336.死角からの一撃
魔導砲から放たれた魔力の塊が、シン達とコナーを隔てる壁を破壊する。
北側の壁を撃ち抜いた白色の流星が狙っているものは、魔術大砲だとコナーは即座に察した。
「一度ならず、二度までも!」
壁の向こう側から疑似魔術を放つシンに対して、コナーは舌打ちをする。
偵察用の躯は消し飛び、危機を察知した己は反射的に身を屈めた。
先手を打たれてしまったが、思い通りにさせる訳には行かない。
魔術大砲を狙う白色の流星を受け止めたのは、他でもない邪神の分体。
『憤怒』の硬い外殻により弾かれた白色の流星。
魔力の塊が破壊力を保ったまま、四方八方へと飛び散る。
床や壁に小さな窪みを作り、灯火の点いていないシャンデリアが大きく揺れる。
パラパラと舞い散る破片に気を取られそうになる中、それよりもコナーの目を引くもの。
それは、シンが空けた穴から侵入をする白い煙だった。
「ちいっ! 相変わらずだな!」
躯が消えても、シン達の位置が確認できるのであれば問題がないと考えていたコナーの考えは打ち砕かれる。
姿を隠しての奇襲は、シンの十八番。人殺しを受け持った際も、よく用いていた手段だった。
単純かつ厄介さを知っているが故に、コナーは苛立ちを隠せない。
一方でコナーは、使い方としては効果が薄いと考える。
例えば外のように開けた場所であるならば、十分な効果が期待できたかもしない。
けれど、今は室内で戦闘を繰り広げている。更に言えば、彼らは姿を隠していた。
放たれた疑似魔術と煙幕の存在により、位置を晒しているようなものではないか。
矛盾した行動に対する回答を導き出そうとするコナーに、思考を奪う刺客が姿を現す。
「フェリーさん、手筈通りに!」
「オルガルさんも、気を付けてね!」
煙の中から飛び出したのはフェリーとオルガル。
霰神から刃を形成したフェリーは、白色の流星の着弾により怒り狂う『憤怒』へ。
「それじゃあ、いくよ!」
振り払われた透明の刃。生み出された氷は床を伝い、部屋の温度を急激に下げていく。
留まる事を知らずに張り巡らされた氷は、天井で揺れていたシャンデリアさえも凍り付かせてしまう。
「――!」
足元が凍る様に不快感を感じたのか、『憤怒』は身を震わせ薄く張られた氷を砕いていく。
氷の欠片が舞う中、フェリーと『憤怒』の視線が交差した。
そして、『憤怒』と躯を操るコナーの対処へはオルガルが向かう。
痛みを堪えながらも彼の眼光は死んではいない。神槍はそんな彼の闘志に応えようとしていた。
宝岩王の神槍の穂先が、張り巡らされた氷に触れる。
削り取られた氷の礫は重力の向きを変え、コナーへと襲い掛かる。
「術者の相手は、僕が務めさせてもらう」
「舐めるなよ、死にぞこないが」
仮面に埋め込まれた魔石から迸る魔力により、コナーに触れるよりも早く氷の礫は砕けていく。
いくら後方で『憤怒』や躯を操る立場とはいえ、コナーにも矜持がある。
『憤怒』の猛攻により満身創痍の男に、遅れを取るはずがないと。
気掛かりがあるとすれば、ただひとつ。
未だ沈黙を保っているシン・キーランド。彼の存在だけだった。
……*
「部屋へ侵入をしたら、フェリーはどうにか分体の気を引いてくれ。
適合者から引き離せれば言うことはないけど、難しいだろう。
分体の攻撃がオルガルへ向かわないようにだけしてくれればいい」
今回の作戦におけるシンからフェリーへの要求は、その一点だった。
単純ではあるが、最も過酷な役目。『憤怒』を、一人で抑えろというもの。
「がんばってみる」
『憤怒』との攻防を思い出し、フェリーは口を真一文字に閉じた。
だが、実際にこの役目を担えるのはフェリーだけであるというのも事実だった。
今回の策に於いてはオルガルが要を担う。
シンは魔術大砲の破壊に備えて、姿を現してはならない。
何より、彼女は策における仕込みをもう終えている。自由に動けるという点でも、フェリーに白羽の矢が立つのは必然だった。
そもそも、『憤怒』を真っ向から抑えられる可能性が残っているのもフェリーだけだった。
シンとオルガルは負傷している。すぐに怪我が元通りに戻ってしまうフェリーだけが、『憤怒』と万全の状態で戦える。
「オルガルの方は、タイミングは任せる。後は俺が合わせる」
「はい」
コナーへの牽制と、策の実行。その判断を一任された。
やや顔を強張らせながら、オルガルが頷いた。
……*
「龍族は見慣れてるけど……っ!」
霰神により氷の膜を張りながら、フェリーは『憤怒』と交戦する。
龍族とは紅龍族に始まり、蒼龍族も黄龍族にも逢った。きっとアンダルにだって成し遂げていない偉業だと、胸を張りたくなる。
けれど、眼前に居る化物はそれらとは違った禍々しさがある。
造られた存在である事を示すかのように、姿形や凶暴性が変わる。
何より、今日だけで何度も痛い目を味わわせられた。普通ならもう顔も見たくないと思ってもおかしくない。
それでもフェリーは折れていない。懸命に透明の刃を振るう。
自分が折れれば、誰かが不幸になると知っているから。何より、シンが自分を信じて任せてくれた。
彼の信頼を裏切る事が、フェリーにとっては何よりも辛い。
コナーに挑発をされた。魔術大砲の破壊に、焦りを見せた。
今ひとつ動きの冴えなかったフェリーだが、今は違う。
やるべき事が一本化された彼女の頭の中は、今日で最も冴えていると言っても過言ではない。
「あなたたちの好きには、もうさせないから!」
フェリーが懸命に『憤怒』と交戦をする最中。
反対に『憤怒』は、視界の端で動き回る羽虫のような存在に苛立ちを覚えた。
自らの尾に反動をつけ、横薙ぎに払う。
巨大な鞭が高速でフェリーへと襲い掛かる。
「それはイタいから、もうダメだってば!」
迫りくる尾を前にして、フェリーは霰神を構える。
この鞭を振り切らせると、自分だけでは済まない。コナーと交戦しているオルガルさえも、巻き込んでしまう。
いくら氷壁を張ろうとも、きっと受け止めきれはしない。
一秒にも満たない時間で、フェリーは答えを出さなくてはならない。
縋るものを探した時。彼女の脳裏に浮かんだのはやはりシンの姿だった。
「うまく行きますよう……にっ!」
フェリーは『憤怒』が迫りくる瞬間、氷の塊を床から天井へと突き上げる。
氷塊の強度はしなる尾に耐え切れず砕けてしまうが、軌道はほんの僅か上へ向ける事が出来た。
「これなら!」
それでいい。そう言わんばかりに、フェリーは再び霰神から氷を生み出していく。
今度はより分厚く、天へ向かって段々と伸びていく。それはさながら、投石器の上を走っているかのようだった。
真っ向から力を受け止めるのではなく、受け流すように。『憤怒』の尾は、大きく宙を斬る。
シンがいつも妖精族の里で、剣を振るピースを投げている事を思い出しての行動だった。
咄嗟に氷塊を使った事も、シンが魔導砲で氷の錨を造っていたからこそ思いつけた。
「――アアアア!」
重心がズレた事により、『憤怒』は己の身体を支えきれず横転する。
ここまでは考えていなかったフェリーだが、千載一遇の好機を逃す彼女でもない。
「少しの間、大人しくしておいて!」
外殻に透明の刃を差し込み、フェリーはありったけの魔力を注ぎ始める。
堆積による外殻の射出は許さないと言わんばかりに、『憤怒』の身体を氷で包んでいく。
「――ガアアァァァァァァァッ!!」
「ダメ……だってば!」
抵抗を続ける『憤怒』はフェリーの攻撃に臨界点を再び迎える。
溜め込んだ怒りを発散しようと外殻を膨張させる『憤怒』。亀裂の走る氷を割らせてはならないと、歯を食い縛るフェリー。
一進一退の攻防が、部屋の真ん中で繰り広げられていた。
同じ部屋で繰り広げられるもうひとつの攻防。
オルガルとコナーの戦いは、フェリーと『憤怒』に比べると落ち着いたものに見える。
宝岩王の神槍で攻撃を仕掛けるオルガルだが、怪我の影響から身体にキレがない。
実戦経験の乏しいコナーでも対処は十分に可能だった。
「これでも!」
距離を取って躯を造ろうとするコナーに対して、オルガルはその時間を与えない事に必死だった。
彼の眼が増えてしまえば、それだけシンの作戦に影響が出かねない。
逃げるコナーに対して、オルガルは氷や瓦礫の礫で応戦をする。
「君はそればかりだな」
オルガルの攻撃を防ぎながら、コナーは彼とは違う所に意識を割いていた。
煙の向こうから一向に姿を現さない男。シン・キーランド。
彼の性格上、自分だけ残る事はあっても、自分だけ退却する事はあり得ない。
息を潜めているのは、勝敗を決定付ける一撃を放つ為に違いない。
本来であれば躯を向かわせたい。彼の姿を確認さえすれば、自分もオルガルに集中が出来る。
けれど、それだけはオルガルが許してはくれない。姿を見せないシンと、シンの居場所を気取らせないオルガル。
二人を前にして、コナーも攻めきれないでいた。
均衡が崩れたのは、フェリーが『憤怒』を転がした瞬間。
砕けた氷が宙に浮く中、フェリーとオルガルの間にぽっかりと空白が生まれた事に気が付いた。
その延長線上に存在するのは、全てを無に帰す兵器。魔術大砲。
北側に空いた孔と魔術大砲の間に、一筋の道が出来上がっていた。
「今だ!」
オルガルが叫ぶと同時に、コナーは彼らの狙いが何なのかを察した。
最優先の標的は、魔術大砲。あの兵器を破壊するべく、彼らは準備をしていた。
コナーは知っている。煙で隠れていようが、シンなら間違いなく魔術大砲を撃ち抜くだろうと。
逆に言えば、シンは必ずそこにいる。
「ッ! 『憤怒』!!」
不老不死の魔女も、神器の継承者も後回しでいい。最優先に殺すべきは、やはりシン・キーランドだった。
堆積による攻撃の威力を高めるべく、コナーは魔石の魔力を『憤怒』へと注ぎ込む。
「つっ……! ダメ……!」
霰神による氷で、己の怒りと魔力を逃がす場所を失った『憤怒』。
それはやがて身体を肥大化させていく。増えていく罅を抑え込むので精一杯のフェリーだったが、とうとう龍族を模した首が解き放たれてしまった。
「やれ! 煙の向こうにいるシン・キーランドを、消し飛ばせ!」
「ダメ、ゼッタイに……ダメっ!」
口に溜め込んだ魔力を、壁へと向ける『憤怒』。
放たれた魔力の塊が、煙の向こうから放たれる魔導弾を掻き消したのは直後の事だった。
「ハ、ハハハ。ハーッハッハッハ!」
ついに悲願を達成した。積年の恨みを晴らしたと、高笑いをするコナー。
薄くなっていく煙幕の向こう側に、人影は存在していない。
『憤怒』の放つ魔力の塊の前に、シンは消し飛んだ。
そうなっている、はずだった。
「……残念でした」
「何がおかしい」
不敵な笑みを浮かべるのは、たった今恩人を殺されたはずのオルガルだった。
シンが居なくなれば次は自分達の番だというのに、彼の表情は一切の曇っていない。
訝しんだコナーが視界に捉えたのは、消えた煙の先。壁の向こうに存在している者だった。
「な、んだと……」
魔導弾が放たれた先。シンが居るはずの場所には、誰も立ってはいなかった。
代わりに存在しているのは床に置かれた一丁の銃。『憤怒』が破壊した瓦礫へ埋もれるようにして、砕けた氷と共に横たわっていた。
「あれは……」
砕けた氷と共に光と反射するものを、コナーは視界に捉える。
ゆったりと伸びている糸のようなものは、オルガルの足元にまで伸びていた。
「はい。あの銃を撃ったのは、僕ですよ」
もう隠す必要がないと、オルガルが答える。
ここで漸く、コナーはずっと彼らの狙い通りに動かされていた事に気が付いた。
フェリーが部屋全体を氷で覆ったのも。
オルガルが宝岩王の神槍で氷の礫を放ったのも布石。
銃の引鉄を引く為の仕掛けである、氷の棒と糸を隠す為のもの。
恐らくは、糸は弦のように張られていたのだろう。反対側も氷と繋がっていたはずだ。
魔術大砲への道が拓けた瞬間に、オルガルが宝岩王の神槍で氷の塊を弾く。
それに連動した結果、引鉄が引かれたというカラクリだった。
「ならば、ならばシン・キーランドは……!」
コナーは狼狽える。考え直せば解る話だった。自分だって怪しんでいたではないか。
身を隠していながら、どうしてわざわざ位置を晒すような真似をしたのか。
初めからシンが、ずっとその場に留まっているはずがなかった。彼はとうに、その場から離れている。
「っ!」
未だ見えないシンの居場所を求めて、コナーは過剰なまでに神経質となる。
ほんの僅かな変化も見逃さない程に。
「『憤怒』! ここだ、この壁の向こうに、奴はいる!」
シン・キーランドは西側の部屋に潜伏しているはず。
間違いないと、確信を持った上でコナーは叫ぶ。
南にはバルコニー。北と東はシン自身が大穴を開けている。
本当の狙いは魔術大砲ではなく、自分だったとコナーは考える。
根拠はある。自分の鼓膜が、西側に音が発生するのを捕らえたのだ。
間違いなくシンは潜伏している。そうでなくとも、四方を解放してしまえば易々と姿を現す事は出来ない。
全ての壁を破壊しない理由が存在しなかった。
「っ!」
『憤怒』が放つ魔力の塊から避けるように、オルガルは身を仰け反らせた。
オルガルとコナーの間を魔力の塊が通過していき、壁が砕け散る。
今度こそシンを仕留めた。そうでなくとも自由に動けない。そうなるはずだった。
「なんだ、なんなんだ!?」
だが、またしてもコナーの思惑通りに事は進まない。
瓦礫の下にシンが埋まっているはずもなく、代わりに転がっているのは一本のナイフ。
その形には見覚えがある。ゼラニウム付近で交戦した時に、シンが投げていたナイフと同様のものだった。
コナーが捉えた音は、シンがナイフを壁へ投げた音だった。
この程度のナイフで壁を貫通できるはずがない。大した仕掛けも施していない。
けれど、彼はそこに居た。その事実だけが、残されている。
「だったら、だったら奴はどこにいるというんだ!?」
意味が全く分からないと、コナーは頭を抱える。
ゼラニウムのように転移をしたという可能性が頭を過ったが、直ぐに己が否定をする。
あの時、奪われないようにとシン自身が破壊をした。
新たに造った可能性も否定できないが、それにしては今回の動きは手が込み過ぎている。
狼狽えるばかりのコナーは、ただひたすらにシンを探した。
「――ここだ」
コナーの求めていた答えは、間も無く得る事になる。
彼と感覚を共有している、躯の視界によって。シン・キーランドはそこにいた。