30.嫉妬する魔女
肌寒い空気を後押しするように、沈黙が流れる。
動きのない空間はその寒さを幾分か強めている。そんな錯覚に陥った。
「シン、この人知ってるの?」
「いや……」
フェリーの問いに、シンは首を横に振る。
その言葉に嘘偽りは無かった。
シンはいくら記憶を遡っても、目の前の女性と一致する人物に心当たりが無かった。
「人違いじゃないのか?」
特段珍しい名前でもない。当てずっぽうに言った名前がたまたま的中した可能性だってある。
「あら、失礼ね。わたしも結構生きているけど、そんなにボケていないわよ。
貴方はシン・キーランド。そして、そっちの可愛い子はフェリーちゃん。
どう? 合っているでしょう?」
シンのフルネームだけでなく、フェリーの名前も知っている。
人違いではなさそうだ。彼女は間違いなく自分達を知っている。
「やっぱり知り合いなんじゃ?」
「じゃあ、フェリーは知っているか?」
フェリーは顎に指を当て、天に視線を移すが。「うーん……」としばらくうねった後に、彼女は答えた。
「わかんないや。それに、『久しぶり』って言われたのはシンじゃん」
「それはそうだが……」
彼女の言う通りなのだ。あくまで、「久しぶり」という台詞はシンに向かって言われていた。
だからこそ、余計にシンの混乱が加速する。
この10年、ずっとフェリーと旅をしている。
共有の知人ならそれなりに増えたが、自分単独での知り合いなどほぼいない。
ましてや、彼女ほどの美貌を持つのであれば印象に残っていてもおかしくない。
眉間に皺を寄せ記憶を絞りだそうとするシンを見て、彼女はくすくすと笑った。
「連れないなぁ。昔、一緒に旅をした仲なのに」
「……は?」
益々意味が判らない。
自分はフェリー以外と旅をした事など無いのだ。
(なんなんだ……)
得体の知れない気持ち悪さに、シンは腰に差した剣へと手を伸ばす。
何かがおかしい。すぐにでも戦闘が出来るようにと、警戒を強める。
表情を読み取られないようにしながら彼女に注意していると、隣から怒気が漏れてきた。
「……シン、どーいうコト?」
言うまでもなく、フェリーだった。
「俺が訊きたいぐらいだ。第一、ずっとフェリーと一緒に旅をしていただろう」
「そんなの10年だけじゃん! シン、それより前は一人で冒険に出てたもん!
その時の知り合いとかじゃないの!?」
確かに故郷が焼かれ、フェリーと旅に出る前は1、2年程冒険者をしていた事もある。
それでもやはり彼女の事は記憶にないのだ。
そもそも、冒険と言っても村の近くで簡単な依頼をこなしていたに過ぎない。長期間、村を空ける事なんて無かった。
「その時は、数日で村に戻ってきただろ。俺は知らない」
「そうかもだけど、その時に知り合ってるかもしんないじゃん!
こんなキレーな人忘れるとか、ありえないよフツー!」
だからこそ困っているのだが、フェリーは分かってくれそうにない。
フェリーも本心ではシンが嘘をついていないと思っている。
でも、自分の知らないシンを知ってるかもしれない人が目の前にいる。
たったそれだけの事で、なんだか心が落ち着かなくなってしまっている。
「あらあら、喧嘩はダメよ」
「アンタのせいだ」
眉を吊り上げるフェリーと、それを楽しんでいる銀髪の美女。
警戒を解く訳にはいかないが、タチの悪い事に敵意はそれほど感じないのだ。
踏み込むきっかけすら掴めず、ただただ毒気を抜かれている。
この状況を楽しんでいるように見える時点で、悪意は感じているのだが。
「だって、知り合いなのは事実だもの。
ちゃんと知ってるわ。シンの背中に傷がある事だって」
シンとフェリー、二人が同時に彼女の顔を見た。
今の発言はおかしい。
シンの背中にある傷跡は、恐らく、先日ウェルカで双頭を持つ魔犬と戦った際に出来たものだ。
傷跡がある事を知っているなら、シンとフェリーの両方と知り合いでなければ理屈に合わない。
「ねぇ。なんかおかしくない?」
流石にフェリーも気付いたのか、小声でシンへ訊いた。
「気付いたか。背中の事を知っているなら、最近逢った事になるだろ」
「あの時、ウェルカに居たのかな?」
仮にそうだとしても本人が気付いておらず、フェリーですら昨日気付いたようなものを赤の他人が知っているだろうか?
「それなら、何で俺のフルネームを知っているんだ。
第一、アメリアの名前を出せば一発で解決するだろう」
確かにあの事件で街の人達には名前を憶えられたが、自分達の存在を簡単に上書きするぐらいにはアメリアの影響力は大きい。
ウェルカでの話をするならアメリアの名前を出した方が、二人としても話を受け入れやすい。
そもそもあの時ウェルカに居たからと言って、一緒に旅をした事にはならない。
なんだか一気に話がキナ臭くなる。
「……やっぱ、なんかおかしくない?」
「俺は最初からおかしいと思ってる」
二人の内緒話を待っていた銀髪の女性は、ため息を吐いた。
ちょっとからかったのは事実だが、意外と懐疑的な反応をされてしまったので参ってしまう。
「……俺と旅をしたのはいつの話なんだ?」
シンは問う。これを訊くのが一番手っ取り速い。
勿論、彼女が本当の事を言うとは限らないのだが。
「ええと……、30年ぐらい前かな?
シンはずっと眉間に皺寄せて、難しい顔してたよ」
彼女はその時の顔を再現するかのように、眉を力いっぱい寄せた。
それを聞いてシンは、彼女以上に眉を顰める。
「シン、生まれてないよね?」
「当たり前だ」
生まれる前に一緒に冒険したと言われても、狂言にしか聞こえない。
一度、そう確信を持つと言葉の全てが嘘に聞こえてくる。
きっと背中の傷跡も、遭難している時にたまたま自分達を見つけたのだろう。
その時は敢えて声を掛けなかったのだ。生きようが死のうが、自然の摂理に沿っているので彼女には関係がない。
今日になってその二人がここに訪れたので、からかっているのだ。
腑に落ちない所はいくつもあるが、シンはそう解釈をした。
「ねぇ、わたしの言う事信じてないでしょ?」
「信じられる訳ないだろう。俺の年齢は26歳だぞ」
明らかに計算が合わない。フェリーも隣でうんうんと頷いている。
「旅してた時はあたしの名前をいきなり呼んでくれたのになぁ」
「シン、そうなの?」
「だから知らないって言っているだろ」
30年前の話でおかしいと判っているはずなのに、どうしてフェリーは彼女の釣りに引っかかってしまうのか。
こんな与太話に付き合うぐらいなら、早くこの山を下りてアルフヘイムの森へ向かいたい。
シンが早々とこの場を立ち去ろうとしているのとは裏腹に、フェリーは不思議な感覚に包まれていた。
理屈では何も説明できない。それなのに、彼女は嘘をついていないような気がするのだ。
更につけ加えるなら、何が自分をそうさせるのかは解らない。
もっと、彼女と話をしたいと思っている自分がいる。
フェリーは逆に、彼女と初めて逢った気がしないのだ。
……ただ、自分が知らないであろうシンを知っているかもしれない。その一点は面白くない。
(でも、たぶんウソだし……。シンは『知らない』って言ってるし……。
あーもう! わかんないぃぃぃ!!)
フェリーの根底にあるのはシンが「自分に嘘をつくはずがない」という信頼。
それに彼女への疑念と興味がブレンドされて複雑な感情図を浮かび上がらせる。
「ねぇ、シン。ちょっとだけ、この人の話聞いてみない?」
「はあ?」
思いっきり嫌そうな顔をしたシンに、フェリーは慌てて続ける。
「いや、ホラさ。あたしたち遭難したわけだし?
こんな家まで持ってるぐらいなんだから、道も知ってるだろうし!
それに、ちょっと休ませてもらおうよ! ずっと歩いてたからクタクタだよ!」
それっぽい理由を、頭に浮かんだ順に口から出していく。
フェリーの言っている事は尤もなのだが、シンはどうにも彼女が信用しきれなかった。
「わたしなら良いわよ。いい茶葉もあるし、一緒にティータイムといきましょう」
「ホント!?」
「待て待て。まだ俺はアンタの事を信用できない」
警戒を続けるシンに、彼女は段々と呆れの感情が強くなってくる。
「本当に連れないわねぇ。久しぶりの再会なのに。
頑固な所はちっとも変っていないみたい」
「何度でも言うが、初対面だ」
彼女は一際大きなため息を吐くと、ログハウスの扉を開けた。
「まぁいいわ。わたしはフェリーちゃんともお話がしたかったし」
「あたしと?」
やたらシンに絡んでいたので、自分に興味がないと思っていたフェリーは意外そうな顔をする。
それなら、どうして自分とは知り合いを装わなかったのだろうか。
フェリーの疑念は、彼女の言葉で脳裏からかき消されることになる。
「ええ。わたしも似たようなものだからね」
「え……?」
彼女は二人に一礼をし、こう名乗った。
「わたしはイリシャ。イリシャ・リントリィ。不老長寿をやってるの」
「……え?」
二人の時間が止まる。
彼女は確かに言った。『不老』だと。
「ええぇぇぇぇぇっ!?」
寒空の山中に、ひときわ大きな声が響き渡った。
……*
「不老って、あたしと同じってコト……?」
イリシャの家に案内してもらい、三人はテーブルを囲む。
良い茶葉が入ったと言っていたが、純粋に上手なのだろう。彼女の淹れる紅茶は絶品だった。
尤も、最後まで警戒していたシンは「だいじょうぶだってば」と呆れ気味にフェリーが言うまで決して口にする事は無かったのだが。
「うーん、少しフェリーちゃんとは違うかな。わたしは、あくまで『不老』なの。
怪我や病気は普通に治療しないといけないし、死んじゃったら多分そのままだと思うのよ」
そう言って、彼女は左手の人差し指を見せる。細くて白い、美しい指だったがよく見ると小さな切り傷があった。
「この間包丁で切っちゃったの。フェリーちゃんだったら、すぐに治るんでしょう?」
「ホントだ。じゃああたしとは違うかな……」
フェリーが確かめるように短剣で自分の指を傷つけそうになったので「証明して欲しいわけじゃないのよ」とイリシャが止める。
「じゃあ、なんで『不老』だって言い切れるんだ?」
シンがイリシャへ問う。さっきのやり取りもあったせいで、まだ彼女を疑っているようだった。
イリシャも、自分が疑われている事には気付いている。
「だって、かれこれ200年ぐらいこの姿で生きているからね」
「200年……って」
俄かには信じられない話だが、彼女の顔はいたって真剣だ。
「フェリーちゃんのおじいさんにも会った事あるわよ。アンダルでしょ?」
「おじいちゃんを知っているんですか!?」
フェリーが身を乗り出す。
アンダルは自分を拾ってくれてからはずっと傍に居てくれた。
小さい頃に亡くなってしまったけれど、フェリーにとって大切な思い出のひとつだった。
そういえば、昔は冒険者をしていたと言っていた。
よく村の子供を集めては冒険譚を聞かせてくれたし、シンはそれに憧れて冒険者をやっていた時期もある。
「ええ、わたしが一緒に旅をした人では一、二を争う程の魔術師だったわ。
彼が使う炎と風の魔術には、どれだけ助けられた解らないわね。……なんだか懐かしくなっちゃった」
「やっぱり、おじいちゃんってすごかったんだ!」
フェリーはなんだか嬉しくなった。大好きな人が、誰かを救っている。
自分を救ってくれた恩人は、他の誰かも救っていたと思うと胸が熱くなる。
「……それはいつ頃なんだ?」
まだ疑っているシンを、フェリーは怪訝な顔をする。
視線に「警戒するのは大事かもしれないけれど、やりすぎだよ」と織り交ぜられている。
「うーん。アンダルが60歳ぐらいだったから、30年ぐらい前かな?」
彼女がシンと逢ったと主張している時期だ。
ただ、アンダルが生きていれば90歳前後なので彼の件に限って言えば年齢も合っている。
「信じてくれた?」
「……さっきの話よりは」
「ふふ、ありがとね。シン」
カップの紅茶を飲み干すと、イリシャは微笑んだ。
「あー! ホントにおじいちゃんの話が聞けるの嬉しい!
イリシャさん、もっと色々話を聞かせて!」
「フェリーちゃんは本当にアンダルの事が好きなのね」
「うん! すっごい好きなんだ!」
イリシャは決して柔らかな笑みを崩さない。
それにほだされた訳ではないだろうが、フェリーは完全に心を許してしまったようだ。
「……俺も、色々訊きたい事がある」
紅茶をもう一杯、カップに注ぎながらイリシャはシンにも微笑む。
「分かってるわ。わたしも二人の話を聞きたいし、今日は泊まっていって」
シンが決断をするより早く、フェリーが「ありがとう!」と返事をしていた。




