319.純白の子供
「ゼッタイにダメ!」
「駄目だ」
「ダメね」
ペラティスの隠れ家で、意見が完全に一致した三人の声が重なる。
こうなるだろうと予感を抱いていたマレットは、腹を抱えながらケタケタと笑っていた。
「シンがダメっていうのはシツレーだよ!
イリシャさん、すっごく美人さんなんだから!」
「そうだそうだ!」
尤も、フェリー的にはシンが同意するのは複雑な心境のようだった。
口を尖らせる彼女に便乗するかのように、背後から解放軍によるブーイングの嵐がシンへと飛ばされる。
「甲斐性なしのクセに、身の程を知れ!」
「……おい」
マレットも例に漏れず、フェリーと解放軍に加勢をする。
面白がっているのがあからさまで、シンが睨みつけようとも全く意に介さない。
「全く、シンったら失礼ね。自信なくしちゃうわ」
「イリシャまでそっちに加勢するとややこしくなるんだが」
「てへ」
腰に手を当てて憤慨するように、イリシャは息を吐く。
眼を細めるシンを前にして、彼女は悪戯っぽく舌を出した。
「うーん。困りましたね……」
ペラティスが己の後頭部をぽりぽりと掻く。自身の予定が狂ったような形となってしまった。
皆が揉めているのは、頭を冷やす為に解放軍から離れるシンとイリシャについて。
シンの実質的な療養期間として、イリシャがお目付け役と治療を受け持つ。
その間、ゼラニウムに滞在する事となった彼らを「戦火から逃げおおせた若い夫婦」でペラティスが通そうとしたからだった。
全てに後悔していたあの頃とは違う。嘘でもシンが誰かと番いと扱われるのを、フェリーは容認できなかった。
シンはそもそも、フェリー以外とそういう演技をするつもりはない。
そしてイリシャもまた、夫への操を立てる為にも許容する気が無かった。
フェリーへ気を回して、即答したというのも間違いなくあるが。
「じゃあ、なんだ。俺は喜んでいればよかったのか?」
「むぅ。そういうワケじゃないけどさ……」
それなのに、フェリーはイリシャに失礼だと憤慨をする。イリシャに気がある解放軍の野次を添えて。
予測済みではあったが、流石のシンも黙って彼女の憤りを受け止めるつもりはない。
どうすればよかったのかと尋ねると、自分でも心の整理が出来ていないのかフェリーが言い淀む。
フェリーもまた、困っていた。
後からシンを休ませる為だと聞かされて、納得をした。むしろ、共感をした。
その結果が「夫婦」を偽装しようというものだなんて考えてもみなかった。
言葉では言い表せないぐらい、心の中がモヤモヤとする。
「それならば、自分が」と立候補したい気持ちもあった。
だけど、それは決して許されない。イリシャが付きそうのは、彼女が薬師だからだ。
自分にその知識はない。ましてや、彼女と違って自分には戦う力がある。
適切に人材を配置した結果の案が、仮面夫婦。フェリーの心中だけが穏やかではなかった。
「普通に冒険者でいいだろう」
シンの提案だが、ペラティスがいい顔をしないのも無理はない。
彼は自分の所有する一軒家に住まわそうと考えていた。流れ者が棲みついているのは不自然極まりない。
「当人が同意をしないなら仕方がないですね……」
結局、ゼラニウムに滞在をする冒険者が借家を借り上げたという体で話は進められた。
傍から見れば若い夫婦が棲みついたのと何も変わらないのだが、当人達。特にフェリーが納得をしている以上、誰も指摘をしようとしなかった。
「じゃあ、皆。気を付けてね」
「おおーん! イリシャさん! お元気でえええぇぇぇぇぇ」
ひらひらと手を振るイリシャに、解放軍の悲痛な声がこだまする。
羨望と嫉妬の眼差しを向けられている気がするが、シンは全力で流した。
「イリシャさんもね。シン、ちゃんとイリシャさんのコト、護ってね」
「ああ。だけど、敵が何を仕掛けてくるか分からない。フェリーも用心してくれ」
「ん、ありがと」
フェリーはカランコエでの戦いを思い出す。
あの時、自分は何もできなかった。だからなのだろうか。いつも以上にシンが心配をしてくれているのは。
嬉しいけれど、辛かった。
自分のせいで、彼が傷付いた事も。一時的にとはいえ、離れる事も。
問題ない。心配要らない。自身を持ってそう言えないのが、悔しかった。
フェリーは自分の頭を、シンの腹部へと押し付ける。
顔は見られたくないから、隠した。自分でさえ、どんな顔をしているのか見当もつかない。
「シン、待ってるからね」
「……ああ」
上擦った声で、フェリーはシンへ今の本心を送る。
シンもまた、同じ気持ちだった。彼女の頭に手を乗せ、静かに頷いている。
……*
「あーもう、やっぱり酷い傷なんだから」
「もう聞き飽きたんだが」
解放軍と別行動を取りだしてからの数日間。
毎日、イリシャからは同じ言葉が繰り返される。
「それなら、もっと自分の身を労わりなさい」
包帯を変え終えたイリシャが、呆れるようにため息を吐いた。
「俺だって、傷を負いたいわけじゃないんだぞ」
「分かってるわよ、そんなこと」
イリシャも、彼の性格は嫌と言う程に知っている。
シン単独なら、ここまで怪我を負う前に退いていただろう。
襲撃を受うけたフェリーや自分の為。そして、マレットを救出する為。
彼が無茶をするのは、決まって誰かを救ける為。怒るに怒れない部分があるのは確かなのだ。
「でも、意外だったわ」
「何がだ?」
「ロインくんのことよ。てっきり、シンのことだから無理矢理でもついて行くと思ったもの」
フェリーは勿論、マレットさえも連れ去られてしまった。
彼女らと付き合いの長いシンも、心中は穏やかではないはずだ。
こうやって別行動を取っている事自体が、奇跡に近い。
「子供に諭されたのは、初めてだからな。流石に、少し思うところはある」
ロインの指摘通りだった。シンは今回、怒りの赴くままに戦い続けた。
怪我も決して浅くはない。あのままだと、いつか判断を誤っていただろう。
取り返しが付かなくなる前に止めてくれたロインの好判断だとさえ思う。
尤も、自分の胸中以外の事情が絡んでいる事も理解はしていたが。
「まあ、イリシャ辺りが俺の治療に専念したいって言ったんだろう」
見上げた先には、口を真一文字に結んだイリシャが居た。
どうしてこう、彼は心の中を読んで来るのか。そう言わずには居られない顔だった。
カランコエで気絶した時点から、イリシャは彼の負傷を危惧していた。
一度気を失ったという事は、一度限界を迎えている。
移動しながらの治療は、シンにとって休まるものではないと主張をしたのも彼女だった。
とはいえ。こうもあっさり見破られると、物悲しくもなる。
素直に聞き入れないだろうからと、あれこれ画策した甲斐がない。
「シン。フェリーちゃんの時も、それぐらい頭を働かせてあげなさい」
やられっぱなしではいけない。せめてもの反撃をせざるを得なかった。
眉を顰めるシンの姿を見て、留飲を下げるイリシャだった。
……*
唐突とも言える形で、シンは空白の時間を手に入れた。
次に『憤怒』と邂逅する時は、恐らくは全力でぶつかる事になるだろう。
シンにはどうしてもその間、考えなくてはならない事が残されていた。
(あの時、どうして俺は――)
思い起こされるのは『憤怒』の中に潜んでいた、白い子供。
邪神の『核』である事は疑いようがない。そのような存在に、どうして自分は手を差し伸べたのか。
既視感があった。似たような状況に遭遇した経験から、そうしたのだろう。
ここ数日のシンが出した結論だった。だが、記憶の元が思い出せないのだ。
それさえもほんの些細な、自分の夢かもしれない儚い記憶を前に、シンは頭を悩ませていた。
後ひとつ。何か切っ掛けがあれば。
思い悩む彼にその切っ掛けを与えたのは、治療を終えたイリシャの言葉だった。
「それにしても、シンとはよくゼラニウムで二人になるわね」
「言われてみれば……」
互いの間には30年以上の齟齬はあるが、同じ思い出を共有している。
刻と運命の神の遺跡で拾った、古代魔導具の短剣。
時間を遡る効果を持った短剣は、シンを三日月島から32年前のゼラニウムへと転移させた。
シンは思い出す。その決め手となった魔力の源こそが、邪神の顕現を齎す為の『扉』だった事を。
(そうだ。俺はあの時に、確かに視た)
過去へ転移する直前。
光に包まれる中、シンは間違いなくその存在を認識していた。
境界線が朧気になる程同化した、純白の子供の姿を。
細く、小さな両腕を自分へ目一杯広げていた事を。
『憤怒』の奥に居た子供は、その時に視た者と酷似している。
(あれが邪神の本来の姿なのか?)
無意識に手を伸ばしたのも、三日月島ではその手を掴めなかったからだろうか。
考えれば、自分の行動にも説明がつけられる。
誰にも理解はされないかもしれない。
けれど、子供が何かを訴えようとしていたから。
だから、自分は手を伸ばした。得体の知れない化物の、本当の姿に向かって。
記憶を掘り返してみれば、思うところは決して少なくない。
今までに邂逅を果たした邪神の分体は。その全てに白い子供と同じように純白の部分が残されていた。
(邪神そのものが、悪意に染まっているわけじゃない?)
先に邂逅を果たしたピースやマレットの話を含めても、邪神は例外なく歪な形をしている。
今回は龍族を模したと思えば、他の分体よりも綺麗な形で子供の姿を残していた。
唯一の例外を挙げるとすれば、フェリーがピアリーで遭遇した怪物ぐらいだろうか。
しかし現状を見る限り、あの怪物は邪神まで至っていないようにも思える。
マーカスが指輪を通して操ってはいたが、適合者が見当たらないのだから。
(そうなると、土の精霊の話にも……)
じっくりと考えた結果からか、次々と思考が嵌っていく。
小人族の里で、土の精霊は確かに言った。
敢えて『邪神』と呼ばれて、呼応する存在などいないと。
『邪神』となる役割を与えられて、創り上げられた人造の神。
シンはそれを、世界再生の民から生み出された異形の存在だと考えていた。
一から十までが、悪意によって造られたのだと思っていた。
けれど、その仮定が間違っていたとすれば。
ピアリーでの怪物が、村の娘達で構築されていたように。
邪神もまた、純真無垢な素体が悪意と呪詛によって塗り潰された存在だったとすれば。
シンは中々世界再生の民が表立って行動をしない理由を、垣間見た気がした。
適合者という形をとっているが、それは超常の力を人間へ齎している訳ではないのかもしれない。
純真無垢な子供を闇へ染めるが如く、効率よく悪意を注ぎ込める人間が選ばれているのではないだろうか。
邪神の本体が未だ未完成なのは、あの子供が抵抗をしているから。
救けを求めているように見えたのは、自分が『邪神』で在りたいとは思っていないから。
土の精霊へ「悪いヤツをとっちめればいい」と尋ねたフェリーは、的を射ていたのだ。
邪神の『核』は決して、悪意に染まりたい訳ではない。むしろ、忌避したいとすら思っている。
少なくとも、シンはあの子供からそんな印象を受けた。
「だから、俺は……」
シンがぽつりと呟く。
既視感があるからこそ。あの子供が泣いているような気がして、手を差し伸べたのかもしれない。
大好きだったアンダルが死んだ時に、泣き続けているフェリーをなんとかしてやりたい。
あの頃と、同じ気持ちが芽生えていたのかもしれないと。