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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第五章 大切なもの
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314.誰よりも怒りし者

 マレットは枯れた大樹に身を寄せながら、己の手を擦り合わせる。

 解放軍がそんな彼女の姿を視界に捉えたのは、『憤怒』(サタン)の元から離脱して一時間程が経過した頃だった。


「マレット! だいじょぶなの!?」


 息を切らせながら、フェリーが駆け寄る。

 幾度となく上がっていた狼煙が道標となったお陰で、一直線に辿り着く事が出来た。

 けれど、それは戦闘が起きていた事を意味する。実際に安全を確認するまでは気が気では無かった。


 心配していたのはフェリーだけではない。

 連れ去られる彼女を眺めるだけだった解放軍に至っては、自分達の不甲斐無さに奥歯を噛みしめていた。

 立ち昇る煙を見ては、必ずマレットを取り戻すという思いを強める程に。

 

「おー、思ったよりも早かったな」

 

 だが、その連れ去られた張本人はあっけらかんとしている。

 手を擦り合わせ白い吐息を漏らしながらも、いつものように余裕を崩してはいない。

 これには解放軍も拍子抜けだった。

 

「ベル。なんでそんなに余裕なんだい……」

「全く、急いだこっちが損した気分になるわい」


 大きなため息を漏らす一方で、普段と変わらない彼女の姿にオルガルは安堵した。

 オルテールも表向きこそ呆れてはいるが、主君(オルガル)同様に彼女の無事を祈っていた。


「いや、急いでくれたのは助かる」


 ゆっくりと身体を起こしながら、マレットはオルテールの姿に反応をした。

 その言葉に偽りはない。実際のところ、彼女は解放軍と合流する事を心待ちにしていたのだ。


「どういう意味だ? ってかお前さん、なんだその恰好は?」


 連れ去られた時とは違う、あまりにも寒そうな恰好にギルレッグは眉を顰めた。

 足に至っては裸足だ。このまま体温が奪われ続ければ、凍傷にだってなりかねない。

 

 身の事を考えるならば、すぐにでも解放軍と合流をしたかっただろうに。

 彼女が歩みを止めて解放軍を待っていたのには理由がある。


「あーっ! ホントだ! マレット、それシンの服じゃん!」


 素足を曝け出している下半身とは裏腹に、見慣れた上着を目の前にしたフェリーがわなわなと震える。

 自分だってシンの服を身に包んだ記憶がないという嫉妬が含まれている事は、言うまでも無かった。


「おう、シンに借りた。あったかいぞ」

「むっ……」

「ちょっと待って、ベルちゃん」


 揶揄うように羽織った上着を握り締めるマレット。

 頬を膨らませるフェリーだが問題の本質はそこではないと、イリシャが割って入る。


「シンの服を羽織ってるってことは、ちゃんと会えたのよね?」

「ああ、ここまで連れて来たのはシンだ」

「じゃあ、シンはどうしたの……?」

 

 マレットがシンの上着を身に着けている以上、疑いようのない事実だった。

 シンは彼女を見つけ出し、悪意の元から救出をしている。

 問題は、その救けた張本人が姿を見せないことにあった。

 

「そうだよ! シンはどうしたの!?」


 シンのことだから、見張りでもしているのかと思っていた。

 けれど、彼は一向に姿を現さない。いくらフェリーが周囲を見渡しても、気配は一切感じられない。

 マレットの口振りからも、彼がここに残っているとは考え辛かった。


「シンはな、もっかい喧嘩売りに行った」


 彼女にしては珍しく、やや申し訳なさそうな顔をしていた。

 実際に負い目を感じているのだろう。悪意の元へ乗り込むシンを止められなかったのだから。

 

「ちょっ……!」


 これには解放軍は勿論、フェリーも狼狽する外なかった。

 間違いなく彼は「マレットを連れ戻してくる」と言ったのだ。

 

 目的は達成したはずなのに、何がどうなって悪意の巣窟へ潜り込むような真似をしているのか。

 先走るにも程がある。せめて、解放軍と言わずとも自分と合流するまで待って欲しかったのが本音だった。

 

「シンはどうして、戦いに行ったのかしら?」


 全員が抱いた疑問を、イリシャが代表して問い詰める。

 流石のイリシャも、僅かに怒りが心配を上回っている。

 彼とて万全の状態ではないにも関わらず、どうしてこんな無茶を続けるのか。

 治療を施した身としては、フェリーとは違った意味で気が気ではない。

 

「それはだな――」


 イリシャの剣幕に、マレットさえも気圧される。

 止めなかった負い目からか、マレットはシンとのやりとりを解放軍へ語り始めた。


 ……*


 シンとマレットが行動を共にしていたのは、ほんの数十分前まで。

 脇に抱えられたままの彼女が、シンを見上げるようにして笑みを浮かべていた。

 

「にしても、思ったより早かったな。アタシは自分から付いてったし、誰も来ないことも覚悟してたぞ」


 少々照れくさくなったのか、マレットは心にもない事を口走る。

 マーカスの前では絶対に来ると啖呵を切っておきながら、いざ本人を前にすると同じ台詞は吐けないらしい。


「『タスケロ』だなんて言葉残しておいて、よく言うよ」

 

 若干の呆れを見せながら、シンはマレットを大樹の影へと下ろす。

 ぽかんと口を開けながら見上げる姿は、とても世間で天才だと持て囃されている者の仕草ではなかった。


「お前、気付いていたのか?」

「気付くも何も、俺たちしか読めないだろう。

 俺も同じ方法を使った直後だったんだよ」


 森の中で脱ぎ捨てられた自分の衣服。その薄汚れた袖口に、うっすらと残した言葉。

 片仮名を用いてシンがイリシャへ伝えたように、マレットもシンへと伝えていた。


 ――タスケロ。

 

「書くならせめて、『タスケテ』だろう。って、なんで笑ってんだ」

「へへ」


 シンの言葉は、マレットの耳を素通りしていた。彼にはちゃんと伝わっていたという事実が嬉しくて堪らない。

 何より、彼も同じ手法を用いた直後だというのだ。笑わずに居られるはずがない。

 

 いつもの揶揄うような笑みではないと、シンは違和感を覚える。

 だが、決して悪気のある様子ではない。むしろ、心身共に健やかなのだと証明されている気分だった。

 

「……まあ、いい。あれだけ狼煙を上げたんだ。じきに解放軍も来るだろう。

 マレットはそれまで、ここで待機しておいてくれ」

「は?」


 しかし、続く言葉には流石のマレットも驚いた。

 この寒空の下、彼は自分を放置しようとしているのだ。

 

「お前はどうするつもりなんだよ?」

 

 マレットは訝しむ。身を震わせる自分に上着を羽織らせてくれるが、決して問題はそこではない。

 救出した自分を放置してまで、何を優先するというのか。


「簡易転移装置を小屋の壁に打ち付けたままだ。俺たちが逃走中だと思われている今なら、奇襲が仕掛けられる」

「本気で言ってんのか……」


 踵を返そうとするシンに、マレットは言葉を失った。

 侵入にも転移魔術の魔導具を用いたのだから、回収を忘れるはずがない。

 彼は元より、奇襲を仕掛けるつもりで残してきたのだと確信をする。


(こりゃ『憤怒』たち(アイツら)、相当逆鱗に触れてやがるな……)


 シンとて解っているはずだ。この状況であるならば、確実に逃げ切った方が良いと。

 解放軍と合流をすればフェリーは勿論、神器を持つオルガルも控えている。

 いくらでも作戦を立て直す事が出来ずはずにも関わらず、彼は継続戦闘を選んだ。


 ここまでシンが意思を曲げないのだから、別行動している間に何か起きたのだろう。

 まず間違いなく、フェリーを傷付けるような真似をしている。

 そう予測が出来た以上、マレットには彼を止める術を持ち合わせてはいなかった。

 

 マレットとしても悩みどころなのが、転移魔術の魔導具を置いてきたという発言だ。

 オリヴィア達と共にが苦悩して創り上げた逸品を、みすみす世界再生の民(リヴェルト)へ回収される訳には行かない。

 出口だけとはいえ、術式のヒントは与えたくなかった。

 

 それを知っているからこそ、マレットは止められない。シンはそこまで読んだ上で動いているからこそ、性質(タチ)が悪い。


「護身用に銃を渡しておく。もし何かあれば――」


 シンが手渡そうとしたのは、彼が愛用をし続けている銃。

 マレットが彼へ初めて渡した武器でもあった。

 流石のマレットもこれには不満を露わにした。


「いらねえ」


 差し出された銃を不躾に押し返す。

 訝しむシンに対して、マレットはムッとした表情で応戦した。


「アタシはじきに解放軍が来るんだろ? だった、敵と戦うお前が持っておいた方がいいだろ」

「だが……」


 あくまで狼煙は合図に過ぎない。間者(スパイ)の件もある。

 解放軍がいつマレットと合流を果たすかは、計算しようがなかった。

 ならばせめてものという配慮だったのだが、返って彼女の機嫌を損ねる結果となる。


「保険を渡して後は知らんぷりか? そんなハンパなことするぐらいなら、初めから放置すんな」


 シンは黙り込む。ぐうの音も出なかった。

 マレットを救出してからの話は全部、自分の我欲(エゴ)で動こうとしているのを見透かされている。


「いいか、シン。引き留めても無駄なのは分かってる。

 アタシも転移魔術が奪われるのは避けたいしな。

 だけど、行くなら腹を括れ。アタシは何があっても無事だと、自分に言い聞かせてから行け」


 フェリーはよく、シンを優しいと評する。マレットも概ね異論はない。

 けれど、シン自身がその優しさに殺されるぐらいなら放置された方が遥かにマシだった。

 彼に死んで欲しくないのは、何もフェリーだけではないのだから。


「……分かった」


 数秒の沈黙を経て、シンは頷く。

 自分でも理解している。相手は邪神の適合者とその分体なのだ。

 奇襲を仕掛けたところで、勝利が約束されている訳ではない。使える武器を手放していいはずがない。


「なら、行け。絶対に簡易転移装置を奪われるなよ」

「ああ」


 時間が経過すれば、コナーが『憤怒』(サタン)を連れて現れるかもしれない。躯が偵察で先行するかもしれない。

 状況が不利へと傾く前に、マレットは彼を見送る事を決めた。

 そうして欲しいという彼の意を汲んでのものだった。


 ……*


「……シンのあんぽんたん」


 マレットの話を聞き終えたフェリーの第一声は、ある意味ではいつも通りのものだった。

 本人としても意識していたのかもしれないが、必死に感情を抑えているのは明らかだった。

 小刻みに震えているのは、間違いなく寒さのせいではないのだから。


「それにしても、いくらなんでもシンのやつキレすぎだろ。どうしたってんだよ?」

「えと、それは……」

「わたしが説明をするわ」


 言い淀むフェリーに代わって説明を申し出たのは、イリシャだった。

 この二日間。マレットが居ない間でフェリーの身に起きた事を、掻い摘んでは説明をする。




「あー……。そりゃキレるわ。アイツの神経逆撫でフルコースじゃねえか」


 深いため息を吐きながらも、マレットはシンの気持ちを汲み取る。

 暴走にしか見えない一連の行動にも、得心が行った。

 自分を連れ攫った件は氷山の一角に過ぎなかったのだ。

 

 クリム達と再び刃を交えさせた件でさえ、生温い。

 『憤怒』はシンの両親やフェリーの育ての親であるアンダルをはじめとした、カランコエの村人を呼び覚ました。

 彼らを利用してフェリーの精神(こころ)を傷付け、よく知っているシン自身が斃す事態に陥った。


 自分の救出を優先したのは、むしろ頭が冷えていたと思わせるぐらいだ。

 一番理解していると自負しているマレットでさえ、ああまで怒り狂うのは記憶にない。


「怒るのは無理ないわよ。実際、わたしだって怒っているんだから。

 だけど、今のシンは自分の身体を省みてないのよ。怪我だって、自由に動き回っているのが不思議なぐらいだわ」


 カランコエでの一戦で、シンは深手を負った。加えて、心身の疲労で一度は倒れてしまっているのだ。

 今、身体を動かしているのも気力が痛みを凌駕しているからに過ぎない。いつ、物理的な限界が来てもおかしくはない。


「だったら、尚更援護に行ってやらないとな」

「ええ。ベルちゃんを救けるまでは仕方ないと思っていたけれど、これ以上はダメよ」


 シンの身を案じたフェリーが、きゅっと下唇を噛みしめる。

 イリシャの言葉を前にして、不安が胸を締め付ける。気付けば、灼神(シャッコウ)霰神(センコウ)へ自然と手が伸びていた。

 

「あたし、シンのところに行くね。みんなはマレットをお願い」


 彼の元へ向かおうとするフェリーを、止める者は居ない。


「悪いな、フェリー」

「マレットは悪くないよ。……シンも、あんぽんたんだけど悪くない」


 悪いのは人の精神(こころ)を傷付けようとする悪意の塊だと、フェリーは言いたかった。

 強いて言えば、自分の精神(こころ)が弱いからこそシンを傷付けている。その点は、自分が赦せなかった。


 今度はちゃんと、彼の力に成りたい。無事で居て欲しい。

 シンが向かったという小屋の方角へ、決意の眼差しを送った直後だった。

 

 遠くから響き渡るのは、間違いなく轟音だった。シンと『憤怒』が交戦している事は、疑いようが無かった。

 フェリーは当然として、解放軍にも緊張が走る。

 

「急がなきゃ……っ!」

「待て、小娘」

「オルテール?」


 離れた地まで聴こえる程の音だ。シンがどうなっているのか、不安だけが積み重なっていく。

 穏やかなではない胸中で森を駆け抜けようとしたフェリーを、オルテールが呼び止める。


 突如声を上げた従者に眉を顰めるオルガルだったが、彼が手を差し出した事で求めている物を察した。

 そっと皺だらけの手へ、自らの神器を預ける。

 

「おじいさん、ゴメン! あたし、急がないと!」


 空気を読まない従者の声に、フェリーが地団駄を踏む。

 今にも泣きそうな顔をしている彼女の前に、オルテールは宝岩王の神槍(オレラリア)を突き出した。

 

「多少は痛むかもしれぬが、我慢できるか?」

「おい、ジイさん。まさか……」


 オルテールが何をしようとしているのか。オルガルに続いて察したのは、宝岩王の神槍(オレラリア)の特性をよく知るマレットだった。

 フェリーはまだ、彼が何をしようとしているのかは解らない。けれど、マレットの反応から全く無意味ではないのだと認識をする。


「ガマンしたら、シンのトコに早くつける?」

「それは約束しよう」

 

 頷くオルテールを前にして、フェリーの気持ちは固まった。

 彼の言う通りに痛みを伴うのだとしても、自分にとっては些末な事だ。

 迷う理由など、ひとつもない。


「分かった。お願い、おじいさん!」

「良い度胸だ。承知した」


 逡巡すらなく強く頷くフェリーを前にして、オルテールは口角を上げる。

 いつ泣きだしてもおかしくない程に不安な顔は、いつしか消えていた。


「行くぞ、小娘!」

「うん!」


 宝岩王の神槍(オレラリア)の重力操作により、フェリーは前方へと()()()()()

 初めての感覚だが、不思議と不安は無かった。今、彼女の中にあるのはシンの安否を気遣う心のみなのだから。

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