332.救世主
血の通わない身体にも関わらず、ルプスは頭に血が上っているようだった。
王で在る自分に躊躇いなく銃口を向ける男が、堪らなく気に入らなかった。
不遜な態度は勿論の事、その握り締めている銃が何よりも気に入らなかった。
見ただけで判る。魔導砲の製作者はベル・マレットだと。
魔導石が持つ破壊力は今更論じるまでもない。
この銃も例外ではないと、放たれた稲妻と天井へと突き刺さる氷柱が教えてくれている。
あの女は国王である自分の命令は聞き入れないどころか、他の者へと力を与えている。
自分よりも優先するべき者が存在している事は、ルプスにとって最大級の侮辱にも等しかった。
「後が閊えている? それではまるで、我輩が前座のように聴こえるが」
「そう言っている」
顔を引き攣らせるルプスを前にしても、シンは表情に一切の変化を見せなかった。
眼前に立つ男は本気だった。マギアの国王たる自分を障害ではないと、言ってのけたのだ。
「……ッ! 貴様等、撃て! この生意気な小僧を、撃ち殺すのだ!」
自分を取るに足らない存在だと言い切るこの男が、赦せなかった。
ルプスは銃を構えさせた兵士達に、シンを撃つように命じる。
逆らった事を後悔させるという強い意思が、そこには込められている。
「っ……」
国王軍の兵士達は戸惑いを見せながらも銃口をシンへと集中させる。
悪いのは自分ではない。このマギアに於いては神にも等しい存在を怒らせた、この青年が悪いのだと言わんばかりに。
「シンさん!」
「ロイン様、いけません!」
彼は自分達の身代わりになろうとしている。
そう感じたロインが身を乗り出すが、マクシスによってその細腕を握り締められる。
「ですが……!」
「今ここでロイン様が出るのは、あの男の真意ではありません」
マクシスはシン・キーランドという人間を殆ど知らない。
けれど、彼が自分やロインを護ろうとしている事は理解できる。
敢えて矢面に立ち、注意を自らへ引き付けている。さながら、囮のように。
「今は、信じましょう。あの男を……」
迂闊に手を出してはいけない。シンの背中がそう語っているような気がした。
自分の仕事は、ロインを護り抜く。それが暴君を討つ事に繋がると信じて。
マクシスは己の無力さに打ちひしがれながらも、シンへと全てを託した。
「どうした、恐ろしくて声も出せなくなったか?」
顔色ひとつ変えないシンに苛立ちを覚えたルプスは、自分に都合の良い解釈を行う。
彼は強がっているだけなのだ。本心では、怯えているはずなのだと。
ルプスの問いにシンは答えるつもりなどない。
視線を左右に動かし、自分の行いに恐怖を抱く兵士達の様子を冷静に見つめていた。
その行いが益々、ルプスを付け上がらせる。
「そうか、そうだな。恐ろしくないわけがない。無数の銃弾が、貴様の身体に孔を開けるのだ。
止めどなく血が流れ、間も無く絶命する。死ぬのは怖いだろう? 命乞いをしても良いのだぞ?
我輩の興に乗れば、案外命を拾えるかもしれんからな」
「お前は死ぬのが怖くないのか?」
饒舌に言葉を並べるルプスへ、今度はシンが問う。
誰もが口にしそうな陳腐な問いを前にして、ルプスは鼻で笑っていた。
「フン、我輩は貴様等とは違う。この身に宿っているのは永遠の命だ。
死の恐怖からは、とうに解放されている」
「……そうか」
小馬鹿にするように笑うルプスへ苛立ちを覚えた訳ではない。
ただ、この男と自分が判り合う事はないだろう。そう思った。
シンは知っている。
自らの過ちを悔いて、『死』に救いを求めた不老不死の少女を。
朽ちぬ身体を手にしながらも、『死』が怖いという不老の女性を。
彼女達は決して自分の体質を誇ったりはしなかった。
どんな身体を手に入れようとも。
決して生と死の循環からは逃れられない。
親しい者は。大切な人は朽ちていくのだから。
「アンタは、それしか誇るものがないんだな」
もしもルプスが本当に永遠の命を手に入れていたとしても。
それを誇るようでは、器が知れている。
そんな矮小な人間に自分達の故郷を、出逢った全ての人達を壊される訳には行かなかった。
「言ってくれる! 貴様こそ、その不遜な態度! 我輩以上に死が怖くないと見える!」
シンと言葉を交わす度に、ルプスの怒りは膨張していく。
ただ殺すだけでは気が晴れない。深い絶望と後悔を与えなければ、決して満たされないと思う程に。
「……死ぬのが怖くないわけがないだろう」
だが、意外にもシンの返答は鹽らしいと感じさせるものだった。
下らない誇りで命乞いが出来ないものの、最後の抵抗のように思えたルプスはほくそ笑んだ。
「ほう。我輩はてっきり命を棄てたいものだと思っていたぞ」
自分が優位に立ったと感じたルプスは口角を上げる。
シンが発した言葉の意味を、正しく理解しようともしない。
「命を棄てたい……か」
自嘲気味にシンが呟く。
かつての自分の行いを、恥じるような振舞いだった。
フェリーの『呪い』を解く事が出来れば。もしくは、彼女の願うままに殺す事が出来たならば。
シンは自分も死ぬべきだと考えていた。誰も望んでいないにも関わらず。誰よりも大切な女性を苦しめる結果になると知らずに。
自分の気持ちを伝えて。彼女の気持ちを知って。本当に愚かな振舞いだったと、今なら言える。
あれだけ子供の頃、アンダルが『命』の大切さを説いてくれたというのに。
だから、今のシンは無闇に命を投げ棄てたりはしない。死ねない理由が、あるのだから。
「死ぬのは怖い。命を棄てたいはずが、ないだろう」
「そうだろう!」
「だけどな」
力いっぱいに頷くルプスを前にしても、シンの眼光は曇らない。
二人の間では決定的に、見ているものが違っているだけだった。
「命よりも大切なものが増えすぎただけだ」
フェリー以外にも沢山の友人と呼べる者が増えた。
こんな自分を支えてくれる人達がいる。世界を回って、悪意のいいようにされたくないと思った。
何より、自分の命を懸けてでも成し遂げなくてはならない事がある。
命を棄てる訳には行かなくても、もっと大切なものがあるとシンは知った。
その全てを護る為。得る為。取り戻す為。シンは今、ここに立っている。
「……シンさん」
ロインは言葉を失った。
背中越しでも判る。シンが本気で言っているのだと。
目的の為に命を投げ棄てようとした解放軍を、ロインは叱咤した。
傍から見れば、同じに見えるかもしれない。違うと言い切れるのは、対峙ている者だけなのかもしれない。
犠牲で何かを得ようとしている者と、そうでない者には決定的な差があると。
「フン、格好つけおって。興が削がれた」
尤も、眼前に立つ国王に対してはシンの言葉は何も響かない。
命乞いもせず、スカしている男に現実の厳しさを教えてやろうとさえ思う。
これ以上、彼が何を言おうとも自分の望む展開にはならない。
つまらない結果にしかならないと断定したルプスは、構えさせた命令を下す。
「もう良い。お前たち、やれ」
精々死に際ぐらいは楽しませてくれよと、ルプスはほくそ笑む。
ある者は銃身を震わせながら。ある者は自分の弾丸が原因ではないようにと祈りながら。
シンへ向かって一斉に、引鉄が引かれていく。
「シンさん!」
ロインの声は、時間差で鳴り続ける銃声によって掻き消される。
自身もまた、その恐ろしさにより反射的に目を逸らしてしまった。
故に、ロインは見ていない。銃声の中にひとつ、シンの放ったものが混じっている事に。
「……?」
目を瞑るロインだったが、違和感を覚える。いくら待てども、国王の高笑いが聞こえてこない。
あの人間性ならば、間違いなく笑みを浮かべるに違いないだろうに。
「貴様、何をした!?」
代わりに少年の鼓膜を揺らしたのは、ルプスの怒鳴り声。
多大な怒気を含むそれが、シンの身の安全を保証しているかのようでもあった。
シンが放った一発の弾丸は、魔導弾だった。
自分の前方へ重力弾を放ち、重力の層を創り出す。
兵士の放った弾丸は重力に負け、吸い込まれるように床に弾痕を生み続けた。
「答える義理は無い」
「ぐっ……。おい、貴様等! 奴を囲め! 逃げ場を失くしてやれば、いつかは命中するはずだ!」
淡々と返すシンに、ルプスは歯軋りをする。
ならば周囲を囲めば、逃げ場はないと兵士達に命じようとした時だった。
「俺を囲めば、味方に銃弾が当たるぞ」
シンが放った一言に、兵士達の動きが固まる。
彼らもまた、その可能性を懸念していたからだった。
国王の命で敵を撃つ事にさえ躊躇いがあるのだ。
数少ない、心から分かち合える者を誤ってでも撃ちたくはない。
一方のシンは、銃を構える兵士たちに対して確信を得た。
兵士達の顔は明らかに戸惑いの色を見せている。カランコエの村で戦ったアンダル達とは、明らかに違う反応。
もしもカランコエ同様に躯が側近を務めているのであれば、迷う素振りなど見せるはずがない。
この場に居る者はルプスを除いて皆が生身で、間違いない。
(だったら――)
シンの瞳に力が宿る。
為すべき事は、いくらでも増えていく。
「王宮に来るまでの間、国王軍の兵士だった奴らに会った」
明らかに兵士達の視線が揺らぐ。
嘘か真実かを見定めるよりも先に、シンが紡ごうとする言葉に関心が向いた。
「何を言い出すかと思えば! 脱走した者たちは解放軍の後に一族郎党全て始末してやる!
貴様らも、そうはなりたくないだろう!」
ルプスの言葉は、兵士達にとっては背筋が凍るものだった。
シンの言葉が真実だとしても、暴君の支配から逃れられた訳ではないと思い知らされる。
「彼らは、解放軍の手で命を繋いだと言っていた。戦い続けるのであれば、俺たちは彼らの命にも責任を持つ」
高揚が少ない声にも関わらず、本気だと思わせるには十分だった。
事実、シンはイリシャと共にマナ・ライドで王宮へ向かう際に遭遇している。
関所で背中から撃たれ、宝岩王の神槍と宝岩族の齎す奇跡に救われた者達を。
彼らから解放軍の話を聞かされたからこそ、ロインを護らなくてはならないと思った。
小さな身体に秘められた、高潔な精神を失ってはならないと。
そして、シンもまた決意を固めていた事がある。
家族や自らの身体を失った解放軍やロイン。徴兵され、暴君に人生を狂わされた者達。
骸として再び現世に呼び戻された自分の家族や、アンダル。そしてクリム達。
救けを求める子供のように手を伸ばす『憤怒』。
悪意は、多く人の精神と肉体を蝕んでいった。
幾ら誰かの幸せと平穏を喰い散らかしても、止まる事を知らない。むしろ拡大していく。
中には永遠に失われて、二度と返ってこないものも少なくはない。
だからこそ、シンはこうするべきだと思った。
出来る限りの全てを取り戻す。護る。これ以上は、何も奪わせやしない。
「俺はお前たちも救いたいと思っている。救ってみせる」
騒々しいまでの銃声が鳴り響いていた部屋が、静寂に包まれる。
目の前の青年は、敵対する自分達でさえも救ってみせると言った。
兵士達は互いの顔を見合わせる。
聞き間違いかと思った。けれど、彼は冗談が得意な人間には到底見えない。
既に死んでいる骸よりも光を失っていた兵士達の眼に、光が宿っていく。
それは死ぬまで暴君の駒として働き続けなければならないと絶望していた者達にとって、何よりも欲しかった言葉だった。