虚しく、ビルフレストにとっては大した障害ではなかった。
彼の刃によって斧の柄が両断される。虚しく零れ落ちる、両刃の斧。
「それでも――」
実力差が歴然としていても、ヴァレリアの心は折れない。
残った柄を槍代わりに立ち向かうが、それさえも軽くいなされてしまう。
「気力だけでどうにかなると思うのは、貴殿の悪い癖だ」
ビルフレストへ近付く度に短くなっていく柄は、心が折られていくようだった。
身体に刻まれていく傷は、痛みを覚えさせられようとしているようだった。
「うるせえ! 気合いぐらいしか、アンタに勝てるモンがないんだよ!」
それでも、ヴァレリアは食い下がる。
既に斧の柄は武器の様相を呈していない。
ビルフレストの剣に立ち向かう術はもうない。
だが、神は彼女を見捨ててはいなかった。
絶体絶命のヴァレリアの前へ舞い降りるのは、一本の剣。
その姿を前にして、ビルフレストは眉間に皺を寄せた。
「これは――」
天から降り注いだ剣が何なのか、ヴァレリアは知っている。
知らないはずがない。三日月島の一件から彼女が日々祈りを捧げてきた神剣。
黄龍王の神剣が、眼前に現れたのだから。




