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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第六章 芽吹く悪意
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343.潜む悪意

「イディナ。ずっと動きっぱなしだろう、少しは休め」


 軍医に休むよう促され、イディナはそれほどの時間が経過している事に漸く気が付いた。

 意識をした途端に、強い疲労感が彼女を襲う。


「だ、大丈夫です! ぼく、まだ手伝えますよ!」


 けれど、イディナは引き下がらない。

 軍医や衛生兵の中には、自分より動き続けている者も大勢いる。

 自分だけが休憩をする訳には行かないという使命感が、彼女の背中を押した。


 そう思うのも、無理はない。

 太陽が沈むにつれ送られてくる数は減ったものの、今も救護室は大勢の人で埋め尽くされているのだから。


 剣で斬られた者。矢で射抜かれた者。

 中には、鈍器で顔面をグチャグチャにされたのだろうか。顔に被せられた布が真っ赤に染まる者さえもいた。


 いくら換気をしようとも、咽返るような血の臭いが眩暈を誘発する。

 人同士が争う様は、こんなにも恐ろしいのかとイディナは身震いをした。


 自分とて血には耐性を持っている方だと思っていた。

 定食屋を営む傍ら、猟師が狩った獣を捌く姿を何度も見て来た。

 血も、骨も、肉も、内臓も見慣れている。そう、自分へ言い聞かせていた。


 けれど、違う。そう簡単に割り切れるはずがない。

 同じ命でも、ここで傷付き苦しんでいる騎士達(みんな)はイディナにとって線引きの内側に立っている。

 中には挨拶を交わし、笑いあった者もいる。血塗れの姿を見て、平静さを保っていられる程イディナは大人ではない。

 

 だからこそ、自分に手伝える事はやりつくしたい。

 半ば気合が空回りする彼女へ、軍医は優しく諭した。

 

「休めと言っている。お前は前線にも出ていたんだ。

 今のうちに身体を休めておかないと、いざという時に動けないぞ」

「そうそう。イディナが手伝ってくれたおかげで、こっちも随分助かったんだ。

 後はおれたちに任せてくれ」


 事実、イディナは治癒魔術が使えない立場にも関わらず、献身的に動いてくれていた。

 彼女のサポートがあったからこそ、今日を乗り越えられたのは間違いない。

 

「わかりました……。では、少し休ませてもらいますね」


 軍医たちの説得もあり、イディナはペコリと頭を下げる。

 足取りが重い中、彼女は救護室を後にした。


 ……*


「このトカゲ野郎が! しつけえじゃねえかよ!」

「それはこっちの台詞だ! いい加減、諦めろ!」

 

 龍族(ドラゴン)であるフィアンマと、鬼族(オーガ)であるオルゴの戦いは他者の追従を許さなかった。

 一進一退の激しい攻防は砂を巻き上げながら、徐々にカッソ砦から離れていく。


 薄暗くなってきた事もあり、カッソ砦からは自分達の姿を確認し辛くなっているだろう。

 理解していても尚、フィアンマは退けなかった。

 自分がオルゴを抑えているからこそ、人造鬼族(オーガ)による強行突破を防いでいる事を理解している。


 オルゴもまた、思い通りの行かない状況に歯噛みする。

 自分が居なければ人造鬼族(オーガ)は何も動きはしない。今も最後に下した命令のまま、龍騎士(ドラゴンライダー)の相手をしているだろう。

 人を遥かに超える巨躯による軍勢で砦を攻め込むには、自分がフィアンマを退けなくてはならない。

 

 確かに鬼族(オーガ)の投入により、戦況は動いた。

 人為らざる力。ミスリアの魔術に対抗出来うるだけの力が味方に居る。

 それだけで砂漠の国(デゼーレ)の兵は士気を高め、攻め続けている。

 

 ただ、オルゴにとってそれは面白くはない。判り易い武勲が、彼には必要なのだ。

 砂漠の国(デゼーレ)とは違い、自分の力を誇示しないといけない立場の辛いところでもある。


(チッ、このトカゲ野郎(フィアンマ)が面倒すぎる。だったら、仕方ねえよな)


 目の前で自分と攻防を繰り広げるフィアンマに対する苛立ちは、時間に比例して募っていく。

 翼を失っているとはいえ、流石は紅龍族の長とでも言うべきだろうか。

 出し抜く好機すら、おいそれと生み出す事が許されなかった。

 

 だが、そこは長年偽りの神器を用いて、同胞すらも欺いてきた男。

 持前の狡賢さで、勘定を始める。自分が一番得をする結果を得る為には、どう動けばいいのかを。

 

(オイシイとこだけ頂くのが、一番だろうな)


 砂漠の国(デゼーレ)。というよりも、世界再生の民(リヴェルト)の次なる一手はオルゴも知っている。

 そうなる前に手柄を総て自分の物にしたかったオルゴだが、どうにもそれは叶いそうにない。

 彼の思考は徐々に、最終的に利を得る方法へと移動(シフト)していく。


 舌なめずりをするオルゴを前にして、フィアンマは訝しむ。

 一体何がおかしいのか。何を考えているのか。彼の心の内が、まるで読めない。

 確実に言えるのは、良からぬ事を計画しているであろう。ただそれだけだった。


 フィアンマもまた、オルゴとは違う理由で決着を急いでいた。

 原因は、ウェルカで聞いた治安の悪化にある。

 

 紅龍族が正式にミスリアの騎士団に組み込まれた事により、招いてしまった副次的な被害。

 平穏を護るつもりが、逆に蝕んでいた。ヴァレリアを初めとする騎士団が対策を練ってはいるが、折り合いが付くのはまだ先の事だろう。


 だからこそ、ここで自分達の存在を認めてもらう必要がある。

 決して敵意はない。威圧するつもりもない。ただ共存をしたいだけなのだと。

 

 種族の違いから折り合わない部分もあるだろう。

 けれど、畏れられたくない。頼られたい。信じられたい。

 自分とミシェルのような関係をあらゆる場所で構築して欲しい。

 紅龍族の王としての、切なる願い。


 かつて先祖が結んでいた同盟を継いだだけではない。

 自分自身の願いを込めて、フィアンマはミスリアを守護する。


「お前が人間に何の思い入れもないのであれば、退け!」

「テメェに指図される謂れはねえが!」


 オルゴは己の持つ合金の鎖へ魔力を流し込む。

 同じく魔力を宿し、肥大化した巨腕を以て地面へと強く叩きつけた。


「ぐっ……」

 

 魔力を帯びた鎖は砂漠に触れると同時に爆ぜ、砂によるカーテンを生み出す。

 目眩ましの隙に、強烈な一撃が放り込まれるに違いない。フィアンマは攻撃に備えるべく、その身を強張らせた。


「……あれ?」


 しかし、何も起きない。

 鎖による攻撃も、彼の硬く握られた拳も、フィアンマへ届く事は無かった。

 

 巻き上げられた砂のカーテンはやがて、重力に誘われその役目を終える。

 再びフィアンマの眼へ広がる景色に、鬼族(オーガ)の姿は見当たらなかった。


「まさか!」


 初めに思い浮かんだのは、人造鬼族(オーガ)龍騎士(ドラゴンライダー)による戦闘。

 自分との戦いを放棄して、彼らの援軍へ向かったのでないかと考えたフィアンマは振り返る。

 オルゴは手強い。加勢されてしまえば、龍騎士(ドラゴンライダー)とてただでは済まないだろう。


「あれ……?」


 しかし、フィアンマの心配は杞憂に終わる。

 龍騎士(ドラゴンライダー)は人造鬼族(オーガ)と交戦中だが、そこに加わろうという影は存在していない。


「どこ行ったんだ、あの鬼族(オーガ)……」


 周囲を見渡しても、オルゴの姿は見当たらない。

 忽然と姿を消してしまった鬼族(オーガ)に、フィアンマは首を傾げる。


 フィアンマが理解できないのも、無理はなかった。

 彼が持っている情報ではオルゴの狙いも、カッソ砦で起きようとしている事も。

 何ひとつとして、知る由は無かったのだから。


 ……*


「ふう……」


 部屋の隅に体重を預けた途端。思わず漏れたのは、深いため息。

 がっくりと項垂れた肩が上がらない。壁にもたれかけた頭はそれ以上に、重く感じた。

 

 イディナは独りになって漸く、自分がどれほどまでに披露していたのかを自覚する。

 神経が研ぎ澄まされていく一方で、剥き出しのまま痛みを刻み込まれているようだった。


「あれ? おかしいな……」


 今更になって、手が震え始めている。

 味方だけではない。砂漠の国(デゼーレ)の兵士からも伝わってくる、必死の形相。

 まるで流れ作業のようになだれ込んでくる、負傷した顔見知りの数々。


 高い志を持って騎士を目指した。その気持ちは今も揺らいではいない。

 むしろ実状を知れば知るほど、自分も何か力になれないだろうかと考えてしまう。


 イディナに足りなかったのは、知識と覚悟。

 それも、彼女自身は理解しているつもりでいた。

 

 実家を訪れる冒険者の話から、どれだけ過酷な状況に追い込まれるかを想像もした。

 訓練の過程で、ヴァレリア達から嫌と言う程心構えを聞かされた。

 何より、砂漠の国(デゼーレ)の経験を経て自分は戦えるのだと思ってしまっていた。


 けれど、そのどれも違う。必要となる覚悟の種類が、まるで違う。

 イディナの周囲には、常に彼女よりも遥かに強い人間が立っていた。

 

 故に彼女は、自分が足を引っ張らないようにだけ注意をしていればよかった。

 弱いと自覚しているからこそできる立ち回りが、そこにはあった。

 

 今は違う。敵も味方も、強いだとか弱いだとかを気にしている暇はない。

 刃により鮮血が舞い、魔術により身が焦がれる。地に伏していく人間の上を、人間が踏みしめていく。

 次に這いずり回るのは自分ではないと、言いきれない。弱さを自覚しているからこそ、一層強く思えてしまう。

 敵対する者もイディナ・コンサンスではなくただ一人の敵としか見てこない。


 だからこそ、救護室でも何とかしなくてはならないと思った。

 もしかすると自分だったかもしれない人を、一人でも多く救う為に。


「ぼくも治癒魔術、使えたらな……」


 冬場などお構いなしに何度も洗った自分の手を、イディナはぼんやりと見つめる。

 剣は好きだけれど、魔術は決して得意ではない。そうやって、自分は剣の修行に重きを置いてきた。

 その事を、少しだけ後悔する。


 もしも、自分が治癒魔術を使えていたならば。

 もっと救えた人間が居たのではないだろうかと、考えずには居られなかった。


 同時に、こうも考えてしまう。

 剣に費やす時間を減らしていたならば、戦場で命を散らせていたかもしれないと。

 

 結局、何が正解であるかを提示できる者など存在はしていない。

 自分の能力と適正と、心のままに従うしかない。不意に訪れる、運命に立ち向かう為には。

 

「そうだ。イルさんに、お礼……言わなきゃ……」

 

 想像を絶する緊張感を経験した。

 こうして無事で居られたのは、運が良かった以外の表現が出来ない。

 

 イルシオンが下がるように言ってくれたから、自分はこうして一日を終える事が出来る。

 彼に気遣うような意図はなかったのかもしれない。ただ足手まといだっただけなのかもしれない。

 それでもイディナは、礼を言わなくてはならないと思った。


 どんな風にお礼を言うのが正しいのだろうか。

 あれこれと考えているうちに、イディナの瞼が重力に抗えなくなっていく。

 ほどなくして、彼女の意識は深い眠りによって失われていった。


 ……*


 数時間後。

 寒気により下がり切った部屋で、イディナは目を覚ます。

 

「……ん」


 冷え切った身体を起こすように、身震いをする。

 氷のように冷たい己の手を揉みながら、イディナの脳は徐々に覚醒を果たしていく。


「そっか。ぼく、いつの間にか寝ていたんだ……」


 イディナは小さな身とは裏腹に、訓練ではいつも明るく元気を振りまいていた。

 そんな彼女が壁にもたれ掛かったまま寝てしまうのだ。余程の疲労が蓄積していたのだろう。


 立ち上がって、強張った身体を解していく。

 窓を覗き外の様子を確認すると、流石に真夜中にまで戦闘が繰り広げられている事は無かった。

 

 陽が昇れば、また戦闘が始まるのだろうか。

 だったら、このままずっと夜でもいいのに。

 

「……関係ないよね」


 けれど、そんな妄想は意味を成さないと知っている。

 朝が訪れないのであれば、砂漠の国(デゼーレ)は夜に攻めてくるだけだ。

 お天道様の機嫌に合わせて、戦争をしている訳ではないのだから。


 強張っていた身体が解れ、暖まってきた頃。

 次に求めるのは栄養だと言わんばかりに、イディナの胃袋が悲鳴を上げる。


 思わずお腹に手を押し付け、声を殺そうと試みる。

 次に視線を左右へ動かし、誰にも聴かれていない事を確認すると安堵のため息を漏らした。


「そっか、まだゴハン食べてなかったんだった」


 今は何時だろうか。まだ残っているのだろうか。

 イルシオンやフィアンマ。軍医や衛生兵も。きちんと食事を摂っているのだろうか。


「まだだったら、差し入れとかした方がいいよね」


 体勢は兎も角、ぐっすりと熟睡をした事によりイディナはすっきりとしていた。

 些細な事でも何か力になろうという献身的な想いを持ちながら、彼女は救護室へと向かう。

 

 自分が眠っている間に起きた異変を知らないまま。


 ……*


 夜の砦は冷たく静かで、妙な緊張感を発している。

 滞在して数日。もう慣れたものだが、初日は夜更けにうろつくなど以ての外だった。

 

「あっ。やっぱりまだ頑張ってるんだ」


 救護室から漏れる灯りを見て、まだ治療は終わっていないのだとイディナは認識をする。

 軍医や衛生兵の様子を見て、必要ならば食事を。終えているなら、自分が食べた後で手伝いをしよう。

 自然と速足になるイディナ。一切の疑念を抱かず、彼女は救護室の扉を開けた。


「あの、すっかり休みましたので! ぼくにお手伝いできること――」


 明るく溌溂とした声のトーンが、徐々に下がっていく。

 最終的には喉にまで込み上がっていた言葉を、出し切る事は出来なかった。


 眼前に広がる異様な光景を前に、後ずさりをする。

 込み上がってくる吐き気を押し戻すように、口元へ手を当てた。


「な……」


 理解も、言語化も追い付かない。

 イディナはただただ「どうして?」「これはなに?」という言葉を、頭の中で反芻し続ける。


 知っている顔は確かに立っている。軍医も、衛生兵も、そこに居る。

 ただ、彼らは一心不乱に貪っている。治療を受ける為に訪れた、兵士の血肉を。


「せ、せんせい……?」


 漸く振り絞った言葉は「信じられない」というものだった。

 イディナの声に反応をしたのか。軍医達は動きを止め、首から上だけを彼女と向けた。


 見開かれた眼光。そして、異常に伸びている犬歯。

 口元に纏わりついた血が猟奇的で、常軌を逸している事だけは伝わってきた。


「ほう、女か。それも若い。柔らかそうな肉をしている」


 初めて聴く声に、震える唇を噛みしめるだけだったイディナは我に返る。

 声の主を探すと、救護室の中に見知らぬ人物が佇んでいる事に気が付いた。


 真っ白な髪をかき上げた、青白い男。

 軍医達同様に鋭く伸びた犬歯と、金色の瞳が印象的だった。

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