309.苦悩するイリシャ
シンがマレットを奪還するべく解放軍を後にしてから、一時間程度が過ぎた頃。
(間者が居るって言っても……)
イリシャは頭を抱えていた。
シンが遺したものを、どう解決へ導けばいいのだろうかと。
「どうすればいいのかしら……」
わざわざ自分達しか知り得ない方法で伝えて来たのだ。
下手に誰かへ相談する事は出来ない。
フェリーは兎も角として、後はギルレッグぐらいだろうか。
尤も、彼は義肢の修理に手を取られている。殆ど休まず動き続ける彼にこれ以上の負担は課せられない。
「イリシャさん、がんばろ! あたしも探すから!」
「ありがとう、フェリーちゃん」
そうだ、自分は決して独りではない。
二人ならば或いはとフェリーへ期待を寄せるイリシャだったが、即座に淡い改める事となる。
「あの、フェリーちゃん……?」
「ちょっとでもアヤしいひとがいないか、見逃さないようにしなきゃ」
自分の隣で座っているのは、目を血走らせて解放軍の端から端まで見渡す少女の姿。
何度も往復を繰り返しては怪しい人間が居ないかを凝視する。
いたって真剣な本人には言い辛いが、その姿は誰よりも怪しかった。
「気持ちは嬉しいんだけど……。わたしが探すから大丈夫よ」
「え? でも、二人の方が……」
イリシャは言葉を濁してみたものの、フェリーへ真意は伝わらない。
どうするべきかと、思わぬ方向から彼女を悩ませた。
あれだけ警戒心を剥き出しにしてしまえば、見つかるものも見つからない。
そもそも、解放軍も疑われて良い気分はしないだろう。間者を見つける為に、全体との軋轢を生んでは元も子もない。
などと言ってしまえば、フェリーを傷付けてしまうだろうか。
「ええっとね。そうだ、ほら! フェリーちゃんには、ギルレッグの手伝いをして欲しいの!
間者を見つけたら戦闘になると思うし、解放軍の近くで自然に待機しておいて欲しいっていうか――」
「ん-……」
フェリーは軽く握った拳を口元へ当て、黙り込んでしまう。
我ながら苦しい言い訳だったかもしれないと、イリシャは苦笑いを浮かべた。
「うん、分かった! あたしはいつでも戦えるようにしておくね!」
「え、ええ! フェリーちゃんしか頼めないの! お願い!」
イリシャの心配をよそに、フェリーは納得をしたようだった。
霰神と灼神を忍ばせ、言われた通りにギルレッグの元へと駆け寄っていく。
彼女の素直な性格が幸いをしたと胸を撫で下ろしたイリシャだが、それは同時に自らが責任を抱え込んだ事を意味する。
解放軍の同行を漏らしているであろう間者は、自分独りの力で見つけなくてはならない。
「わたし、こういうタイプじゃないんだけどなあ……」
誰にも聞こえないように、イリシャはぽつりと弱音を吐いた。
本来であれば、こう行った自体で頭を働かせるのはシンやマレットだ。
他に挙げるなら、オリヴィア辺りも好んで考え始めるだろう。
フェリーは勿論、リタやレイバーンも向いているとは思えない。
(あ、でも……。リタやレイバーンなら別の方法で見つけるかもしれないわね)
リタは人間の世界に来れば、その鋭敏な魔力感知が役立つだろう。
レイバーンも、嗅覚や聴覚が優れている。二人ならば、自身の能力だけで問題を解決しかねない。
そう思えば、今は適任者がこぞって不在の状況だ。
(……ダメね。こんな考え方じゃ)
不安に押しつぶされそうになる気持ちを振り払うかのように、イリシャは己の両頬を強く叩いた。
向いていないからなんだ。白羽の矢を立てられたのは、信頼されているからではないか。
ない物ねだりをしている場合ではないと、自らを叱咤する。
(なんにせよ、まずは情報が必要よね)
自分達は解放軍に参加して日が浅い。
それも、初めから存在を知っている訳ではない。転移した結果から、そのまま身を寄せている。
もっと解放軍の人となりを知らなくては、きっと答えへ辿り着けない。
(そうなると、誰に話し掛けるべきかしら……)
ここまでたどり着く間にも、自分へ言い寄る男の姿は何人かいた。
好意を利用する形になるものの、案外情報を得られるのではないか。
ふと沸いた甘い考えだったが、イリシャは頭をブンブンと振って自らで否定をする。
(って、ダメダメ。そんなことしちゃ。夫にも申し訳立たないじゃない。
第一、信用させるために近寄って来てる人だっているかもしれないんだから)
脳裏に浮かんだのは、優しい笑顔を浮かべる夫の姿。
彼の元を去って100年以上の年月を重ねたが、その情景が色あせた事はない。
ハニートラップなど言語道断。あらゆる方向に対する裏切りだ。
近寄ってきた人間に訊くのは良くない。
相談した相手が間者だったら、一巻の終わりなのだから。
そうなるとやはり、話を訊く相手は慎重に選ぶべきだった。
オルガルやオルテールは今回、意図的に選択肢から消した。
彼らが間者であるならば、神器が主として認めないのではないかと考えたからだ。
邪な心を持たないからこそ、宝岩王の神槍は継承者として相応しいと判断をしたに違いない。
ただ、一方で彼らに相談もし辛い。
経緯を考えると、彼らも解放軍に参加して日が浅い。イリシャは欲しい情報が得られないと踏んだ。
(そうなると……)
訊くべき相手はマクシスではないかとイリシャが思うのは、当然の帰結と言えるべきものだった。
解放軍における彼の発言力の強さ。加えて、御旗であるロインが信頼しているという点も大きい。
ただ、それは同時に間者として疑われにくい地位を確保しているとも受け取れる。
直接マクシスを責めるのは聊か危険なのではないかと考えたイリシャは、まずはロインから話を訊く事に決めた。
……*
当のロインはというと、フェリー同様にギルレッグを手伝うべく奔走していた。
廃教会で小人族の王たる彼と会話して以来、何か思うところがあったようだ。
マクシスやオルガルの次に、ギルレッグと共にする時間が多い様にも見受けられる。
「ロインくん、色々と手伝ってくれてありがとうね」
「イリシャさん。ありがとうございます」
自然に。あくまで自然に、イリシャはロインへと近付いた。
冷たい水を差し出し、ロインに一息入れるようにと促す。
素直な子供である彼は両手で水を受け取ると、ゆっくりと口を付けた。
「……と言っても、みんな私を護るために傷ついたわけですから。
これぐらいはしないと気が休まらないというのが、本音です」
(私、かあ……)
ロインの隣に腰を下ろしながら、イリシャは彼の一人称が「私」である事を気にした。
ギルレッグと話す際は、時折「ボク」と言っている。恐らくは、彼の素がそちらなのだろう。子供らしくていいと思う。
そういう意味では、今の彼は解放軍の御旗としての役割を意識していると言ってもいい。
妖精族の里で子供の世話をしている身としては、警戒されているようで僅かに心が痛んでしまうが。
「でも、解放軍がロインくんを担ぎ上げているのも事実だから。
君を護るっていうのは、ある意味では皆の使命なのよ?」
「そうは言っても、私が父に命を狙われていることには変わりませんから。
みんなが居なければ、今頃は私も――」
「……ごめんなさい。わたしが浅はかだったわ」
解放軍がロインを御旗に掲げ、反旗を翻そうとしているのは事実だ。
一方で解放軍がロインを護っているというのも、揺るぎない事実だった。
持ちつ持たれつつ……と表現するには抵抗があるものの、切っても切れない関係である事には変わりない。
「いえ、そんな! ただ、私のせいでマレット博士は……」
少年の脳裏に浮かぶのは、マーカスによって連れ去られたマレットの姿だった。
自分達が救援を要請したからこそ、彼女は連れ去られてしまった。
いくら悔やんでも、悔やみきれないと表情を曇らせる。
「ベルちゃんなら心配をしなくてもいいわよ。
そんなにヤワじゃないでしょうし、シンが迎えに行ったもの」
「ですが――」
穏やかな表情を見せるイリシャと対照的に、ロインは眉を顰めた。
彼は『憤怒』の恐ろしさを目の当たりにしている。
無謀だとしか思えない。自分のせいでまた傷付く人が増えてしまうのではないかと不安になる。
「ロインくんの言いたいことは分かるわ」
「えっ?」
本心では、自分も止めるべきだと判断をした。
カランコエの戦いで、彼は意識を失い程の激闘に身を任せたのだ。
火傷だって完治していない。無理をしている事ぐらい、治療をしている自分が一番知っている。
「けどね、シンはフェリーちゃんを置いてどこかへ消えたりはしないわ。
だから、きっとベルちゃんを連れて帰ってきてくれるわよ」
「そんな……!」
精神論でどうにかなるのならば苦労はしない。
そう言いたげに身を乗り出すロインを、イリシャはそっと落ち着かせる。
「まあまあ。どっちにしろ、シンは行っちゃったんだから。
わたしたちは戻ってくることを信じましょう」
「……はい」
完全に納得はしていないのだろう。下唇を噛みながら、ロインはゆっくりと頷いた。
イリシャとしても、シンの事をあまり引っ張る気は無かった。
今の状況を間者に勘付かれても、面倒だからだ。
「それよりも、マクシスさんはロインくんをよく気に掛けているけど。
他の解放軍とは違って、元々の知り合いだったりするの?」
「いえ、マクシスは――」
「おれに何か用事か?」
マクシスについての情報を集めようとした矢先。
義肢の修理を終えた本人が、イリシャとロインの元へと現れる。
悠長にし過ぎたと、イリシャは軽く顔を顰めていた。
「マクシスさんはいつもロインくんの傍にいるから。
解放軍に入る前からの知り合いなのかって、訊いていたのよ」
こうなれば当たって砕けろだと、イリシャは矛先をマクシスへスライドさせる。
下手に誤魔化して疑念を持たれるよりは、余程いい。
「それを知って、どうするつもりだ?」
「マクシス! そんな言い方をしなくても――」
しかし、唐突に関係を探られているマクシスからは良い反応が返ってくるはずもない。
訝しむ様子がありありと伝わってくる。
「こんな状況だもの。わたしたちは、もう少しお互いを知った方がいいと思ったのよ。
マクシスさんだって、ベルちゃんを恨んでいたでしょう? ベルちゃんがどう思っているかは、考えようともしないで」
「……」
マクシスは沈黙を貫く。イリシャの言葉を前にして、何も言い返せなかった。
彼にとっては、魔導石は自分の腕と眼を奪った憎むべき魔導具。
生み出したベル・マレットも、使用したマギアの軍隊も同様だった。
その過程に何があったかは関係ない。自分へ訪れた結果こそが、全てだった。
けれど、彼女は命を賭してまで自分達の前に姿を現した。
まだ子供であるロインを御旗に立てた事へ、憤りを露わにした。
新たな手足を、失った同胞へと与えてくれた。
魔導具の発明が全てで、人の命を何とも思っていないとレッテルを貼っていたのは自分だった。
本当の彼女を知らなかったからこそ、長年憎しみを募らせてきたのだと思い知らされた。
「だから、マクシスさんの話も教えて欲しいのよ。
言っておくけど、治療だって淡々とするわけじゃないんだから。
見知った仲の方が、やっぱり心配にもなるし力も入るってものよ」
「む……」
思い当たる節があるのだろうか。マクシスは、眉を顰めて見せた。
若干脅している気がしないでもないし、言いくるめようとしている事は否めない。
「確かに、お前の言うとおりだ。……すまない」
「いえいえ、事情はそれぞれだもの」
申し訳なさそうにするマクシスを前に、イリシャ良心の呵責に苛まれた。
嘘偽りを述べているつもりはないが、情報を引き出そうとしている事には変わりがない。
(やっぱり、こういうの向いてないわよ……)
後でうんとシンに文句を言ってやろうと、心に誓うイリシャだった。