337.今度こそ、手は届く
探しているにも関わらず、捕捉ができない。
コナーが警戒を続けていた男の姿を捕らえたのは、躯の眼を通しての事だった。
躯の視界から見える世界では、シン・キーランドは銃を構えている。
それも真正面から、堂々と。躯を通して視線を交わす彼の眼に曇りはない。
「なんだと……」
コナーは思わず声を漏らす。
彼を発見した躯はバルコニーに居る。魔術大砲の、砲身を取り換えるべく。
よもやシンを視界に捉えるとは、夢にも思わなかった。
魔力を帯びた縄に己の身体を預けたシンは、さながら軽業師のようだった。
バルコニーの更に外から銃口を向け、躯の姿を補足する。
最優先の目的は魔術大砲。一瞬で人の命を奪う兵器の破壊。
その為にここまで、策を練ってきた。
フェリーが霰神で部屋全体を覆い、オルガルが宝岩王の神槍で氷を礫を放っただけが布石ではない。
最初の白色の流星から、全ては繋がっていた。
白色の流星で強引に壁を破壊したのは、同時に西側へと通じる道をオルガルが破壊する音を隠す為。
煙幕を撒いたのはシンへの警戒心を煽る為だけではなく、シンが通った穴を隠す為のもの。
オルガルが銃を遠隔で放った際に種明かしをしたのも、シンの存在を意識づける為。
二度の壁抜きの中、最後の壁から物音がすればコナーは否が応でも反応せざるを得ない。
結果、振り回され続けたコナーは読み違えた。否、そうせざるを得なかった。
彼はそれだけ、シン・キーランドを恐れているのだから。
「シン・キーランドォォォォォォ!」
「遅い」
身体中を走る痛みに歯を食い縛りながら、シンは引鉄を引く。選んだ弾丸は赤色の灼熱。
自分に魔術大砲の照準を合わせようとする躯に、灼熱の一撃を放つ。
連射により残された二発の弾丸が続けざまに、魔術大砲を貫く。
同時に、フェリーが張り巡らせた氷から水蒸気による煙が発生する。部屋中が再び、真っ白な世界に覆われた。
「おのれ、よくも!」
この時点で躯と己の視界を失ったコナーは、シンの姿が視界から消えていく。
自分の人生を狂わせた憎き相手、シン・キーランド。コナーが彼の姿を見たのは、これが最後だった。
――適合者は必ず動きを止める。そこを狙ってくれ。
白い世界に覆われていく中。オルガルはシンの言葉を反芻していた。
今がその時だと確信を持った彼は、宝岩王の神槍の穂先を突き立てる。
仮面の男が立っているはずの場所へ目掛けて。
「うおおぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「――っ!」
穂先に肉と触れる感触がする。煙の向こうから、血に塗れた男の手が伸びた。
同時に嘴状の仮面。その先端が見えた事により、オルガルは一層の力を加えた。
「ま、さか。こ……ん、な……」
仮面の中からも、コナーの血が零れ落ちる。彼の脳裏に走馬灯が走る。
その大半は、これまでの人生から大きく変わったこの10年間だった。
対して価値のない人間を売り、そして自らの懐を肥やす。
上手く貴族に取り入っていたコナーの人生が、とある天才と一組の少年少女によって変えられた。
それからは今までの生活が嘘のようだった。
分岐点となった日は、死体に隠れてやり過ごした。
砂利の擦れる音が聴こえる度に、気付かれやしないかと身を震わせた。
マレットと手を組んだペラティスが、自分を捕えようとしているのではないかと怯える毎日だった。
泥水を啜るような生き地獄の中、黒衣の男に見出された。
身体に魔石を埋め込み、死霊魔術師となった。
『憤怒』に適合したと聞かされた時、迷う事なく左足を差し出した。
ひとつは自分の人生を変えた者達へ復讐をする為に。
もうひとつは自分がこれだけ苦しい思いをしたのだから、他者にも味わわせたいという思いから。
怒りよりも、憎悪の面が強い、悪意の塊。酷く自分勝手な存在から、『憤怒』の適合者は生まれた。
自分の総てを対価にした願い。それすらも志半ばで閉ざされる事となる。
だが、コナーもまた諦めの悪い男だった。最後の足掻きをするべく、自分を貫いた槍へと手を伸ばす。
「っ!?」
オルガルは突如、宝岩王の神槍が重くなるのを感じた。
この感覚は知っている。認められていない者が神器を扱おうとする拒絶反応。
「なにを……っ」
支えきれない程の重みを前にしても、オルガルは決して手を離さない。
万が一でも逃がしてしまえば。ここまで繋いできた全てが水泡と帰す。
あってはならないと身体全体で宝岩王の神槍を支え、神槍を突き立てる。
神槍は重みに従うがまま、深く床へと残巳まれていく。
それでもコナーは、決して手を離そうとしない。必然的に、コナーとオルガルの距離は手が触れられる程に近付いていた。
「き、さまに……。自分の……怒りを、くれて……やる……」
「どういう――。ぐうっ!?」
コナーの右手が、オルガルの胸へと触れる。
言葉の意味を理解するよりも先に、身体の中に言い表しようの無い不快感が走り始めた。
今際の際にコナーが放ったのは、『憤怒』から授かった能力である共振。
コナーが今までに抱いてきた負の感情を、オルガルへと押し付ける。
彼の身体の中でそれは膨張していき、精神を破壊しようと目論んでいる。
「が、あああああっ!」
オルガルは悲鳴を上げながら、必死に増幅された悪意へ抵抗をする。
己とは違う、他者の負の感情が直接脳内へと伝わる。
憤り、妬み、憎しみ。そして、破壊をした際に得られる高揚感。
脳が掻き乱され、吐き気を催す。それでも決して、彼は神槍から手を離そうとはしない。
「どうだ、どうだ……!? 自分の、これまでの怒り……。お前が、受け継ぐのだ……!」
自分の死期を悟ったコナーが選んだ最後の手段。
それは共振により、オルガルの精神を破壊する事だった。
増幅された悪意が、憎悪が彼に伝わって復讐を代行してくれれば。
よしんば無理だとしても、オルガルが廃人となってしまえば。
この策を取ったシン・キーランドに癒えない痛みを傷付けられるだろう。
惜しむ点は自分がその姿を確認できない事だが、仕方がない。
ただでは終わらないという、コナーの最後の意地だった。
「なにが……怒り……だ!」
共振により増幅された悪意を前にして、オルガルは懸命に抵抗を続ける。
苦しみ悶えながらも、彼は懸命に言葉を吐いた。
「ただの逆恨みで、大勢の人を巻き込んだだけの人に……っ!
貴方程度の悪意に、僕は……負けない……っ!」
「な……!」
呼吸は浅く、ボタボタと鼻血を垂らしながらもオルガルは吠える。
流れ込んできた悪意は確かに強烈で、身体の中で破裂しそうな程に膨張していく。
けれど、違う。彼は全てが自分勝手だった。
そんな人間の感情に、オルガルは決して共感を持たない。他者のものだと、己の精神力で抑え込む。
「僕の知っている人は……! 皆、大切なものを護るために……戦っている!
貴方とは違う! 僕は貴方を、決して受け入れたりはしない……!」
自分の家が没落をしても、オルテールは甲斐甲斐しく支えてくれた。いつも護ってくれていた。
神へ感謝を捧げ、自らの肉体と精神を鍛え。そして、この神器を授けてくれた。
マレットだってそうだ。彼女はいつも悪戯をする子供のように笑っている。
その裏側では、自分と同じように笑顔になる人間を増やそうと研究を続けている。
解放軍だって、先の内乱で大切なものを沢山失った。
それでもまだ立ち上がったのは、そうしないと護れないものがあると知っているからだ。
極めつけは、子供の頃に自分を救ってくれた恩人。
奇妙な縁で自分の方が年上になってしまったけれど、憧れに変わりはない。
見ず知らずの自分を誘拐犯から救けてくれた。そんな風に誰かに手を差し伸べられる人間に、自分は成りたかった。
オルガルは自分が恵まれていると知っている。これだけ、目標にするべき人間がいるのだから。
対極に位置する悪意など、彼が受け入れるはずもなかった。
「貴方はここで、死すべき人だ!」
一切の迷いを抱かない瞳で、オルガルは力を込める。
コナーの仮面が割れ、魔石を埋め込んだ顔を覗かせる。
その奥に潜む男の眼は濁っており、憎悪で顔を引き攣らせていた。
「く。そ……。気に、要らない……」
『憤怒』の適合者が、死ぬ直前に呟いた言葉だった。
何もかもが面白くない。最後に見た景色が、澄んだ人間の眼だなんて認めたくはなかった。
自分の人生で、一度でもあんな眼をした事があっただろうか。
思い返す間もなく、コナー・ガルエイトは絶命をした。
「オルガル!」
「オルガルさん、だいじょぶなの!?」
水蒸気による霧が薄れる中、シンとフェリーはオルガルの姿を確認した。
「はい、この通り……」
彼の傍では、息絶えたコナーが横たわっている。
これで全てが終わった。ミスリアとの戦争は起きない。ロインの手によって正しい道へと導かれる。
はずだった。
「アアアアアァァァァァァァァァァッ!」
鼓膜が破れそうな程の悲鳴を上げるのは、『憤怒』。
龍族を模した怪物が、その身を凝縮させながらも吠える。
初めての経験だった。適合者が死んでも、邪神の分体が朽ちる事はない。
消え入る迄の僅かな時間。己の意思を持って、『憤怒』は心のままに動く。
「あいつ、まだ!」
フェリーは咄嗟に霰神を構える。
その姿を視界に捉えた『憤怒』は、駄々をこねる子供のように身体全体を震わせる。
自分の相手は彼女ではないと、言わんばかりに。
「――っ!」
「シン!」
フェリーを素通りした『憤怒』が求める者。それは、シン・キーランド。
コナーの共振により埋め込まれた憎悪。自身に手を差し伸べたという記憶。
怒りと願い。相反するふたつの感情が共に、彼を求める。
凝縮した爪が、シンの首根を捕まえる。
怒りの化身としての本能が、彼をそのまま力任せに床へと叩きつけた。
「待ってて、シン!」
「大丈夫だ、フェリー。それより、この城から逃げろ」
シンは今の一撃で気が付いた。
オルガルが宝岩王の神槍を強引に突き立てた事により、重力操作で亀裂が入っている。
更に『憤怒』は、身体こそ小さくなっているが力は決して衰えていない。
二つの力が加わった加わった結果、この階層は間も無く崩落しようとしている。
「……っ! ダメだよ!」
必死な様子から、シンが本気で言っている事は伝わる。
けれど、素直に頷くフェリーではなかった。傷だらけの彼を放っておけるはずがない。
霰神から刃を形成しながら、フェリーは『憤怒』へと近付いていく。
「シンから離れて!」
「よせ、フェリー!」
自分に近付く敵意を前にして、『憤怒』の防衛本能が働く。
腕を凍らせられながらも強引に手を伸ばした『憤怒』は、フェリーの身体をも鷲掴みにした。
「っ!」
そのままシン同様に、フェリーの身体を床へと叩きつける。
幾度となく繰り広げられた激しい戦闘。強い衝撃を加えられた王宮は、遂に限界を迎えてしまう。
「シンさん! フェリーさん!」
「っ! オルガル、お前だけでも離れろ!」
オルガルが手を伸ばすも、間に合わない。
底が抜け、『憤怒』に掴まれたままの二人が落下していく。
次第に遠くなっていくシンの声を前に、オルガルは奥歯を噛みしめた。
……*
崩落していく王宮に沿っていくようにして、シンとフェリーは『憤怒』と共に落下していく。
「はな、して……っ!」
『憤怒』の腕の中で抵抗を試みるフェリーだが、全力が出せる状況ではない。
この距離で霰神を思い切り使えば、シンを巻き込んでしまう。
フェリーに出来る事と言えば、落下の衝撃を氷で和らげる事ぐらいだった。
「シン、ごめん……」
「いや、助かった。ただ、この状況は何とかしたいとな」
「うん……」
このままでは、『憤怒』に圧し潰されるままだった。
そして、今もその状況を回避できたとは言い難い。
シンとフェリーは早々にこの状況を回避しなくてはならない。
「フェリー、今がすることを手伝ってくれるか?」
「当たり前だよ。シンのこと、信じてるもん」
何をするのか具体的に言う暇はない。それでもフェリーは、頷いてみせた。
彼を信頼しているが故の、迷いのない肯定。
「よし……」
シンは『憤怒』の爪が食い込む中、ゆっくりと魔導砲を取り出す。
フェリーが造った氷に押し当て、魔力を吸着していく。
シンが造り出したのは、赤色の灼熱による刃。
炎の刃を『憤怒』の腹へと押し当て、表面を焼き切っていく。
「シン、それ――」
彼が採った行動に、フェリーは思わず息を呑んだ。
裂いた外殻の奥。『憤怒』の中に居た、白い子供。
「今、救けてやる」
シンは震える子供の手を取り、外殻から引き摺りだす。
無垢なる子供を腕に抱くシン。それでも尚、外殻だけとなった『憤怒』が収まる気配はなかった。