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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第五章 大切なもの
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317.少年の決断

 肺が凍るような寒さから一転、灼けそうなほどに熱くなる。

 『憤怒』(サタン)から放出された外殻をその身に受けたシンは、その後の世界が静寂である事を訝しむ。


「……フェリーは!?」


 考えないといけない事は山ほどがあるが、何よりも優先すべきはフェリーだった。

 彼女は自分同様、『憤怒』(サタン)にほぼ密着していた。爆発の影響は、決して小さくないはずだった。

 奥歯を噛みしめながら、シンはフェリーの姿を探す。


「……シン?」


 シンの心配をよそに、視界に捉えた彼女はぺたんとその場に座り込んでいた。

 傷が見当たらないのは、既に治ってしまったからだと初めは考えた。

 けれど、衣服に関しても破損の程度は低い。表情からも、総じて軽傷だったのだと窺える。

 

 冷静になってみれば、自分も傷が浅い様にも思える。

 『憤怒』(サタン)と最も近い位置に立っていたにも関わらず、意識があるのだから。

 無論、無傷だった訳ではない。打ち付けられた外殻で身体は痛むし、服の下は打撲だらけだろう。

 それでも、到底邪神の一撃が直撃したとは思えない。


「シン、だいじょぶ!?」

 

 尤も、負傷の度合いは彼が覚悟をしていたよりは浅いというだけ。

 フェリーから見れば、ボロボロとなった彼の姿は見るに堪えない。

 右手に握られた灼神(シャッコウ)を落としながらも、フェリーは彼へと駆け寄った。


「ああ、大丈夫だ」


 フェリーに支えられながら、シンはゆっくりとその身を起こす。

 立ち上がった先に広がるのは、星明りに照らされる夜空。

 爆発に乗じてマーカスとコナーはおろか、『憤怒』(サタン)の姿さえも完全に消えさっていた。


 残されているのは、周囲に立ち昇る煙だけ。

 堆積(デポジッション)により爆発した外殻が生み出したものだと想像するのは、容易かった。 


「逃げた……のかな?」


 フェリーの問いに、シンは答えを出す事が出来なかった。

 確かに彼らは退却をしたのかもしれない。けれど、逃げたと表現していいのか解らなかった。


 解放軍の話から、外殻は散弾銃のように放出されるものだと思っていた。

 けれど、自分の眼前に存在する残り香がそうではないと訴えてくる。

 

 前方。というべきなのか。

 自分やフェリーへ向かっては、殆ど放たれていないように見受けられる。

 代わりにというべきか、他の方角へは勢いよく外殻による礫が放たれたのだろう。

 壁や床の残骸は穴だらけとなり、湯気のような煙が夜空へと消えていく。

 

(『怠惰』の欠片のせいか? いや、それとも……)


 思い当たる節はある。破棄(キャンセル)の効果は確かに効いていた。

 フェリーの灼神(シャッコウ)も、『憤怒』(サタン)の身を確実に裂いていた。

 力を削いでいた可能性は否定できない。


 だが、それよりも気になるものが存在している事も事実だった。

 爆発の直前に見えた、白く淡い子供のような『核』。

 表情が一切読み取れないにも関わらず、苦痛を堪えているように見えた。

 無意識に伸ばした手は、虚空を切る。意味があったのかさえ解らない。


「なあ、フェリー。邪神の中、見たか?」

「うん? あたしはなにも見てないよ?」

「そうか」


 小首を傾げる彼女に、それ以上問う事が出来なかった。

 もしかすると、自分の思い込みだったのかもしれない。

 悪意の痕跡に対する答えが出せないまま、シンは己の眉根を寄せた。


「そんなコトよりも、あんまりムチャしないで!

 マレットを取り返したんだから、それだけでよかったじゃん!」


 周囲に敵の気配は感じないと見るや、フェリーは頬を膨らませた。

 彼女とて気持ちは分かる。友人であるマレットが連れ去られて、救けなくてはならないとは思う。

 だからこそ、先行する事は認めた。けれど、その後に喧嘩を売りに行くとは聞いていない。


「あたしがいなかったら、アブなかったでしょ!」

「ああ、そうだな。悪かった、フェリー」


 シンも憤慨する彼女へ反論する言葉を持ち合わせていなかった。

 何もかもが、彼女の言う通りだった。


 感情的に成り過ぎた結果、奇襲をするつもりが迎撃されてしまった。

 自分の身だけではなく転移魔術まで奪われそうになっていた。

 フェリーが来なければ。イリシャが間者(スパイ)を見つけていなければ。

 今回、自分が生還を果たしたのは運が良かっただけだと痛感をする。


「来てくれて、ありがとうな」

「~~っ。……そうやって、スナオに言うのはズルっこだよ」


 思わず顔を逸らしたフェリーは口を尖らせ、頬を赤らめる。

 素直に謝罪と礼を並べられ、シンに対してこれ以上何も言えなくなっていた。


 ……*


「コナー! 『憤怒』(サタン)は……!」

「自分こそ、貴公に言いたい。そうそう邪神の制御を奪われては、こちらにも負担が掛かる。

 なにより、自分も『憤怒』(サタン)も酷使しすぎだ。どちらにせよ、限界は近かった。

 貴公が狙われても、庇いだては出来ないぐらいには」

「ぐ……。それは、そうだな……!


 怒りを露わにするマーカスだったが、コナーの反論を前に閉口した。

 彼の指摘は間違っていない。強大な力を手にして、舞い上がっていた事は否めない。

 

 後一歩のところだった。

 散々辛酸を舐め続けさせられたシンとフェリーに恨みを晴らす事が出来そうだった。

 稀代の天才たるベル・マレットを手中に収める事が出来そうだった。

 魔導具による人間の転移。新たな叡智のヒントさえも、得られそうだった。


 その全てが、既に手中に収めていたと言っても過言では無かった。

 まるで隙間から水が零れるが如く、全て消えてしまった。

 だからこそ、マーカスは何かに当たり散らさなくては気が済まなかった。


「兎に角、一度は王宮へ戻るべきだ。解放軍の仕込んだ間者(スパイ)が消えた以上、正確な動向は把握できない。

 それに国王も、いつ痺れを切らすか判らないしな。我々も、体勢を立て直すべきだろう」

「……君の言う通りだ。コナー」

 

 事実、コナーはとうに身体の限界を迎えていた。

 気を失ったシンとは違い、彼はカランコエから一度も休む暇が与えられなかった。

 正確に言えば、心の底ではシンに怯えていた。殺しの手腕に長けた彼の近くで、おちおちと眠る事すら出来なかった。


 シンによって撃ち抜かれた両腕を固定し、二人はマナ・ライドを走らせる。

 悪意はひとまず、解放軍の前から姿を消していった。


 ……*


 フェリーに支えてもらいながらも、シンは一歩ずつ歩いていく。

 解放軍と合流を果たしたのは、太陽が昇り駆けている頃合いだった。

 

「シン! フェリーちゃん!」

「イリシャさん、ただいま」


 初めに二人を視界へ捉えたのは、イリシャだった。

 朝焼けに照らされた銀髪が、美しく輝いている。彼女の美貌を一層深く、映し出しているようだった。

 ただ、その表情は穏やかではない。理由は言うまでもなく、シンの状態を目撃したからだ。


「シン、貴方……」

「悪い」

「……いいわ。予想はしていたもの」


 シンもイリシャの反応を予想していた。だからこそ、開口一番に述べたのは謝罪の言葉。

 これにはイリシャもため息を吐く事しか出来ない。まだ、五体満足で戻ってきたくれただけでも良しとしている。


「シン。それで、アイツらは倒せたのか?」

 

 いつものように白衣を纏い、後頭部から栗毛の尻尾を垂らしたマレットが問う。

 首を横へ振るシンに対して、マレットはやや眉を下げた。


「それと――」

 

 シンは今回の交戦について起きた出来事を掻い摘んで話した。

 ただ、『憤怒』(サタン)の中に眠る白い子供のような存在だけは話せなかった。

 どう表現すればいいのか、そもそも本当に救けを求めていたのか。自分の妄想ではないのか。

 上手く言語化する術を、持ち合わせていなかったから。


 


「……おい」


 シンが説明を重ねる中、マレットが顔を引き攣らせる。

 イリシャのように、負傷して戻ってきたからではない。

 簡易転移装置を、跡形もなく破壊した事に対してだった。


「悪い」

「まあ、敵に奪われるよりはいくらかマシだけどさ。

 それにしてもお前、完全に壊すとか……」

「また、造れないのか?」


 シンの質問に両手で顔を覆ったのは、マレットとギルレッグだった。

 彼が簡易転移装置の破壊に踏み切った理由がよく分かる一言を前にして、天を仰がずには居られない。


「無理だ、シン」

 

 深く、大きくため息を吐くマレットに代わって、シンの問いに答えたのはギルレッグだった。

 彼もまた、簡易転移装置の製作に関わっているからこそ、言える言葉。


「内蔵されている術式は、ワシやベルでは組めない。他のやつら……。

 オリヴィアなら確実だが、最低でもストルかテランは必要だ」

「そうか、すまなかった」

「本当に悪いと思ってんのか?」


 マレットからすれば、破損の理由が毎度毎度予想を大きく外れてくる。

 前回は緑色の暴風(グリュンヴィント)。今回は金色の稲妻(ゴルトブリッツ)

 決め手が全て、魔導砲(マナ・ブラスタ)なのだ。両方の製作者としては、頭のひとつでも抱えたくなる。


「まあ、なんだ。その。オリヴィアたちにも謝ってやってくれねえか?

 壊れたことを知ると、ショックを受けるだろうからな」

「ああ」


 悪気がない事はよく分かる。特に今回は、彼の活躍によって最悪の事態は免れた。

 だから強く怒るに怒れない。ジレンマを抱えるマレット達だった。


 ……*

 

「これからの方針なんですが、一度ゼラニウムへ入りませんか?」


 悪意の襲撃は退けた。疲弊をした解放軍の体勢を整えるべく提案をしたのは、オルガルだった。

 素通りする予定だったゼラニウムだが、このまま王都を目指すには物資も装備も心許ないという主張だった。


「オルガルの言う通りだな。こうなったら、こっちからペラティスに接触するのもありか」


 ゼラニウムは国王軍にマークされているだろうから、マレットとしては避けたかった。

 けれども、オルガルの主張も理解が出来る。

 

 何より、シンの治療はしっかりさせてやりたいとイリシャから申し出があった。

 本人に言えば必ず痩せ我慢をするので、伏せられた状態ではあるが。

 

「あの、それでしたら……。ひとつだけ、よろしいでしょうか?」

「どうかしましたか、ロイン様?」


 補給も必要だという中で、全員の意思が固まっていく。

 そんな中でおずおずと手を挙げたのは、解放軍の御旗でもあるロインだった。


「あの、シン・キーランドさん……」


 徐にシンの元へと近付き、ロインは口をもごもごとさせる。

 長く迷った後に、意を決した少年はシンへと言い放った。


「シンさん。解放軍(ボクら)に手を貸してくださったこと、マレット博士を救出してくださったことは感謝しています。

 けれど、これから先は……。このままのあなたは、連れていくわけにはいきません」


 お飾りの御旗から出てくる言葉とは思えない内容に、その場に居る全員が目を見開いた。

 そんな中、言われた張本人であるシンだけが真っ直ぐにロインの眼を見ている。


「理由を教えてくれないか?」

 

 眼を泳がせながらも、彼は自分の言葉を紡いだ。

 シンは子供が相手だろうと、正面から受け止めるという意思を示した。


「理由っ!? 理由はですね……」


 ロインも、大声で捲し立てられるぐらいは覚悟をしていた。

 けれど、予想に反してシンは真摯に受け止めようとしている。

 出来る限り応えなくてはならないと、ロインが言葉を絞り出していく。


「シンさんのおかげで、皆が助かったのは事実です。

 ですが、シンさんが最後に敵の元へ向かった理由が怒り……だからです。

 ボクらは暴君である国王(ちちうえ)から、自由と平和を取り戻したいと思っています。

 感情に身を任せての戦いではいけない……。

 怒りのまま相手を滅ぼしてしまえば、ボクらも同じように滅ぼされる。そう、感じたからです。

 すみません、戦いもしないボクが偉そうに……」


 ゆっくりと、しかしはっきりと。

 ロインは自らの想いをシンへ告げる。


 御旗として解放軍の先頭に立つ者としては、正当なる理由でなくてはならない。

 自分も母親の命が奪われたが、決して復讐にしてはいけない。

 いつか怒りは恨みへと変わる。負の感情を糧とした戦いでは、自分達へと帰ってくる。

 ロインが語る相手は、シンだけではない。自分を含めた全員に、伝わって欲しかった。

 

「……そうだな。ロインの言う通りだ」


 シンが彼の言葉に納得をして、首を縦に振るまでには時間を要さなかった。

 彼の主張が正しい。その上で、シンはロインへと告げる。


「俺も少し、頭を冷やす。だから、また後で合流してもいいか?

 マギアは俺の国でもあるんだ。どうでもいいって思っているわけじゃない」

「それは、勿論です……! すみません、ボクの方こそ差し出がましい真似を……」

 

 本音を言うと、ロインはシンという人物を掴み切れなかった。

 マレットの奪還を決めた時のように、静かに怒りを向けられる事も覚悟していた。

 事前にギルレッグから話を聞いていなければ、言い出す事さえも出来なかっただろう。


「やーい、子供に諭されてやんの」

「悪かったな」


 ケタケタと腹を抱えるマレットに、シンは眉を顰める。

 

「ま、働きすぎでもあるしな。ちょっと休んでろ。

 ペラティスを通して、情報は共有しとくからよ」

「……ああ。助かる」


 実際問題、情報の共有は有難かった。

 再度合流するにあたっても、状況を知らなくては動きようがない。

 

 シンは自分が解放軍からの離脱を受け入れる。

 ただし、それはフェリーと一時的に離れる事を意味する。


「じゃあ、その間は治療に専念ね。わたしがシンのところに残るわ」

「いや、そこまでは……」


 まさかの宣言を前に、シンは言葉を詰まらせる。

 腰に手を当てたイリシャが、居丈高な態度で言ってのけた。

 

「そうしないと、いつ飛び出すか判らないもの。

 いい加減な治療で戻って来ても、皆が困るだけだわ」

「それは、そうだが……」


 どうやら、今回の件で一番憤慨しているのはイリシャのようだった。

 絶えず傷を増やしていくのだから、治療を施す身としては気が気ではないのだろう。

 治癒魔術が殆ど意味を成さないシンにとっては、彼女に何度救われたか判らない。

 イリシャの剣幕に気圧されつつも、やがてシンは彼女の主張に頷いた。

 解放軍の男共に絶大な人気を誇るイリシャも離脱するという事で、悲鳴が上がったのは別の話である。


 ただ、ロインの話からここまでどうも話がスムーズに進んでいる。

 訝しむシンを他所に、フェリーを除く全員が軽く拳を握り締めていた。


「立派だったぞ、ロイン坊」

「ギルレッグさん……」


 概ね上手く行ったと、ギルレッグはロインを労う。

 ロインがシンへ語った内容に、嘘偽りはない。ただ、そこにシンを休ませないという思いが混じっていただけ。

 

 このままではシンは自分を酷使しかねないと、解放軍で一芝居を打つ事に決めた。

 多少強引ではあるが、彼に戦線を離脱をさせて治療に専念させる事が目的だった。

 

「でも、ボクがあんな失礼なことを言って良かったんでしょうか?

 シンさん、本心では怒ったりは……」

「心配すんな。シンはそんな奴じゃねえよ。それより、シャンとしないとバレちまうぞ。

 アイツ、勘は鋭いんだからよ」

「……はい」


 困った顔を見せるロインの頭を、ギルレッグはぐしゃぐしゃと撫でる。

 暴君としての父しか知らず、母を失ったロインにとって、その手は大きくて暖かいものだった。




 一連の流れに思うところはあるが、感情に身を任せ過ぎた事をシンは深く反省した。

 フェリーにも心配と迷惑を掛けてしまったと、躊躇いながらも離れる事を彼女へ伝える。

 

「フェリー、悪い。必ず追い付く。だから――」

「ん、だいじょぶだよ」


 申し訳なさそうにするシンを前に、フェリーははにかんだ。

 シンにそんな顔をして欲しくなかった。彼が怒るのは誰かの為だと、自分が一番よく知っている。

 

「戻ってくるまで、あたしがシンの代わりにみんな護るから。

 でも、ちゃんと戻って来てね。シンは世界を救うって言ったもん。

 あたしは、ずっと信じてるよ」

「……耳が痛いな」

 

 三日月島での出来事を思い返す。自分はフェリーを救う為なら世界すらも救うと宣言をしている。

 そんな人間が怒りのままに戦っていいはずが、無かったのだ。

 本当に、反省をしないといけない事ばかりだった。


「あ、でも。イリシャさんにヘンなコトしちゃダメだからね?」

「そうよ、シン。わたしは心に決めた男性(ひと)がいるんだから」

「……するわけないだろ」


 二人きりで過ちが起きてはいけないと、フェリーは口を尖らせる。

 くすくすと笑いながら、イリシャはフェリーに便乗をする。

 ただ一人、シンだけが穏やかではない表情で否定をしていた。

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