31.イリシャ・リントリィ
ふと夜空を見上げると、群青色のカーテンを彩るように星が輝いている。
まるで狙い澄まされたように配置されたそれはとても美しく、そしてどこまでも繋がっており思わず吸い込まれそうになる。
イリシャの提案に甘える形で、二人は彼女の家に泊めてもらう事になった。
フェリーに至っては彼女にすっかり懐いてしまっている。
それどころか、初めて逢った気がしないとまで言い出しているのだ。
そのイリシャは、自分と旅をした事があると言った。
自分にはその記憶が一切ない。
反対にイリシャは、フェリーとは初対面だと言った。
フェリーも彼女とは初対面だと言うのに、懐かしさを感じている。
頭がどうにかなりそうだ。
シンはこの滅茶苦茶な状況の整理を先送りにし、もうひとつの問題に着手する。
イリシャ・リントリィ。
彼女は自分を『不老長寿』だと言った。
尤も、寿命があるかどうは自分でも判らないらしい。
ずっと老いないから、そう名乗っているだけなのだと。
シンは昼間に行った彼女との会話を反芻する。
……*
「自分が妖精族や長寿な種族の血が入っていないかって?」
「ああ。違うのか?」
不老長寿と聞いて、シンが真っ先に浮かんだ事だった。
妖精族も長寿かつ、成人後は老いていくペースが人間より遥かに遅い。
その血が混じっているのであれば、不老とまではいかなくても老いが遅い可能性は十分にある。
「わたしも考えた事あるけど、残念ながら違うわ。
両親どころか、うちの家系は何代血筋を遡っても人間しか居なかったわ」
あっさりと否定されてしまった。
それならばと、シンは質問を続ける。
「それなら、アンタが嘘をついている可能性だってある。
本当に200年生きている証拠なんて、何もないだろう」
「シン、それはさすがに失礼だよ」
珍しくフェリーがシンを嗜める。
不躾だという自覚はあるのだが、どうしてもはっきりさせて置きたいという気持ちが勝った。
「うーん、それはちょっと証明するの難しいよね。
でも、逆にシンが『そうじゃない』って言い切る事も出来ないでしょう?」
ぐうの音も出なかった。
イリシャの言う通り、彼女が不老でないと断定してもそれを証明する事が出来ない。
ただの水掛け論で、彼女の気分を害しているだけなのかもしれない。
それでも、シンはイリシャへ訊かずにはいられない。
彼女は自らを『不死』ではないと言ったのだ。
それを証明するかのように見せた、指先の傷。
今まで逢った人物の中で最もフェリーに近い存在。
その彼女には『死』を迎える事が出来る。
だったら、フェリーにも『死』を与えられるのではないだろうか。と、考えてしまう。
「まぁ、でも……そうね。
強いて言うならこれかしら」
そう言ってイリシャは席を立つ。
再び戻ってきた彼女が持っていたのは、数枚の肖像画だった。
描かれているのは銀髪の美しい女性……イリシャ本人と、心根の良さそうな男だった。
肖像画の二人が着ている服装や、絵の状態からかなり昔の物だという事は容易に推測できた。
「これ……誰?」
「私と夫よ」
「……えっ?」
今日一番の笑顔で、イリシャは答えた。
シンとフェリー、二人が顔を見合わせる。
「夫って……イリシャさん、ケッコンしてたの!?」
「あら、失礼ね。こう見えて私結構モテるのよ?
今だって街に下りたら声を掛けられるもの」
「いや、それ自体は別にフシギでもないケド……」
フェリーの言う通り、イリシャはシンの眼から見ても美しい。
光に反射して輝く美しい銀髪は、きっと周りの視線を釘付けにしてしまうだろう。
宝石かと見間違うような琥珀色の瞳。
その小さな顔に、どれほど神の寵愛を受けたのだろうかとさえ思う。
フェリーよりやや大人っぽいその顔立ちは、たった小一時間でフェリーを魅了した。
大人になったら、こういうお姉さんになりたいとさえ思う。
尤も、年齢的にはフェリーも十分大人である。
それどころか、そんな未来を願う事すら許されないのが彼女の現状なのだが――。
「それで、次はこれ。わたしの息子ね」
「息子までいるのか……」
「わたしに似て、可愛くて聡明な子だったわよ」
そう言うと、イリシャは絵画を時系列に沿って並べていく。
彼女の息子も笑顔の眩しい、可愛らしい赤ん坊だった。
枚数を重ねるごとに少年、青年、大人へと成長を遂げていく。
時間の流れを証明するかの如くイリシャの夫も老けていき、白髪の量が増えていく。
それでも、イリシャの姿は変わらない。
目に見えて判る変化は髪の長さと、時代による装いの移り変わりぐらいだった。
「所詮は肖像画だから、これもちゃんとした証拠とは言えないわね。
ただ、夫も息子も普通の人間よ。尤も、私より老けるまでは息子も不老なんじゃないかって心配してたんだけどね」
苦笑するイリシャはどこか懐かしそうで、寂しそうでもあった。
「旦那さんと息子さんは?」
「結婚していたのはもう150年以上も前よ。もう寿命で死んでしまったわ」
「なら、その子孫は?」
シンの問いに、イリシャは首を振った。
「判らないわ」
「判らない?」
再びイリシャは苦笑した。さっきとは違い、どこか哀愁を感じさせる。
「息子が結婚する時にね、わたしは家を出たのよ。
夫と息子はわたしの体質を一切気にしない、優しい人達だったわ。
それでも自分が普通ではないって、思ったより怖いものなの」
シンは、視線を伏せるフェリーに気付いた。
比較的隠し事をしない彼女でも、思うところがあるのだろう。
「せっかく息子が選んだ女性が、わたしを受け入れられなかったら?
その女性が受け入れてくれても、その家族は?
親戚は? 友人は? そう考えると怖くなってしまったの」
彼女の言う事も判る。『不老』だなんて、欲しい人間はきっと沢山いる。
長寿の妖精族を羨ましがっている人間が山ほどいるぐらいなのだ。
イリシャが『不老』と知って、妬む人間だって出てくるだろう。
妬むだけならいい、研究対象といってどんな危険な目に遭うか判らない。
「そう思うと怖くなって、二人に相談したの。
わたしが『死んだことにして欲しい』って言ったら、反対されたけどね。
でも、これから息子が結婚するのに『喧嘩別れしました』なんて相手方の心象も良くないでしょう?
だから、無理を押し通しちゃった」
そう語ったイリシャの顔は憂いていた。
疑いすぎるあまり、思い出したくない過去を話させてしまった事をシンは悔いる。
「そうは言っても、夫とは手紙でやり取りしてたんだけどね。
息子がわたしよりオジさんになったって聞いて、安心したりもしたわね。
ただ、ある時から送った手紙が戻って来なくなって……察したの。
あの人は、もう居ないんだって」
「それで……どうしたの?」
遠慮しながらも、フェリーが尋ねる。
「こっそり、あの人の墓前へお参りに行ったわ。
もう居ないんだって判ると、とても辛かった。
あの時は、ちょっとだけ後を追おうと考えたりもしたわね」
しかし、彼女は今ここに居る。思いとどまったという事だろう。
「でも、怖かったの。生きてこの先、やりたい事があったわけでもない。
すぐ追いかけたらあの人に合わせる顔がないような気がした。それだけの理由でね。
それからは、この辺りで薬を作って売っているの。
元々冒険者ではあったし、知識はあったから」
イリシャは両手を合わせ「わたしの話はここまで」と話を切り上げた。
「信じるかどうかは、二人に任せるわ」
シンとフェリーは顔を合わせる。
歯痒そうな顔をしているシンに対して、フェリーの眼に迷いは無かった。
「あたしは信じる。シンに逢ったっていうのは……よくわかんないケド」
「ふふ、ありがとう。フェリーちゃん」
シンも頭ごなしに否定するのは止めようと思った。
警戒をしすぎて、彼女に嫌な思いをさせてしまった。
「まだいくらか判らない事はあるが……。
すまない、疑いすぎるあまり失礼な事を言った」
「いいのよ。それはお互い様だから」
(お互い様……?)
彼女は手を合わせながら微笑んだ。
どこか掴みどころのない部分があるのは、逢った時から変わらない印象だった。
「アンタが不老だと言うのは解った。それで――」
「イリシャ」
シンの言葉をイリシャが遮るように被せた。
「イリシャ・リントリィよ。いつまでも『アンタ』って呼ぶのは失礼だわ」
「そーだよ、シン。いつまでもそう呼ぶのは失礼だと思う」
フェリーはすっかりイリシャの話に感化されたようだった。
自分に近しい存在で、更にアンダルの事まで知っているのだから、懐いても仕方ないのかもしれないが……。
「……分かったよ。イリシャ、教えて欲しい事がある」
「なにかしら?」
イリシャの表情は、想像はついていると言った様子だった。
「不老だと判った時、もしくはその前後で何か変わった出来事はあったのか?」
「なかったわ」
彼女は即答した。予想していたのだろう。
あるいは、所々で言う様に知っていたのか。
「いつから不老だったのか。ひょっとすると、最初から不老だったのかも知れないわね。
変わった出来事もないし、夫に言われるまで規則正しい生活で若さを保っているとさえ思っていたもの。
わたしのアンチエイジングの賜物だってね」
「そうか……」
いきなり手詰まりだった。あまりに状況が違っている。
フェリーは不老不死となった前後の記憶を失っている。
それに加えて故郷の村が全て焼き尽くされているのだから、完全に発端から違っている。
勿論、フェリーも生まれつき不老不死だった可能性は否定できない。
仮にそうだとしても、フェリーはあの日以降で見た目が変わっていない。
フェリーにとってのターニングポイントが故郷を失った日なのは、疑いようがない事実なのだ。
「フェリーちゃんは事情が違うのよね」
「……それも、俺に聞いたのか?」
「ええ。シンから教えてもらったの」
どこまで本当の事を言っているのか判らない。
ふと、口数が少なった事に気付いたシンが隣を見ると、フェリーが俯いている事に気が付いた。
イリシャ自身の話やアンダルの話には食いついた彼女だが、故郷の話を出すのは聊か軽率過ぎた。
シンは本日何度目か分からない反省をする。
どうも、イリシャに会ってからペースが崩されているような気がする。
「わたしはフェリーちゃん程の魔力を持っていないし、色々事情が違っているわ。
……力になれなくてごめんなさい」
「いや……」
前提からして、イリシャへ会う為に選んだルートではない。
偶然の産物なのだから『不老』という存在を知れただけでも収穫はあった。
「その代わりと言ってはなんだけど、山を抜けたいのよね?
明日、向こう側に案内するわ。わたしも精製したポーションを売りに行きたいしね」
「すまない。助かる」
「ううん。気にしなくていいのよ。
フェリーちゃんとも、たくさんお話したいしね」
イリシャはそう言って、フェリーのカップにお茶を注いだ。
顔を上げた彼女へ微笑むと、フェリーもぎこちなさを残りながらも微笑み返した。
……*
それから、夕食を済ますとイリシャはフェリーを連れて山を少し下って行った。
天然の温泉があるという事で、揃って入浴しに行ったのだ。
また天候が急に変わるかもしれない。魔物や獣と遭遇だってするかもしれない。
シンが護衛を兼ねて付いて行こうとすると、フェリーがじっと睨みながら言った。
どうやら、茶会を続けているうちに気分は治ったらしい。
「シン。覗くのはダメ。来ちゃダメ」
「あらあら、シンったら」
イリシャも納得したという顔で頬に手を当てるが、断じてそういうつもりではなかった。
結果、後を追うわけにもいかずにひとりで剣を振り続けている。
恐らくフェリーの方が戦闘能力は高いので、遭難以外は心配しなくていいのだろうが……。
覗きをすると思われたのは心外だった。
無意識に剣を振る速度が上がる。
無心で剣を振っていると、その出来栄えに感動と感謝をした。
アメリアに譲ってもらったこの剣は、非常に使い勝手がいい。
軽くて振り回しやすいし、何より水の魔術付与で防御性能を高めているというのだ。
「……代金はいいと言っていたが、今度会った時に礼をしないとな」
後は、自分が剣を使いこなせるようになる必要がある。
残り少なくなったとはいえ、魔導弾を使う事もあるだろう。
銃は可能な限り利き手である右手を使いたい。それを考慮すると、剣は左手でも扱いきれるようになっておきたかった。
星空の下、シンは鍛錬を続ける。
「不老……か」
脳裏に浮かんだ言葉を、ぽつりと呟く。
イリシャの存在がフェリーに『死』を与える手掛かりになればいいと、無意識に考えていた。




