幕間.置いてけぼりの少年
「445、446……」
おれは黙々と木剣を振り続ける。
型を意識すればその分集中力は必要で、余計な事を考える暇なんてない。
少なくとも今まではそうだった。
流れる汗が気分を晴らしてくれると思ったけれど、おれの期待に応えてくれるようなものではない。
終始言葉に言い表せないようなつっかえる気持ちを胸に抱えたままなのだ。
「……500!」
区切りを終えたと同時に仰向けに倒れ込み、雲ひとつない快晴を見上げる。
マギアにもこの空は続ているのだろうか。行った皆は無事だろうか。
呼吸を整えながら、おれはぼんやりとそんなことを考えていた。
……*
「ピースくん。今日はここまでにしておきましょう」
続く魔術の訓練でも、おれの心には靄が掛かったままだった。
雑念に囚われ、イメージが定まらない。折角造り出した風も、瞬く間に大気の中へと溶け込んでいく。
「えっ? いっ、いえ! おれはまだ――」
まだやれる。そう言おうとしたのだけれど、口が上手く動いてくれない。
困ったようにうっすらと笑みを浮かべる師匠を見て、それ以上何も言えなかったのだ。
「……いえ。すみませんでした」
師匠にとっておれの行動は、当てこすりに見えかねない。
ミスリアへ迫ろうとしている脅威に対抗するため、妖精族の里へ残るよう言われたことに対して。
決して彼女をはじめとするミスリアの人たちへ苛立っているわけではないのだ。
気を遣わせてしまっていることに自己嫌悪しながら、おれは広場を後にする。
本当に違うのだ。苛立ちの原因は、決してミスリアに対してではない。
けれど、おれが態度を改めない限りは伝わらない。そして、気持ちの整理がついていないから実行が出来ていない。
完全なる悪循環だ。もうほんと、いい年齢したおっさんのすることじゃない。
そう思うと、ため息しかでない。これも悪循環の原因だと、解っちゃいるのに。
……*
事の発端は数日前。マレットがマギアからの救援要請をキャッチした所まで遡る。
一時期ではあるが、マギアに住んでいた身だ。当然ながら、おれは行くつもりでいた。
なのに、マレットの奴はおれを連れていくことを断固拒絶した。
「だから、どうしておれは駄目なんだよ!?」
食い下がるおれに、マレットはケタケタと笑うだけだった。
こっちが真剣に言っているのに対して、彼女は受け流す気満々だと感じたおれは怪訝な表情を浮かべていたに違いない。
「散々説明しただろ。邪神の一味が、この機にミスリアを攻めてくるかもしれないって。
妖精族の里と同盟を結んでる主旨、忘れるなよ」
「そうだけど!」
マレットの言い分は理解できる。
妖精族の里はミスリアと同盟を結んでいるし、おれたちだって邪神を止めなくてはいけない。
マギアのいざこざに戦力を投入した結果、本番のミスリアが護れませんでしたなんて話になれば本末転倒だ。
けれど、マギアを無視するわけにもいかない。
マギアが本気でミスリアへ牙を剥けば、たちまち混迷を極めるだろうから。
そういう意味では、シンやフェリーが行くことへは何の反対もないのだ。
彼らはマギアの出身だし、護りたいという思いはおれなんかの数倍強いだろうから。
けれど、ギルレッグやイリシャは良くておれが駄目だと言われるのは納得いかない。
「じゃあ、どうしてギルレッグさんを連れていくんだよ!」
「ギルレッグのダンナが居てくれないと、手が回らないからだよ。
アタシじゃどうしようもない部分も、小人族のダンナなら何とかしてくれる」
本当は訊かずとも知っている。
テランに装着した義肢を大量に準備しているのを、見てしまったのだから。
行先が南部で、義肢を持っていく。となれば、彼女は禊を済ませるつもりなのだろうと予想も出来た。
「じゃあ、イリシャさんは!?」
「シンが死に掛けた時用だ。今回の戦力的に、アイツは外せない。
イリシャがいないと、碌に治療も受けやしないんだから仕方ないだろ」
「だったら!」
おれも連れて、戦力をもう一枚増やせばいいだろう。
そんなおれの考えを見透かされたのか、マレットに先手を打たれた。
「それでお前を連れて行ったら、リタやレイバーンだって言い始めるかもしれないだろ」
「ぐ……」
ぐうの音も出ない。居住特区を纏めるあの二人が言い出せば、もう収拾はつかないだろう。
残っているミスリアの人間だって、居心地が悪くなるはずだ。
この時点まではおれも、納得を仕掛けていた。
苛立つ原因となったのは、彼女が次に発した言葉だ。
「それに、アタシになんかあったらお前が研究を引き継いでくれ。
アタシらの世界にないアイデアを持ってるし、お前ならきっとモノになる。
基本的な技術に関しては小人族も居るし――」
ここからマレットは魔導具の仕組みだとか、書き記した極秘メモの在処だかと話し始めた。
おれはそれが堪らなく、気に入らなかった。
「ふざけんな!」
饒舌に研究内容を語るマレットの動きが止まる。
代わりにおれの手が、わなわなと震えていた。
これではまるで、死を覚悟しているようじゃないか。
当たり前のように自分が積み重ねてきたものを他人に譲るなんてして欲しくない。
だったらおれを連れて行って、盾にでも使われた方がマシだった。
「そんなもん貰ったって、マレットになれるわけじゃないだろ。
おれはアイデア出し、そっから先はマレットの仕事だ。変な仕事押し付けんな!」
「……あー。悪かったよ」
『死』と言う単語が出せなかったにも関わらず、彼女はおれの意図を汲みとった。
そこまで心の内を把握しているにも関わらず、彼女はおれを連れて行こうとはしなかった。
……*
「……てなわけで、八つ当たりしてみるみたいになって最低なわけですよ」
机に突っ伏しながら愚痴を吐き続けるおれの言葉を、うんうんと頷く少女が居た。
同じくマギア出身の、コリスだ。
イリシャがマギアへ向かった今。子供達の世話をフローラと一緒に引き受けている。
彼女は魔石による補助を用いて、一時的に魔造巨兵を操る術を得ていた。
その時はえらく昂っていたようだが、今では大人しく控えめな女の子。
身体つきの方はそうでもなく、よくマレットに揶揄われている。
「ピースさんは、付いて行きたかったんですね」
「……うん、まあ。おれだってマギアに住んでた時代があったわけだし」
コリスはおれの話を否定するでもなく、頷いてくれる。
出逢った当初は怖さすら感じたけれど、いい娘だというのはよく分かる。
そんな幼気な少女に愚痴を吐いている自分はどれだ駄目なんだと、自己嫌悪に陥りそうになるけれど。
おれの愚痴を一身に受け止めるコリス。
マレットと共にこの地へ訪れた経緯もあるので、コリスは彼女のフォローも欠かさない。
そんな最中だった。飴と鞭の、鞭の方が飛んできたのは。
「がぼっ!?」
「ピースさん!?」
突如、おれの顔だけが水球に包まれる。
呼吸が出来ないおれは、ひどく情けない顔をしていただろう。
水で歪む視界の先で、おろおろとするコリスの姿が印象的だった。
こんな芸当が出来る人間は限られているし、こんな芸当をするような人間は一人しかいない。
金魚のように口をパクパクと広げながら、おれはその人物の名を口の動きで表した。
「オリヴィアさん……」
「全く。フローラさまに呼ばれてきてみれば……。
あっちこっちで不機嫌をバラまくの、よくないです」
おれの予想は当たっていて、振り向いた先には仁王立ちをする青髪の魔術師が居た。
あどけさの残る顔とは裏腹に、語気に若干の怒りを含んでいるのが伝わってくる。
彼女がパチンと指を鳴らすと、おれの頭を包んでいた水の塊は形を崩して床を水浸しにした。
陸上で溺れるという貴重な体験をしかけたおれだが、そのまま服がずぶ濡れだ。
もっと言うと、水浸しになった床を拭き取るべくコリスが慌てていた。
「何するんですか!?」
「いやいや、こっちの台詞ですよ。連れて行ってもらえなかったからって、こんなにスネちゃって。
お姉さまなんて、ピースさんに相当を気を遣っているんですよ。
ミスリアが原因なのでわたしも偉そうに言える立場ではないですけど、あまりフローラさまやお姉さまを困らせないでください」
「それは、その……。ごめんなさい」
ぐうの音も出なかった。
気を遣わせているのを理解しつつも、おれはずっと不機嫌で居たのだから最低だ。
「第一、ピースさんだって言ってたじゃないですか。
ウェルカの人たちや、ポレダの人たちが心配だって。
ベルさんだって、その辺きちんと考慮してますよ」
「はい、仰る通りです……」
またも、何も言い返せない。
マギアで住んでいた事はあるが、確かにおれはミスリアで新たな人生をスタートさせた。
その間で世話になった人間も大勢いる。特にウェルカの現状は無視できるようなものではない。
きっとマギアへ居る間にミスリアで争いが起きれば、そっちに気を取られていただろう。
「ピースさんが不機嫌な原因は、ベルさんに誘って欲しかっただけでしょう」
「分かった。オリヴィアさん、分かった。おれが全面的に悪かったです。
師匠にもちゃんと謝ります。だからそれ以上は」
「意中の女性に置いて行かれたからって、いつまでも駄々こねないでください」
「……ごめんなさい」
おれの制止に聞く耳を持たず、オリヴィアは現実を突き付けてくる。
ああ、そうだね。甘えるよりも、こう言われる方がおれには効果的だよね。
「みんなのことを、信じてあげてください。
わたしだって、ピースさんとベルさんが楽しそうに話をしているのは好きですよ。
また新しい魔導具、見せてくださいよ」
「……はい」
そうだ。本当は何も心配する必要なんてなかったんだ。
おれなんかより全然強い人たちが、マレットにはついているんだから。
おれにはおれの出来ることをしよう。
彼女が気に掛けてくれた通り、ミスリアをきちんと護ろう。
胸を張って彼女に顔向けが出来るような男になろうと、おれは誓った。
……*
ピースが去った部屋の一室で、紅茶を嗜む三人の少女達。
フローラ、オリヴィア。そして、コリス。
「呼びたててごめんなさいね、オリヴィア」
「いえいえ、なんのこれしき。陰険な空気を出していたのは事実ですし、びしっと言うつもりではありましたから」
オリヴィアを呼んだ張本人であるフローラが、手作りのお菓子を二人へ振舞っていた。
主君の作ったお菓子に舌鼓を打ちつつ、オリヴィアはカラッとした笑顔を見せた。
「でも、コリスさんとしては距離を縮める機会でしたよね。
邪魔をしてしまったのは事実ですから、その点は謝ります」
「いっ、いえ! そんな、私なんて……」
頭を下げるオリヴィアに、コリスは恐縮をする。他国とはいえ、王女と貴族に挟まれてしまってはどうにも落ち着かない。
随分と慣れてきたつもりではあったが、あくまで多人数で居る時のみの話。
イリシャが緩衝材の役割を果たしてくれているのだと、改めて思い知らされる。
「コリスさん、そんな言い方はよくありませんよ。
意中の相手を射止めるのであれば、まずは行動に移さないといけませんから!
その点では、親身になって話を聞くのは良い手段です」
「ですけど、ピースさんにはマレットさんが……」
コリスはピースに好意を持っている。故に、否が応でも思い知らされる。
彼が好意を向けているのが、マレットであるという事に。
実際、コリスから見てもマレットは十分に魅力的だ。
年齢を感じさせない美貌を持つ上に、ピースとも話が合う。
惹かれるのは必然でもあった。
「でも、あの二人だと年齢が離れすぎてはいませんか?」
「そこはほら、ピースさんは生まれ変わったそうですし。
実際の年齢はマレットさんに近いとかなんとか」
今まで考えもしなかったような魔導具のアイデアが飛び出る辺り、彼の主張は本物なのだろう。
文字の件もあり、今更ピースが別の世界から生まれ変わった事を疑う余地はなかった。
「ううむ。精神的にはマレット様に近くて、肉体意的にはコリスさんに近いということですか……」
「まあ、あの二人は精神もどこか子供っぽいですけどねー」
「いえ、あの……」
盛り上がり始める二人を止める術など、コリスには持ち合わせていなかった。
当事者の片割れが居るにも関わらず、彼女達は次々とマレットが有利な点、コリスが有利な点を述べていく。
「私としては、やはりコリスさんに頑張ってもらいたいですけどね」
「うーん。わたしはそもそも頼り甲斐が足りないといいますか」
コリスを置いてけぼりにしつつ、二人は延々と話題を膨らませていく。
アメリアがシンに振られて以降、彼女の前では傷を抉らないようにその手の話題を避けて来た。
それでもフローラは気付いていた。コリスが抱いていた思いに。
こうやって恋愛話に花を咲かせる事が出来る日を、待ち望んでいたのだ。
流されるだけのコリスは、途中からただただ感心するのみだった。
次々とピースの気を引く為のアイデアが溢れてくる二人に。
やはり王女や貴族ともなれば、自分とは経験してきたものが違う。
「やはり、お二人ともそういったことには明るいのですね」
尊敬の念を込めた、心からの言葉。
一切の悪意を感じさせない少女の言葉を前にして、オリヴィアとフローラの動きが止まる。
「え、ええ。それは勿論……」
「いつでも相談してくれていいんですよ」
二人の頬を、冷や汗が伝う。とても言える雰囲気ではない。
自分のことを棚に上げているなどとは。