310.間者の正体
マクシスから聞いた身の上話は、やはりイリシャの良心が痛むものだった。
彼がしきりにロインを気にするのは、内乱で死んだ息子に歳が近かいからだというものだったから。
だが、それは同時にかつてマギアで起きた内乱が多くの市民を巻き込んだ事を示している。
魔導石に恨みを持つ者がいるのも、不本意ではあるが納得してしまいそうだった。
「おれと同じ境遇の人間は、決して少なくはないだろう」
そう語る事が出来るのは、実際に現場に居合わせていたからこそなのだろう。
嫌な記憶を掘り返してしまったと、イリシャは申し訳なさを覚える。
ただ、その中でも決して全員が内乱時からの顔見知りではないという情報は大きかった。
間者が紛れ込んでいても、気付かれる危険性は低いというわけだ。
納得をする一方で、イリシャはある疑問へと行きつく。
(でも、そもそもどうやって間者は情報を……?)
カランコエの件を鑑みても、情報の伝達が速すぎる。
解放軍に於いて、小まめに隊列を離れた者は居ないはずだ。
どのような手段を用いたのか。その方法を探る事で、間者へ辿り着くのではないか。
前述の通り、直接赴く。もしくは、誰かに伝えるという方法はあり得ない。
隊列を離れた者は居ないし、これまで街中へ入る事を避けて来た。
何より、タイムラグを感じさせないようにも思える。
(もしかして……)
そう、タイムラグがないのだ。
限りなく近い現象を、イリシャは昨夜にも経験している。
カランコエでフェリーが見つけた躯の頭。
破損により共有された情報が逆流をした結果、シンと『憤怒』の男の声が漏れ出ていた。
躯の視覚や聴覚を、術者が得ているのは明らかだった。
(そっか、それだったら……)
わざわざ得た情報を報せに行く必要もない。
見たまま、聞いたまま。生の情報を即座に得る事が出来る。
解放軍に入り込んでいる間者は躯なのだと、イリシャは断定をする。
だが、だからと言って間者を特定出来た訳ではない。
躯となって現れたアンダルは見た目だけではない。会話すら可能だった。
本人の記憶すら持ち合わせているのだから、存在を知らない解放軍が気付かないのも無理はなかった。
(これ、わたしに見つけられるのかしら……)
適任者が徹底してこの場に居ない状況を、イリシャはただただ嘆く。
自分にはない能力を持つ仲間を思い浮かべたのは、あながち間違いでは無かった。
リタがこの場に居たならば、魔力の動きから特定が出来たかもしれない。
レイバーンがこの場に居たならば、僅かな匂いから特定が出来たかもしれない。
(あ、でも。匂い……?)
救けを求めるように、仲間の顔を思い浮かべた時だった。
ただ唸るだけだったイリシャへ、電流が走る。
(そうだ。わたし、たしか……)
微かに彼女の中で燻り続けている記憶が掘り返される。
解放軍が隠れ家として利用していた遺跡で、鼻腔を擽った香り。
「……あっ!」
絡まった糸が解けたかの如く、イリシャは声を漏らした。
確証はない。言いがかりかもしれない。けれど、あり得ないとは言い切れない。
イリシャは大急ぎでフェリーを手招きして呼び寄せる。
ずっと感じていた重圧を早く吐き出したいという気持ちもあったのかもしれない。
兎に角、一刻も早く自分の考えを誰かに聞いて欲しくて堪らなかった。
……*
「イリシャさん、誰が間者なのか判ったの?」
「ええ、恐らくだけどね」
感嘆の声を上げるフェリーと、緊張からやや顔を強張らせるイリシャ。
ゆっくりと、少しずつ。自分の考えに同意が得られる事を願いながら、イリシャは語り始めた。
「間者はエルガーさん……だと思う……」
「エルガーさんが?」
イリシャが口にしたのは、解放軍へ参加している非戦闘員の老人。
先の内乱で左足を失った老人の名が挙がった事に、フェリーは驚きを隠せない。
彼女は「どうしてだろう?」と言わんばかりに小首を傾げる。
彼の姿を確認しようとしたところを、イリシャが視線を合わさないようにと促す。
「バレちゃうかもしれないから。あまり見ないでもらいたいかな」
「あ、そっか」
エルガーに警戒されてしまえば、一巻の終わりだ。その様子さえも、敵は即座に手に入れてしまう。
先行しているシンの援護を考えると、ギリギリまで引き付けるのが最適解だとイリシャは判断を下す。
とはいえ、口に出してしまえば後戻りは出来ない。
冤罪だった場合はどうしようと、口にするイリシャも緊張はしていた。
未だかつて、自分の手で誰かを追い詰めようとした事はあっただろうか。
不老の身なのだから、一度ぐらいはあったかもしれない。
今のように後ろ髪を引かれた記憶がないという事は、自分は正しいと確信を持っていたのだろう。
けれど、今回は違う。確信が出来た訳ではない。
状況を鑑みれば、エルガーが浮かび上がったという話。
僅かに覗かせる躊躇いを見抜いたのか、フェリーがそっと手を重ねる。
「だいじょぶだよ、イリシャさん」
「フェリーちゃん……」
手の甲から伝わる温もりが、イリシャの緊張をほぐしていく。
そうだ。名前まで出しておいて、ここで止まるなんてあっちゃいけない。
自分の考えに自信を持てとまでは言わないが、きちんと話す義務はある。
「ええっと。エルガーさん、香水をつけてるでしょ?」
「うん」
「あれって、臭いを誤魔化すためだと思うの」
「ふつうじゃないの?」
香水はそういう役目を兼ねているのではないだろうかと、フェリーは小首を傾げる。
なるべく丁寧に、納得してもらえるようにと、イリシャは言葉を選び続けた。
「体臭を隠すっていう意味では正しいんだけどね。前に遺跡で嗅いだ時、何か混じってる気がしたの。
けど、逆だったんだと思う。あんな狭い場所に居て、汗の臭いが一切しないのも変だから。
エルガーさん、きっとアンダルたちみたいに本当は死んだ人なんじゃないかって……」
「そっか……」
躯が動いていると伝えるのは、心苦しかった。
フェリーに否が応でも、昨日の辛い体験を思い起こさせてしまう。
現に彼女は、気丈に振舞おうとしているものの表情を曇らせた。
「でも、ホントにおシャレさんなだけかもしれないよ?」
「フェリーちゃんの言う通りね。だから、こっちも根拠として考えてみたのだけど……」
香水だけではまだ弱いと、イリシャが根拠として挙げたもの。
それは、マレットとギルレッグが開発した義肢の存在。
「エルガーさん。あれだけ歩き辛そうなのに、義足を取り換えるの断ったでしょ」
「うん」
相槌を打つフェリー。その時の会話は、自分がしたのだから覚えている。
義足が壊れる事もあるだろうから、戦場へ出る者の予備として残してはどうだという話だった。
けれど、実際はどうだろうか。
確かに『憤怒』の襲撃で義肢を壊した者は少なくない。
修理に追われるギルレッグが、懸命に小人王の神槌を打ち付けているのがその証だ。
そう、ギルレッグは修理をしているのだ。
予備の義足など必要ないと言わんばかりに、各々に最適化した義肢をそのまま直している。
「あれ、本当は自分に装着されたくなかったんじゃないかしら」
「……どゆコト?」
いまいち話が見えてこないと、フェリーはまたも小首を傾げた。
イリシャは要点を掻い摘みながら、説明を続けていく。
「気を遣ったんじゃなくて、自分に触られたくなかったのよ。
……人間じゃないって、バレちゃうから」
「人間ではない」と言い切るのには、多少の勇気を要した。
躯に関する事柄を話すと、どうしてもアンダルやカランコエの皆を思い出してしまう。
その度にフェリーの心を傷付けているようで、自己嫌悪に陥りそうだった。
「……そっか」
イリシャの懸念通り、フェリーもその度に昨夜の事を思い出している。
相違があるとすれば、その辛さの内訳ぐらいのもの。
何もできなかった自分の代わりに、シンは全ての始末を己の手でつけようとしていた。
大切な家族も。一緒に冒険譚を聞いたアンダルも。
自分の精神的外傷を掘り起こされた事よりも、シンの手を汚させてしまった方が余程辛い。
その彼、また無茶をしている。だったら、一刻も早く救けてあげたい。
己の中で広がろうとしている影を押し殺したのは、シンへの情愛に他ならない。
実際、イリシャの話にフェリーは納得をした。
間者が居るだなんて乱暴なメモの一文に対して、彼女は答えを導き出した。
ならば、ここから先は自分がやらなくてはならない。
「あたしは、イリシャさんの考えがあってると思うよ。
だいじょぶ、後はあたしに任せて」
フェリーはグッと、力こぶをつくるようなポーズを見せる。
決してイリシャ一人の責任にはしないという意思表示は、彼女にも伝わった。
「ありがと、フェリーちゃん」
表情を和らげるイリシャ。冬の寒さのせいか、強張った皮膚が解けていくのがよく分かる。
彼女の温かさが胸への染み入るようだった。
……*
マギアで採れたという花から作りだした香水が、鼻腔を擽る。
とてもいい匂いで、自分も欲しいと思ってしまう程に。
「エルガーさん、ちょっといいかな?」
「はい、どうかしましたかな?」
神妙な顔つきをするフェリーと前に、エルガーはにこやかに微笑んで見せた。
本当にこの人はもう生きていなくて、悪意に操られているのだとは思えない。
エルガーへ話してしまえば、もう後戻りは出来ない。
たとえ間違っていたとしても、間者を探している事は世界再生の民へ伝わる。
ある意味では、今が一番緊張するタイミングでもあった。
大きく息を吸い、冷たい空気で頭を冷やしていく。
フェリーは決意と一緒に、彼へ投げかけるべき質問を吐き出した。
「ギルレッグさん、壊れた義肢もゼンブ修理してくれてるからさ。
エルガーさんも義足をつけてあげた方がかさばらないと思うんだ。
いっしょに、お願いしにいかない?」
あくまでこれは口実。可能な限り自然に、彼へ近付く為の。
同時に間者の存在を探していると。ギリギリまで勘付かれないようにと試みる。
これらは全て、イリシャの提案でもあった。
唯一の懸念は、ここで彼が首を縦に振ればイリシャの推理が間違っていた事になる。
そうなれば、また振り出しに戻ってしまう。全てが後手に回った状態で。
「いえ、ですが……。え、遠慮しておきます……」
しかし、エルガーはフェリーの誘いをやんわりと拒絶しようとする。
ギルレッグの荷物を減らす為だと言っても、聞き入れようとはしない。
答えに近付いているような気がして、心臓の鼓動が大きくなる。
「そ、そんなコト言わずにさ。解放軍も便利だって言ってるから、付け心地はワルくないと思うよ」
気持ちが逸るあまり、鼻息が荒くなりそうになる。決して焦ってはならないと、フェリーは心の中で自分に言い聞かせる。
あくまで自然に、彼の手を引こうと手を伸ばした時だった。
「だ、大丈夫ですので」
皺だらけの手が、フェリーの手を振り払う。
互いの手の甲が触れると同時に、神経を集中していたフェリーは確信を得た。
冬だとはいえ、血が一切通っていないと思わせる冷たさ。
皮膚の感触もどこか硬い。カランコエの皆が土の中から現れたように、基礎は土なのだろう。
フェリーは息を呑んだ。
アンダルが大好きだったからだろうか。老人に対しては、どうしても思うところがある。
だけど、ここは退いてはいけない。意を決して、フェリーはエルガーへと問う。
「エルガーさん……。やっぱり、生きてるヒトじゃ……。ないん、だね」
「――!」
一瞬だけ見せた表情が、全ての答えを現わしていた。
彼は『憤怒』によって呼び起こされた躯で、もうこの世にはいない人物。
そして、自分を通して解放軍の情報を世界再生の民へ流していた張本人。
「……気付かれてしまいましたか」
「うん。気付いたのは、あたしじゃないけど」
驚嘆の声を漏らすエルガーだったが、知られてしまった以上は仕方がない。
だが、見つけたのがフェリーであるのは彼にとって幸いかもしれないと考えるのは『憤怒』の男。
フェリー・ハートニアはシン・キーランドとは違う。
彼女は解放軍に同行中、香水の話でエルガーと盛り上がった事もある。
情に絆され、仕留めきれない可能性は大いにある。一秒でも長く、彼女に迷いを生じさせる。
「ですが――」
そう企てた矢先。エルガーの首と胴体が、離れていく。
最後に映した光景は、真紅の刃を握ったフェリーの姿。
灼神が、彼の首を灼き切った証。
断面が赤く染まる。乾燥した空気が、更に湿度を失っていく。
焦げた肉の臭いがしない事が、エルガーは現世に生きる者ではなかったと証明していた。
「……ごめんね、エルガーさん。たくさんお話が出来たのは、楽しかったよ。
ウソじゃ、ないんだよ」
懺悔をするように呟くフェリーの声は、微かに震えていた。
小さく嗚咽を漏らすフェリーと、地面へと転がる躯の頭。
駆け寄る解放軍を前にして、イリシャは間者の存在と事情を全て説明した。
決して彼女が乱心した訳でも、仲間割れを起こした訳でもない。本当のエルガーが、悪人だった訳でもない。
それだけは、どうしても皆に知っていて欲しかったから。




