321.動き出す歯車
日に日に解放軍は存在感を増している。
誰もが口にする事は憚られたが、蹂躙されるだけだった国民を救っているのは間違いなく彼らである。
集められた支持は間違いなく、ひとつの大きな流れとなってマギアを浄化しようとしていた。
「何が解放軍だ! これ以上、奴らの自由にさせてなるものか!」
解放軍の情報が耳へ入る度に苛立ちを露わにするのは、国王であるルプス。
ミスリアへ侵略する為に兵士をかき集めた事により、国内の治安を維持できなくなってしまう。
「おい、こちらも兵を送りこめ! 破落戸共々、一網打尽にしてくれるわ!」
「ハッ」
これ以上、好き勝手をさせてはなるものか。
ルプスは兵を送り込み、無法者と解放軍を同時に討伐せんと企てた所だった。
「お待ちください、国王陛下」
嘴状の仮面を被った男が、玉座へと近付く。彼は右足を僅かに引き摺り、手には杖が握られている。
シンによって撃ち抜かれた四肢の負傷が決して浅くはない事を示していた。
同様に並び立つ小太りの中年もまた、痛々しく巻かれた包帯をこれ見よがしに見せつけてくる。
「マーカスにコナーか。貴公らには考えがあるのか?」
ルプスの眉が微かに動く。『憤怒』の力を以て、自分は永遠の命を手に入れた。
それだけではない。彼と共に現れたマーカスも、ミスリアの侵攻へ向けて重要な客人だった。
彼らが意見を挙げるというのであれば、ルプスは素直に聞き入れようとする。
己の国民を傀儡のように扱おうとする彼自身が悪意の傀儡となっている。
その事実を指摘する者は、今のマギアには存在していなかった。
「はい。兵を送るといえ、陛下の側近を送るわけではないのでしょう。
でしたら、逆効果になる可能性がございます。解放軍に吸収される危険は避けられません」
「ふむ。一理あるな」
事実、ルプスは半ば無理矢理徴兵した者達を中心に、討伐隊を送るつもりでいた。
頭こそ信頼のおける者を配置をするが、兵士が解放軍に共感をしてしまっている場合。
背後から撃たれる可能性も十分にある。むしろ、解放軍の戦力を上げるという危険度の方が高いとさえ考えてしまう。
「だが、このまま解放軍を放っておくわけにもいくまい」
解放軍を取るに足らないと判断した結果が、現状である。
彼らはベル・マレットとその一味の加入による水を得た魚のように進軍してきている。
何より、隠し子の存在が明るみに出た事が面倒だった。
自分以外に唯一残る、マギア王家の血を引く者。
解りやすい御旗を前にして、解放軍を支持する者が増えるのも必然だった。
逆に言えば、解放軍さえ鎮圧してしまえばマギア国内に歯向かう者は居ない。
その解放軍でさえ、ロインという御旗を掲げているのだ。ある意味では、大きな弱点を曝け出しているに等しい。
ルプスの策はこうだった。
鎮圧に兵を向かわせ、解放軍と交戦させる。その隙に、ロインを暗殺するというもの。
だが、世界再生の民からすれば到底賛同が出来るものではない。
これまでの報告で、全く動きの見えない男が居る。
シン・キーランド。
相対した誰もが揃えて「面倒」だと評するその男を前にして、暗殺が上手く行くとは思えなかった。
だからこそ、世界再生の民は代案を提案する。
いくらシンが居ようとも、意味を成さない手段で。
自分達の持つ技術と、魔導大国マギアで得た魔導具の知識。そして、潤沢に備わっている魔石。
これらが揃ったからこそ、実行できる物がある。
「仰る通りです。ですので――」
マーカスが不気味な笑みを浮かべる。
彼の笑みに感化されたのか、ルプスの口角が上がったのは直後の事だった。
「ほう。ついに完成したのか」
「ええ。試す分には、丁度いいでしょう。
ミスリアへ撃つ前に威力を確認しておくのも、一興かと」
「うむ! 貴公の言う通りだな!」
ルプスは、上機嫌でマーカスの案に賛同をする。
自分以外は全て駒。意思など要らない。そう考えるルプスだからこそ、マーカスの考えを絶賛した。
悪意を宿す者達は、またの誰かの命を弄ぼうとしている。
……*
ゼラニウムの近くには、いくつもの洞窟が存在している。
シンとイリシャはその中のひとつ。過去に自分達が出逢った場所でペラティスから情報を得ていた。
冒険者という手前、ずっと借り上げた家に居るのもおかしい。
何より、ペラティスが出入りしている所を見られたくなかったからの対応でもある。
「キーランド君、解放軍は順調に中央へ向かっています。
ただ、君が言っていたコナーについては……。まさか生きているとは、思ってもいませんでした」
「そうか」
「よかった、無事なのね」
シンは定期的に、ペラティスから解放軍の足取りを聞いている。
今のところは順調に進んでいるようで、隣のイリシャが胸を撫で下ろしていた。
ただ、その一方で『憤怒』の適合者であるコナーの情報は得られなかった。
彼と奴隷市を催していたペラティスでさえ、10年前に死んだと思っていたのだ。
ペラティスの知っている限りでは、コナーに近しい人は居ないという。
だからこそ誰よりも身軽で、簡単に「自分」を抹消できる立場だったのだろう。
「けど、コナーが生きているにも関わらずキーランド君が信じてくれるとは」
コナーの顔が露わになった時は、確かにシンもペラティスの存在が脳裏を過った。
マギアでオルガルやオルテールと逢わなかったら、疑っていたかもしれない。
本人達が知るところではないが、彼もまたオルガルとオルテールに救われていた。
「俺も全部に噛みついているわけでもないからな。
そうじゃないと判断したから、その前提で考えているだけだ」
「はは、僕としては君に信じてもらえるだけで感慨深いよ」
「素直に信じてるって言えばいいのに」
つっけんどんな態度を前にして、イリシャがくすりと笑みを溢した。
シンが眉根を寄せて自分を見ている事に気付くと、彼女は目を泳がせる。
「それより、何かおかしな動きは無いのか?」
「残念ながら、あるね。国王軍の動きについて気になる話を耳にしたんだ」
「気になる話?」
恐らくは情報を入手したペラティスでさえも、飲み込めきれていないのだろう。
彼はどう説明すればいいのか戸惑いながらも、得た情報をそのままシンへと伝える。
「巨大な魔石。いや、岩とでも言うべきかもしれない。
兎に角、巨大な魔力の結晶が国王軍によって掘り起こされたらしいんだ。
今は北部から中央へ輸送されている。一体、何に使うのやら……」
魔導大国マギアには、大量の資源が眠っている。
特に魔石の採掘量は、誰もが世界一だと認めている。
魔力濃度の濃いミスリアよりも純度が高い魔石の存在は、長らく研究者の間でも意見が分かれる所だった。
本来ならば地表へ溢れ出すはずの魔力が、地中で結晶化した説。
或いはミスリアが魔術に長けているからこそ、地中の魔力が地表へ呼び起こされている説。
ただしそれらは、同じように魔力濃度の高いドナ山脈の北側の魔石によって否定されている。
空気中の魔力濃度が高く、更に採掘出来る物資にも魔力を有している。
人間が支配する世界の外側では、彼らの想像を簡単に超えてくる場所が存在している。
だからある意味では、オルガルの言っていた御伽噺は案外真実なのかもしれない。
宝岩族が遺した、マギアに対する慈しみ。それが、マギアに眠る高純度の魔石の正体なのだと。
「巨大な魔石か……」
最も、今のシン達にとっては魔石の正体を気にしている場合ではない。
問題はそれだけ巨大な魔石を掘り起こした国王軍が、何を企てているかという一点。
魔導石の生成はあり得ない。
邪神の『核』を開発したマーカスであれば、あるいはと思わない事もない。
流通している魔導石を元に、模倣する事は可能だろう。
けれど、それではただの劣化模倣に過ぎない。
自分達が使用している魔導石と、性能は雲泥の差だ。
マレットを引き入れる事を前提にしていた可能性は否めないが、失敗している。
もしくは、単純に他の用途で使おうとしている可能性。
世界再生の民は魔石を通じて、魔術師ではない者に魔術を行使させる技術を持っている。
似たような存在を大量に生み出せば、ミスリアにも匹敵する魔術師部隊が作れるかもしれない。
他にも思い当たる節はある。
永遠の命を手に入れたという国王自体が、その命を維持する為に魔力を必要としている可能性だ。
枚挙していけばキリがない。もう少し情報が欲しい所でもあった。
「マレットには伝えているのか?」
「いえ、キーランド君の方が近かったので。マレットさんには、これから連絡を入れる予定です」
「そうか、助かる」
マレットなら、どう判断を下すだろうか。
どちらにせよ、中央へ向かうにあたって懸念事項が増えた形となった。
……*
情報を伝え終えたペラティスは既に姿を消し、この場にはシンとイリシャだけが残っている。
冒険者はおろか、魔物の気配も見当たらない。完全に、二人きりの空間。
「なんだか、いよいよって感じね」
洞窟の中でシンの包帯を巻きなおしながら、イリシャが呟いた。
二人にとっては、因縁浅からぬ地。32年前もここで、彼の治療をした記憶が蘇る。
「ああ。俺たちもそろそろ、合流のために動いた方が良さそうだな」
「そうかもしれないけど、無茶はしないでね。完治しているわけじゃないんだから」
「分かっている」
「分かってないのよ」
釘を刺しても無駄なのは知っているが、言わずには居られなかった。
半ば諦めていても、こうやって言っておかないと彼は本当に限界を超えかねない。
「はい、これで今日の治療はおしまい。アンダルが居ないから、スムーズに終わったわね」
昔の事を思い出しながら、イリシャが苦笑をする。
あの時は大変だった。シンが半裸だったせいで、勘違いをしたアンダルが怒り狂っていたのだから。
しかし、シンからの反応はない。
神妙な顔つきで、黙り込んでしまっている。
「ごめん、軽率だったわ」
イリシャは自分が失言した事に気付いて、下唇を噛んだ。
場を和ませる冗談のつもりだったのだが、安易にアンダルの名を出すのは間違っていた。
再び現世に現れた彼と激闘を繰り広げたのは、つい最近の事なのだから。
「いや。違う、違うんだ」
「……?」
だが、シンが黙っていたのは決してアンダルとの戦闘が理由ではない。
ずっと胸の内に抱えていたものを、吐露するべきかを悩んでいた。
口にする事さえも憚られる、彼女を傷付けてしまうかもしれない言葉。
けれど、彼女には言わなくてはならない言葉がある。
「イリシャ、怒らずに聞いて欲しい」
「内容が判らないのに、保証は出来ないわ。一応、聞いてはあげるけど」
じっと目を細めながら、イリシャは呆れた。
一体どんな理由で自分が怒らなくてはならないのか、皆目見当もつかない。
どうせまた、無茶をする宣言なのだろうと高を括っていた節は否めない。
だからこそ、彼に促してしまった。とても大切な話を、心の準備もしないままに。
「――冗談、きついわよ。本気で言ってるの?」
表情も、声色も震えている。動揺の色が隠せない。
冗談だとすれば、最低の発言。だからこそ、解ってしまう。シンは本気で言っているのだと。
「確証はない。だが、確信はある。後はイリシャの許可だけだ」
ここでイリシャは、シンが自分に筋を通そうとしているのだと気が付いた。
真実へ近付こうとしているシンとは裏腹に、イリシャ自身は気持ちの整理が追い付かない。
けれど、思い当たる節が全くない訳でも無かった。
一度疑念を抱いてしまえば、その全てがシンの言う通りなのではないかとすら思えてくる。
「ちょっとだけ、考えさせて。その、妖精族の里に戻ってからじゃないと。
結論、出せないかも」
考えた末に絞り出した言葉を前にして、シンは頷く。
先延ばしにしているのは解っている。それでも、今すぐに返事は出来なかった。
シンとしても、このタイミングで言うのは早すぎると思っているだろう。
けれど、彼にとっても今しかないのだ。邪魔が入る事無く、考えを伝えられる機会など早々訪れるものではない。
「ああ。俺の方こそ、悪かった」
「やめてよ。本当ならシンは、何も……悪くないじゃない」
珍しくシンが、申し訳なさそうな顔をしている。
イリシャは苦しそうな顔をしながらも、そう答える事しか出来なかった。
……*
国王軍の手によって、マギアのとある村が消滅したとペラティスから伝えられたのはそれから数日後の事だった。
ほぼ同時に、砂漠の国がミスリアへ宣戦布告を行ったという情報がマギア全土にも伝わる。
戦火の渦は、悪意の手によって容赦なく広がっていく。世界中を、容赦なく巻き込みながら。