342.砂上の稲妻
満を持して投入された鬼族により、戦況に変化が起きる。
大岩の投石により兵士が怯んだ隙を突いて、息を吹き返す砂漠の国の兵士達。
対するミスリアの騎士は、いつ射程外から大岩が放られるのかと戦々恐々としていた。
フィアンマがオルゴの元へ駆けつけてからも、その勢いは衰えを見せない。
着実に増えていく負傷者。傷の手当を求めて、彼らはカッソ砦の中へと運ばれていく。
「戦場はいい! イディナは手当を手伝ってやってくれ!」
「はっ、はい!」
有無を言わさないイルシオンの剣幕に圧されるまま、イディナは頷く。
ありったけの医薬品をかき集めては、医務室を目指してせわしくなく走っていく。
イルシオンとしても、この状況でイディナを戦場へ置いておきたくはなかった。
人間のものとは比べ物にならない膂力から繰り出される投石は、こちらの体勢などまるで無視をして襲い掛かってくる。
大の大人でさえ腰から上が消し飛んだのだ、華奢なイディナに当たった時の事など考えたくもない。
「砂漠の国の奴ら……。あんな種族を味方に加えているとは。
いや、ビルフレストの差し金か……」
どうしても脳裏に浮かぶのは、ビルフレストの姿。
鬼族が人間の世界で目撃されたという情報は未だかつてない。
魔族に連なる種族を味方に加えるという芸当が、砂漠の国単独で出来るとは考え辛い。
アルジェントと邂逅した一件といい、砂漠の国は世界再生の民に良い様に操られている。
本当の敵は目の前に居るはずの相手ではない。だからと言って、当てもなく世界再生の民の捜索へ向かう訳にも行かない。
体よく足止めをされているような感覚。嫌な汗がイルシオンの背中を湿らせていく。
彼の懸念通り、砂漠の国は事前に世界再生の民と接触をしている。
今まで叶わなかったミスリアへの侵略。
それは国土の殆どが砂漠に覆われた国では、悲願でもあった。
多少の危険を呑み込んででも、魔族の力を、邪神の力を借りるだけの価値はあると決断を下している。
全てはこの魔術大国ミスリアを手中に収めんが為。
砂漠の国の中で燻っていた野心に、火が点いた。
対照的に、カッソ砦の騎士達はずっと苦難を強いられている。
砂漠蟲に始まり、第一王女派の謀反。更には国境で小競り合いが続いていた。
極めつけは、イルシオン達が巻き込まれた『強欲』の騒動。
魔物の巣を叩いて恩を売ったとはいえ、あらぬ嫌疑をかけられてしまった。
あれから一層砂漠の国からの眼は厳しくなった。
原因の一端を担っているからこそ、イルシオンはカッソ砦を護り切らなくてはならない。
「頼むぞ、フィアンマ……」
自分までもこの場を離れると、それこそ砦の護りが手薄になる。
国境を越え、砂漠のど真ん中で対峙するフィアンマに、イルシオンは戦況を託した。
常に気を配りつつ、自分に出来る事を探しながら。
……*
合金による鎖がフィアンマへと襲い掛かる。
火炎の息吹で対抗を試みるが、魔硬金属と魔術金属の性質を併せ持つ鎖はその程度で融けはしない。
「くそ!」
このままでは、いくらなんでも体格差が大きすぎる。
擬態魔術を解き、咄嗟に龍族の姿へと戻るフィアンマだったが、鎖そのものの勢いを殺せた訳では無い。
鞭のようにしなる合金の一撃を受け、身体の芯にまで響くような痛みに顔を歪めた。
「テメェ、知ってるぜ? 渡り龍の王サマだろ?
なんでこんなトコで、人間どもとツルんでやがんだよ!?」
「それはこっちの台詞だ! どうして鬼族が、この争いに介入している!」
直接対峙をするのは初めてだが、フィアンマもオルゴも互いの存在自体は知っている。
オルゴは龍族。特に紅龍族が気に入らなかった。
黄龍族は大空を。蒼龍族は大海を。そして、眼前に居る紅龍族は大地を司ると言われている。
誰が決めたのかは知らないが、他者を顎で使っていた身としては面白くない存在。
フィアンマ。というより、紅龍族の方は鬼族に特別な感情を抱いていはいない。
ただ、かつての大戦で神器を授けられたはずの由緒正しき一族であるにも関わらず、人間の国の侵略に手を貸している。
現状の彼の振舞自体が、同じドナ山脈の北側に住む者として失望の対象となるぐらいだろうか。
「ハッ! 勘違いすんなよ! 純粋な鬼族はオレ様だけだ!
鬼族の意思じゃねえ、オレ様の意思で動いてるんだよ!」
「どういう……ぐっ!?」
オルゴの言葉をすぐに呑み込めなかったフィアンマは、一瞬ではあるが反応が遅れる。
その隙を突いて、オルゴの持つ鎖がフィアンマの首へと巻きつけられた。
「んなモン、テメェが知る必要はねえだろうが!
テメェこそ、龍族のクセに翼も持たねえでどうしたってんだよ!」
腕力で強引にフィアンマを手繰り寄せ、硬く握った拳を打ち付ける。
硬い皮膚を持つ龍族ではあるが、オルゴの黝い身体も負けず劣らずの硬度を誇っていた。
巨大な身体に蓄えられた魔力を、拳へと移す。
一発、二発と振り下ろされる度に、フィアンマの顔が腫れていく。
「オレ様は! また! 王に! 返り咲くんだよ!」
世界再生の民が世界を掌握すれば、鬼族の居城を取り戻せる。
自分へ向けた白い目を総て、血で真っ赤に染め上げる。屈服させる。
命からがらクスタリム渓谷から逃げおおせたオルゴにとって、それが最優先の目的でもあった。
その為であるならば、人間の戦争に介入をする事も厭わない。
むしろ鬱憤を晴らすいい機会とさえ、彼は考えている。
「ボクの翼だって、お前が気にするようなことじゃあないだろ!」
殴られる度に視界が揺らぐ。けれど、フィアンマの精神は決して揺らいでいない。
昔はどうして、人間と同盟を結ぶ必要があるのか分からなかった。今でも、その切っ掛けは知らない。
けれど、自分は多くの人間と知り合った。
ミシェルに始まり、シンやフェリー。自分達の神器を継承するイルシオンやイディナ。
悪意に呑み込まれてしまうには、惜しいと思った。だから、ミスリアと共に邪神を討ち滅ぼすと決めた。紛れもなく、自分の意思で。
フィアンマは歯を食い縛り、オルゴの一撃を耐える。
今までになかった抵抗を訝しむ隙に、尾による強烈な一撃をオルゴへとお見舞いした。
「この……トカゲ野郎が!」
「木偶の坊に言われる筋合いはないだろ!」
子供の喧嘩のような罵り合いを続けながらも、一進一退の攻防を続ける。
口汚い言葉とは裏腹に互いの一撃はどれも重く、強いものだった。
気を抜いたらやられる。重圧と戦いながら続ける攻防。
それは変わり映えのしない景色も相まって、知らず知らずのうちにカッソ砦との距離が開いていく。
「よう、ハネ無しよ。そんなに離れちまって、大丈夫なのかよ?」
頃合いを見たオルゴが、にやりと口角を上げる。
砂地へと叩き落された龍騎士やカッソ砦の救援が困難な位置。
フィアンマの集中力を削ぐべく、事実だけを口にした。
「……振り向いたら、どうせお前が襲い掛かってくるんだろうが」
仲間の方角を振り向く事なく、フィアンマは言い放った。
隙を見せようものなら、この鬼族は鎖で自分の首をへし折ろうとするだろう。
決して彼の行動から目を離す訳には行かなかった。
「ヘッ。分かってんじゃねえか。けどよぉ、結局お仲間は見棄てるってことか。
救けに来たのに、何も出来ないのは惨めだよぁ!?」
煽るような口調のオルゴに、フィアンマは苛立ちを覚えた。
だが、フィアンマは自分だけで何とか出来るほど、万能ではないと理解している。
こうしてオルゴの注意を引いている時点で、最低限の仕事は果たしているのだ。
「舐めるなよ、木偶の坊」
「うるせえ! 粋がってんじゃねえぞ、トカゲ野郎が!
おい、テメェら! やっちまえ!」
オルゴが命令すると同時に、人造鬼族が動き始める。
愚鈍だと表現するに相応しい姿を前に、オルゴは思わず舌打ちをする。
人間に自らの細胞を混ぜ合わせ、自我を持たない兵士を与えらえた事に対しては快く思っていた。
だが、まだ完成しきっていないからだろうか。命令をしなければ、動いてはくれないのだ。
オルゴの意を汲むような真似は、一切しない。ただ愚直に、彼の命令のみに従う。
フィアンマの言う「木偶の坊」は、人造鬼族にこそ相応しい。
故に砂の上へと撃ち落とされた龍騎士に対しても、決定的な一撃を加えてはいない。
フィアンマの相手に集中し、指示を怠ったオルゴの明確な失策でもある。
尤も、結果的には良い方に転びそうでもあった。
フィアンマは平静さを保ってはいるが、同胞を護る為に飛び込んできた。
ならば、彼らの断末魔は少なからず影響を与えるだろう。自分の無力さを思い知らせる、良い材料となる。
人造鬼族は己が造り続けていた岩石の槍を持ち上げる。
龍族は兎も角、騎士はこの質量で圧し潰されてしまえばひとたまりもない。
愚直に、言われるがままに。オルゴの命令を完遂するべく、人造鬼族の腕が振り下ろされる。
勝利を確信したオルゴは、優越感を見せつけるような笑みを浮かべる。
厳つい顔が皺で歪む姿を特等席で眺めたフィアンマは、小馬鹿にするように鼻で嗤って見せた。
「ボクはボス猿と違って、仲間を信頼してるんでね」
「あん……?」
不敵な笑みを前にして、オルゴは訝しむ。
フィアンマの言葉の意味を理解したのは、彼の背後から迸る閃光が視界に入ってからの事だった。
その正体は稲妻の槍。
稲妻の矢による長距離射撃が、人造鬼族へ命中をした証だった。
痺れた身体は岩石の槍を支えきれず、砂漠へと零れ落ちる。
「なっ!?」
オルゴは目を疑った。フィアンマの巨体に隠れてはいるが、周囲に人影はない。
何が起きたのか理解できないまま、彼の脳はフィアンマの体当たりにより激しく揺さぶられる。
「ガハッ!?」
身の詰まった身体が、砂の海へと飛び込む。舞い散る砂粒が、雨のように互いの身体を打ち付けた。
屈強な身体を持つ鬼族が情けなく尻餅を着く姿は、堪らなく滑稽だった。
「なんだ? あれだけ息巻いていたのに、格好悪いじゃないか」
「テメェ……!」
自分に巻き付く鎖を解き、鬼族を見下ろすフィアンマ。
夕陽を背にする龍族の姿は、オルゴにとっては屈辱でしかなかった。
……*
「……ふう。何とか命中したか。龍騎士! 悪いが、救援に向かってくれ!」
少年の指示に龍騎士は頷き、砂漠の上を舞う。
人造鬼族を襲った稲妻の槍を放ったのは、他でもないイルシオンだった。
フィアンマとオルゴが徐々に離れていくのを視界の端に捕らえた彼は、カッソ砦の防衛をしながらも気に留め続けていた。
遠目に見る彼からすれば、どうして人造鬼族が倒れている龍騎士を仕留めないかが不思議で堪らなかった。
ただ、救えるのであれば救いたい。偶然から生まれた好機を生かすべく、思慮を続ける。
自分が向かったところで砂漠に足を取られてしまう。とはいえ、龍騎士を無策で援軍を送っても間に合わない。
確実に救助出来る隙を作る為に、カッソ砦から稲妻の槍で狙撃を試みた。
一流の魔術師程の正確性は持っていないが、決して外す訳には行かない。
小声で詠唱を紡ぎつつ、全神経を集中させた一射。
命中もさることながら、威力の減衰も心配だったが上手く行って良かったと胸を撫で下ろす。
(クレシアなら、もっと上手くやっていたんだろうな……)
真っ先に思い浮かべたのは、自分と共に世直しの旅に付いてきてくれたクレシアの存在。
稲妻の槍を正確に放つだけで、これほどまでに神経を消耗するのだ。
風を操り、音を聴きとる探知を扱うなど、夢のまた夢。
魔術を扱う度に、彼女がいかに優れた魔術師だったかを思い知らされる。
(ダメだ。フィアンマはでかい奴の相手で精一杯だ。父上も指揮を採らなくてはならない。
現場はオレがしっかりしなくては……)
自分に気を取られて後塵を拝むなど、クレシアが喜ぶはずもない。
感傷に浸ってはいけない。それは全てが終わった後に、改めてするべきだと自分を戒める。
出来る限りの援護はした。後は、砦の防衛に全力を尽くすのみ。
負傷者は後を絶たないが、このままなら耐えきれるはず。
イルシオンは、そう思っていた。
既に悪意が砦の中に侵入しているとは露知らず。
じきに太陽は沈み、夜が訪れる。
闇夜を駆ける者の時間が、訪れようとしていた。