348.希望を繋ぐは、暗黒の壁
砂漠のど真ん中でフィアンマと交戦していたオルゴが姿を消して数時間。
彼はフィアンマの予想を裏切らず、地中深くに潜って機を窺っていた。
異常発達した砂漠蟲が掘り進む穴に沿って、着実にカッソ砦へと近付いていく。
ただ、狭苦しい空間を移動するという行動は、気の短い彼にとっては苛立ちを募らせる時間でもあった。
(あの吸血鬼族の奴。上手くやったのか?
そろそろオレ様がオイシイところを……)
砦の内部では、自分の血と魔力によって蘇った吸血鬼族の王が潜入を試みている。
長年封印されていたにも関わらず、復活当初から不遜な態度が気に入らなかった。
特に、自分の血を分け与えてやったのに言う事をまるで聞こうとしない点が。
故に、オルゴは自分も遠慮をする必要はないと考える。
吸血鬼族が砦の内部から崩そうとする中で、乱入すればいい。
手柄を横取りしようという、浅ましい考え。
「お、辿り着きやがったのか?」
砂漠蟲と違い、オルゴは地上の様子を感じ取るだけの繊細な感覚を持ち合わせてはいない。
先行していた砂漠蟲が、進路を地上へと切り替える。地表を食い破る瞬間が、彼にとって戦闘開始の合図だった。
「この薄暗い穴倉も飽きて来たんだ。思う存分、暴れさせてもらうぜ!」
まずは目に映る人間全てを殺すと、鬱憤を晴らすかのように意気込むオルゴ。
その気合とは裏腹に、彼の願いが満たされる事は無かった。
「しかし、何かアチィな……」
オルゴは己の額から滴り落ちる汗に不快感を覚える。
火龍である紅龍族。そして、このカッソ砦では炎の魔術を得意とする者が多かった。
砦内部で戦闘が激化している証と捉えたのだが、それは誤りである。
彼が感じた熱は、背後から忍び寄っていたのだから。
「――なっ!? ほっ、炎だと!?」
突如、襲い掛かってくる炎にオルゴは狼狽える。
敵の気配は一切感じなかった。どうしてだと振り返るが、視界に広がるのは一面の炎のみ。
「おい、虫野郎! さっさと進め!」
砂漠蟲を急かすオルゴだが、未だ地上へは辿り着かない。
際限なく送り込まれる炎の息吹に、オルゴはおろか砂漠蟲まで呑み込まれる。
「クソッ、クソッ、クソッ! こんな、こんなこ――」
断末魔を上げる鬼族の悲鳴を、耳にする者は居なかった。
オルゴは砂漠の中で孤独に、大地へと還っていく。
……*
「こんなところか。全く、でかい図体の割に卑怯な奴だ」
冷え込む砂漠のど真ん中で鼻息を荒くするのは紅龍族の王、フィアンマ。
渾身の力を込めていたからか、鼻からも微かに炎が灯る。
姿を隠した鬼族を追っていたフィアンマは、単独で砂漠に立ち尽くしていた。
孤立した彼を仕留めようと、地中から現れるのは異常発達をした砂漠蟲の群れ。
人間すらも呑み込む大きさは確かに脅威だが、龍族であるフィアンマにとって体格差の影響は小さい。
炎の息吹で応戦をしているところで、彼は過去に砂漠蟲がカッソ砦を襲った話を思い出した。
砂漠蟲自体もそうだが、その気になれば自分やオルゴでさえも通れる大きさの道。
むしろ、そうでなくてはあの巨体が消え去った理由に説明が出来ない。
だが、追い掛けようにも砂漠蟲の群れが多くの道を生み出している。
自分も潜って確かめたのでは、埒が明かないと考えたフィアンマは力業へと移る。
砂漠蟲の生み出した坑道。その全てに対して、炎の息吹を吹き込むと言う荒業を。
この作戦は、隠れているオルゴを一方的に攻撃できる以外にもうひとつ利点が存在した。
異常発達した砂漠蟲がまだ地中に潜んでいるのであれば、根こそぎ駆除できるという点。
結果、フィアンマの目論見は上手く行っている。
吸血鬼族の襲撃により壊滅の危機に陥ったカッソ砦が、追撃を免れたのだから。
「はあ……。それにしても疲れた……」
いくらなんでも炎の息吹を吐きすぎたと、フィアンマに疲労感が襲い掛かる。
すぐには動けそうにもない。流石に体力の回復が必要だと、全身が訴えてきている。
「イルシオンたちは無事だといいけど……」
砂漠蟲が見境なく襲い掛かるからか、周囲に人間の気配は感じられない。
戦況が読めないのはもどかしいが、足手まといになる訳にも行かない。
回復次第、すぐにカッソ砦へ戻るべく今は身体を休める事に専念をした。
……*
時を同じくして。イルシオンはカッソ砦で、吸血鬼族の王が灰となって散っていく様を見届けていた。
直後、己の全身全霊を込めた一振りを放った彼は緊張の糸が途切れる。
「イルシオン!」
「すまない、父上……」
力が入らず、崩れ落ちる息子の身体をルクスが支える。
イルシオンの息は荒く、貫かれた脇腹は再び傷が開いている。
それは瞬く間に、ルクスの手を真っ赤に染めた。
「お前、そんな無茶を!」
「しなければ、勝てなかっただろう」
確かに、イルシオンの言う通りだった。
突き付けられた事実と、子を想う気持ちの板挟みになったルクスは歯を食い縛る。
「イディナ! イルシオンを早く治療しなければならない!
救護室で、誰か治癒魔術を使える者を!」
「そ、それが……」
声を張り上げるルクスに、イディナは状況を説明した。
吸血鬼族がはじめに行動を開始した地点を。そして、その惨状を。
「クソッ! それが狙いか……!」
ルクスは怒りのあまり、硬く握った拳を床へと叩きつける。
吸血鬼族の置き土産は、それだけ彼に怒りと絶望を与えるものだった。
単体でも厄介だった吸血鬼族は、魔眼や牙を用いて手駒を増やす。
それが叶わないにしても、改めて治療の手段を奪っておけばやがては砂漠の国の兵に押し切られるだろうという算段。
侵入を許した時点で、自分達は窮地に晒されていたのだと思い知らされる。
魔眼に魅了された者達は時間が経てば戻るだろうが、どんな後遺症が残っているか判らない。
フィアンマも未だ戻っては来ていない。
カッソ砦の戦力は僅かに残った龍族と騎士のみ。
とても砂漠の国の攻撃を凌ぎきれる戦力差では無かった。
「イディナ、包帯でいい。開いた傷口を縛ってはくれないか」
神剣を杖替わりに、イルシオンは弱々しくも立ち上がる。
「イルさん!? まさか――」
彼の台詞が、眼差しが語っている。
何を考えているかなど、改めて問うまでもなかった。
「砂漠の国にとっては絶好の機会だ。
ここを凌ぎ切らなくてはならないのは、解るだろう?」
「そうですけど……!」
イディナは込み上げてくる涙を堪えながら、声を絞り出す。
彼の言う通り、砂漠の国にとっては千載一遇の好機。
鬼族に吸血鬼族。
世界再生の民が砂漠の国に手を貸しているのは明白だ。
この機を窺うように指示があると考えるのは、必然。
「カッソ砦を突破されれば、市民に被害が出る。ラットリアだってそうだ。
絶対に、オレがここで食い止める」
重い足取りながら、イルシオンは歩み始める。
ルクスもイディナも。そんな彼を止められはしなかった。
……*
包帯をきつく縛り上げるが、気休めにしかならない。
それでもイルシオンにとっては十分だった。
本音を言えば、とうに限界は越えている。
神剣を握る力は弱々しいもので、イディナの剣を受けただけでも吹き飛ばされかねない。
魔力もどうだろうか。昼から戦い続けて、極めつけは吸血鬼族の王だ。
血を流し過ぎて、集中力が維持できるかも怪しい。詠唱を破棄するなど、以ての外だった。
とても戦える状況ではない。けれど、彼には意地があった。
英雄になると豪語していた。付いてきてくれた女性が居る。
その女性を失った時、憎しみのあまり自分は過ちを犯した。
それでも誰も自分を見棄てはしなかった。紅龍王の神剣でさえも。
新しい出逢いもあった。どこか放っておけないと、見守っているつもりだった。
けれど、救われているのは自分の方だった。
護られてばかり、救われてばかりだった。
ひとつぐらいは、護り通さなくてはならない。
そうでなければ、自分を支えてくれた皆に顔向けが出来ない。
「イディナ、君は無理をせず――」
隠れていればいい。最悪の事態は降伏をすれば、きっと命までは奪われないだろう。
そう続けようとしたイルシオンの口を止めたのは、イディナの鞘から刃が抜かれたからだった。
「イヤです。ぼくはこの国が好きです。護りたいから、騎士を目指したんです。
最後まで、イルさんの隣で戦います」
「……そうか」
初めての戦場に。襲い掛かる吸血鬼族に怯えていた少女とは思えない姿が、そこにあった。
死なせたくないと、イルシオンは強く願う。
「じゃあ、オレの背中は任せたぞ」
「……はいっ」
夜が明けようとしている。
今日もまた、争いが始まる。
「――来る」
霞む視界でも、奥で何かが動ているぐらいは察知できる。
砂漠の国の兵が進軍を始めた合図だった。
魔眼で操られた者達は、直ぐに戦列へ復帰できそうにない。
僅かな龍族と騎士のみで構成された即席の部隊が、砂漠の国の兵と刃を交えようと身構える。
「イルシオン、イディナ。決して無理はするな!
私の指示に従うんだぞ!」
ルクスの声に、二人は頷く。彼もまた、未来ある若者をこれ以上失いたくはなかった。
状況は最悪に等しい。もしもの時は、降伏をしてでも彼らの命を繋ごうとルクスは考えている。
例え自分の命と引き換えにしてでも、彼にも護りたいものは存在していた。
迫りくる砂漠の国の兵。その姿がはっきりと視認出来た時。
一匹の龍族の生み出す影が、両軍の意識を奪った。
「あれは……!?」
太陽を一身に浴びた龍族は、間違いなく紅龍族だった。
カッソ砦に残っている者とは、また別の個体。何が在ったのかと思案する間もなく、背中から二人の男が飛び降りる。
「手筈通りにやるぞ」
「分かってますってば!」
上空で交わされた会話を、地上にいる者達が知る由はない。
だが、彼らは間違いなくイルシオン達にとっては救世主だった。
「――常闇の迷宮」
彼らが舞い降りるまでの数秒で、状況は一変する。
カッソ砦と砂漠の国の軍隊を分かつように広がったのは、真っ黒なカーテン。
「えっ、壁!?」
「これは……!」
突然の出来事に狼狽えるイディナとルクス。
その正体に気が付いたのは、かつて同じものを体験した事のあるイルシオン。
三日月島へ乗り込んだ際に、自分達を分断してみせた闇の魔術だった。
「ルクス・ステラリード卿。リシュアン・フォスターならびにディダ・グラーリア。
ただいまより、この砦の防衛を援護いたします」
「リシュアン……!」
龍族より舞い降りた男は、かつて世界再生の民に所属していた二人の魔術師。
リシュアンとディダ。闇の魔術による分断はヴァレリアも経験している。
砂漠の国の侵攻を防ぐために、彼女が寄越した援軍だった。
「リシュアン兄!」
「イルシオン、ボロボロじゃないか」
傷だらけのイルシオンを見て、リシュアンは眉を顰めた。
神器を持つ彼を、ここまで傷付けるほどの相手が居た。
上空から見た騎士の数もそうだ。苦戦を強いられているのは明らかだった。
自分達を送り込んだヴァレリアの判断が正しかったのだと、思い知らされる。
「ディダさんも来てくれたんですね!」
「あ、ああ。まあな。お前も苦労してるだろうって、皆が言ってたよ」
「ありがとうございます!」
「お、おう。気にすんな。ジブンにしか出来ないことだからな」
満面の笑みを浮かべるイディナが眩しくて、ディダは眼を逸らす。
事実、訓練場における癒しだった彼女を心配する者はミスリアでも少なくはない。
勿論、ディダ自身も例外ではないからこそ、ヴァレリアに指名されたやっかみを受けながらも二つ返事で引き受けた。
それだけではない。ディダがこの場に連れて来られたのには理由がある。
世界再生の民の介入はずっと危惧していた。
カッソ砦にはイルシオンとフィアンマが向かったとはいえ、二人はどちらかと言えば攻撃的すぎる。
守護をするにあたって、相手の分断が出来る魔術師は貴重だった。
常闇の迷宮の補助としてディダを連れて行こうと提案をしたのは、リシュアンだった。
ディダの弱点として、魔術の生成が遅い点が挙げられる。その弱点は、前線に出なければ中々露呈はしない。
証拠として、妖精族の里の襲撃でも大型弩砲や蝕みの世界を発動は成功させている。
魔術の才だけはあるというテランの言葉を、ヴァレリアは信じる事にした。
「だけど、リシュアン兄がカッソ砦に来れば王都が手薄になるだろう!
ここにはビルフレストは姿を現していないんだぞ!? 奴は――」
間違いなくこの隙を突いてくるだろう。
リシュアンは謂われるまでも無かった。ビルフレストのやり口は、よく知っている。
「問題ない。より強力な援軍が来たからこそ、自分達がここへ来ることが出来た。
それよりも、傷を見せてみろ。治癒魔術はあまり得意でないが、出来る限りは治してやれる」
「……っ」
その言葉で、イルシオンは確信をした。
黄道十二近衛兵を務めていたリシュアンより頼りになる人物など、限られている。
ましてや、ミスリアを護る為に戦ってくれる者など。
「妖精族の里から、来てくれたのか!?」
イルシオンの問いに、リシュアンは頷いた。
……*
砂漠の国の侵攻を南部の国境沿いで凌いでいる最中。
ミスリア東部に存在する港町でも異変は起きていた。
「くそォ! 軍隊ザリガニのヤロウ、冬だってのになんでだァ!?」
頭を丸く剃った男、ゴーラは果敢にも軍隊ザリガニへ立ち向かう。
自慢の筋肉による強打も、異常発達した甲羅の前に弾かれてしまう。
何もかもがおかしかった。
異常発達した姿もさることながら、本来なら軍隊ザリガニは冬眠をする。
活動時期ではないにも関わらず動き続ける魔物を前に、常駐している騎士達も苦戦を強いられていた。
「ぐっ!」
一際大きい軍隊ザリガニの鋏による一撃が、騎士の剣を難なくと折る。
怯んだ一瞬の隙を、軍隊ザリガニは逃さない。
「騎士様ァ! クソ、コイツら!」
「馬鹿! 無茶をするな!」
窮地に陥った騎士を庇うべく、ゴーラは果敢に立ち向かう。
思い切り打ち付けた槌での一撃は軍隊ザリガニの身体の中へと響くが、意識を奪うには至らない。
ただ標的を騎士から自分へ切り替えさせただけだった。
「くそォ!」
鍛え上げられた筋肉による体躯が、ゴーラにとって自慢だった。
けれど、異常発達した軍隊ザリガニはそんな彼を見下ろしている。
ゴーラが勝てるのは気持ちだけ。それは決して折れてはならないと、槌を振り被った瞬間だった。
突如、空間一帯が冷気に見舞われる。
雪の結晶が、港町全体を包んでいた。
「――な、なんだァ!?」
理解できない現象が続く。ゴーラは勿論、騎士団さえも狼狽えている。
けれど、不思議とこの雪の結晶に不安はなかった。優しく包まれているような安心感さえ覚える。
事実、雪に包まれた軍隊ザリガニだけがその動きを停止していたのだから。
誰もが困惑する中、港町からある一団が姿を現した。
獣人達で構成された一団は、異質さから全員の意識を引きつける。
その中で一人。雪のような純白のローブを羽織った人間が混じっている。
「……どうやら、始まっているのは戦争だけではないようだな」
獣人達の中に混じる、一人の少女。
トリス・ステラリードはぽつりと呟いた。




