351.森での再会
ウェルカでの騒動から二ヶ月。シン達と別れ、マギアを目指した直後の事である。
ピースは自分が目を覚ましたこの土地へ一度足を運んでいた。
風祭祥吾としての生を終え、どういう訳か新たな命を授かってしまう。
自分には何か役目があるのではないだろうか。そう考えるのもある意味では当然の思考だった。
故にピースは、この世界における自分の立ち位置を知りたがっていた。
正確には、自分の起源を求めての行動。
結果として、得るものは何もなかった。
強いて言えば緑に囲まれた景色で心が洗われたぐらいだろうか。
知りたかったものは存在しなかった。
後日、マギアで知り合った女性にその話をすると彼女はケタケタと笑っていた。
「そんなに難しく考えなくてもいいだろ。アタシからすれば、お前の話はおもしれーからそれだけで充分なぐらいだ」
一本にまとめられた長い栗毛を左右に振りながら、その女性は続けた。
「出自がどうであれ、紛れもなく人間と同じ身体の作りをしている」と。
以降、生まれた理由については深く考えないようになった。
ただ、前世とは明確に違う部分もある。自分はこの世界で戦う力を得て、困っている人の力になる事が出来る。
右も左も判らない自分に手を差し伸べてくれた人達が居る。
せめてそういう人達の役に立てるような人間でいたいと、心に誓った。
本当はマギアにも行きたかった。
けれど、許可が下りなかった。悔しいとも思ったし、苛立ちも覚えた。
こうしてミスリアへ同行した際に、気合が入ってしまうのも無理はなかった。
何としても、異常発達した魔物の巣を潰さなくてはならない。
いつにない気迫で、ピースは己が眼を覚ました森の中へと足を踏み入れた。
……*
「この臭い……」
森の奥へ進むにつれ漂ってくる異臭に、ピースは思わず顔を顰めた。
鉄を含んだ悪臭があちこちに充満している。それが何を意味しているのかは、今更問うまでも無かった。
この世界に来て、今まで以上に嗅ぐ事が多くなった血液の臭いそのもの。
「こんだけ血の臭いがするってことは、当たりだよな……」
ピースは今が冬で良かったと、心底思った。
もしも真夏であれば、この悪臭が原因で今よりも気分が悪くなっていただろう。
一方でこれだけ血の臭いが充満する意味を理解しているが故に、警戒心を強める。
臭いの源泉は魔物か獣か。もしくは、人間か。
魔獣族のレイバーンであるならば、嗅ぎ分けられたのかもしれない。
ただ、森へ向かった冒険者が戻って来ない。最悪の事態を想定するには、十分な材料でもあった。
可能な限り足音を殺し、慎重に歩みを進めていく。
『羽』で限界まで速度を上げていた先刻までとは、真逆の行動。
それでも落ち葉は擦れ合うし、木の枝は乾いた音を鳴らす。その度に、生きた心地がしなかった。
尤も、ピースの涙ぐましい努力は意味を成さない。
彼がそう思い知ったのは、森の中へ足を踏み入れて十分が経過しようとした頃だった。
……*
また枝の折れる音が、乾いた空気に鳴り響く。
声を漏らさないよう奥歯を噛みしめ、ゆっくりと体重を移動させていく。
足の裏が地面へ埋まってであろう頃に、ピースは視線を足元へと移す。
(マジで心臓に悪いな……)
そっと足を持ち上げると、姿を現したのはぽっきりと折れた枝。
幼い頃なら、剣に見立てるべく拾っていたかもしれない。
などと考えていると、地上へ跳ねるが如く顔を現わす樹の根が視界へと映りこむ。
真冬だというのに瑞々しいその姿に目を奪われ、ピースは根の這う先へ視線を動かしていく。
地へ向けられていた頭が再び上がると同時に、彼は自分の置かれている状況を正しく把握した。
その先に居たのは、樹木の魔物。
この季節に相応しいと姿だと言うべきか。瑞々しさとは裏腹に、葉はすっかりと枯れ落ちていた。
言葉では表現し辛い気まずさが、沈黙となって現れる。
樹木の魔物自体は、この森に存在しても何ら珍しくはない。
だが、今この場で遭遇したという事が問題だった。
駆け出しの冒険者だった頃、樹木の魔物は何度も討伐をした。
だからこそこれがただの樹木の魔物ではない事は、見た瞬間に分かる。
波打つ根はまるで鞭のようで、無数に伸びている枝は腕のように見えた。
そして何より、口のような大穴を開けている洞から滴り落ちているのは血液だ。
異常発達した魔物の巣。その影響を受けた魔物であると、断定せざるを得ない。
「――!!」
「やっぱり、そうなるよなぁっ!」
肥えにならない雄叫びを上げ、樹木の魔物は臨戦態勢へと入る。
ピースは即座に距離を置き、翼颴から刃を形成した。
「悪いけど、まずは剪定させてもらうからな!」
『羽』を分離させ、風の刃はあらゆる角度から樹木の魔物の枝へ襲い掛かる。
枝を斬り落とさんと暴れ回る『羽』だが、相手もまた一筋縄ではいかなかった。
「嘘だろ、おい!?」
最初こそ調子は良かった。分離された風の刃が、樹木の魔物の枝を次々と斬り落とす。
しかし、樹木の魔物が『羽』に対応するべく自らを変質させていく。
自分の図体では、多角的な攻撃は避けきれない。
そう判断した樹木の魔物は、複数の変化を見せた。
そのひとつが異常なまでの再生能力。
刃が食い込んだ瞬間に再生をする枝は、決して『羽』を離しはしない。
そして、それ以上に厄介なのが自らの身体を氷のような結晶で纏う事だった。
魔術にも似たそれは、『羽』自体を凍らせ徐々にその性能を奪っていく。
(異常発達したにしろ、無茶苦茶すぎるだろ)
無効化されていく『羽』を前にして、ピースに焦りの顔が見え始める。
大型の魔術で一度に吹き飛ばすべきか。そう考えた矢先。鞭のようにしなる根が、ピースの身体を捉えた。
「ぐっ……!?」
左手と右足に巻き付いた根は、太く力強い。
腕も脚も握り潰されそうになるほど締め上げられたピースは、残る右腕で翼颴の刃を根へと突き刺した。
「こ……ん、のおぉぉぉぉぉ!」
自分も傷付く事を厭わず、ピースは翼颴に己の魔力を注ぎこむ。
圧縮された風の魔力が、内側から抉るかのように樹木の魔物の根を引き千切る。
樹木の魔物の悲鳴と同時に、ピースは根の支配から逃れる事に成功をする。
「もうこれ、全くの別モンだろ」
断言しても構わない。
見た目が樹木の魔物の恰好をしているが、これは別の魔物だ。
こんな魔物を野放しにしてはおけないと、ピースは痛む手足を堪えながら翼颴を構える。
分散した攻撃では、大したダメージは与えられないのだと痛感をした。
枝に奪われたままの『羽』を回収して、一本の魔導刀へ戻す。
渾身の一撃を以て、この魔物を仕留めようとピースは画策をする。
「まずは何としても、『羽』を回収だ!」
先刻の攻防で、直接的な攻撃ならきっと枝も破壊できるはずだとピースは考える。
翠色の刃を構え、樹木の魔物へ駆け始めようとした時だった。
「――ぶっ!?」
彼の身体は自身が思ったようには動かず、前のめりに倒れてしまう。
真冬の擦り傷は寒波が刷り込まれるように痛みが残り続けている。顔を強打した衝撃で鼻血が垂れてしまっていた。
「なんなんだよ!?」
気合を込めて一歩を踏み出そうとした瞬間。
ピースは確かに、何かに足を取られた。
持ち上げた顔がそれを視界に捉えた瞬間、彼の顔は青ざめる事となる。
「……嘘だろ、おい」
瞳に映るのは、もう一体の樹木の魔物。無警戒の方向から現れた根が、ピースの足を掴んでいた。
何度見返しても、見間違いではない。いつの間にか自分は挟まれていたのだ。
「ちょ、ちょっと待て! おい!」
樹木の魔物はピースの足を捕まえたまま、自分の手元へと引き寄せる。
翼颴の刃を突き立てようと試みるが、握っている右手も根に抑え込まれてしまう。
抵抗を試みても、最初から膂力では叶わない。
じりじりと樹木の魔物にぽっかりと空いた洞へ寄せられていくピース。
樹木の魔物の身体に近付いた時、べったりと塗られた赤の正体に息を呑んだ。
正確に言えば、洞の奥から覗かせる者。それは人の腕であり、足。
思わず目を逸らしたが、頭の上も存在しているように見えた。
この時、ピースは自分が置かれている状況を改めて把握する。
樹木の魔物に出来ている洞が口だというのは、決して比喩表現ではないと気付いた。
この魔物は、自分を捕食しようとしているのだ。
「待て、待て待て! ちょっと待て! マジで待てって!」
今まで以上に声を荒げるピースだが、樹木の魔物が聞く耳を持つはずもない。
懸命に抵抗を試みるが、強く締め上げられた根はピースの腕を握りつぶす。
彼の手から転げ落ちた翼颴は魔力の供給が断たれ、刃の形を失ってしまった。
「こんの……!」
こうなってしまった以上、手段は魔術しか残されていない。
自爆覚悟で颶風砕衝を放とうとするピースだが、それに待ったを掛けたのは初めに相対した樹木の魔物。
「っ!!!」
獲物を横取りされた事に憤慨をしたのか、もう一体の樹木の魔物も根をピースへと絡ませる。
自分が捕食するのだと言わんばかりに、強い力で引き合う二体の樹木の魔物。
人間とは比べ物にならない力は、ピースの身体を引き裂かんとする。
これではとても、颶風砕衝を練るだけの集中力が得られそうになかった。
(まずい。これはまずい。大人しく、師匠やオリヴィアと一緒に来るべきだった……)
ピースの脳裏に浮かぶのは、後悔よりも謝罪。皆、自分の事も気に掛けてくれていたのに。
逸る気持ちを抑えるべきだった。きちんと状況を確認した上で、万全の態勢で臨むべきだった。
「――紅炎の新星」
最悪の状況も覚悟をしたピースを救ったのは、一筋の光。
限界まで圧縮された火花は大気を泳ぐ。樹木の魔物へと触れた瞬間に、込められた魔力は本来の姿を取り戻すが如く火柱を生み出した。
「え……」
悶え苦しむ樹木の魔物とは裏腹に、ピースへ燃え移る事は無かった。
確実に魔物だけを焼き尽くす炎がやがて根を焼き尽くし、ピースを拘束から解放する。
何が起きたかは把握できない。けれど、千載一遇の好機だという事は判る。
ピースは咄嗟に左手で翼颴を拾い上げ、翠色の刃を形成した。
「お前ら、よくもやってくれたな!」
自分同様、炎によって『羽』も枝から解放されている。
ピースは小型の刃から風を生み出し、樹木の魔物を焦がす炎を巻き取った。
炎を纏った『羽』は樹木の魔物の身体へと食い込み、内も外も高熱に苛まれていく。
二体の樹木の魔物が炭と化すまで、そう時間は要さなかった。
「ふう……。助かった……」
魔力を大量に消費した疲労感から、ピースは大地に横たわる。
右手だけではなく、足もどうやら締め上げられた時に骨が折れてしまったようだ。
痛みに顔を歪めながらも、命拾いをしたと安堵のため息を吐いた。
そんな彼の安否を気遣い、顔を覗かせるの魔術師。
真っ白なローブと古ぼけた杖を握る、赤い髪の少女だった。
「大丈夫だったか、しょうね――」
「あ、はい。おれの方こそ、ありが――」
ピースも命の恩人に礼をしなくてはと、彼女と眼を合わせようとした瞬間。
お互いの間に、緊張が走る。
「お前は……」
それもそのはずだった。その少女を、ピースは知っている。
ミスリアの王都では敵対をし、浮遊島では『怠惰』の男が見逃してくれと懇願した少女。
世界再生の民に所属していたはずの魔術師。トリス・ステラリードなのだから。




