338.想いの果てに救われた者
シンの言葉の意図を、フェリーは理解していない。
どうして、『憤怒』に対して「救けてやる」と言ったのか。
『憤怒』に限らず、邪神の分体とはこれまでも戦闘を重ねて来た。
そんな中、どうして今回だけ救おうとしているのか。
答えは彼が切り裂いた外殻の内側にあった。
「こ、ども……?」
外殻を斬り裂いた中から現れたのは、真っ白な子供。
確かに解放軍は一瞬ではあるが子供の姿を確認したと言った。
外殻に覆われた龍族からは想像も出来ない姿だったが為に、フェリーの意識からも消えていた。
けれど、確かに真っ白な子供は存在した。
身に纏った外殻は鎧なのか、それとも拘束具なのか。
少なくともフェリーが見る限りでは、外殻に捕らわれていたかのようにも思える。
純白の子供はシンの手を握り返す。
のっぺりとした顔にも関わらず、懸命に救けを訴えているような仕草。
「シン。この子、邪神に捕まってたってコト?」
フェリーはシンへ問う。記憶に蘇るのは、ピアリーで戦った黝い怪物の存在。
『彼女』はピアリーの女性を喰らい尽くした慣れの果て。自分が殺す事でしか、救ってあげられなかった存在。
「いや。恐らくは、この子供が邪神だ」
フェリーの問いに、シンは首を小さく横へ振る。
彼自身にも確証はない。ただ、救いを求めているような気がしたから行動に移しただけ。
それでも純白の子供はシンの手を掴んだ。ならば、決して離してはならないと感じた。
凝縮された外殻の勢いに呑まれ、以前として落下は止まらない。
フェリーが霰神で氷をクッション替わりに敷いてはいるが、確実に痛みは蓄積されていく。
一刻も早く子供を外殻から引き離さなくてはならない。そうしなくては、やがて地下にまで自分達の身体は埋まっていくだろう。
ただ、シンよりも邪神から生み出された存在である外殻への繋がりの方が強い。
歯を食い縛って腕を引くシンだが、その度に激痛が走り、思い通りに引き抜く事が出来ない。
痛みを堪えるシン。彼が必死に掴んでいるものへ、フェリーも手を添える。
「よくわかんないけど、手伝うよ」
まだシンの話にピンと来ていない。
フェリーが子供の手を引くのは、シンがそうしているから。
彼が誰かを救おうとしているのなら、自分もそうしたい。そうするべきだと思った。
「フェリー。ありがとう」
「ん」
礼を述べるシンに、フェリーははにかむ。
救けを求める純白の子供は、凹凸のない顔で二人の様子を眺めていた。
「よい、しょ……っ」
二人は懸命に子供の手を引き続ける。
引き寄せ合う外殻その繋がりに逆らい、少しずつその身を自分達の元へと手繰り寄せた。
腕に始まり、頭、胸、腰。徐々に純白の子供は姿を露わにしていく。
変化が訪れたのは最後に残った足を引き抜こうとした瞬間だった。
「シン、あれ……」
「ああ。きっとあれは『核』だ」
これまでとは違い、異質な輝きを放つ左足。
適合者であるコナーが邪神の『核』を移植した部分でもある。
これまでの邪神の分体も、適合者と同じ位置に異能を発現していた。
『憤怒』も例外ではないと考えるのは、必然でもあった。
『核』が放つ力は、これまでの比にはならない。
まるで磁石が引き合うかの如く、外殻へと吸い寄せられていく。
手を離してしまえば、純白の子供ごと奪われてしまいそうな程に。
純白の子供が、己の顔を持ち上げる。真っ白で、滑らかな表面からは相変わらず表情を読み取らせてはくれない。
こちらの言葉が通じているのかすらも怪しい。だが、シンとフェリーは子供へと声を掛けた。
「手を離すなよ」
「だいじょぶだよ」
純白の子供にとってそれは、悪意と呪詛によって穢れていく己の身で初めての経験だった。
自分と対極にある色。黒へ、闇へ染め上げられている最中の子供が、初めて触れた輝き。
邪神という役割を与えられた造られし神が、光を求めた。
悪意と呪詛で繋いでいた外殻との繋がりを、自ら断ちたいと心から願った。
純白の子供は、どうありたいかを初めて己の意思で選んだ。悪意の塊からの支配を拒絶する。
緩んだ一瞬をシンとフェリーは逃さない。残る力を振り絞って、自らの元へと子供を手繰り寄せた。
「っ! フェリー!」
「任せて!」
シンが純白の子供を抱きかかえると同時に、フェリーは霰神に魔力を注ぎこむ。
未だ活動を続ける『憤怒』の外殻。悪意によって生まれた存在を、邪神は必要としていない。
「しつこいのは……嫌われるよっ!」
フェリーは純白の子供と彼の外殻を隔てる氷壁を生み出す。
本体である子供は自分達が保護をした。後はこの外殻を破壊するだけ。
その為にも、まずは子供を完全に引き離さなくてはならない。
だが、悍ましいまでの執念が『憤怒』の外殻を突き動かす。
純白の子供に集められていた悪意と呪詛。そして死に際に放ったコナーの執念が、抜け殻の存在が躯のようにシン達へと襲い掛かる。
「えっ!? ちょ、ちょっと!」
『憤怒』の外殻はいともたやすく、フェリーの張った氷壁を砕いて見せた。
慌てて霰神で外殻の身体を凍らせようとするフェリーだが、滾る憤りがそれらを拒絶する。
残っているのは、共振によって増幅された復讐心。
死して尚、『憤怒』の意志が残り続けていた。
外殻は龍族のような腕を伸ばし、純白の子供の左脚を掴む。
『憤怒』に最も近い脚は、再び自身の一部である外殻へと引き寄せられていく。
「させ……るか!」
折角悪意から遠ざけようとしているのに、再び連れていかれてたまるものか。
シンはその思いを抱えたまま、魔導砲の銃口を向ける。
依然として落下していく中、魔力を充填出来ていない魔導砲に出来る事は限られている。
「シン、あたしの魔力も!」
フェリーは咄嗟に、霰神で氷を張るべき場所を変えた。
落下速度に合わせながら魔導砲の弾倉に触れる滑走路を、氷で造っていく。
カラカラと回っていく弾倉は、フェリーから放たれた魔力を吸着していく。
(まだだ……!)
背中に走る激痛を耐えながら。純白の子供を離すまいと抱きかかえながら。
シンは魔力を充填する。外殻の執念を断ち切るには、一撃で葬らなくてはならない。
勝負は一瞬。純白を子供を引き抜いた瞬間に、魔導砲の引鉄を引く。
それだけ。たったそれだけの事なのに。
今のシンが完遂出来る確率は、極めて低かった。
痛みで身体の感覚が鈍くなっていく。
銃を握る右手が正しく外殻へ向けられず、ブレていく。
純白の子供を抱えた左腕から、力が抜けようとしている。
「くそ……っ」
懸命に自分を救おうとするシンの想いを、純白の子供は全身で感じ取っていた。
知らなかった温もりに触れた。このままずっと、感じていたいと思った。
シンの腕からすり抜けようとする身体を、自分の意思で繋ぎとめる。
「だいじょぶ、シン。あたしもいるから」
定まらない照準を固定したのは、フェリーの手だった。
そっとシンの右手を支え、銃口を『憤怒』の外殻へと向ける。
シンは歯を食い縛る。この一撃は、外す訳には行かなかった。
一人では、何もできなかった。救おうとしている今でさえ、自分は支えられている。
自分の弱さを総て理解した上で、シンは戦う。救いたいという気持ちに、偽りは無い。
だからこそ、彼は引鉄を引いた。
刹那、放たれたのは純然たる魔力の塊。無尽蔵の魔力を吸収し続けた魔導石・輪廻が繰り出す、最大の一撃。
魔術金属で出来た銃身すらも破損する一射は、白色の流星。
その光は、逆流する流星のように天へと昇っていった。
……*
「若! それにロイン殿! 皆、ご無事なのですか!?」
オルガルとロインやマクシスの姿を確認したオルテールは興奮のあまり己の持っていた槍を投げ棄てた。
外でコナーが生み出した躯達と戦闘を繰り広げていた解放軍が、王宮に援軍へ向かおうとした矢先だった。
傷だらけでありながら、国王軍と共に降りて来たロイン。更に、突如土塊へと還っていった躯。
暴君を、そして邪神の適合者を討ったのだと確信をする。
「僕たちはなんとか……。でも、シンさんとフェリーさんが……」
ボロボロの身体を引き摺りながらも、オルガルは取り残された二人の名を呟いた。
あのまま残っていても、追う事は叶わない。けれど、何か出来たのではないかと思わずには居られない。
「信じましょう。二人もきっと、無事で帰ってくると……」
そう言うロイン自身も、穏やかではない表情だった。
悪意の根城と化していたマギアの王宮は、外殻から溢れ出る魔力によって崩壊が始まっている。
「はい……」
オルガルは宝岩王の神槍を地面へと突き立て、この地に眠る宝岩族へ祈りを捧げた。
最早、近付く事は叶わない。今はただ、彼らの無事を願うしかなかった。
「あれは!」
「あの女狐が造った魔導具でしょうな」
白色の流星により一射が放たれたのは、まさにその時だった。
天へと昇る流星が何を意味しているのか。答えを知る者は、誰一人としていなかった。
……*
「ベルちゃん、あれ……」
「まーた無茶してやがる」
目を見開くイリシャと、呆れた顔で天を見上げるマレット。
マレット達もまた、シンが放った白色の流星の光を視界に捉えていた。
あれだけの魔力を魔導砲の銃身で受けきれるとは思えない。
恐らくは破損してしまっている。文字通り、全身全霊の一撃を放ったのだろう。
「シンの奴、本気で邪神を救おうとしてんのか?」
救うどころか消滅させかねない一撃を見ながら、マレットは訝しむ。
合流したイリシャから、シンの考えを聞かされた時は驚いた。
『憤怒』が外殻に覆われる寸前、確かに子供の姿を確認した。
けれども、その存在が救けを求めているだなんて思いもよらなかった。
シンの見間違いか、妄想ではないかとさえ思ってしまう。
少しでも彼と接した事のある者なら、皆が知っている。
どれだけ斜に構えようとしていても、本質的にシンはお人好しなのだと。
自分も身を以って体験しているからこそ、イリシャは迷う。
ゼラニウムで彼から聞かされた話は、自分をひどく迷わせるものだった。
それでも尚、与太話だと聞き流せなかったのはシンの人柄を知っているから。
邪神さえも救けを求めているなら、手を差し伸べてしまうような人間。
だからこそ、イリシャは祈らずには居られない。
シンの話が真実だったとしても、きっと彼は救おうとしてくれるはずだと。
本音では、彼の勘違いであって欲しいと願いつつも。
「どっちにしろ、決着は近そうだな」
「そうだな。アタシ達も向かうとするか」
いつの間にか、国王軍の追手も姿を消している。
王宮に近付いても問題がなさそうだと判断したマレットに、ギルレッグは従う。
やや遅れて、イリシャも二人の後を追った。依然として、胸の奥にしこりを残したまま。
……*
白色の流星による一撃は、『憤怒』の外殻を貫いた。
青空が見えるほどにはっきりとした風穴が、シンとフェリーの眼前に造られる。
「やっ――」
歓喜の声を漏らしかけたフェリーだが、異変はすぐに訪れた。
共振により増幅された悪意が、魔力が。再び解き放たれようとしている。
膨張を始める外殻は、瞬く間にシン達の視界を悪意で覆い尽くした。
「シン、これっ!」
「ああ、まずい」
この至近距離で大量の魔力が爆発をしては、ひとたまりもない。
フェリーが霰神で氷の膜を張るが、外殻が膨張する速度に太刀打ちできない。
瞬く間に割られてしまい、氷の破片が体温を奪っていく。
その間にも外殻は膨張を続けていく。残された僅かな時間でシンとフェリーは、己に出来る可能性を探り続ける。
彼らの努力も虚しく、無情にも時間だけが過ぎ去っていく。『憤怒』の外殻は己に宿る憤りを、全て世へと解き放つ。
「……おい!」
純白の子供がシンの腕から離れたのは、外殻の暴発が起きる直前の事だった。
小さな身体を目一杯に広げ、純白の子供はシンとフェリーを護る盾となる。
「待て!」
「ダメだよ!」
それでは意味が無い。シンとフェリーはそう言いたげに手を伸ばす。
だが、二人の手は虚しくも空を切る。純白の子供はもう、実体を宿しては居なかった。
「――っ!」
次の瞬間、外殻の身体は弾け飛ぶ。
思わず顔を逸らすフェリー。眉根を寄せながら、睨みつけるシン。
彼らに悪意の矛先が触れる事は、無かった。
「……あ、あれ?」
一切襲い掛からない痛みを不信に思ったフェリーが、顔を上げる。
自分の隣に居るシンは、目を見開いたまま顔を上げている。
彼の視線に引き寄せられたフェリーが目にしたものは、神の奇跡にも近いものだった。
自分達に触れる前。純白の子供が立ちはだかる場所で、『憤怒』の魔力は霧散して消えていく。
まるで悪意など、無かったかのように。
シン達には知る由もなかった。
『憤怒』が邪神の能力として備えていた堆積により、彼らは護られている事を。
シンとフェリーの「救う」という純粋な想いは直接。
二人の無事を祈る解放軍の想いが、地下に眠る巨大な魔石を通じて。
純白の子供の中へと、蓄積されていた。
邪神に込められた意思と対極に存在する想いは、外殻に蓄えられていた悪意を相殺していく。
それは自身の身体すらも犠牲にする行動だったが、純白の子供に後悔はなかった。
元より分体である自分は、存在すら保てなくなるだろうから。少年にとって、命の使いどころはここしかなかったのだ。
愉しいという感情は、悪意からでも伝えられた。
けれど、初めてだった。嬉しいと感じたのは。
生まれて間もなく。訳も解らないまま沼に沈められていく自分の手を取ってくれた。
そんな彼らを傷付けようとする自分への強い怒りが、己の分身たる外殻と相対させた。
抱かれた腕を解く事が、口惜しくても。彼らを失う方が、辛いと思ったから。
ただひとつだけ。
伝えたいものがあると、純白の子供は振り返る。
目を見開くシンとフェリーの顔を見ながら、純白の子供はその身を散らせた。
己を生み出した悪意と共に。跡形もなく、消え去った。
「ねえ、シン……」
「……ああ」
フェリーと同じ思いを、シンも抱いていた。
凹凸のない、滑らかな顔にも関わらず。純白の子供は、最後に微笑んだ。
二人の眼には、確かにそう映っていた。