327.決戦の地へ
「ど、どうなったの……?」
まるで何事も無かったかのような光景を前にして、フェリーが声を漏らす。
視界全てが真っ白に染まった時には、最悪の事態すらも覚悟をした。
全員が無事だというのは奇跡だとしか思えないのも無理はなかった。
誰もが呆気に取られる中、ただ一人だけが違う反応を見せる。
彼女とてこの現象を正確に把握している訳ではない。ただ、ひとつだけ確実に言える事がある。
「――今だ! 国王のヤツ、切り札をしくじりやがったんだ! 攻め込むなら今しかないぞ!」
国王が放った魔術大砲は、虎の子のはずだった。
確実に勝利を手中に収める一手が、不発に終わった。次の弾が装填されるまでの冷却時間を、無駄に棄てていいはずがない。
有無を言わさぬ剣幕で叫ぶマレットを前にして、解放軍も事の重要性に気付く。
何より、自分達がこの場に留まっていては三度魔術大砲を撃たれかねない。
ロインの気持ちを汲み取るのであれば、前進以外に選択肢は残されていなかった。
「マレット博士の言う通りです。行きましょう、国王の元へ!」
マレットの意図にも。絶好の好機である事にも気付いたロインも、声を張り上げる。
魔導大国マギアでの戦いは、最終局面へと移行しようとしていた。
……*
「なんだ!? 何が起きた!? 何故、魔術大砲が途中で消えたのだ!?」
時を同じして王宮では、鬼の形相をしたルプスが声を荒げた。
この一射で反逆者との戦いは決着を迎えるはずだった。
それが蓋を開けてみればどうだ。視界の先に、まだ関所は残っている。
魔力が忽然と姿を消してしまったとしか言いようがない。不可解な現象を前にして、ルプスは怒りのあまりわなわなと身体を震わせている。
これではミスリアへの侵略どころではない。こうしている間にも、砂漠の国は攻め立てているだろうというのに。
「どのような手段かは想像できませんが、魔術大砲を防いでみせたようですね」
コナーは淡々と事実のみを述べていく。
彼とすれば、復讐の対象が呆気なく散らなかった事を喜ばしいとすら思っている節があった。
「ぐ、ぬぬ……! ええい、次弾の装填を急げ! 今度こそ、奴らを仕留めるのだ!」
「し、しかし! 魔石の魔力は既に使い果たして……。それに、砲身の交換にも半日は必要です!」
「そんなもの、魔石の蓄えなど地下にいくらでもある! 切り取って、持ってくるのだ!」
ルプスの発言に、コナーは眉を顰めた。
怒りで我を忘れているとはいえ、聊か軽率過ぎるものだった。
「ルプス陛下、よろしいのですか?」
短い言葉の中に含まれている意図を、ルプスも理解はしていた。
自分に埋め込まれた永遠の命の源は、コナーの共振による魔力の活性化によって作動している。
コナーも生粋の魔術師ではない為、魔力の操作を得意とはしていない。
身体に埋め込んだ魔石同様に、補助が必要な状況下にあった。
魔術大砲はあくまでカモフラージュ。
巨大な兵器を保持し、見せつける事で、相手から戦意を奪う為の物だった。
本来であれば、魔術大砲の弾という名目で集められた魔石はルプスへと割り当てられる。
「構わぬも何もあるか! 奴らを仕留めなくては、意味がないだろう!」
ルプスも理解はしている。永遠の命と称してはいるが、それは切っ掛けひとつで消えてしまう恐れがあるものだと。
魔石の消耗はその一歩だというコナーの懸念は尤もだった。
それでもルプスは引き下がれない。否、引き下がってはいけない。
いくら魔石を保持していようが、解放軍との戦いに敗れては意味が無い。
解放軍には脅しという概念が通用しないと、思い知らされた。
魔術大砲の威力を目の当たりにしても尚、立ち向かってくる異常者達。
何よりも優先するべきは奴らの始末なのだと、肝に銘じている。
それに、このリカミオル大陸には大量の資源が眠っている。
解放軍を始末し、ミスリアへの侵攻と並行して魔石を集める事は十分に可能だった。
ルプスにとって勢力を拡大する事は、それだけ永遠の命の源を得る事と同義でもある。
「……その通りです。出過ぎた真似を申しました」
「いい。貴公は我輩にとっては必要な人材であるからな。
何かあれば、遠慮は不要だ」
「はっ」
(あくまで今のうちは、だがな)
もしもルプスがただ一人、意を汲まないといけない相手がいるのだとすれば。
それは間違いなく、自分と向き合っている嘴状の仮面を被った男だった。
協力者でありながら、自分の命を握っているにも等しい人間。
邪神という新たな神。その分体に適合したという、人間としての理を超えし者。
ルプスは虎視眈々と狙っている。彼の持つ『憤怒』を、共振を手中に収める事を。
そうしなければ、自分は真の意味で永遠の命を手に入れたとは言い難い。
「へ、陛下! 魔石ではなく、砲身も……!」
魔術大砲の状況を伝えるべく、兵士がルプスの元へと駆け付ける。
地下に保管してある巨大な魔石を砕けば、弾は装填出来る。しかし、砲身の方は同じようには行かない。
出力に耐え切れず融けた魔術金属が、蒸気を発する程の熱を有している。
迂闊に触れようものなら、皮膚が焼け爛れてしまう。
「コナー、貴様の術で――」
視線を以てコナーへと促すルプスだったが、彼の反応は芳しくない。
それを証明するかの如く、コナーは国王であるルプスの声すらも遮って見せた。
「難しいでしょうね。高出力の魔力を前にすれば、造り上げた身体が維持できないかと。
解放軍との戦いを前に自分が消耗することを厭わないのであれば、試してはみますが」
「そうか……」
半ば脅しにも捕らえられかねない発言だったが、ルプスは素直に応じる。
事実、解放軍との戦闘でまともな戦力として期待できる兵士はそういない。
コナーを消耗させる事は、ルプスとしても避けたかった。
「解放軍が来れば、貴様等が奴らを食い止めなくてはならないのだぞ!
あのような火柱を放つ化物と戦いたくなければ、一秒でも早く砲身を取り換えろ!」
「はっ、はい!」
止めどなく溢れる汗を拭う間もなく、兵士は再び魔術大砲の元へと向かう。
もう解放軍との戦闘は避けられない。逃げようものなら、国王による処刑が待っているのは誰もが眼に焼き付けられてる。
強制的に故郷から引き離れ、挙句に捨て駒として扱われる兵士達の受難は尚も続いている。
「我輩が居なければ何も決断できないボンクラどもめが。
少しは状況を理解した上で、言葉を発さぬか」
毒吐くルプスを訝しむような視線を送ろうとする者は、誰もいない。
孤高の王。絶対的な存在。ルプスは自らをそう評している。
それが周囲の印象や、実状からかけ離れている事など露知らずに。
……*
魔術大砲による脅威を凌いだ解放軍は、愚直に国王の待つ王宮を目指していく。
迷っている暇はない。もう一射たりとも大量殺戮の兵器を、撃たせてはならない。その思いだけで、彼らは突き進んでいく。
僥倖なのが、関所を護っていた兵士達により馬車を貸与された事だった。
自分達の命を本当に慈しんでいたのは誰なのかはっきりと理解した彼らは自らの安全よりも、多くの命を救おうとしている解放軍へと託した。
「マジでロインのお手柄だ。これなら速攻で距離を詰められる!」
「いっ、いえ! そういう意図があったわけでは!」
馬車の荷台で、マレットがケタケタと笑う。
ロインは大きく両手を振り、自分の言葉に裏は無かったと弁明をする。
「だとしてもだ。お前になら託せるって信じてくれたんだ。そこは誇れ」
むず痒そうな顔をしながら、ロインはギルレッグへ救けを求める。
ギルレッグが大きな手をぽんと少年の頭に乗せると、彼は白い歯を見せた。
「ベルの言う通りだ。ロイン坊。お前さんの姿勢が、兵士たちを動かしたんだ。
解放軍に勝って欲しい。自由を取り戻して欲しいって、願いを託してくれた。
ちゃんと応えてやらないと、いけないよな」
「……はい」
ロインは力強く頷く。少年は訳も判らないまま母親を奪われ、自らも命を狙われる子供ではない。
全てを理解し、受け入れた上で悪政に苦しむ者を救わなくてはならない。例えその相手が、自分の父親だとしても。
「それよりマレット、次を撃たれたらどうするの?」
前に進むのは、元々がそのつもりだった。急ぐのもいい。
フェリーが気にしているのは、その状況を狙われないかという事だった。
近付くにつれて躱しづらくなる事ぐらいは、彼女にだって判っている。
「すぐに撃たなかったことから、これ以上持っていないとは思うが……。
万が一に備えて、二手……。いや、三手に分かれるぞ。
次の一撃で全員が呑み込まれる事態だけを避けるんだ」
「戦力は分散するけれど、それが一番だろうね」
「仕方ありますまいな」
マレットの案に、解放軍の全員が賛同をする。
そんな中、オルガルは先刻の感覚を思い出しては宝岩王の神槍を見つめている。
「じいや。さっきの感覚、君になら判るのかい?」
オルガルの問いに、オルテールは口を閉ざした。
魔術大砲の魔力が霧散した理由を指している事ぐらいは、改めて訊くまでもない。
だが、永く継承者を務めていた彼にもその感覚が何なのかは説明が出来なかった。
「いえ、儂も初めての経験でした」
「そうかい……」
彼らには知る由もない。宝岩王の神槍への祈りを通じて、宝岩族が護ってくれていたとは。
ただ、言葉では表しようのない暖かさを感じていた。とても優しい、自分達を包み込むような感覚。
「……ありがとう」
オルガルは、宝岩王の神槍へ向かって自然と礼の言葉を漏らしていた。
過程がどうであれ、確かに神槍は自分達を護ってくれた。
宝岩族へ、武と大地の神へ礼を述べなくてはならない。そう、感じ取っていた。
「フェリー、こんな中だから灼神を直す暇がない。
悪いけど、霰神一本でも戦えるか?」
激しく揺れる馬車の中、ギルレッグに魔硬金属を加工してくれとはとても言えない。
勿論、自分だって灼神を組み立てるには細かい作業を要求される。
到着までに灼神を修復するのは不可能だと、フェリーに告げるしかなかった。
「うん、だいじょぶだよ。任せてよ」
フェリーはぐっと親指をマレットへ突き出してみせた。
正直に言うと、不安はある。霰神しか残っていないという事は、魔導接筒も使用できない。
ましてや破壊は専ら、灼神が担っていた。
それでも、彼女はシンと約束をした。皆を護ると。
灼神と魔導接筒が無ければ、砦で誰かが犠牲になっていたかもしれない。
考えようによっては、霰神一本になった程度で済んでいる。
「それに、霰神だけでもじゅーぶん強いよ。
悪いヤツらとっちめちゃうから、心配しないでよ」
「調子に乗りやがって!」
マレットはケタケタと笑いながら、フェリーの頭を鷲掴みにする。
そのままもみくちゃにされた金色の長髪が、左右へと流れていく。
「わっ! もう、マレットのバカ!」
「生意気言ってるからだよ。……ただ、まあ。頼んだぞ」
フェリーは気付いた。自分の髪の毛を散らして見せたのは、顔を見られない為だと。
決戦を前にして、彼女も不安なのだ。先刻のように解放軍が自爆という形を取ろうとしても、物理的に離れてしまっては止められない。
もう自分に出来る事はないのだと、無力さを嘆いているように見えた。
自分が不安になっている場合ではないと、フェリーは気を引き締めた。
まだ戦えると答えるだけで、マレットはきっと安心をする。
彼女だって大切な友人だ。苦しんでいる顔は見たくない。
「ん、任せといて。マレットの魔導具がスゴいの、あたしはちゃんと知ってるからね」
「ああ、期待してる」
乱れた前髪の奥から、力強さを感じさせる碧い眼を覗かせる。
それがマレットにとっては、とても頼もしく思えた。
こうして解放軍は、魔術大砲の対策として三手に進路を分散させた。
目指す先は同じ、マギアの王宮。暴君ルプスが待つ決戦の地で、再会すると誓って。
……*
時を同じくして、マギア駆け抜けるマナ・ライドが存在していた。
時には土煙を巻き上げ、時には木の根によって車体を浮かせている。
マナ・ライドの上に乗っているのは、一組の男女。
「ちょ、ちょっとシン! もう少し安全に!」
「そうも言ってられないだろ」
大きく揺れるマナ・ライドに、イリシャは戸惑っている。
こんなに速度が出るのかという驚きと、危ないと思いつつもギリギリ転倒をしないシンの運転技術に舌を巻いた。
ただ、イリシャからすればたまった者ではない。
振り落とされないようにと、必死にシンにしがみついていた。
「焦る気持ちは分かるけど……」
実際、イリシャとしても気が気ではない。
砂漠の国がミスリアへ宣戦布告をした事も。マギアで二度確認された、不可解な光の存在も。
一刻も早く合流をしたいと思うのは、イリシャも同様だった。
「それにしてもペラティスさん、よくマナ・ライドを貸してくれたわね。
これ、凄く高いんでしょ?」
二人に発生した距離の問題を解決してくれたのは、ペラティスだった。
彼は情報と共に、シン達へマナ・ライドを手配してくれていた。
「魔石を採掘するためにマレットから譲り受けたものらしい」
ペラティスは「元々借り物なので、キーランド君が使う方がいいに決まっている」と快くマナ・ライドを差し出した。
シンが思っている以上に、彼もこの10年でマレットの世話になっているようだ。何としても力になって欲しいと、懇願までされてしまった。
「それよりもイリシャ、いいのか?」
「何よ? この状況をフェリーちゃんが見たら、嫉妬しちゃわないかってこと?」
シンの問いに、イリシャは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
振り落とされないようにとはいえ、ここまで密着をしていれば彼女も平然とはしていないかもしれない。
「いや、そうじゃなくてだな」
「ウソよ。分かってるわ、シンの言いたいことは。
けど、そうだとしても進むしかないもの」
無論、シンが本当に言わんとしている事も理解している。
自分にだけ告げられた、シンの考え。イリシャにとっては、受け入れ難いもの。
けれど、まだシンの想像にすぎない。
それならば、イリシャも前に進むしかない。シンやフェリーと共に。
「今はマギアと、その続きにあるミスリアのことを考えましょう。
……なんてね。格好つけちゃってるけど、そうして欲しいっていうわたしの願望よ」
「……分かった。そうだな、イリシャの言う通りだ」
逸る気持ちを抑えながらも、シンはイリシャの願いを聞き入れる。
まずはマギアを暴君から解放する為に。マナ・ライドは唯一つの目的を以て、王宮へと走り続ける。