334.残る戦場
玉座の間に居る者達は皆、息を呑んだ。
永遠の命は偽りで、とても脆いものだった。
彼の身体を構成していた肉塊さえも、魔力の霧散と共に消えていく。
総てを得ようとした暴君に残されたものは、皮肉にもなにひとつ残ってはいなかった。
「やった、やったぞ……!」
「オレたちは、これで自由なんだ!」
暴君の圧政から解放されたと、兵士達は沸き立つ。
もう彼らに解放軍と戦う理由は存在していない。命を懸ける理由も、棄てる理由も無くなった。
今はただ、生きる喜びを共に分かち合っていた。
「国王……」
そんな中でロインは自らの父が辿った末路を、その眼に焼き付ける。
「ロイン様……」
「大丈夫です。直接逢って、こうなるしかないのだと。ボクも思いましたから……」
こんな男でも。母の仇でも。ロインにとって、ルプスが父親である事実は揺るがない。
父の死を前にするロインの心配をするマクシスだが、彼は気丈にも苦笑いで応えて見せる。
親子として過ごした時間は、ただの一秒たりとも存在していない。
愛する母の仇としてしか、国王の姿を知らなかった。
彼だけではない。マクシスをはじめとする解放軍にとっても因縁浅からぬ敵。
魔導大国マギアを狂わせた男の物語は、ここで終わりを告げた。
「ロイン、すまなかった」
負傷した右腕を抑えながら、シンがゆっくりと歩み寄る。
痛々しい彼の姿を見て、ロインは我に返った。
「シンさん! その、国王のことは大丈夫です。
それよりも、シンさんの身体の方こそ……」
「大丈夫だ、まだ動く」
魔導石による魔力の衝撃を至近距離で受けたのだから、この程度で済んでいるのが奇跡だった。
恐らくは魔導砲が魔力を吸着してくれていたからだろうと、シンは推測をする。
「アンタら、ありがとう。救うと言っておいてなんだが、実際に救けられたのは俺の方だ」
シンは歓喜に沸き立つ兵士達へも、礼を述べた。
魔導弾を放り込んだだけでは、『核』を破壊する事は出来なかった。
最後の一押しは、兵士達の銃弾によって得られたものだ。
「何を言ってんだ! アンタがああ言ってくれたからじゃねえか!」
シンの言葉を否定するべく。兵士の一人が、とんでもないと大きく首を横へ振った。
あの時、この青年が「救う」と口にしなければ。きっとこの結末を迎える事は無かった。
悪夢の日々だった。
強制的に徴兵をされ、国王に逆らった者へ手を下して。
報復を恐れて、逃げる事すら叶わない。死して尚、傀儡として弄ばれる。
自分の命は自分の為に在るのではないと、胸の内に刻み込まれているようだった。
自分だけが苦しい訳ではないと、鎖に繋がれた者同士で身を寄せ合っている。心を擦り減らしていく日々。
希望を口にする事すら許されない。抑えていた感情を封じ込める手段を持ち得ていなかったから。
そんな固く閉ざされた心をこじ開けたのが、シンの一言だった。
――俺はお前たちも救いたいと思っている。
あの一言だけで、既に兵士達は救われていた。
後は溢れ出る感情を、どう身体へ伝えるかだけ。
それすらも、切っ掛けをくれたのはシンだった。
疑似魔術による強烈な一撃が剥き出しにした、永遠の命の真実。
次々と湧き上がる期待を前にして、足を止める理由はとうに流され切っていた。
「解放軍の……。ロインの意思に従ったまでだ。
凄いのは、ロインの方だよ」
「ふふっ」
照れくさそうに顔を背けるシンに、ロインは笑みを溢した。
少年は知っている。この道中、散々フェリーから聞かされていたからだ。
――シンはね。あんぽんたんだけどすっごく優しいんだよ。オコって戦うばっかりじゃないんだからね。
ただ一人、シンを置いて行くという話に入れてもらえなかったフェリーは必死に弁明をしていた。
子供の頃から今に至るまで、どれだけ優しいところがあるのかを余す事なく教えてくれた。
途中でケタケタと笑うマレットや、自分と一緒に頷いて話を聞いているオルガルの顔は忘れられない。
だからきっと、自分の存在は関係が無い。
彼が単独で立っていたとしても、きっとそうしていただろう。
「事実だろう」
「はい、そうですね」
眉根を寄せるシンを前にして、ロインは口を手で覆った。
シンからすれば、関所でのロインの振舞いに従ったと言いたいのだろう。
照れ屋というのもフェリーの言う通りだと、また笑みを浮かべそうになってしまう。
「じゃあ、どっちも恩人だよ。礼を言わせてくれ。
それぐらいの余裕はあるだろう?」
兵士の一人が、両手を大きく開いていく。
救われた兵士達にとっては、どっちがだなんてどうでもいい話だった。
今、こうして自由になった。その結果が全てなのだから。
「……いや、そんな余裕はない」
「アンタも大概頑固だな」
呆れる兵士を他所に、シンは己の右手を揉みながら感触を確かめる。
その眼光は鋭く。まだ戦いが終わっていない事を意味していた。
「行くのですね?」
ロインの問いに、シンは小さく頷いた。
何も心配はしてない。その瞳に宿っているのは、決して怒りではないと伝わってきたから。
「マクシス、後のことは――」
「言われるまでもない。元々、おれの役目だ。
ただ、来てくれて助かった。それだけは、礼を言わせてもらう」
マクシスもまた、言葉に表せないぐらい程に感謝の念を抱いている。
魔導石による爆発は、関所の一件で自分も画策した事だった。
もしかすると、今回も同様の手段を選択した可能性は否めない。
命を棄てる行為だとロインに叱咤されておきながら、藁にも縋る想いで特攻をしたかもしれない。
神に祈るかのように、永遠の命を奪う当てがないにも関わらず。
シンのした事は、かつての国王が行った事でもあり、自分達がやろうとした事。
決定的に違う点は、彼は決して無闇に哀しみを拡大しなかった。
それだけで、礼を言う価値は十分にあった。
――マレットはただ、皆を幸せにしようとしていただけだ。
マクシスは出逢った日に、シンが言った言葉を思い出す。
本心からの言葉だったと、今なら解る。この男は全てを救おうと、取り戻そうとした。
自らの行動を以て、マレットの信念を証明したのだ。
「シン・キーランド」
魔硬金属で覆われた己の義手を眺めながら、マクシスはシンの名を呟く。
この手をどう使うかは自分次第。ただ、製作者が込めた願いだけは忘れてはいけないと。
「むしろ、おれの方こそ言わせてくれ。――頼んだ」
まだ戦いは続いている。
今の自分が成すべき事は、ロインを安全な場所へ送り届ける事。
悪意から、この国の希望を守り通す事だった。
「ああ」
マクシスの言葉に、シンは頷く。
足元の揺れから察するに、まだ戦いは終わっていない。
フェリーの様子は勿論、『憤怒』の中に居た白い子供の存在も気掛かりだった。
もしも救えるのであれば。一縷の望みを掛けて、シンは一歩を踏み出した。
「ここから先は、俺の戦いだ」
玉座の間から姿を消すシンを、皆が見送った。
傷だらけになりながらも決して退かない青年に、感謝と敬意を込めて。
……*
(ルプス? 死んだのか。案外、だらしがない)
国王の身に起きた異変をいち早く察したのは、共振を持つコナーだった。
永遠の命は紛い物。それを誰よりも知っているからこそ、大きく動揺はしなかった。
むしろ有難い事だとさえ思う。国王を殺すとなれば、解放軍の戦士では荷が勝ちすぎている。
間違いなくシン・キーランドの仕業だと、コナーは確信をした。
やがて彼は自分の元へと現れるだろう。邪神の分体を討つべく、仲間を護るべく。
因縁の決着をつけるのは、やはり自分の手で在りたかった。
「いつまでも、傍観者気取りで!」
だが、コナーとてただぼうっと立っている訳ではない。
彼もまた、神器の継承者と不老不死の少女を同時に相手取っている。
悪意との戦いは、激化していく一方だった。
邪神の分体を操っている術者を斃せば。というのは、魔力で動く生命体を相手取る場合は定石でもあった。
事実、魔造巨兵の類であれば魔力の供給が断たれたと同時にその動きを止めてしまう。
迫りくる『憤怒』の尾を、宝岩王の神槍により弾き飛ばす。
重力の向きが変わった事により、思い通りに行かないと苛立つ『憤怒』を突破したオルガルは、穂先をコナーへと向けた。
尤も、コナーも自分が狙われる事は百も承知だった。
小まめに己の立ち位置を調整し、狙い辛いようにしているのは決して安全地帯を探している訳ではない。
「『憤怒』!」
コナーの命を受けた『憤怒』は、今までに受けた痛みと主人の魔力を蓄積していく。
堆積の臨界点を迎えた外殻は、主以外の総てを撃ち抜くべく射出される。
「ぐうッ!?」
既に一度、自分達を全滅寸前にまで追いやった能力。
当然ながらオルガルも警戒していた。にも関わらず、防ぎきる事が出来ない。
まるで命を持つ魔導具のように、『憤怒』はコナーの意思に沿って変質していく。
身を護るはずの外殻は放出の際に、無数の針となり射出されていた。
より細かく、より鋭く。宝岩王の神槍で防ぎきれない針が、オルガルの身体へと襲い掛かっていく。
「オルガルさんっ!」
一方のフェリーも、『憤怒』による針の攻撃を氷壁で防ぐのが精一杯だった。
魔術大砲を狙う彼女と、コナー本体を狙うオルガルは『憤怒』を挟んで対角線上に位置している。
霰神による氷の壁も、彼にまでは届かない。
「だい、じょうぶです……。フェリーさんは、その大砲を!」
「う、うん!」
防具を突き破り、衣服を血で赤く染めていく。それでもオルガルは、歯を食い縛る。
強がりなのは解っていても、フェリーは彼の意思を無下には出来なかった。
「させるものか」
コナーは『憤怒』へ、命令を下す。
魔術大砲に左程固執をしていなかったコナーだが、決め手の一撃となる事には変わりない。
加えて、易々と破壊させてしまえば、自分への矛先が増える事になる。
意識が分散されている今。シンが現れる前に、戦いをより優位に進めたかった。
何よりもうひとつ。コナーにとって嬉しい誤算がある。
前回の戦闘で壊れてしまったのか、フェリーが炎の刃を繰り出そうとしない。
頑なに氷の刃だけを繰り出しているうちに、魔術大砲の冷却が想定よりも速く行われていた。
これならば、躯の手によって砲身の交換も容易となる。
彼女を魔術大砲から引き離すべく、コナーは『憤怒』へ命令を下した。
「やれ、『憤怒』」
堆積による怒りの一撃は、まだ終わりを見せていない。
『憤怒』が持つ龍族を模した口から、魔力の塊が放出された。
霰神の氷では受け止めきれない。
かと言って、この位置で受ければ自分は衝撃で外へと放り出される。
「わわっ!」
フェリーに与えられた選択肢は回避しか残されていない。
けれど、それはコナーによる誘導だった。
「フェリーさ――ぐっ!」
『憤怒』は続けざまに身体を回転させ、尾を伸ばす。
宝岩王の神槍による重力の操作も間に合わず、オルガルは『憤怒』に尾によって身体を壁へと打ち付けられる。
「オルガルさん!」
フェリーが彼の身を案じて声を上げた時には、もう遅い。
速度を上げ切っていた尾は、フェリーの身体をも横薙ぎに払う。
「つう……」
身体の感覚を一時的に失う。視界が血で赤く染まるのは、本日二度目だった。
くらくらとする頭を持ち上げると、ぼやけた視界の先にあるのは『憤怒』の大口が開けられた姿だった。
「ルプスと何が違うのか、自分も興味ぐらいはあるのでな」
魔力の塊が強く輝きを発する。自分に向けて放たれるのだと察するのに、時間は必要なかった。
逃げようにも身体が上手く動かない。悔しさから、彼女は歯を食い縛る。
だが、放たれた魔力の塊は『憤怒』の口から出たものではなかった。
壁の向こうから、『憤怒』の頭を消し飛ばす強力な一撃が放たれる。
フェリーは知っている。この光を。
だから、顔を見るまでもなくその名を呟いた。
「……シン」
一方で、コナーもまた彼の存在を待ち侘びていた。
挨拶代わりの強烈な一撃でさえも、前菜だと感じられる程に気分が昂っていた。
「来たか……。シン・キーランド!」
嘴状の仮面の奥で、コナーは目を見開く。
彼の眼には、銃を構えたシン姿が焼きつけられていた。