331.相対する者たち
時間は少しだけ前に遡る。
躯として蘇ったルプスの次男、ガルスは銃の扱いを得意としていた。
「そうです、確実に反逆者どもを追い詰めていけば良いのです」
同じく躯として戦い続ける事を余儀なくされた兵士達は、彼の言葉へと従う。
闇雲に銃を放つのではなく、隠れる場所を、逃げる場所を。徐々に狭めていくようにして銃を放っていた。
「クソッ。ジイさん、どうにかならないのか!?」
「あの若造一人ならまだしも、これだけ統率を取られていては迂闊に飛び出せんわい」
オルテールが苛立つのも無理はなかった。
いくらガルスが指揮を執っているとはいえ、あまりにも統率が取れ過ぎている。
まるで兵士の総てが、ガルスの身体であるかのように。
それもそのはずで、躯として蘇った者達は共振の支配下にある。
共に感覚を共有しているが為、ガルスの意図も齟齬なく彼らへと伝わっていた。
加えて、生身の兵士と違って術者であるコナーの意思には逆らえない。
結果として、ルプスの元にいる者達より遥かに練度の高い軍隊が出来上がっていた。
宝岩王の神槍があればいざ知らず、ただの槍を持った状態ではオルテールといえど考え無しに飛び出せはしない。
けれど、そんな彼らの状況を無視するかのように事態は進んでいく。
王宮の二ヶ所から、巨大な破砕音が張り響く。
片側から現れたのは、金髪の髪を揺らす少女。バルコニーへと姿を見せては、外殻に覆われた尾を懸命に避けている。
取り込んだ空気と吐き出される風圧によって、カーテンの布が躍っているかのようにはためいていく。
「あれは小娘……。それに、若まで」
オルテールは部屋の奥から、主君であるオルガルの姿が散見するのを捕らえた。
その奥には赤黒い外殻に身を包んだ異形の怪物。『憤怒』が暴れ回っている。
宝岩王の神槍で『憤怒』の攻撃を防ぐオルガル。
彼が生み出した一瞬を逃さず、フェリーはバルコニーに設置された魔術大砲を破壊するべく駆ける。
そうはさせまいと、まるで壁など存在しないかのように『憤怒』の尾が彼女を追尾していく。
フェリーとオルガルは懸命に、邪神の分体に抗っている。
魔術大砲を破壊する為。その一点を目指して、彼女達は戦っていた。
バルコニーがズタズタに破壊されていき、フェリーの足場が消えていく。
抵抗する彼女が、霰神を駆使して足場を固める。それでも尚、魔術大砲へは辿り着かない。
一瞬たりとも油断の出来ない攻防、三階で行われている最中。
もうひとつの破砕音は、更に上の階層からはじき出されたものだった。
割れた窓から、白い煙が逃げ場を求めるかのように空中で霧散していく。
隠された部屋から姿を現したのは、国王によって追い詰められるロインとマクシスの姿だった。
「ロイン様!」
邪神の分体と戦う二人より動きが少ないにも関わらず、解放軍の視線はロインとマクシスに釘付けとなった。
国王によって彼らは追い詰められている。マクシスが自らの身で彼を護ろうとも、それは数分の延命に過ぎない。
「国王、テメエ! やめろ!!」
「馬鹿者、熱くなるな!」
御旗を失っては意味が無い。何もかもが奪われつつある幼気な子供に、これ以上の不幸を与えてはならない。
何より、自分達は彼らを巻き込んだのだ。その責任を果たさなくてはならない。
幾重もの思いにより、解放軍はオルテールの制止を振り切る。
ギリギリで保っていた均衡の崩れる音がする。
「馬鹿め。皆の者、反逆者共を撃ち抜くのです!」
突如沸いた好機に、ガルスの胸が躍る。
自らも銃口を解放軍を向け、獣のように人間を狩ろうとした瞬間だった。
「くそ!」
オルテールが手を伸ばしたとしても、引き留められるのは精々一人か二人。
この場が大量の血で染め上げられようとしているのを防ぐ手立ては持っていなかった。
ただ一人の、闖入者を除いて。
地面と平行に走る、眩い光。
金色の稲妻が解放軍を横切り、躯達へと突き刺さる。
「……小僧ッ!」
誰もが呆気に取られる中、オルテールだけが本能的に誰が放った物なのかを理解した。
己の主君が憧れ、代わりに自分が嫉妬を抱いた相手。シン・キーランドその者だった。
「あそこか」
シンが放った金色の稲妻は、魔力を十分に溜め込んだ者を分割したものだった。
彼は息を吐く間もなく、残る二発の引鉄を引いた。
一発はフェリーを付け狙う『憤怒』の尾へ。
もう一発は今まさに命が狙われようとしているロイン達の居る四階へ。
「何が、起き――」
金色の稲妻による一撃により、兵士達の約三割は土塊へと還っていく。
何が起きたのかと戸惑いを見せるガルスだったが、状況を把握する前に彼の首もまた胴体から引き離される事となる。
誰よりも早く為すべき事を把握した、オルテールの槍によって。
「じいさん」
「言われるまでもない。小僧、お前が先へ行け! ここの有象無象は、儂らに任せろ!」
半ば悔しさを滲ませながら、オルテールは自らの槍を差し出した。
シンは前へと進みながら、槍の柄に魔導砲の弾倉を走らせる。
充填された魔力により、水色の氷華の刃が形成された。
「助かる」
造られた刃に魔術付与の刃を一体化させ、シンは引鉄を引いた。
錨のように射出された氷の刃が玉座の間へと突き刺さる。シンが大地を蹴ると同時に、収縮していく縄が彼を地上から引き離していった。
「それはこっちの台詞だ。馬鹿者が」
微かな毒を吐きながらも、オルテールの顔は穏やかだった。
長い人生で、戦友仲間を失った経験は決して少なくない。何度起きても慣れない、胸に棘が刺さり続けるような痛み。
今回もまた、そうなるはずだった。けれど、違った。
素直に言葉には出来なくとも、恩義は感じている。
自分の所為で主君であるオルガルが攫われた時も。そして、当然ながら今回も。
だから、オルテールは安心して任せられた。この戦いの行方を、あの青年へ。
……*
「さて、ここからどうしたもんかね」
「流石に、ずっと逃げ続けるのは無理があるな」
身を隠しながら汗を拭うマレット。彼女はギルレッグと共に、マギアの兵士達を陽動する役目を果たすべく奔走していた。
だが、永遠に馬車を走らせ続けられはしないと、途中で馬車から降りる。
速度と引き換えに小回りが利く様になった二人だが、体力の限界が近付こうとしていた。
もう身を隠す外ないのかと、半ば諦めかけていた時だった。
彼女達にも救いの手が、差し伸べられる。
「ベルちゃん、ギルレッグさん! こっち!」
銀髪の女性が手を差し伸べる。太陽光が反射して、女神と見間違うような美しさを持つ者。
ゼラニウムで別行動を取ったイリシャ・リントリィが、そこには立っていた。
「イリシャ!? お前、どうして」
「どうしてって、マナ・ライドで飛ばしてきたのよ。……シンがね」
そう呟いた彼女は、やや渋い顔をしていた。余程の速度で飛ばしてきたのが窺える。
「シンは王宮へ行ったわ。こっちにもペラティスさんの隠れ家があるみたいだから、わたしたちは身を隠すようにって」
「ってことは、シンの怪我は治ったのか?」
ギルレッグの問いに、イリシャは口を真一文字に閉じた。
その時点で、完治していないのだと理解するには十分な仕草だった。
「まだよ、まだ。そんなにすぐ治るわけないわ。
けれど、言い出したら聞かないの、知っているでしょ?」
「ちげえねえ」
頭を抱えるイリシャに、マレットはケタケタと笑う。
予想どころか確信をしていた。彼は絶対に、間に合わせて来るだろうと。
「それに、シンったらヘンなことを言い出すんだもの」
「ヘンなこと?」
イリシャは下唇を噛む。シンから告げられた事は、ふたつある。
その中のひとつは、ひどく個人的な事。まだ、誰へも話す決心がついていない。
彼女が口にしたのは、そのもうひとつの方だった。
「邪神を、あの子供を。救えはしないだろうかって」
三人の間に沈黙の時間が流れる。
シンが何を行おうとしているのか、正確な答えを出せる者は居なかった。
……*
水色の氷華による錨を打ち込んだシンは、選択を余儀なくされている。
三階で『憤怒』と戦闘を繰り広げるフェリーやオルガルの元へ向かうべきか。
それとも、国王に追い詰められているロインとマクシスの救援へ向かうべきか。
四階にこそ錨を打ち込んだが、三階も放っては置けない。
邪神の分体との戦闘。特に『憤怒』は、以前に交戦した時よりも禍々しい姿をしている。
何より、バルコニーで抵抗を続けているフェリーが気掛かりだった。
収縮していく縄に引かれていく中、バルコニーでの戦闘に変化が起きる。
幾度となく破壊され、その度にフェリーが霰神で足場を造ってきた。
邪神の分体と無尽蔵の魔力を持つ少女。終わりが見えないと思われた戦いは、足場の完全なる崩壊にて終焉を迎える。
「あっ!」
霰神で氷を張るも、支えるものが存在しない。
身体が宙に浮き、後は落下を待つのみとなってしまったフェリー。
「フェリー!」
シンは咄嗟に銃を構える。風撃弾を放ち、己の軌道を無理矢理変更をした。
空中では抵抗できず、自由落下を待つのみだったフェリーを、自らの腕が抱き留める。
「シ、シン!? どうしてここに!?」
「いいから。舌、噛むなよ」
何度も股履きを繰り返しながら、フェリーは驚嘆の声を上げる。
どうしてシンが居るのだろうと考える一方で、自らを支える腕をとても頼もしく感じていた。
ここで漸く彼女は、己以外の戦場に目を向ける事が出来た。
地上では銃撃戦が繰り広げられ、要所要所でオルテールが活躍している。
自分の頭上では、異変を感じさせる白い煙が巻き上がっていた。
「シン、いま……」
「ああ。上ではロインが危ないらしい」
「なら、そっちに行かないと!」
その一言に、フェリーが目を見開いた。
彼女の反応を予測していたシンが、眉を顰める。
「だけど、そっちには邪神が」
「こっちはだいじょぶだよ。オルガルさんもいるし。
シンは、ロインくんを救けてあげて!」
フェリーの言葉には、彼をコナーと相対させたくないという思いもあった。
シンとの因縁は勿論、彼の神経を逆撫でするような言葉から引き離したい。
それは同時に、怒りに呑まれてはならないと理解しつつもコナーを決して赦さないという意味も込められていた。
「……分かった。絶対に無理はするなよ」
逡巡しながらも、シンは頷く。
『憤怒』の中にいる、白い子供の話をする猶予はなかった。
何より、自分の妄想に過ぎないかもしれない。フェリーに迷いを生ませるような真似は、したくなかった。
「シンだって、そうだよ」
今は非常事態だと理解していても。
フェリーは、久方ぶりにシンと逢えた事が嬉しくて堪らないとはにかんだ。
引き上げられていく縄がバルコニーを越えた瞬間。フェリーはシンの腕から離れていく。
彼の信頼に応える為にも。これ以上、悲しむ人を出さない為にも。
フェリーは握り締めた霰神に目一杯の魔力を注ぎこむ。
「まだまだ、これから!」
透明の刃が迎撃をしようとする『憤怒』の口を凍らせる。
霰神を巻き込んだ氷は、『憤怒』から離れようとしない。
不快な感触を前に頭を大きく振った怪物に巻き込まれながら、フェリーは再び王宮の中へと帰還を果たした。
「フェリーさん!」
「オルガルさん、心配かけちゃってごめんね。まだまだ、これからだよ」
霰神を『憤怒』から切り離し、フェリーは再び氷の刃を形成する。
切っ先の向こうには、仮面の男が佇んでいた。
……*
降りて行ったフェリーと大量的に、シンは錨の先まで縄を収縮させる。
マギアが狂った全ての元凶。暴君ルプス・アリウム・マギアへとシンは銃口を突きつけていた。
「お前……」
「シンさん……!」
予想だにしていない援軍を前に、ロインとマクシスは言葉を失っていた。
ただ、フェリーが、マレットが、オルガルが。彼を心から信頼している。
オルテールでさえも、言葉とは裏腹に彼の実力を認めている。
これ以上ない、頼もしい存在である事は間違いなかった。
「そうか、貴様か。マーカスやコナーが警戒をしていたのは」
ルプスの放つ圧力を、シンは全く意に介さない。
彼は淡々と、為すべき事を目の前の男へと告げる。
「お前は早く始末させてもらう。後が閊えているんだ」
「小僧が……。言ってくれる!」
眉ひとつ動かさないシンに対して、ルプスは怒りを露わにした。
彼の士気する兵士の銃口がシンへ向けられたのは、直後の事だった。