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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第六章 芽吹く悪意
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347.炎刃一閃

 刃が微かな灯りに反応して、刀身に光を帯びる。

 僅かな変化より自分へ迫りくる危機を察知したルクスは、それを自らの剣で弾き飛ばす。


 金属同士の擦れる音が、乾いた空間に響き渡る。

 刃こそ凌いだが、危機自体を退けた訳ではない。後方に構えていた魔術師からの魔術が、一直線に放たれる。


「お前たち、正気に戻れ!」


 イルシオンを別行動を取っていたルクスが相対している者。

 それは共にカッソ砦を護っているはずの騎士団だった。


「どうだ、人間? 同胞から命を狙われる気分は?

 ……と言いたい所だが、貴様らにとっては変わり映えの無い光景かもしれぬな」

「抜かせ! 私の部下を、好き放題に!」


 吸血鬼族(ヴァンパイア)の王、ブラドは皮肉を込めながらルクスの狼狽える様を傍観している。

 彼にとってこの状況は、戯れに過ぎない。先刻、自らの魔力が混じる血を流し込んだ少年(イルシオン)少女(イディナ)が眷属と成り果てるまでの退屈しのぎ。


 砦の中に居た騎士を魔眼で魅了し、指揮官と思われる(ルクス)と交戦させる。

 困惑を数の暴力ですぐに伏せられると思ったが、男は案外としぶとい。

 これならば手駒としても使えるのではないかと、品定めを行っていた。


 だが、ルクスはブラドの想像を超える動きをして見せた。

 次々と襲い掛かる騎士を、魔術師を。彼は殺すことなく退けていく。

 

「ほう」


 流石のブラドも、彼の奮闘には素直に感服をした。

 動きのキレは神器の継承者(イルシオン)に劣るものの、無駄のない動きで命を奪う事なく部下を無力化している。

 

「残るは貴様だけだ」


 それでも、相当に神経を削ったであろうと察するのは容易かった。

 吸血鬼族(ヴァンパイア)の王へ向かって剣を構えるルクスの姿は、息が上がっている。


「ああ。尤も、我を討つことは叶わぬがな」

「抜かせ!」


 ルクスが距離を詰めようとした瞬間。

 ブラドの爪が部屋中の灯りの灯りを破壊し、周囲一帯が光を失う。

 僅かな灯りで視界を確保していた空間は、瞬く間に闇のみで構成されてしまった。


「なっ!?」


 一瞬の出来事に、ルクスの身体に緊張が走る。

 視界が奪われたルクスは、ブラドの攻撃に対して咄嗟に身構える。


 一方のブラドにとっては、ルクス程の影響はない。

 吸血鬼族(ヴァンパイア)であるが故に、血の臭いには敏感だった。

 ルクスが部下との戦闘で流した血の臭いを、辿ればいいだけ。


「ぐうっ!」

「やるではないか、人間!」


 回り込んでの一撃は確実にルクスを捉える。

 だが、ルクスもまた歴戦の強者。微かに聴こえる風切り音を頼りに、ブラドの接近を感知している。

 噛みつこうとする牙の軌道を僅かに逸らし、致命傷を避ける。


「これ以上、好きにさせてなるものか!」


 再び闇に姿を消されてしまえば、自分は成す術もない。

 加えて、ブラドの爪による攻撃は広範囲に渡る。気絶させた部下を巻き込む訳にも行かない。

 ルクスが選んだ道は、ブラドをこのまま力づくで部屋から追い出す道だった。


「ぐ……うっ!」

 

 自らの身に魔力を込め、歯を食い縛り、腰を低くする。

 強烈な突進が壁を貫き、そのまま二人は部屋の外へと雪崩れ込んでいく。


「離れろ!」


 ブラドは自らの爪を重ねた刃で、ルクスの身を斬る。

 何とか鋼の胸板で受け止める事に成功したものの、彼が自分の間合いから逃れる事を阻止できなかった。

 

「小癪な真似をしてくれる……」


 舌打ちをしながら、ブラドは廊下に灯る灯りを爪で破壊をした。

 再び訪れる暗闇の世界。それでも尚、ルクスの位置は血の臭いで筒抜けだった。


 先刻、牙で彼の身体に魔力と血を送り込んだ。ほどなくして、新たな眷属が生まれるであろう。

 自分はそれまでの間、闇の中で身を隠していればいい。男が何をしようとも、この距離ならば躱しきれる。


 たったこれだけの事で、人間の砦は墜ちてしまう。

 聊か物足りなさも感じるが、吸血鬼族(ヴァンパイア)の復活を報せる為の狼煙と思えばいい。

 全ては順調に進んでいる。この瞬間まで、ブラドはそう信じていた。


「……なんだ?」


 血の臭い(ルクス)とは反対から灯る光。更には濃い血の臭いを感じ取り、ブラドは思わず振り向いた。

 唐突に現れたそれは、剣の形を模している。紅の刀身を構える、少年の姿。


「見つけたぞ、吸血鬼族(ヴァンパイア)!」

「貴様は――」


 その者が誰だか、ブラドは知っている。先刻自分と刃を交えた、神器の継承者。

 忌々しい神剣、紅龍王の神剣(インシグニア)と忌々しい名、ステラリードを冠する少年。

 イルシオン・ステラリードその者だった。


「イルさん、ルクス様が!」

「分かっている」


 イルシオンの隣でルクスの姿を発見した少女が声を上げる。

 彼女もまた、ブラドによって眷属にされようとしていた人間。

 イディナ・コンサンスもまた、何食わぬ顔でこの場に現れている。

 

(眷属化が進んでいないだと……?)


 不可解な事象を前に、ブラドは眉を顰めた。

 吸血鬼族(ヴァンパイア)の血は、魔力は、徐々に身体を侵食していく。

 本来であればこんなに声を張り上げる事など、出来るはずがない。

 

「まさ……かッ」

 

 ブラドの脳裏に刻まれた、大昔の記憶。

 塵芥のような脆弱な種族に、純血の魔族が次々と敗れた理由。


「神器か……!」


 神器の強大さを知っているからこそ、目の前の現実が紅龍王の神剣(インシグニア)の力によるものだと察する。

 激昂により己の形相が変わっていくのを自覚していても、ブラドは止められない。

 またしても、500年を経過しても。神器は自分の前に立ちはだかる。

 

 眷属化などと、力を回復するなどと言っている場合では無かった。

 一刻も早く、殺すべきだったのだ。少なくとも、神器の継承者(イルシオン)だけは。


「またも、(キサマ)は我の邪魔をするのか!!」

「人を恐怖に貶めておいて、そんな台詞がよく吐けるものだな!」


 それぞれが別の生き物のように、ブラドの爪が襲い掛かる。

 イルシオンは己の力を振り絞り、紅龍王の神剣(インシグニア)で応戦をする。


 狭い廊下の壁や天井に伝うのは、浄化の炎。

 魔を退けるその力はブラドの爪を拒絶し、導火線のように先端から根本の本体へと炎が走り出す。

 

「ぬうっ……!」


 瞬く前に燃えていく己の爪を、ブラドは根本から斬り捨てる。

 その隙にイルシオンは、ブラドの懐へと潜り込んでいた。


「隙だらけだぞ」


 下から上へと斬り上げられた神剣は、炎を纏っている。

 真っ直ぐな線を引く刃は、ブラドの右眼をその熱で灼き斬る。


「キッ……サマ!」

 

 先刻とは明らかにイルシオンの動きが違う。

 この短期間で、彼は紅龍王の神剣(インシグニア)の能力を引き出している。

 

 油断をすれば、一瞬で命を奪われると身構えるブラド。

 イルシオンは彼を通り過ぎ、血を流すルクスの元へと歩み寄る。


「父上。そこの吸血鬼族(ヴァンパイア)の牙に傷をつけられたのか?」

「あ、ああ。牙かどうかまでは判らないが……」

「構わない。念のために、これを――」


 紅龍王の神剣(インシグニア)へ祈りを捧げ、焔と清浄の(ソルテオル)神が応える。

 優しく灯る炎がルクスを包むが、不思議と苦しくはない。それどころか、どこか心地よい暖かさだった。


「これは……」

紅龍王の神剣(インシグニア)が、吸血鬼族(ヴァンパイア)の薄汚い血を浄化してくれただけだ。

 これで、奴の眷属にないはずだ」


 そう語るイルシオンは、既にルクスを見てはいなかった。

 彼の眼は既に、諸悪の根源である吸血鬼族(ヴァンパイア)の王を捉えている。


「イルシオン……」


 息子の立ち振る舞いに、ルクスはどこか頼もしさすら覚えた。

 今の彼と紅龍王の神剣(インシグニア)なら、この吸血鬼族(ヴァンパイア)にも立ち向かえる。

 そんな希望を抱いた矢先、ルクスは気付いてしまう。


「お前、その傷は――」


 彼の放った暖かな炎が照らすのは、希望の光だけではなかった。

 酷いやけどを負った左手。貫かれたのか、真っ赤に染まっている脇腹。

 先刻まで暗くて気が付かなかったが、彼の額は脂汗が止めどなく流れている。満身創痍なのは明らかだった。

 

「……今は、踏ん張りどころだろう」


 それでもイルシオンは、気丈に振舞って見せる。

 吸血鬼族(ヴァンパイア)の王はまだ力を取り戻していない。

 紅龍王の神剣(インシグニア)が力を貸してくれた。

 千載一遇の好機(チャンス)を、逃す訳には行かないと。


「人間風情が……ッ」


 浄化の炎に包まれるルクスを見て、ブラドもまた同じ思いを抱いていた。

 紅龍王の神剣(インシグニア)を持つこの男が居る限り、どれだけの障害になるか判らない。

 瀕死の今こそ、自分にとっても千載一遇の好機なのだと悟る。


「人間に敗れた身で、よく見下し続けられるものだ!」

「黙れ!」


 残る力を振り絞って、イルシオンは神剣を振るう。

 爪を重ね、刃を形成したブラドは彼の攻撃を受け続けていた。

 

「くっ……」

 

 紅龍王の神剣(インシグニア)が爪を燃やす一方で、どれだけ燃え尽きても直ぐに再生してしまう。

 決定的な一撃が入れられないと、イルシオンの中に焦りが芽生え始める。


「イルさんっ!」


 このままではイルシオンの身体が持たないと、イディナは援護を試みる。

 自分の実力では、まだあの剣戟に加われない。イルシオンの足を引っ張りかねない。

 それでも出来る事はないかと探した結果、彼女は石礫(ストーンショット)による射撃に活路を見出した。


 自分の魔力では大した威力にはならないと解り切っている。

 ほんの僅かでも隙を生み出せば、イルシオンは必ず応えてくれる。

 そう信じて、彼女は石礫(ストーンショット)を撃ち続ける。


「フン、そのような魔術など」

「そんな……」


 しかし、ブラドにとってそれは気に留めるほどの物では無かった。

 一身に石礫(ストーンショット)を浴びながら、イルシオンの攻撃に専念をする。

 

 意識を割く事すら出来ない事実を前にして、イディナは己の無力さを恨めしく思った。

 けれど、悔やんでいる時間はない。自分にも必ず出来る事はあるはずだと、考え続ける。


(イルさんだって諦めなかったんだ。ぼくだって……)

 

 イルシオンが諦めなかったからこそ、自分はここに立っている。

 思考は停止してはいけないと、イディナは己に言い聞かせる。


 結果、イディナの脳裏にある考えが過る。

 石礫(ストーンショット)だけで足りなければ、()()()()()


(どうせ、このまま相手にされないなら……!)


 イディナは意を決し、新たな魔術を用意する。

 自分が役に立てる可能性が低いのなら、せめて出来る事は全て試すべきだと言わんばかりに。


「ならば、これならばどうだ!」


 石礫(ストーンショット)による攻撃を終えた直後。続けざまに蓄えられていく魔術は、反対側に立つルクスから発せられるもの。

 イルシオンと剣戟を繰り広げる傍らで準備を進めていた、雷光一閃(ライトニングスピア)が今まさに発射されようとしていた。


「フン、そちらは厄介だな」


 雷の上級魔術である稲妻の束は、イディナの放った石ころとはまるで違う。

 真面に浴びれば自分とて身体が硬直をするだろう。今となってはその一瞬が命取りとなる。


「……ぐっ!?」


 刃を交えていたイルシオンが苦痛に顔を歪める。

 紅龍王の神剣(インシグニア)の刃がブラドの左腕に食い込んだ瞬間、彼の膝が自分の脇腹を強く打ち付けていたからだった。


 完全に切断された訳ではない左腕は、重力に従ってだらしなく垂れていく。

 腕を一本犠牲にしてまで掴んだ好機。ブラドの右手は、イルシオンを斬ろうとしていた。


「やられて、たまるか!」

 

 間一髪。イルシオンは紅龍王の神剣(インシグニア)の刃でブラドの爪を受ける。

 しかし、激痛と止めどなく流れる血で踏ん張りが利かない。ブラドの膂力を抑えきれず、壁へと吹き飛ばされてしまう。


「イルさん!」

「おのれ!」

「チッ、やりすぎたか」


 悲鳴を上げるイディナと、思い通りに行かなかったと舌打ちをするブラド。

 ルクスから雷光一閃(ライトニングスピア)が放たれたのは、その直後の事だった。

 眩い光が、ブラドへと襲い掛かる。

 

「仕方あるまい」

 

 本来の狙いでは彼はイルシオンを雷光一閃(ライトニングスピア)の盾にしたかった。

 だが、今となってはそれは叶わない。

 

「光栄に思え。吸血鬼族(ヴァンパイア)の王の、腕なのだから」


 ブラドは紅龍王の神剣(インシグニア)によって切断されかかっていた己の左腕を、雷光一閃(ライトニングスピア)の前へと放り投げる。

 迸る雷は腕を貫き、瞬く間に焦がしていく。だが、それまでだった。ルクスの渾身の魔術は、ブラドへは届いていない。


「なんだと……」

 

 渾身の魔術が不発に終わり、ルクスは項垂れる。

 ブラドにとっては顔色が絶望に染まっていくのが滑稽で、愉しかった。

 

「良い魔術だったのだがな。まだまだ、人間と我では差があるということだ」


 万策は尽きた。まずは神器の継承者(イルシオン)を殺す。

 勝利が目前に迫っているはずのブラドに触れたのは、確かな熱だった。


「な……。ん、だと……?」


 熱。それは炎を連想させるもの。

 今のブラドにとって、最も恐れるもの。


(まさか、あの小僧がもう立ち上がって!)


 即座に眼光をイルシオンへ向けるブラド。だが、彼は床に打ち付けられたままだった。

 浅い呼吸で、辛うじて生きているだけに過ぎない存在。

 とてもこの状態から炎を生み出したとは、思えない。


 ならば、誰が。

 その疑問は、もう一度感じた熱によって答えを得た。


「……っ!」


 その正体は、下唇を噛みながら懸命に石ころを放つ少女。

 石かまどを魔術で作る要領で、イディナが石礫(ストーンショット)に熱を加えたものだった。


「小娘……。よもやその狼藉、楽に死ねると思うな」

「ひっ……」


 ブラドは怒りで気が狂いそうだった。

 ほんの一瞬とはいえ、このような石ころに命の危険を覚えたのだから。

 その原因となった少女には、辱めを与える程度では気が済まない。


「し、死にません……!」


 けれど、イディナは石礫(ストーンショット)を止めはしなかった。

 全く相手にされなかった自分が、吸血鬼族(ヴァンパイア)の王の気を引いたのだ。

 止める理由が、どこにあるだろうか。


「ぼ、ぼくも。イルさんも、ルクスさんも……。

 みんな、死にません!」


 涙を浮かべながらも、イディナは吸血鬼族(ヴァンパイア)の王に立ち向かう。

 彼女の必死な想いは、正しく()へと伝わっていた。


「世迷言を!」


 鬱陶しい羽虫を黙らせようと、ブラドは右腕を振り上げた。

 正確には、振り上げた()()()()()()


「なっ……」


 肩が上がってから、ブラドは漸く気付く。己の肘から先が、消えている事に。

 代わりに残されたのは、肉の焦げる臭い。それは紛れもなく、自分の腕があった場所から発せられていた。


 何故か。などと、今更思いはしなかった。

 この炎は、熱は、間違いなく忌々しい神剣から発せられたもの。

 

「ああ、イディナの言う通りだ……」


 血の臭いを充満させる、満身創痍の少年。

 それでも手に持つ神剣は、刀身に眩いほど輝く炎を纏っていた。


 イディナがブラドの気を引いた僅かな時間。

 吸血鬼族(ヴァンパイア)に怯えていた彼女が、勇気を振り絞った証。

 彼女の気迫に応えないといけないという強い想いが、イルシオンを立ち上がらせる。

 

「お、まえ……」


 決して揺らがぬ眼光と、硬く握られた神剣。

 蹂躙する側からされる側へ、移り変わったのをブラドははっきりと理解した。


「オレたちは、死なない。まだ、死ねないんだ……!」

「お、のれ……。人間ごときに……」


 最後の力を振り絞ったイルシオンの一振り。

 彼に応えるが如く、紅龍王の神剣(インシグニア)吸血鬼族(ヴァンパイア)の王を灼き尽くした。

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