315.闇夜の戦い
マレットと解放軍が合流するよりも前の話。
彼女と行動を別にしたシンは、『憤怒』の潜む小屋を再び視界に捉えた。
簡易転移魔術装置を残してきたのは、言い訳に過ぎない。
決して奪われてはいけないものだというのは、シンとて理解をしている。
転移した直後。小屋への侵入前。何より、ワイヤーを括りつけて置く事だって出来た。
いくらでも回収する手段は用意出来たし、実行も出来た。
戦いを避ける理由だってあった。マレットを救出したのだから、それで良かったはずだった。
単にシンが己の憤りを抑えきれなかっただけ。自分の大切なものを次々と傷付けられて、赦せなかっただけ。
凍てついた風が、肌から体温と水分と奪っていく。傷口の痛みも増していくようだった。
けれど、緊張感を保つにはそれぐらいがちょうどいい。
痛みが走ろうと、身体は動かせる。神経が通っているのだと、実感できた。
「……行くか」
小屋までは数十メートル。簡易転移魔術の範囲内へと入った。
灯として利用していた魔石は破壊した。小屋の隙間から、『憤怒』の身体ははみ出ていない。
相手の姿が不気味ではあるが、優位性はシンにある。
自分達が逃げた方角と、魔導具の設置場所は対角線上にある。彼らの意識の外からの攻撃で、主導権を奪うという算段。
魔導砲を充填しては、転移が出来ない。
故に初動は魔導弾が命綱となる。二丁の銃に魔導弾を装填しながら、シンは簡易転移装置を起動した。
……*
シンとマレットが離脱をした直後。
銃弾に貫かれた苦痛で鬼の形相をしながら、マーカスは怒りを露わにしていた。
「どうした、コナー!? 追え、追うんだ!
漸く手に入れたベル・マレットをみすみす見逃してどうする!?」
流石のコナーも、彼の百面相には辟易する。
数分前まで、たかが水蒸気が巻き上がった程度で狼狽していた人間と同一人物だとは思えない。
「マーカス氏。追うのは構いませんが、貴方が無防備になります。
シン・キーランドに小屋を潜む貴方を狙われた場合、庇いだてする手段がありませんが」
「ぐう……」
事実、戦場を離脱したシンを追う選択肢は残っていた。
『憤怒』と自分だけならば、闇雲に探そうとも追い付ける。
ただ、その間マーカスが無防備に晒される。
躯を護衛に設置したとしても、魔導砲の威力を目の当たりにした。
彼の存在は世界再生の民に於いて重要な地位に就いている。少なくとも、邪神の適合者である自分と同等ぐらいには。
加えて、シンが罠を用意していないとも限らない。
先手を取られれば、術者である自分が畳みかけられる危険は大いにある。
何より、自分とて昨夜から派手に動きすぎたのだ。
仮面に内蔵した魔石はシンに破壊されてしまっている。顔を初めとした身体中に埋め込んだ魔石で賄うにも、限度があった。
躯の出現は勿論、『憤怒』さえも既に完全な状態から程遠い。
コナーは昔から、裏で糸を引く事で利益を得て来た。満身創痍な状態で無謀な賭けに出られる程、肝は据わっていない。
「現状ではシン・キーランドとベル・マレットを追うよりも、マーカス氏の身の安全を優先したのです。
出来れば意図を汲みとってもらえると、助かります」
闇夜にも負けない、濁った瞳でコナーは呟いた。
自分の安全担保に出されては、流石のマーカスも納得せざるを得なかった。
とはいえ、コナーもシンの性格はある程度把握しているつもりだった。
彼は殺し屋時代、今よりも未熟な人間だった。にも関わらず、多くの標的を殺めて来た事を知っている。
(あの男は必ず、奇襲の類を仕掛けてくる)
意識の外側から、奇襲、不意打ち。少年時代のシンが、よく使っていた手段。
その矛先は、カランコエで自分へ向けられた。
逃走している。人質の救出を優先した。だから、二度目の奇襲はない。
そんな理屈がまかり通る相手ではないと、知っていた。
コナーはまず、注意を小屋の外へ向ける。
躯を造り出す事は避けた。万が一に備えて、『憤怒』の顕現時間を延ばす方が重要だと感じたからだ。
シンは疑似魔術を放出する事が出来る。壁を隔てた先からの狙撃を、何よりも警戒しなくてはならない。
結果的にコナーが採った行動は、奇襲を仕掛けようとするシンにとっては大きな痛手となる。
「これは……」
壁に突き立てられているのは、投擲用のナイフ。一体いつ投げられたのか、コナーには見当もつかない。
自分達はおろか、躯を狙ったものでもない。だからこそ、シンにとって大きな意味を持つと考えた。
彼がこの状況で無意味な行動をするはずがないのだから。
万が一でも、毒が塗られてはいけないと慎重にナイフへ近付く。
投げる事に特化した、無駄のない形状。だからこそ、柄尻から垂れている輪だけが異質に感じられた。
灯りを照らせば、シンに勘付かれる恐れがある。
目を細め、顔を近付け、コナーは柄尻の飾りをまじまじと眺める。
所々がきめ細かく施された細工は、小人族の仕事を連想させる。
「魔法陣のようにも見えるが……」
コナーはマギア出身。それも元々は前線に立つ者ではない為、魔術に明るい訳ではない。
それでもその細工を魔法陣だと感じたのには、彼なりの根拠があった。
まずはシンが無駄な行動を取らないだろうという、彼なりの信用。
死角へナイフを投げた事にも、この輪の形状にも意味があると考えた。
そしてコナー自身が経験した、不可解な状況。
あまりに早く、彼はカランコエへ到達をした。アンダルの自爆からも、直撃を避けた。
極めつけは獣の躯を一度に突破して、この小屋へ現れた。
「そうか、そういうことか。……やってくれる」
瞬間移動にも近しい事を、シン・キーランドはやってのけていた。
抱いていた疑念の答えが、眼前の輪にあるのだとコナーは確信をした。
摩れば、この輪をどう扱うべきかという問題がコナーへ立ち塞がる。
瞬間移動、肉体の転移。世界再生の民ですら不可能な技術を、彼らは持っている。
自分達もその恩恵を授かるが為に、回収する事も吝かではない。
けれど、ここまで苦汁を舐めさせられたのだからとコナーから欲が溢れ出る。
この輪単体で転移が可能とは限らない。より質の高い分析を行う為に、情報を得るべきだと考えた。
コナーが考えた策は、シン・キーランドを呼び寄せるというもの。
あの男がみすみす証拠を残すとは思えない。輪を設置したままだという事自体が、再戦を意味していた。
ならば、実際に使用の瞬間を目の当たりにすればいい。その上で、彼に吐かせればいい。
「借りは返すぞ、シン・キーランド」
まだシンは姿を見せていない。自分がこの場に居ると気取られては面倒だと、コナーは小屋の中へと姿を隠す。
三度訪れた復讐の機会に、胸を躍らせながら。
……*
そして、今。互いの思惑が交錯する。
「待っていたぞ、シン・キーランド!」
「――っ!!」
シンが転移をした瞬間と同時に、『憤怒』の尾が横薙ぎの一撃を振るう。
咄嗟に防御を試みるが、ミシミシと骨の軋む音が身体へと伝わる。
あまりにも完璧なタイミングに、シンは即座に理解をした。
転移魔術の存在に気付かれていたのだと。自分が奇襲するべく用意した罠を、逆手に取られてしまった。
怒りで冷静な判断を下せなかった、紛れもなくシン自身の失策。
だが、それだけで終わらせていいはずがないと、シンは歯を食い縛る。
痛みに堪えながらも、銃口を自分に密着している『憤怒』の尾へ当てる。
引鉄を引くと同時に放たれたのは、風撃弾。
一瞬ではあるが、風の塊はシンと『憤怒』の間に隙間を創り出す。
同時に、乱れた気流により壁へ撃ち込まれていたナイフが抜ける。
簡易転移装置の輪が、星明り夜空へ舞う。
「コナー! 奪え、何としても手に入れるんだ!」
星明りに輝く輪へ、マーカスは手を伸ばすが届かない。代わりと言わんばかりに、怒号が響き渡る。
魔術大国ミスリアで研究を重ねていた自分でさえ、転移魔術など知らない。
ましてや、魔導具にまで昇華している。研究者である彼にとっては、是が非でも手に入れたい逸品。
本来ならば、マーカスはコナーから存在を聞かされた時点で手に取りたいぐらいだった。
この時点では半信半疑だったというのもあるが、コナーに諭されて我慢をしていたのだ。
そして、彼の言葉に偽りはなかった。魔術を使用できないはずのシン・キーランドが突如として現れたのだ。
手に入れる以外の選択肢は、マーカスの中から消えていた。
「分かっています」
自身の読みが正しいと証明されたコナーは、本来ならシンが得るはずだった優位を奪い取った。
あの輪さえ奪ってしまえば、畏れるものはない。
風撃弾により浮いた尾の先を、輪へと向けさせる。
「させ……るかッ!」
自分の失策を悔やんでいる暇は、シンには無かった。
マレットを初めとした研究チームの努力の結晶。その上澄みを、世界再生の民へ渡す訳には行かない。
再度転移をして、空中での迎撃は間に合わない。
魔導弾だけでは、『憤怒』の一撃を受け止めようがない。
シンは天へ向かって伸びていく『憤怒』の尾へ、魔導砲を当てていく。
弾倉が回転し、魔力が充填される。その間にも尾の先は、簡易転移装置へと近付いていた。
「それだけは絶対に、貴様らには渡せない!」
痛みを堪え、歯を食い縛りながらもシンは引鉄を引く。
多量の魔力を得た魔導砲から放たれるのは、最速を誇る金色の稲妻。
狙った先は術者であるコナーでも、研究者であるマーカスでも、ましてや『憤怒』でもない。
世界再生の民の興味を惹きつける魔導具。簡易転移装置の輪。
稲妻は『憤怒』の尾よりも速く、簡易転移装置へと触れる。
十二分に充填された稲妻は、瞬く間に簡易転移装置を炭へと変えた。
原型など判るはずもない。ボロボロと、黒い雪が舞い落ちる。
「お、の……れ……! 『憤怒』、その男を殺せ!
この場にノコノコ現れたことを後悔するほどに、痛めつけてやれ!」
未知の魔術が舞い落ちる様を呆然と見ていたマーカスだが、それはやがて純然たる怒りへと変わっていく。
適合者であるコナーを差し置いて、自身が持つ指輪を通して命令を下していく。
(ぐ、余計なことを……)
命令の上書きにより、コナーに頭痛が走る。
満身創痍の彼にとって、自分が操る邪神の分体を好きにされるのはより負担を強める結果となる。
不幸中の幸いなのが、マーカスの命令がコナーにとっても望むべくものだったという点。
同じ方角を見ているからこそ、適合者への負担は最小限に抑えられていた。
「――オオオオオオオ!!」
『憤怒』は咆哮を上げ、シン・キーランドを標的に定めた。
魔力で造られた尾は薄く長く延ばされていく。
身体を思い切り振り、自身が駒であるかのようにその身を回転させた。
小屋の壁全てが崩れ去り、轟音と共に屋根が崩れていく。
身を伏せて回避を試みたシンだったが、迫りくる天井を前に迎撃を余儀なくされた。
もう一方の銃に込められた風撃弾を用いて、自分へと迫る破片を取り除く。
「『憤怒』、そのままだ!」
小屋を破壊するよりも先に脱出をしていたコナーとマーカスが、外野から声を荒げる。
風撃弾により、シンは己の身を晒した。尾を叩き込むには、絶好の条件が揃っている。
身体の回転を止め、風切り音が鳴りを潜める。それは同時に、狙いが一点へ定まった事を意味していた。
シンが身体を起こすよりも早く、彼の頭上から星明りが消える。
怒りの化身足る『憤怒』の尾が、シンに向かって振り下ろされようとしていた。
「くそ……っ!」
破壊された小屋の破片により逃げ場は限られている、絶体絶命の状況。
一か八かと、シンは魔術付与された縄を出現させる。
『憤怒』の首へ巻きつけ、瞬時に縄を収縮させる。
間一髪。尾が床の木片を巻き上げるよりも早く、自分の身を逃がす事が出来た。
『憤怒』の尾による一撃からは。
思い通りに憤りをぶつけられない『憤怒』は、フラストレーションを溜めていく。
対象は当然、宙に舞うシン。思うがままに首を振り、龍族を模した頭がシンの身体を強く打ち付けた。
「――っ!」
シンも流石に回避しきれず、『憤怒』の一撃を受け止める。
一度痛みを感じてしまった弊害か、カランコエでの傷も呼び起こされているようだった。
寒さで肺が凍りそうになっている事にも気付く。
考えようとしていなかったものが、次々とシンの脳裏へ浮かんで来る。
自分の身体は本格的に危険なのだと、シンはこの時に漸く認識をした。
そんな時だった。
彼の気を奮い立たせてくれる、支えてくれる声が鼓膜を揺らす。
「シン、だいじょぶ!?」
「……フェリー!?」
闇夜から聴こえる少女の声を、シンが聞き間違えるはずもない。
遥か彼方から、紅蓮の刃を抱えながら落ちてくる少女。フェリー・ハートニアが、彼の気を奮い立たせた。
まだ音を上げる訳には行かないのだと、シンは意地を見せる。




