318.勝ち馬
「マレットさん、ご無事で何よりです!」
ゼラニウムに入った解放軍を待ち受けていたのは、筋肉質な体つきをした中年だった。
決まり文句と言わんばかりに白い歯を輝かせ、若干のうさん臭さを残した笑みを露わにする。
「声がでかいぞ、ペラティス」
抑えられた親指によって溜められた中指の一撃が、ペラティスの鉢金のように硬い額を撃ち抜く。
自分より遥か年上にも関わらず、マレットに遠慮は無い。
この10年で完全に出来上がった上下関係をいかんなく発揮していた。
「ただでさえアタシはここいらじゃ顔を知られてるんだ、見つかったらどうするんだよ。
それとも何か? 国王軍に見つけてもらおうって算段か?」
「ちょっと、ベル……」
「失礼しました。久しぶりに会えたもんで、つい……」
年上だろうがお構いなしのマレットに、関係のないオルガルが緊張をする。
ただ、オルガルの心配とは裏腹にペラティスは額を抑えながら笑みを溢していた。
「それこそ立ち話もなんですし、まずは身を隠しましょう」
ペラティスに導かれるまま、解放軍はゼラニウムの街を分散していく。
辿り着いた先はかつて彼が奴隷市を開催していた館の慣れの果て。
表向きは廃墟を装っているが、ペラティスが秘密裏に用意をした隠れ家だった。
……*
「まあ、なんだ。オルガルと逢ったから、心配はしてなかったけど」
胡坐の上で頬杖を突きながら、マレットがぽつりと呟いた。
なんだかんだ気に掛けていたのだと窺える発言に嬉しくなったのか、ペラティスは白い歯を見せる。
「いえ。マレットさんを逃がしてすぐの頃に、一度捕まりましたよ」
「そうだったのか。苦労掛けたな……って、おい!?」
ペラティスは日常の一コマのようにさらっと言い放つ。
淀みなく行われた告白を前に、マレットは一度聞き流しかけてしまった。
先行して逢ったはずのオルガルからは何も聞かされていない。
じっとオルガルの顔を見るマレットだったが、彼も首を横に振っている。
どうやら、彼自身も初めて知った事実のようだった。
「いやあ、やっぱり僕もある程度はマークされていたみたいですね」
「その、なんだ。……すまん」
あくまでもう済んだ事だと主張をするペラティス。
あっけらかんとする彼とは対照的に、マレットは良心の呵責に囚われる。
自分がマギアを逃げ出す手引きをしたからこそ、彼は一度捕らえられてしまったのだから。
「そんな、謝る必要はありませんよ。こうして無事に逃げられたわけですし」
ペラティスの話では、マレット国外逃亡の手引きをした事で国王の前まで連行をされそうになったらしい。
だが、その時から既に無理な徴兵は始まっていたという。
兵士のモチベーションが低い中、ペラティスは隙を突いて逃げ出したのだと言う。
「というわけで、僕も完全にお尋ね者なわけですよ」
「それは元々似たようなもんだろ」
「ははは、これは手厳しい」
奴隷市を取り仕切っていたのだから、元より清廉潔白な人間ではない。
マレットがそう指摘をすると、彼は己の額を軽く叩いて見せた。
「ねえ、シン。あのひと……。なんか、フンイキちがくない?」
ぽつりとフェリーが、シンへ耳打ちをする。
フェリーの記憶に存在するペラティスは、シンを思い通りにしようと画策をした男だ。
いい印象を抱いては居なかったのだが、現在の姿を見てイメージの崩壊する音が聴こえてくる。
「いや、マレットにこき使われ出してからあんなんだ」
旅の途中でマレットの元へ寄った際、シンは何度か彼と邂逅をしている。
その際にペラティスから謝罪の申し出があり、シンもマレットの顔を立てる意味で受け入れた。
彼が自分に代わって魔石を採取していると知っていたからでもあった。
どちらが彼の素かは知らないが、少なくともシンの目から見て嫌がっているようには思えなかった。
彼女と永く付き合えるという事は、ウマが合ったのだろう。少なくとも、マレットが嫌っている素振りを見た事は無かった。
「アンタなら、マレットが懇意にしているという優位性があっただろう。
王宮に連行されても、間者として生きられる可能性があったんじゃないのか?」
シンの問いは至極真っ当かつ、ゼラニウムでイリシャの治療を受ける彼からすれば死活問題でもあった。
もしも彼が国王軍と繋がっているのであれば、一網打尽となる可能性がある。
解放軍もエルガーの一件で間者には敏感となっており、隠れ家では剣呑な空気が流れ続けていた。
「……キーランド君の言っていることも解るというか、流石と言うべきか」
ペラティスはシンが殺し屋をやっていた間の事を思い出す。
当時の彼は今以上に未熟で、真っ向勝負で勝てない相手は山ほど居ただろう。
それでも、彼は生き延びた。理由のひとつに、警戒心の強さがある事は疑いようがない。
「実際のところ、君の言う通りだ。僕を捕らえたのは、マレットさんの居場所を知るためだろうからね」
現状、ペラティスが間者ではないと証明できる者は誰もいない。
どう理解をしてもらうべきかと、彼は頭を悩ませていた。
(シンのヤツ、間者じゃないって解ってるクセに意地が悪すぎるだろ)
首を捻るペラティスとじっと彼を見つめるシンを、マレットはぼんやりと眺めていた。
シンとマレット。そしてオルガルに関してはその限りではない。
お人好しのオルガルは別として、シンとマレットからすればそのオルガルの存在自体が答えなのだ。
彼はマレットを探し求めて、ミスリアへと辿り着いた。
国王軍とは関係なく、従者のオルテールのみを連れて。
その際に彼は、ヴァレリアやイルシオンへ国内外を問わず捜索をしていると話している。
それはつまり、マレットの居場所が一切ばらされていない事を意味していた。
とどのつまり、シンが知りたいのはペラティスが間者かどうかではない。
どういった心持ちで、解放軍の助力をしているかという事だった。
「はっきりと解放軍に力を貸そうと思ったのは、バクレイン君に出逢ったからだよ」
「僕に?」
まさか自分の名前が出てくるとは思わず、目を点にするオルガル。
隣で「流石は若ですぞ!」と声を上げるオルテールを、マレットは鬱陶しそうに眺めていた。
「バクレイン君がマレットさんと逢ったと聞いたから、一安心をしたんだ。
でも、マギアとミスリアが戦争になる可能性も聞いたからね。
君たちがそれを阻止するために、マギアに帰ってくるかもしれないともね」
ペラティスは腕を組みながら、白い歯をおおっぴろげにする。
この結果は当然だと言わんばかりの、屈託のない笑顔だった。
「マレットさんとキーランド君。それにハートニアさんまで居るんだ、敵に回したくないからね!」
「あはは、そんな理由なの?」
豪快に笑い飛ばすペラティスに釣られて、フェリーも思わず笑みを溢す。
10年前にこの場所で植え付けられた記憶が、彼なりに尾を引いているらしい。
「いやあ、だって。多少の悪巧みは全部台無しにしてしまうでしょう?
だったら、どっちに付くかは明白でしょう?」
「なんだ、お前。要するに、勝ち馬に乗ろうってか?」
「お恥ずかしながら、その通りです」
元の彼はベル・マレットの名の下にひれ伏した事を思い出す。
マレットも釣られて笑いだしてしまい、取り残された解放軍だけがただただ困惑をしていた。
「はっはっはっは! いい性格してるぜ、お前」
笑い過ぎて零れた涙を拭き取るマレットだが、まだ収まらない。
要するに、ペラティスは賭けたのだ。この戦いに勝つのは、解放軍であると。
「……でも、まあ。勝ち馬に乗る才能だけは本物だよ、お前」
「おほめ頂き、光栄です」
「そんなに褒めてはないんだけどな」
こうまで信頼を寄せられてしまえば、彼に恥を欠かせる訳にはいかなくなっていた。
思えば10年前もそうだった。あっさりと自分達へ寝返ったのも、どちらが勝つかを瞬時に計算していたのだろう。
実際問題、ペラティスの情報網は解放軍にとっては欠かせないものとなっている。
殆どが南部の者で構成されているが故に、王都のある中央周辺の情報には疎いのだから。
「こっから先は、ペラティスの情報を元に行動方針を決めたいと思うんだが。
ロイン、それで構わないか?」
「はい、よろしくお願いします」
マレットがそう言うという事は、ペラティスは信用に値すると判断をしたのだろう。
ロインは彼女の判断を尊重し、頷いた。
……*
ペラティスの話では無理な徴兵が祟った結果、治安に悪影響を及ぼしているらしい。
腕の立つ者。特に冒険者が多く徴兵された地域では、反対に討伐対象である魔物や賞金首の犯罪者が暴れ回っていると言う。
唯一の例外としては、このゼラニウム周辺らしい。
マレットの痕跡を捜索するべく、日夜兵士が送り込まれているこの地だけが、逆に無法者のつけ入る隙を埋めていた。
「ミスリアとはまた違う方向だな」
冒険者が職を失い、無法者となったミスリア。
逆に冒険者が居なくなり、無法者がのさばるマギア。
どちらにせよ、争いの予兆は確実に芽を出していた。
「この期に及んで、己の好き勝手に生きる事しか考えていない屑どもめが」
オルガルが誘拐されそうになった過去を思い返し、オルテールが憤る。
いつの時代も無法者は存在しているが、彼にとっては唾棄すべき存在だった。
「領主とか、他の貴族はどうしているんだよ?」
いくら何でも治安が悪すぎるだろうと、マレットは辟易する。
冒険者ギルドは確かに自警団の役割を果たしているかもしれない。
けれど、それはあくまでおまけだ。本来であれば、その地を治めている領主が率先して解決をするべき問題のはずだった。
「貴族は貴族で、国王陛下の顔色を伺うことで精一杯ですからね。
なんせ、永遠の命を手に入れたらしいですから。付き合うのも大変でしょう」
おどけて見せるペラティスだが、決して他人事ではないだろう。
彼も国王が君臨する限り、日陰者で居続けなくてはならない。
永遠の命。
国王が暴君として君臨する、決定的な一打。
本来なら畏れ、慄くものなのだろう。けれど、シン達はそれがまやかしだと気付いていた。
悪意が現れ、そして死者が再び現世に姿を見せた。
そこに必ず、永遠の命のヒントが隠されている。
逆に言えば、国王はフェリーとは似ても似つかない存在だと証明されてしまった。
(ま、あまり期待はしてなかったけどな)
完全なカラクリは解明できていないにしても、国王の永遠の命は必ず突破できる。
だからこそ、解放軍は足を止める訳には行かない。
「じゃあ、暫くはその無法者たちも対処しながら進む方がいいでしょうか?
あまり村や街には寄らない方針でしたが、今の話を聞いてしまっては……」
おずおずと、ロインが手を挙げる。
あまり街には立ち寄らないようにと考えていたが、事情が変わった。
彼は母親の命が奪われた手前、無抵抗で略奪されているという事実を見逃せなかった。
護れる人がいるのであれば、護りたい。救える人が居るのであれば、救いたい。
それはまさに、普段のシンやフェリーがやっている事そのものでもあった。
「いいと思うよ。あたしも、そうしたいって思うし」
真っ先に頷いたのは、フェリーだった。
続いて解放軍が互いの顔を見合わせるが、最終的には御旗であるロインの方針に賛成をする。
「そうだな。国王を討ったはいいけど、他の街は全部滅びましたじゃ意味ないしな」
最後にマレットが頷く事により、全員が同意をする。
戦いが激化する前に、暴君ルプスに抵抗をする者達の方針が改められる。
焦ってはいけない。
イリシャと共にゼラニウムへ残る事となったシンは、若干のもどかしさを感じていた。