350.東部の異変
港町に現れた軍隊ザリガニを一掃する魔術師の少女。
彼女が手に持つ杖は、魔術師が扱うものにしては珍しい。何せ、魔術を補助する為の魔石が取り付けられていないのだから。
「――六花の新星」
少女が放つは、氷の最上級魔術。本来であれば周囲を乱暴に凍り付かせるその魔術は、その手に握られた杖が性質を和らげていた。
町を破壊しないように。民を傷付けないようという思いが、賢人王の神杖を通じて形となる。
揺り注ぐ雪の結晶は周囲を銀世界へと変えていくが、明確に悪意を持った魔物だけを凍り付かせていた。
「……ふう」
白いローブを羽織った魔術師の少女。トリス・ステラリードは、魔術の発現を終えると同時に息を吐く。
縁があり、自らが継承者となった神器。賢人王の神杖はトリスの心の内を繊細に読み取っている。
一見頼もしくも感じられるが、同時に魔術の発動をより複雑にする。
まだ自分が神器の継承者である事に驚いている彼女が緊張をするのも、無理はなかった。
「トリス。この辺の魔物は粗方片付いたみたいだけど、どうするんだい?」
氷の彫刻と化した軍隊ザリガニを破壊しながら、トリスへ問うのは白い毛並みを持つ獣人。
彼女はティーマ公国の商船、ネクトリア号で共に港町へ現れた人虎。ベリアだった。
ベリアの問いに、トリスは周囲を見渡す。
賢人王の神杖を用いた六花の新星は、確かに視界に映る魔物を一掃した。
けれど、本来の軍隊ザリガニは冬眠している時期だ。活動を開始せず、難を逃された個体が居ないとも言い切れない。
「私は王都へ向かおうと思う。ただ、ベリアたちは港町に残っていてはくれないか?
まだ魔物が現れるかもしれないし、傷付いた者たちが居ればネクトリア号で匿ってあげてもらいたいんだ」
「あいよ」
指示に納得をしたベリアは、承知したという返事と共に力こぶを作って見せる。
ただ、トリスの本心にまでは気が付いていない様子だった。
トリス・ステラリードは表向きこそ知られていないが、世界再生の民に所属していたという事実がある。
それはつまり、ミスリアへ謀反を企てたという証拠。自分と行動を共にしているせいで、獣人達まであらぬ誤解を受けさせたくはないが故の判断だった。
トリスにとってネクトリア号の仲間も、この賢人王の神杖もティーマ公国の貴族から預かった、大切な存在。
継承者となった賢人王の神杖は兎も角、ベリア達まで危険に晒したくはない。
だからこそ、トリスは独りで王都を向かう事を選択した。
この決断が下せたのも、道中でマギアの国王が命を落としたという情報を耳にしたからこそだった。
そうでなければ、マギアの軍船と鉢合わせる可能性が非常に高かった。
この機に乗じてマギアもミスリアへ攻め入っていただろう。そうすれば、こうして東側から入港する機会は窺えなかったかもしれない。
浮遊島の一件もそうだ。世界再生の民の思い通りには決して進んでいない。
世界中で蔓延ろうとしている悪意に、懸命に立ち向かう者達が居る。
その者達を、トリスはよく知っていた。
「トリス、マギアの話もあるし慌ただしいんだろう?
無茶はしなさんなとは言い辛いが、必ず戻ってくるんだよ」
「ああ。ベリア達こそ、気を付けていてくれ」
トリスが単独行動をする理由を、なんとなくだがベリアも察する。
だが、追求は敢えてしない。今の彼女は、そのまま姿を消したりはしない。
必ず自分達の元へ帰ってくると、信じているから。
「行ってくる」
借りた馬へと跨り、高くなった目線から空を見上げる。
冷たく吹き付ける風が、彼女の吐息を白く濁らせる。
しんしんと降り注ぐ雪を見て、思い浮かべるのはライルの顔。
この雪を共に眺める日が再び来ると祈りながら、トリスは港町を後にした。
……*
港町から王都へ向かうトリスから遅れる事、数日。
異常発達した魔物を討伐する為に、向かう先はウェルカ。
冒険者ギルドの仕事が減ったあおりを受け、治安の悪化が見える街だった。
蹄の音を響かせながら、二頭の馬が並走をする。
冷たい風を掻き分ける中、馬上で眉間へ深い縦皺を刻む者が居た。
フローラによって東部へ向かうように命令を受けた魔術師の少女、オリヴィア・フォスターである。
「あああああっ! もうっ! 勝手なことばかりして!
追い付いたら、ただじゃ済まないんですからね!」
「ま、まあまあ。落ち着いてください、オリヴィア……」
冷たい空気とは対照的に、怒り狂う彼女は今にも沸騰をしそうだった。
落ち着かせようと宥めるアメリアの言葉も、素直に受け入れられない。
「お姉さまは人が良すぎますよ! マギアに行けなくてウジウジしていると思ったら、今度は暴走して!」
その原因はこの場で行動を共にしていない少年。ピースにあった。
勝手にウェルカへと先行をする彼に、オリヴィアは苛立ちが止まらない。
「内容は兎も角として、『羽』をあんな方法で使うとは思わなかったですね」
「それはそうですけど!」
「オリヴィアも怒ってはいますけど、少し感心したでしょう?」
「それは……そうですけど!」
馬に乗れないという彼がウェルカへ向かう方法は自ずと限られる。
アメリアが自分の後ろに捕まるように打診をしたが、それでは速度が出せない。
気持ちだけが逸る中、ピースが出した答えは翼颴の『羽』を用いる事だった。
翼颴から分離した『羽』を広く並べ、魔力で繋ぎとめる。
出来上がったのは、魔力の力で宙へと浮く一枚の板。
前世でサーフィンやスケートボード、スノーボードと類のものを見て来たピースならではのアイデアだった。
『羽』の力の源である翼颴を通して、ボードは使用者であるピースへ機動力を与えた。
馬とは比べ物にならない速度で彼は単独、ウェルカへと向かう。
「いじけてたと思ったら、人の話も聞かずに突っ走りますし!
子供なのは見た目だけって、ウソでしょう! アレ、中身も絶対子供ですよ!」
「まあまあ、落ち着いてください。ピースさんも、本来ならミスリアにもマギアにも関係ない方です。
それでも親しくなった方のために、必死になってくれているのです。
オリヴィアの気持ちも解りますけど、その点は考慮してあげてくださいね」
新たな生を受けたこの世界で、彼はもっと平穏に暮らすという選択肢もあったはずだ。
けれど、彼はそれを選ばなかった。傷付いている人達の為に戦う道を選んだ。
中にはミスリアが救われたものだって少なくはない。
オリヴィアの言い分も判るが、アメリアはあまり彼を責める気にはなれなかった。
「いーえ! 飴はお姉さまが担当してください。わたしは、鞭を担当しますから!」
「オリヴィア……。もう、仕方ありませんね」
頬を膨らませながらそっぽを向く妹を前に、姉は苦笑をした。
二頭の馬は、尚も東へと走り続けている。悪意へ触れる、その時まで。
……*
『羽』によりアメリアとオリヴィアを大きく先行したピースは、既にウェルカへと辿り着いていた。
近付く度に増えている魔物の群れに焦燥感を抱いたピースだが、見渡す限り市街地ではまだ戦闘は起きていない。
何とか龍騎士をはじめとする騎士団が、街の中へ入れまいと奮闘している。まずはその事実に、胸を撫で下ろした。
街の状況を確認するべく、ピースは冒険者ギルドを訪ねた。
過去の騒動による爪痕は、未だ街へ残っている。近付いてくる魔物の群れを前に、活気は消えている。
「セレンさん!」
「ピースくん!? またミスリアに来ていたのですか?」
予期せぬ来訪者に冒険者ギルドの受付嬢は目を丸くする。
ピースから見た彼女の姿は以前よりやつれているように見えて、気苦労の耐えない様子が伺えた。
そして何より、冒険者ギルドに人の気配が無い。
冒険者で賑わっていたこの場所で閑古鳥が鳴く姿を見る事になるとは、思ってもみなかった。
「はい、ミスリアの異変を聞いたんで。それよりも、ウェルカの様子はどうなんですか!?
東の方で、異常発達した魔物が暴れているって聞いたんですけど……」
息を荒くするピースの姿を、セレンはじっと見つめる。
先日、相談をしたからだろうか。彼は危機を聞きつけ、急いで訪れてくれたというのが窺えた。
「ええ、よくご存じですね。幸い、まだ街への侵入は許していませんけど……」
前のように、街の人へ被害は出ていない。最悪の事態にはなっていない。
ふう。と息を吐くピースだったが、セレンの顔は尚も険しかった。
「やはり領主様が亡くなった際のことを、皆さん思い出してしまっています。
魔物に襲われないようにと、店を閉めて身の安全を確保しようとしている方々が増えています。
ただ、その結果――」
以前よりも依頼の数が激減し、更に治安が悪化したとセレンは語る。
ヴァレリアが練っていた対策が実を結んでいない事に、ピースは表情に影を落とす。
「ただ、現れてくる魔物が恐ろしいのは皆さん同じなのです。
騎士様が護ってくれているからこそ、耐え凌いでいる。
冒険者以外の方はそれを理解しているのですが……」
「仕事が無くなる冒険者としては、気が気でないと」
セレンは小さく頷いた。下級悪魔と上級悪魔による騒動の弊害は深い溝を生み出していた。
誰でもいいから護って欲しい住民と、自分達の仕事が無くなるという冒険者の軋轢は未だ解消されていない。
このままでは街への侵入を許す前に、元冒険者が暴徒となりかねない。
「なので、一応……。常駐する騎士様の許可を取って、冒険者を募ったのです」
そう言って彼女が取り出したのは、一枚の依頼書。
止めどなく溢れる魔物の群れ。防衛で手いっぱいの騎士団は、ウェルカを離れる訳に行かない。
不満は溜まる一方で、内外のどちらかが崩壊すればこの街は終わってしまう。
ジリ貧になりつつあるこの状況を打開すべく、冒険者ギルドはある依頼を用意した。
「魔物の巣を駆除……?」
差し出された依頼書の内容を、ピースは読み上げる。
ウェルカへ襲い掛かる魔物の巣を探し出し、それらを潰していく事。
持ち場を離れる事の出来ない騎士団には出来ず、腕っぷしの強い冒険者としては待望の依頼。
何より、依頼人が冒険者ギルドそのものとなっている。報酬は破格なので、喜んで請ける者も多いだろう。
「はい。こうすれば、この状況も打破できるかと思いまして」
「いや、いいんじゃないですか!? これなら、ヘンに元冒険者が強盗を企てることもなくなるでしょうし!」
ピースは名案だと思ったのだが、セレンの表情は暗いままだ。
彼女の様子から冒険者ギルドに閑古鳥が鳴いているのと、関係があるのだと悟った。
そして、何が起きているのか想像するのは容易でもあった。
「その……。斥候に出た冒険者が、戻って来ないのです……」
やはりか。と、ピースは下唇を噛む。
腕自慢の冒険者達が、次々と姿を消していく。
自分達が出した依頼で、大勢の人が命を落とす結果になっているかもしれない。
心優しい彼女が沈んでいる理由が、漸く理解できた。
ピースは自ずと、拳を強く握っていた。
冒険者としての自分は、この街で産声を上げた。
フェリーに連れられたが、彼女は冒険者登録を行っていない。
初歩的な登録作業から親身になって接してくれたのは、目の前に居る受付嬢。
この街の冒険者だってそうだ。人気のあるセレンと親しく話す自分へ舌打ちをする者達もいた。
けれど、新人だと判ると親身に接してくれる者もいた。
酷い騒動に巻き込まれはしたけれど、ピースは決してこの街が、この街の冒険者達が嫌いではない。
「セレンさん。おれが、行ってきます。生きている人がいるなら、おれが連れ戻してきます」
「ピースくん……」
彼は自然と、声を上げていた。
どうするべきかなんて、考える必要が無かった。最初から、ピースにとって答えは決まっている。
元々、この状況は放ってはおけないと急いで来たのだ。
セルンから説明を受けたピースは、冒険者達が向かった場所を訪ねる。
目的地となったのは、ウェルカを出た先にある森。自分がこの世界で目覚めた場所そのものだった。
もう二度と訪れる事はないと思っていた場所。
その場所でピースは、思わぬ再会と悪意との邂逅を果たす事となる。