340.種は撒かれた
「よっ、元気してたか?」
晴天に似つかわしい、カラッとした笑顔を向ける一人の女性。
マギアの誇る天才、ベル・マレットは久方ぶりに故郷であるゼラニウムを訪れていた。
言葉の先には、彼女がマギアを出る際に協力をしてくれた老婦が居る。
自分を逃がした事で何か不都合が起きていないか心配だったが、様子を見る限りは問題なさそうで一安心をした。
「あら、あらあら」
「あー、もう。なにしてんだよ。仕方ねえなあ」
思わぬ再会に、老婦は抱えていた荷物を足元へと落としてしまう。
マレットは苦笑いしつつも、彼女が落としたものを拾い上げていった。
「久しぶりねえ。でも、今のマギアなのよ。
ベルちゃんのお屋敷も、軍人の人たちがズケズケと入り込んじゃってね。
もう、失礼ったらありゃしないわ。ベルちゃんが居たら、顔を真っ赤にして追い掛けてくるかもしれないわ」
「大丈夫、もう終わったよ」
「ついこないだだって、そこの森やカランコエがあった場所で爆発が起きたんだから。
この街は無事だったけれど、そこもかしこも物騒でやになっちゃうわ」
「いや、だから。もう終わったから安心してくれって」
余程腹に据えかねていたのだろう。老婦の口から次々と愚痴が零れ出てくる。
マレットの話など耳に入っていないかのように、まだまだ愚痴は続ていく。
「他にもね、物価は高くなるし。人手は足りなくなるしでね。
あらやだ、いけない。こんなことをもし聞かれでもしたら。
――え? ベルちゃん、今、何て言ったの?」
「だから、終わったんだよ。好き勝手やってた国王は、もういない」
「そうなの!?」
きょとんと目を丸くする老婦を前に、マレットはケタケタと笑う。
自分がこの場に居るのが、何よりの証拠だと言わんばかりに。
「ベルちゃんが、やったの?」
「やったのは解放軍だよ。アタシはちょっと手を貸しただけだ」
「はぁ~。おっかない人たちだと思っていたの、謝らないといけないわね」
「会う機会があったら、そうしてやってくれ」
しきりに感心をする老婦だが、その表情は安堵で緩まっている。
じきに昔のような活気も、取り戻すのだろう。
「それで、安全になったからベルちゃんは戻ってきたの?
結構荒らされていたし、お掃除なら手伝っちゃうわよ」
老婦は目一杯の力を込めるが、こぶのようなものは一切見当たらない。
ただ、マレットは嬉しく思った。
自分がマギアを去ったせいで不利益が生じたかもしれないのに、こうして受け入れてくれる事が。
「ありがたい話だけど――」
頭をポリポリと掻きながら、マレットは再び苦笑した。
……*
「悪い、それは無理だ」
ロインたっての願いを前に、マレットは苦笑をしながら断った。
下唇を噛むロインに代わって彼女へ食って掛かったのは、マクシスだった。
「おれたちが邪険に扱ったからか? それとも、自殺まがいのことをしたからか?」
マクシスは「だとしたら、謝罪をする」と深々と頭を下げる。
「なんだよ、気にしてたのか? 案外可愛らしいとこあるじゃねえか」
「茶化すな! おれは本気だ!
ロイン様の言う通り、マギアの復興に力を貸してはくれまいか!?」
ケタケタと揶揄うマレットだが、却ってマクシスの神経を逆撫でしてしまったようだった。
彼らの思いは本物だ。ならば、自分とてきちんと向き合わなくては納得をしないだろう。
マレットは自らが下した決断を、ロインをはじめとした解放軍へと語り始める。
「理由はひとつじゃないんだけどな。
まず、ほっとくとコイツらが何しでかすかわかんねえし。
お前らも見たろ? 無理も無茶もしまくるんだよ」
マレットの視線の先には、真顔のシンと視線を逸らすフェリーが居た。
解放軍もこの二人を引き合いに出されると、納得せざるを得なかった。
(ベルも大概、跳ねっ返りだけどな)
マレットがぽつりと呟いた言葉を耳にしたギルレッグは、誰にも悟られないように笑いを堪えた。
誰にも聞こえないように、彼女は呟いていた。「支えてやるって、決めたしな」という本音を。
「それに、邪神の姿も見ただろう? あんなモンがもし暴れてみろ。どうなるかわかったもんじゃない。
アレをあの小太りたちが生み出したってんなら、アタシにだってどうにか出来るかもしれない。
あんな奴らに好き勝手やらせてたまるかっての」
人が創りし神の存在。自分とは違う頂へ登ろうとしている研究者を、素直に認める事は出来なかった。
自分とは考え方が全く違う。他者の命を軽んじるような存在を、赦せるはずがない。
それは研究者としての、マレットの矜持でもあった。
「何より、妖精族の里はアタシにとっても楽しいんだよ。
ここに居るギルレッグのダンナだけじゃない。ミスリアの魔術師だって、妖精族だっている。
皆で色んなことを研究して、実験して。やればやるほど、やりたいことが増えていくんだ」
そして、彼女にとって最も大きな理由は仲間の存在。
ゼラニウムの屋敷で独り魔導具を生み出していた頃とは違う充実感。
マレットは妖精族の里で、今まで得られなかったものを感じていた。
あんなに気が合う仲間とはもう巡り合えない。そう思えるほどに。
「嬉しいこと、言ってくれるじゃねえか」
鼻で笑うギルレッグだが、彼もまた嬉しく思っていた。
自分が抱いていた気持ちと同様のものを、彼女が持っていたことに。
「それに、イリシャのメシも旨いしな」
「ふふ、ベルちゃんったら」
「そんなわけで、アタシはマギアには戻らない。悪いな、ロイン」
ひとしきりの理由を聞いたロインは、俯いたまま黙り込む。
気を揉むマクシスだったが、漸く顔を上げた少年の眼を見て杞憂だったと胸を撫で下ろした。
「……分かりました。マレット博士にはマレットの博士の人生がありますからね。
無里を言って、すみませんでした」
「こっちこそ悪かったな。力になれなくて」
「もう充分すぎるぐらい、貸していただきましたよ」
マレットとロインは互いの顔を見合わせ、顔を綻ばせる。
当人同士が納得した以上、口を挟む者はもう居ない。
「フン。貴様など居らずとも、若がロイン殿の右腕となって復興させてみせるわい」
「お、その意気だジイさん。頑張れよ」
「ええい、生意気な女狐めが!」
鼻息を荒くするオルテールに、マレットは大口を開けて揶揄う。
子供の頃から幾度となく見た光景に、オルガルは肩を竦めた。
「じいやもベルも。なんだかんだ、仲が良いよね」
「若!? 何を仰いますか!?」
強く否定をするオルテールだったが、マレットの方は口角を上げている。
揶揄う絶好の機会だと言わんばかりの様子だった。
「そこは喜べよ。枯れたジイさんとマトモに取り合ってくれるなんて心優しいアタシによ」
「かーっ! この女狐めが!」
以前として続くじゃれ合いにくすりと笑みを浮かべながら、オルガルはゆっくりとシンへと歩み寄る。
イリシャの治療を受けるべく腰掛けている彼に視線を交わしながら、自身の願いを託す。
「彼女はああ言ってますけど。ベルのこと、よろしくお願いします」
「マレットの言った通り、世話になってるのは俺の方だけどな」
「ふふ、そんなことはありませんよ」
オルガルは含みを持たせた笑みを浮かべる。
彼は知っている。ベル・マレットの原点がどこにあるのかを。その発端が、誰であるのかを。
だからこそ、安心して託せるのだ。あの時自分達を救ってくれた、黒髪の青年に。
「シン、どゆコト?」
「わからん」
フェリーの問いに、シンは答える事が出来なかった。
首を傾げるシンの姿に、オルガルはまた頬を緩める。
「おい、オルガル! 妙なこと言ってないだろうな!」
「言ってないさ、安心してくれ」
ニコニコと笑うオルガルと訝しむマレット。
いくら詰め寄られようと、彼は笑顔を崩さない。
シンはそれをマレットを任せた件だと誤解した上で、納得をしていた。
マレットは、シン達と共にミスリアへ向かうと決めた。
離れていても故郷である事には変わりがない。時折は戻ると伝えると、ロインは僅かに嬉しそうな顔をしていた。
……*
そして現在。
荒れ果てたカランコエに、太陽を浴びて伸びる人影が四本。
「おじいちゃん。おばさん、おじさん、リンちゃん。
もういっかい、ちゃんとお祈りさせてね」
目を閉じて、祈りを捧げるフェリー。
シンも彼女に追従をする形で、今まで碌に姿を見せなかった事を詫びていた。
「でも、よかったね。あの仮面のひとがみんなの記憶を利用して、呼んだだけで。
ホントに、よかった……」
祈りを終えたフェリーが、ぽつりと呟く。
蘇った躯達は決して記憶を持ち帰っていないだろうと補足をしたのは、マレットだった。
コナーによって再び現世に現れた躯は、彼の死亡を以て共振の影響下から解放された。
魂に刻まれた記憶を利用しただけで、新たに得た記憶は本人の魂に保管する余裕は残されていない。
コナーの顔に埋め込まれていた膨大な魔石が代弁していただけだと、彼女は断言をしていた。
「マレットが言うなら、だいじょぶだよね」
「ああ、そうだな」
偽りの思いで戦わされた記憶は消えていく。シンが彼らに刃を向けた記憶は、決して残らない。
その言葉は、フェリーにとって何よりも欲しかったものだった。
「なあ、イリシャ。ベルの話、本当か?」
二人へ聴こえないよう気を遣いながら、ギルレッグはイリシャへと尋ねる。
イリシャは口元に手を当てながら、マレットの言葉を伝える。
「ベルちゃんは『口から出まかせだ』って言ってたわ」
「おいおい……」
「でも、こうも言ってたわ。『知りようがないんだ。そう信じたほうが、アイツらも幸せだろう』って。
わたしもベルちゃんの言う通りだと思う。だって、その方が絶対にいいもの」
「確かに、な」
きっとこれは、マレットなりの気遣いだったのだろう。
愛する者が愛する者を討ったという、言葉に出来ない悔恨を残さない為の。
もしかすると、シンは気付いているかもしれない。
けれど、彼も決してフェリーには伝えないだろう。誰よりもその辛さを知っている、彼女だけには。
「悪い、ゼラニウムでちょっと色々話してきてた。
ペラティスの奴が、船を準備してくれている。明日にはミスリアへ出発できるぞ」
「そうか」
マナ・ライドを走らせながら、マレットがカランコエへと現れる。
ゼラニウムでいい事があったのか、彼女はやたらと上機嫌だった。
「あれ? マレット、その袋は?」
「これか?」
見覚えの無い小袋を見つけたフェリーが、小首を傾げる。
マレットは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、小袋の中身をフェリーの掌へと乗せていく。
「ゼラニウムで貰った。なんか、世話しなくても咲く花の種らしいぞ。
どれだけ効果があるかは判らないけど、埋めておいて損はないだろ」
「マレット……。そんな女の子らしいトコ、あったんだね……」
「ちったあ素直に感謝しろ」
驚嘆の声を上げるフェリーを前にして、マレットの眉間に皺が寄せられる。
フェリーと同じ感想を抱いたのか、イリシャとギルレッグも後ろでこっそりと笑っていた。
「でも、うん。ありがと、マレット」
「はいはい、咲かなくても文句は言うなよ」
「分かってる!」
受け取った種を握り締め、フェリーは村人の墓を中心に撒いていく。
いつかたくさんの花が咲きますようにと、ありったけの願いを込めながら。
……*
翌日。まだどこか寂しさの残る港で、一隻の船が出航をする。
向かう先はミスリア。休む間もなく彼らは新たな戦地へと赴く。
「皆さん、お気をつけて! 本当にありがとうございました!」
青空に一際響くのは、少年の声。
追って魔導具による義肢を身に纏った男達が、彼に追従をする。
「お前たちこそ、マギアは任せたぞ!」
「はい! 勿論です!」
檄を飛ばすマレットに、ロインは強く頷く。
オルガルやペラティスも頷く傍ら、言われるまでもないと腕を組むオルテール。
最後まで変わらない光景に、マレットはケタケタと笑っていた。
「ロイン坊、今度はウチの息子も連れてくるからな!」
「はい! 小人族の皆さんがどう暮らしているかも、また教えてくださいね!」
「おう、任せとけ!」
ギルレッグの言葉に、ロインは満面の笑みを浮かべた。
きちんと父と触れ合った事のない少年にとって、ギルレッグは父親のようだった。
マクシス達のように、御旗として扱うのではない。一人の子供として、接してくれた。
それが嬉しくて堪らない。彼が王を務める小人族の生活は、少年に憧れを持たせるには十分だった。
暴君であるルプスは討った。けれど、多くのものを失った。
取り返せないものも少なくはない。癒えない哀しみは、確かに存在する。
多くの代償を払ったが、新たな種は確かに撒かれた。まだ、どんな花を咲かせるかは判らない。
けれど、美しい花が咲くに違いない。この仲間達となら、必ず上手く行く。
新たな王となる少年は、そう信じていた。




