335.一か八か
魔導砲の銃口から放たれたのは、白色の流星。
圧縮された魔力の塊がシンと戦場を隔てる物を取り除いた。
「来たか……。シン・キーランド!」
崩れた壁の向こう側に、コナーは彼の存在を認めた。
傷らだけの身体で尚、眼光に曇りは無い。
己の身体が歓喜に打ち震えるのがよく分かる。
結局のところ、シンが居なければ話にならない。彼を見つけたからこそ、今の自分が在る。
コナーにとって復讐の矛先を真に向けるべき相手は、シン・キーランドが誰よりも優先される。
『憤怒』の首から上を吹き飛ばす程の疑似魔術を浴びたが、コナーに焦りはない。
龍族を模した頭の中は、堆積により蓄積された魔力が詰まっているだけ。
本体への影響を心配する必要はない。痛みを浴びるほどに『憤怒』はより禍々しく、姿を変えていく。
「大丈夫か?」
「だいじょぶ……っていいたいケド」
シンを見上げるフェリーの顔は、複雑な要素で構成されていた。
額を僅かに赤くしながら眉を顰めている彼女だったが、本質的には喜んでいるようにも見える。
「破片でおデコ、ぶつけた……」
「……悪い」
額を摩る彼女の手を取るシンだったが、その間でも『憤怒』とコナーへの注意は決して怠らない。
必ず迎撃を仕掛けてくる。コナーもシンがそういう人間だと知っているからこそ、迂闊に手が出せなかった。
「シンさん……。ありがとうございます……」
フェリーから離れた位置で、神槍を杖替わりに立ち上がるオルガル。
『憤怒』から身体を貫く無数の針と、尾による強烈な一撃を浴びている彼は、この中では最も重症だった。
「オルガルも、無理はするな」
「いえ、このぐらい!」
オルガルはシン達に負けじと、気丈に槍を構える。
同じ相手に何度も辛酸を嘗めさせられる訳には行かない。
何より、傷だらけの身体が物語っている。
「無理をするな」と言っているシン自身も、無理をしているはずだった。
(面倒な男だな)
迎撃を警戒していたコナーだが、お陰で『憤怒』の修復に精神を集中する事が出来た。
一方で、シンの乱入により明らかに空気が変わったと仮面の奥で舌打ちをする。
不老不死の少女は兎も角、オルガルまでもが活気を取り戻そうとしている。
紹介されるがままに、標的を殺めていた彼からは想像の出来ない姿だった。
(だが、この男は必ずここで仕留める)
暴君は滅び、マーカスはマギアからミスリアへと向かった。
コナーにとって正念場であるこの場面は、同時に自由に出来る絶好機でもあった。
この獲物達だけは誰にも渡さないと、彼は『憤怒』に魔石から得た魔力を注ぎこむ。
「『憤怒』、死にぞこないが一人増えただけだ! 貴様の敵ではない!」
龍族の頭部を復元した『憤怒』は、力強い咆哮を上げる。
王宮全体に、怒号にも似た声が轟く。
「まだまだ、ゲンキみたいだね」
「っ……」
フェリーは霰神を、オルガルは宝岩王の神槍を。
各々が武器を構えて戦闘態勢に入る中、シンだけが物思いに耽るように眉を顰める。
『憤怒』の咆哮は、聴く者によっては畏怖を与えたかもしれない。
経緯を考えれば、怒りに震えていると考える方が状況を素直に捉えられている。
けれど、シンにはどうしてもそう思えなかった。
あの白い子供を見てしまったから。救けを求めているような気がしたから。
これから先の戦いは自分の想像から繰り出される、酷く独善的なものになるかもしれない。
ただ、自分の思う通りに動こうにも優先順位は存在している。
シンは部屋中に視線を配り、状況の把握に努めた。
城壁を伝うシンが、フェリーと共に眼に焼き付けたもの。
村をひとつ消滅させたという魔導具。魔術大砲は、まだ健在だった。
「フェリー、あの大砲は……」
「うん、大砲をコワしたいんだけど。うまくいかなくって」
シンの問いに対し、破壊を試みてはいるものの、何度も阻まれてしまっているとフェリーは眉を下げた。
『憤怒』の影に隠れながら、今も尚異質な存在感を放っている。
こそこそと土塊で造られた躯が、融けた砲身と魔石を取り換えようとしているのが視界に映る。
村をひとつ消滅させるだけの魔力が、どこへ向けて放たれるか判らない。決して、魔術大砲を撃たせる訳には行かない。
その為には自分達との間に割って入っている『憤怒』が邪魔だった。
フェリーの様子を鑑みるに、破壊を試みても邪魔をされるのが目に見えている。
近付かなければならないフェリーとオルガルでは、尚更だっただろう。
そこまで考えて、シンはある事に気が付いた。
「フェリー、灼神はどうした?」
この部屋で感じた微かな違和感。
フェリーが戦闘をしているにも関わらず、部屋が一切焼け焦げていない。
霰神のみで戦っているという、何よりの証拠でもあった。
「えと、灼神は……。コワれちゃって。
今はマレットに直してもらってる……」
「……そうか」
まごまごと口を動かしながらフェリーが答える。平静を保ってはいるが、相当に痛手だったのだろう。
『憤怒』を強引に突破するには、フェリーもオルガルも火力が足りていないように映った。
(魔導砲か魔導弾で狙うとしても、予測されているか)
この位置からの狙撃は現実的でないと、シンは判断をする。
恐らくは魔術大砲へ着弾する前に、『憤怒』に防がれてしまうだろう。
出来れば虚をつく一撃が、欲しいところだった。
「行け、『憤怒』!」
だが、考える余裕はいともたやすく奪われる。
『憤怒』が復元した今、コナーは膠着状態を保つよりも戦力を削ぐ方が重要だと判断を下した。
コナーの叫びがそのまま命令となり、『憤怒』の身体が膨張していく。
赤黒く腫れ上がった外殻は堆積により凶器と化し、鋭さを見せていく。
針や棘と言ったものではない。さながら槍と呼ぶに相応しい外殻が、シン達へ向かって射出される。
「フェリー、霰神だ!」
「わかってる!」
シンに言われるよりも早く、フェリーは己の足元に透明の刃を突き立てた。
無尽蔵の魔力によって具現化する分厚い氷壁が、『憤怒』の攻撃を凌いでいく。
「ぐっ……」
問題は自分達ではなく、オルガル。彼の持つ宝岩王の神槍は重力の向きを操作する神器。
単発ならいざ知らず、質量と数で押し切られてしまえば対処しきれない。
だからこそ、シンはフェリーに防御を託した。自分はあくまで、オルガルを護る為に行動をする。
まず放たれたのは、魔導弾。
『憤怒』とオルガルに割って入るかの如く創土弾が撃ち込まれ、岩による壁が『憤怒』の攻撃を阻む。
「その程度の壁で、『憤怒』の攻撃が防げるものか!」
だが、フェリーが造った氷壁に比べると創土弾の壁は脆い。
一発目の槍で亀裂が走り、二発目では砕けてしまう。そんな事は、シンも承知の上だった。
「まだだ!」
オルガルへの着弾を一瞬でも遅らせれれば、それでいい。
氷壁の上を、魔導砲の弾倉が走る。
無尽蔵の魔力から生み出された氷は、魔導砲の充填を加速度的に高めていく。
激痛の走る右腕を左手で支え、シンは魔導砲の引鉄を引く。
岩の壁を目掛けて水色の氷華が、『憤怒』の放った槍諸共、周囲を氷漬けへと変貌させた。
「オルガル!」
シンはそのまま、銃身から魔術付与による縄をオルガルへと巻きつける。
合流が狙いだと察したオルガルは宝岩王の神槍で自らの身体に振れ、縄へと引き寄せられるのを加速させた。
「この程度の氷で!」
コナーの怒りに呼応した『憤怒』は、堆積により肥大化した尾を振り回す。
次々と砕けていく氷だが、そこに肉を潰す感覚は存在しない。
「……逃げたか」
部屋中に舞う氷が太陽の光で乱反射を起こす中、オルガルは毒づいた。
確かにシンの後方は大穴が空いたままだ。視界さえ切ってしまえば、退却は可能だろう。
だが、退却をシンが選択するとは思えなかった。いや、あり得ない。
国王を討つ事を目的にしていた解放軍とは違う。邪神の分体からその場しのぎで逃げる事に、何の意味があるというのか。
何より、魔術大砲はまだ健在だった。
いつ何が消滅させられるか判らない恐怖を抱き続けたまま、マギアの人間に日常を過ごさせるつもりだろうか。
「ありえない」
コナーはぽつりと呟く。
逃げた? シン・キーランドが? フェリー・ハートニアが?
この期に及んで臆病風に吹かれる様な人間であるならば、そもそもこの戦いに介入するはずがない。
彼らは確実に、自分達を斃しに来る。これまでの世界再生の民との交戦からも、コナーには確信があった。
「そうなると、追うべきか留まるべきか」
シン達が姿を消した事により、コナーは強制的に二択を迫られているのだと気が付いた。
追えば魔術大砲が手薄になる。マギアにとっての脅威度は、現状ではこの大砲が一番高いだろう。
戦いに専念する為にも、まずは物理的に自分達を移動させたい可能性がある。
逆に留まってしまえば、魔術大砲を護る事は容易だろう。
一方で、コナーの懸念はシン達に多くの猶予を与えてしまうという事。
あの男が時間をふんだん使って、何も企んでいないはずがない。そうなる事態は避けたい。
「躯を偵察に出すのが、一番確実だな」
考える猶予はあまりない。コナーが現実的かつ、即座に実行が可能な手段は躯を造り出す事だった。
視覚の共有により、彼らの動向を掴む事が出来る。罠を準備しているなら、特攻を仕掛けて破壊も可能だろう。
コナーにとっては最適解に近い回答だった。
手遅れになってはいけないと、コナーが自らの策を実行に移す。
魔石の魔力を使い、共振を併用して躯を生み出した瞬間。
「なっ……!」
壁の裏側から、魔導砲による衝撃が再び走る。
シン達が退却した東側の穴とは違う方角。北側からバルコニーの設置されている南側へ向かって、白色の流星が放たれた。
……*
「――時間が無い。俺の作戦を話す。出来るかどうかだけ、答えてくれ」
白色の流星が放たれる少し前。
オルガルを回収したシンは、北側の部屋へと回り込みながら己の策を話した。
狙いは魔術大砲。無関係の人々が人質に取られる状況を、まずは避けたかった。
「僕が責任重大ですね……」
シンの策を聞かされたオルガルが、シンの背でぽつりと呟く。
真っ向勝負を好むオルテールとは明らかに違う考え方に、驚いてるようでもあった。
「あたしはそれだけでいいの?」
「ある意味ではフェリーが一番大変だ。邪神の相手を任せるんだから」
「……そうかもだけど、がんばってみる。カラダを思いっきり凍らせるのは、やってみなきゃだもんね」
「悪いな」
彼女が一番、危険な場所を担う事になる。
申し訳なさそうな顔をするシンへ、フェリーは頬を膨らませた。
「そういうのナシ。シンだって、またムチャ言ってるじゃん。
よくそんなヘンなコトばっかり思いつくよね」
「ははは……」
腰に手を当てて呆れるフェリーに、オルガルは苦笑いをした。
事実、彼の作戦はかなり無茶だ。失敗してしまえば誰かが命を落とす可能性は十分にある。
「それで、この作戦でいいのか?」
「僕はやります。というより、他に手段が思いつきませんしね」
「あたしも、シンのコト信じてるもん」
「……ありがとう」
当然だと言わんばかりに頷く二人に、シンは感謝をした。
一か八か。賭けに等しい作戦が、実行へと移される。




