352.『怠惰』を重ねて
互いは顔を見合わせ、息を呑む。
その再会が喜ばれるものではないと、両者が認識しているからでもあった。
「アンタ、生きてたのか……」
純白のローブに身を包む少女を見上げながら、ピースがぽつりと呟く。
彼女が死んだと思うのも無理はない。浮遊島で彼女を追った黄龍が、悠々と戦場へ舞い戻っていたのだから。
「ああ、お陰様でな」
トリスは膝を曲げ、腰を落とす。
身構えるピースに苦笑をしながら、樹木の魔物に折られた手足へ杖を翳した。
「生命の源となる炎よ。汝、その煌めきを以て傷付きし者を癒し賜え。活力の炎」
心地よい暖かさが、ピースを包む。
炎を用いた治癒魔術、活力の炎により傷付いた身体が癒されていく。
トリスは「治癒魔術は慣れていなくてな、すまない」と謝りながら、ピースの傷が癒えるまで何度も唱えてくれていた。
「どうして……」
何度も拳を握りながら、全快した事を確かめるピース。
窮地を救われ、こうして治療までしてもらえた。有難くはあったが、様々な疑念は尽きない。
「どうしてって……。どちらかと言うと、あの時の私が抱いた感想なのだがな。
君はどうして、立ち尽くす私を護ってくれたのだ?」
何度も瞬きを繰り返す少年を前に、トリスはまたも苦笑をしていた。
きょとんとするピースだったが、彼女の問いに対しては簡単に答えを返す事が出来る。
「なんでって。前も言っただろ、あのおっさんに頼まれたからだよ。
『アンタは操られていただけだ。今回だけは見逃してやってくれ』って」
「そうか……。そうだったのか……」
胸の奥から込み上げる者を堪えるかのように、トリスは何度も息を詰まらせた。
彼はいい加減で、だらしなくて、助平で。何度許可なく身体を弄られた事か。
それでも彼は、最後まで自分の身を案じてくれていた。
ジーネス・コルデコルは『怠惰』に適合しておきながら、自分と真剣に向き合おうとしてくれていた。
「……そのぐらいで、お前の狼藉が清算されると思うな。痴れ者が」
こぼれそうになる涙を堪え、トリスは強がりながらも笑顔を作る。
やはり彼には、素直に感謝の言葉が述べられそうにも無かった。
……*
「そうか。異常発達した魔物巣が、この森に……」
ピースから粗方の事情を聞いたトリスは、血の臭いをする森をじっと眺めた。
道中、異様な空気を感じて立ち寄ったのは正解だった。
この地を放っておけば、どれだけの被害が出るか判らない。
それこそ、吸血鬼族の危機に晒されたティーマ公国のように。
ピースもまた、トリスが再びミスリアへ足を踏み入れた理由を教えられた。
世界へ広がる悪意から、恩人達を護る為に彼女は動いている。
ある意味では自分達と同じものを成そうとしている。生きている事もそうだが、手を取り合えそうだと胸を撫で下ろす。
(おっさん、良かったな)
考えに耽るトリスの顔を、ピースはじっと眺める。
浮遊島で見せたような弱々しい表情はもうしていない。
きっとジーネスが知っている、本当の彼女なのだろう。そう思うと、彼へ告げずには居られなかった。
「……? どうした? 私の顔に、何かついているか?」
「い、いや。そういうわけじゃなくってだな! そ、それがアンタの素なのかなって」
ピースの視線に気付いたトリスが、首を傾げる。
流石に女性の顔をじろじろと見過ぎてしまったと、ばつの悪そうな顔をする。
動揺が見え隠れしながらも、慌てて言葉を取り繕った。
「……どうだろうか。前よりも心が軽くなったのは、間違いないのだがな」
そう思えるようになっただけ自分は、恵まれている。
やるべき事が見えたのだ。ならば、それだけに全力を注ぐのみ。
「まずはこの森にある魔物の巣を叩くべきだろうな」
トリスは賢人王の神杖を構え、改めて森へと向き直る。
充満する血の臭いは、一体どれだけの血を吸った証なのか。
これ以上、被害が深刻化する前に。一刻も早く、叩く必要があった。
「ああ」
ピースも翼颴から翠色の刃を形成する。
先刻こそ遅れを取ったが、同じ轍は決して踏まないと歯を食い縛る。
トリスは魔術師で、しかも炎の魔術を得意とする。
ならば彼女が魔術を放つまでの間、自分が護ればいい。
信用が置けるかどうかは、今更考えるまでも無かった。
現に一度、自分を救ってくれた。ジーネスの言葉もある。
ピースはかつて敵だったトリスへ背中を預ける事を選択する。
「おれが敵の気を引くから、魔術での援護は任せるぞ」
「ああ……」
何の躊躇いもなく、小さな背中を曝け出すピース。
それは紛れもなく、信頼の証だった。
しかし、有難いと思う反面、トリスは眉を顰める。
異常発達した魔物を討伐せんと肩肘を張る彼の姿が、重なって見えた。
功を焦り、気負い続けていたかつての自分と。
――お前さんは気負い過ぎなんだよ。
不意に、自分へ向けられた言葉が脳裏に蘇った。
ジーネスはいつもそうだ。適当で、へらへらしている癖に。
自分への助言を、惜しまない男だった。
「少年。この森にどれぐらい魔物が残っているのか、把握しているのか?」
「え? いや、おれもさっき入ったばかりだから……」
「そうか……」
首を横に振るピースの姿を見て、トリスは決断を下した。
功を焦り過ぎてはならない。「自分はまだまだやれるはずだ」なんて言い訳は、相手には通用しないのだから。
「少年。ここは一度退こう。回復をして、策を練って。
巣を潰すのは、それからでも遅くはない」
「いや、でも!」
ピースが言おうとしている事は判る。
彼は自分達がこの場から離れて、魔物が街を襲いに行く事を懸念している。
だから、トリスは折衷案を用意した。
「無論、言いたいことは分かる。だから、この辺りで陣を張ろう。
魔物が動けば、私達も討伐する。そうしているうちに、生態も判るだろうからな」
トリスの主張は決して間違っていない。
街も守れるし、情報も収集できる。勝率が確実に上がる方法を、彼女を選んでいる。
それでも首を縦に振らないのは、単に自分が焦っているだけに過ぎない。
「少年を見ていると、ジーネスを思い出す。
私も奴に言われたんだ。『気負い過ぎだ』とな」
ジーネスの事だから、言葉の裏には自分が楽をしたいという気持ちが含まれていたかもしれない。
だが、今の自分にとって「焦らない」というのは的確な助言である事も間違いない。
現に一度、逸る気持ちを抑えられずに失敗しているのだから。
「……おれを見てあのおっさんを思い出すのは、なんかやだな」
素直になり切れない態度を見せながら、ピースは翼颴へ供給する魔力を断った。
翠色の刃が消え、短くなった刀身を鞘へと納める。
「そうは言っても、私と君との関係ではどうしてもそうなってしまうだろう」
「まあ、それは確かに」
ジーネスに対して素直になれないところまで自分に似ていると思うと、トリスは不思議な親近感を抱いた。
くすりと笑みを溢すと、釣られて彼も苦笑する。
互いの気持ちが和らいだところで、二人は血の充満する森から距離を置いた。
確実に魔物の巣を潰すにはどうするべきか。その為の作戦を、練り始める為に。
……*
ピースとトリスが再会を果たす中で、他でも戦況は動き始める。
ミスリア東部。軍隊ザリガニが暴れていた、港町。
「さあ、船の中に少しなら物資はあるからね。
非常事態だ、代金はいい! いつまた魔物が来るか判らない、まずは身を寄せ合おうじゃないか!」
雪のように白い体毛に覆われた人虎が、声を張り上げる。
ベリアをはじめとする獣人の姿は、港町では滅多に見かける事はない。
けれど、決して町の人間が彼女達を拒絶するはずもない。
部外者であるはずの彼女達から溢れている温かさが身に染みる。
そこに種族の壁など、存在しているはずもなかった。
軍隊ザリガニの討伐は終えたものの、傷付いた者や家財を破壊された者が居る。
トリスによる魔術とネクトリア号の獣人が加勢した事により一度は難を逃れたこの地だったが、まだ完全に危機は去っていない。
世界再生の民による追撃の手は、決して止まない。
「なっ、なんだ!?」
突如、闇のカーテンが港町を覆う。
港と町が闇によって遮断され、音すらも届かない黒い壁が立ち尽くす。
「こりゃあ、様子がヘンだね……。みんな、船の中へ避難しておくれ!」
町へ帰る事は叶わない。この異常事態では、外に居る方が危険に違いない。
咄嗟にそう判断を下したベリアは、港に取り残された町の者をネクトリア号へ避難するように告げる。
それが闇のカーテン。常闇の迷宮を張った者の罠だと気付く由もなく。
「――!」
「ヴァルム!?」
唯一、異変を探るべきだと空高く舞い上がったのは、トリスが召喚した炎爪の鷹のヴァルム。
冷たい風を斬り裂くように昇るヴァルムと、常闇の迷宮の術者が互いの姿を認識したのはほぼ同時だった。
術者の正体は、世界再生の民へ離反した黄道十二近衛兵の一人。テネブル・エトワール。
三日月島でも常闇の迷宮の管理を任されていた男だった。
「まずは、厄介な獣人共から片付けるべきだな」
視界にヴァルムの姿を捉えたテネブルだが、特段気にする素振りは見せなかった。
たかが鳥の魔物が一羽舞ったぐらいで、自分が劣るはずもない。
人虎達を仕留める方が、彼にとっては優先度が高かった。
その理由は酷く単純で、獣人の血。それも戦闘に長けた種族となると、欲しがる人物が居た。
邪神の創造から管理を受け持つ研究者の男。マーカス・コスタ。
異常発達した魔物や人造鬼族もそうだが、彼は命を組み替えて遊ぶ事を何よりの愉悦としていた。
唾棄したくなる程の下衆である事には違いないが、自分達の存在を隠す隠れ蓑とすれば造られた存在も優秀だ。
だからこそ、ビルフレストも重宝している。ならば、テネブルもそれに従うのみだった。
潜ませている軍隊ザリガニへ指示を出し、船艇に孔を開けさせるべく指示を出そうとした瞬間だった。
停泊しているネクトリア号よりも遥か遠く。思いもよらぬ距離から、強力な魔力が闇のカーテンへと突き刺さる。
「――なんだっ!?」
海上から放たれた魔力は、圧縮された風を纏っているようだった。
一発、二発と常闇の迷宮へ突き刺さるそれは、確実に闇のカーテンを破壊しようとしている。
「なっ、なんなんだい!?」
海面すれすれを走る風の塊に、ネクトリア号が大きく波に揺られる。
しかし、幾度となくこの船で荒波に立ち向かってきたベリアは退かない。
その正体を突き止めるべく、甲板へと身を乗り出した。
「船……?」
ベリアが視界の先に捉えたのは、高速で海面を割る一隻の船。
ネクトリア号がそうだからよく解る。あれは、魔導石を搭載した船なのだと。
その甲板には、見た事のない銃を構えた青年が立っていた。
……*
「命中はしたが、破壊は出来ていない」
照準器越しに結果を確認したシンが、ぽつりと呟く。
僅かに熱を持った銃身を取り外しながら、充填したにも関わらず想定より低い威力に眉を顰めていた。
「うーん。やっぱ、威力が相当減衰されるみたいだな」
ボリボリと頭を掻くのは、この銃身を作る事を提案した女性。マレット。
『憤怒』との戦闘で銃身が壊れたのを機に、取り外しが可能な狙撃用の製作を試みていた。
材質は魔硬金属である事から、耐久性に不安は抱いていない。
問題は威力。魔導砲は元々が狙撃を想定して造られた銃ではない。
銃身を通る過程で魔力が四方へ分散していくのは、彼女として不本意な結果となってしまった。
「こっちは問題ないんだろう。だったら、大丈夫だ」
改めて魔導砲へ、通常の銃身を取り付けるシン。
ミスリアへの移動中、ギルレッグが小人王の神槌を用いて魔硬金属で製作をしたものだった。
「そうそう。あたしも灼神直してもらったから、だいじょぶだよ!」
両手で灼神と霰神を握り締め、フェリーはぐっと力を入れる。
魔導接筒を用いた出力を耐えられるよう、二本の魔導刃・改も魔硬金属で装いを新たにした。
魔術付与の使えなくなったシンは兎も角、フェリーの戦闘力は格段に上がっている。
ミスリアのどこへ上陸をするかという話になった時、マレットが提案をしたのが港町だった。
ここにはピースの知り合いであるゴーラが居る。以前世話になった事から、情報収集をしようと試みた矢先。
常闇の迷宮による黒いカーテンが、町を覆う。
緊急事態だと判断をしたシンとフェリーが、港町の脅威を取り除くべく準備を始めていた。
「二人とも、気をつけてね。特にシン」
「うん、ありがと!」
慮るイリシャの声に、フェリーは満面の笑みで応える。
シンも「ああ」と頷くと、イリシャはやや不安げな顔を見せていた。
「スレスレまで全力で飛ばすからな! しっかり頼むぞ!」
操舵輪を握るマレットの声に、シンとフェリーが頷く。
魔導砲へ充填をするシンと、魔導接筒で二本の魔導刃・改を繋げるフェリー。
準備も覚悟も、とうに終えていた。
「行くぞ、フェリー。まずはあの壁を破壊する」
「おっけ、任せて!」
港へと突っ込む一隻の船から、ふたつの人影が飛び降りる。
それは港町での新たな戦いの幕開けを意味していた。