357.悪意の流星
雷の檻によって閉じられた世界で感じる威圧感は、これまでの比ではなかった。
例えるならば、逃げ場のない空間に死神と同居させられていると言っても過言ではない。
全てを喰らい、自らの力へと変える吸収を持つ男。ビルフレスト・エステレラ。
彼はまさしく、自分達の命を刈り取りに来ている。そう思わせるだけの気迫が感じられた。
「くっそおおおおお!」
ヴァレリアとライラスが懸命にビルフレストへ斬りかかるが、未だ一太刀も浴びせる事に成功はしていない。
彼の剣に攻撃をいなされ、巧みに二人の位置を操る事で連携を殺している。
テランの『羽・盾型』が無ければ、既に何度吸収の餌食になっていたか数えきれないほどだった。
「はあっ、はあっ……」
息を切らせながら、ヴァレリアは何度も剣を構え直す。
刃が交差する度に、自分達にだけ傷が増えていく。
これほどまでに力の差があるとは思いもよらなかった。
生半可な攻撃では、いともたやすく受け流されてしまう。
彼の持つ剣ごと破壊する渾身の一撃が求められている。
けれど、ビルフレストにそのような隙は見当たらない。
大剣を振り被るヴァレリアや斧を扱うライラスに対して、ビルフレストは一瞬で懐へと入り込む。
取り回しの利きやすい剣もそうだが、何より『暴食』の左手が厄介なのは言うまでもない。
全てを喰らい尽くす左手があるからこそ、どうしても過剰気味に彼の接近を拒絶してしまう。
「よく凌ぐものだ。その点に於いては、感心する外ない」
「言ってくれるじゃないか……」
淡々と放つビルフレストへ対して、ヴァレリアは毒づいた。
彼が本心から言っていないのは、目を見れば分かる。彼にとって自分達は本懐ではない。
前座。下手をすれば、余興程度に思っている節すら散見される。
「とはいえ、実際かなりまずいぞ」
「言われなくても、解ってるよ」
同じく息を切らせるライラスの言葉に、ヴァレリアは口を尖らせる。
前衛が二人も居ながら、防御はテランの『羽・盾型』に頼っている。
せわしなく魔力の制御を要求される彼は、援護の魔術を放つどころではない。
「それでも、アイツを先へ進ませる訳には行かないだろ。
男なんだから、しゃんと踏ん張れ! 相性の悪さは、気合でカバーするぞ!」
「相変わらず、無茶を言うな!」
それでも、他に術が無いとライラスも理解している。
斧を抱えながら、果敢にもビルフレストへと立ち向かう。
「うおおおおおっ!」
直線的な動きと、鍛え上げられた筋肉から放たれる強力な一撃。
正面から受け止めれば、ビルフレストとて無事では済まない。
だが、そんな単純な攻撃が当たるはずもなかった。叩きつけられた斧は土を深く抉る。
土塊が巻き上がる中で、ビルフレストとライラスの視線は交差した。
「……成程」
ライラスなりに工夫はしているのだと、ビルフレストは感心をした。
こう土塊が巻き上がる中で左手を伸ばそうにも、真っ直ぐに対象を掴めはしない。
吸収を封じた上で、狙いを剣を持つ右腕一本に絞った。
「ヴァレリア嬢!」
「分かってる!」
ライラスの巨体から回り込むようにして大剣を振るうのは、ヴァレリアだった。
横薙ぎに払われる一閃は、土塊など全く意に介さない。まとめて両断する勢いで、彼女は腰を回転させる。
「考えたようだが、それでも無意味だ」
こう土塊が邪魔をすれば、一足飛びに距離を詰める事も叶わない。
今まででは一番自分へ迫った連携だと評価をする一方で、彼の顔に焦りはない。
右手の刃を寝かせ、ヴァレリアの剣閃の軌道を変えようと構える。
そのまま反撃へ移ろうという彼の目論見を打ち砕いたのは、かつての部下であるテランだった。
土塊の隙間を縫うように放たれるのは、石で造られた無数の針。
岩石針がビルフレストの行動を疎外する。
「……テランか」
小さく、無数に射出された針の威力は決して高くない。
だが、確実にビルフレストの集中力を削ぐ事に成功をした。
「おおおおおっ!」
「チッ」
横薙ぎに放たれるヴァレリアの渾身の一撃を、完璧に受け流す事は叶わない。
僅かに立った刃。それはヴァレリアの魔力が込められた膂力を受け止める結果へと繋がる。
ビルフレストは己の身体が宙に浮かされるのを感じ取った。
このまま振り切られてしまえば、追撃を許すだろう。
彼女達を勢いづけることに抵抗を感じ、爪先で大地を蹴る。
自らの剣が欠け、肩口が裂かれる。ビルフレストにとって、この戦いで初めての負傷だった。
「思いの外、やるようだな。素直に感心をした」
「……そんな風には全然見えないけどね」
確実に決まったと思った連携でさえ、彼に掠り傷を負わせるに留まる。
未だ実力差を突きつけられているような気がして、ヴァレリアは歯痒さを感じる。
魔術という手札を使用こそしたが、相手はまだ『暴食』を出していない。
全力を出していないにも関わらず、劣勢に立たされている。
それでも、ビルフレストをこの場に足止めをしているという事実は大きかった。
ヴァレリア達にとって、長期戦は決して悪い事ではない。はずだった。
(……おかしい)
置かれている状況に違和感を抱いたテランは、口元を手で覆う。
確かに今の攻防は、自分達の連携がうまく行った。
けれど、ビルフレストなら交差法を狙えたのではないか。彼の実力を知っているからこそ、違和感が拭えない。
避ける。互いに致命傷には至らない。戦闘は長引く。
まるで利害が一致しているかのような状況。
一度疑念を抱いてしまえば、全てが不自然だった。
どうして彼は、雷光の檻の内側に自分自身を置いているのか。
敵だけを封じ込めれば、結界の破壊に専念できたというのに。
「――まさかっ!」
声を荒げるテランに対して、ヴァレリアとライラスが思わず振り返る。
最初に気付くのはテランだと予想していたのか。ビルフレストは「気付いたか」と、小さく呟いた。
「もう遅い。テラン、お前は私の腹を大層心配してくれていたな。
案ずるな。腹を空かせている者はまだいるぞ」
ビルフレストが言葉を発した直後。強力な魔力が食い破られるかのように消滅をする。
ミスリア王都を守護していた結界が、打ち砕かれた瞬間だった。
「なん……でだっ!?」
「何が起きた!? どうして結界が破られたんだ!?」
状況の理解が及ばないヴァレリアとライラスは、驚嘆の声を上げる。
二人は当然、ビルフレストの狙いに気付いたテランさえも知る由はない。
ビルフレストがはじめから、魔術を使用していたと。
三日月島で吸収によって取り込んだ少女。クレシア・エトワール。
彼女は類まれな才能を持つ魔術師だった。空気の振動を利用する魔術など、他の誰にも真似は出来ないだろう。
クレシア自身を吸収した、ビルフレストを除いて。
テランと相対して間も無く、ビルフレストは絶えず探知を使用していた。
魔力の粒子。大気の流れにそって微細に動くそれを、結界は拒絶しようが無かった。
探しているのはミスリア第二王女イレーネ・ヴェネレ・ミスリアと、第三王女フローラ・メルクーリオ・ミスリア。
リタやフローラが『見られている』と感じたものは、正確には『聴かれている』だった。
同じ場所に居合わせているのは妖精族の女王であるリタと魔獣族の王であるレイバーン。
そして、第二王女の護衛であるロティスの存在も感知した。
側に居るのはたった三名。ビルフレストにとって、奇襲を決断させるには十分な情報だった。
故にビルフレストは、『暴食』を顕現させた。
位置は遥か上空、雲の上。舞い降りる先に居るのは、ミスリアの王女。
彼女を亡き者にするべく、『暴食』は大きな口が裂けるほどに口角を上げた。
王都を包んでいた結界は、『暴食』の左腕に宿りし能力。
あらゆるものを喰らい尽くす悪魔の左腕。消失によって食い破られてしまった。
「アレは、まさか……!」
遠目でもはっきりと判る。王宮へと降り注ぐ影は、まさしく凶星だった。
自分達は嵌められていた。ビルフレスト・エステレラという餌に、まんまと喰いついてしまったのだ。
「改めて言う必要もないだろうが、貴殿らの欲しい答えを授けよう。
アレは、『暴食』だ」
「――ッ!」
予想通りの答えを前にして、ヴァレリアの頭に血が上る。
一刻も早く援護に行かなくてはいけない。込み上げる焦燥感は、脳が命令を下すよりも早く彼女の身体を動かす。
「待て! ヴァレリア――」
ライラスの制止も聞かず、彼女は大剣を振り被る。
自分達を取り囲む雷の檻を、そして術者であるビルフレストを断つべく、己の全てがその一撃に注ぎ込まれた。
ビルフレストは長い付き合いから熟知している。
騎士団長に就任したとはいえ、根本的にヴァレリアは感情を剣に乗せる気性を持つ。
この状況を強引に打破しようとするのは、狙い通りだった。
「短絡的な攻撃だな」
魔力も膂力も込めた渾身の一撃。本来であれば、受け流す事すら容易ではないだろう。
だが、この瞬間だけは違う。威力とは裏腹に彼女は隙だらけだ。故に、対処は容易だった。
切っ先に魔力を集中させ、その刃先を彼女の大剣の腹へと滑らせる。刻まれた溝は深く、確実に剣の強度を奪う。
互いの剣が交差し終えた時、ヴァレリアの大剣はその刀身を失っていた。
「士官学校時代にも忠告はしたはずだぞ。貴殿のその気性は何れ、命取りになると」
「ビル……フレストォ!」
刀身を失った大剣で果敢にも挑むヴァレリアだったが、当然ながらビルフレストには届かない。
ヴァレリアが剣を振り終えるよりも早く、ビルフレストの刃が迫る。
「ヴァレリア・エトワール!」
「そう言えば、うろうろと飛び回る羽虫が居たな」
咄嗟に『羽・盾型』を潜り込ませるテランだが、既に何度もビルフレストへ見せ続けてしまった。
二枚ある『羽』の内、一枚がビルフレストによって破壊されてしまう。
一秒にも満たない間。ヴァレリアが彼の間合いから離れるには足りない。
次の瞬間、ビルフレストが持つ刃に鮮血が纏わりつく。
同時にヴァレリアの身体から流れる血が、雑草を赤く染め上げていく。
「ぐ、あ……」
膝から崩れ落ちるヴァレリアへ忍び寄るビルフレスト。
『暴食』の左手が、彼女へ翳されようとしていた。
「案ずるな。貴殿も妹と同じ場所へ送ってやる。私の糧となるがいい」
「ふざけ……やがって……!」
痛みを堪えながら、見上げた眼差しは怒りで染まっていた。
大切な妹を奪った左腕が憎い。だが、ヴァレリアに成す術はない。
歯痒かった。簡単な挑発に乗ってしまった自分が赦せなかった。
けれど、全てがもう遅い。ビルフレストに抗う術はもうない。
最後の意地さえも呑み込まれようとした瞬間だった。
「こなくそおおおおおお!」
ビルフレストとヴァレリアの間に割って入る、一人の影。
ライラス・シュテルンは自らの腕にありったけの魔力を込め、ビルフレストの吸収を受け止めようとしていた。