307.行く者と残る者
彼は迎えに行くかの如く、事も無げに言ってのけた。
世界再生の民に連れ去られたベル・マレットを「連れ戻してくる」と。
「シ、シン! 解ってて言ってるの!?」
「ああ」
シンは平然と頷いて見せるが、イリシャが狼狽するのも無理はない。
解放軍の話を聞く限り、相手の戦力には邪神の分体が控えている。
加えて、問題はそれだけではない。
「あのね、シン。貴方の怪我も軽くはないのよ。
確かにベルちゃんのことは心配だけど――」
「俺は大丈夫だ。一晩寝て、ある程度は回復している」
「あれは寝ているんじゃなくて気を失って……。ああ、もう!」
シンの身を案じていたイリシャだが、言っても無駄だと悟る。
この男は融通が利かないのだ。押し問答になれば、無理を通すに決まっている。
「分かったわ。だけど、行くなら必ずベルちゃんを連れて帰ってきたよね」
「ああ」
こうなってしまえば仕方がないと、イリシャは半ば呆れ気味にため息を吐いた。
入れ替わる様にして、フェリーが己の手をおずおずと上げる。
「シン、あたしも……!」
「駄目だ」
間髪を入れずに却下したのも、シンだった。
シン自身は「行く」と主張して曲げないのに、どうして自分は却下されなければならないのかとフェリーは納得がいかない。
「なんで!? シンのあんぽんたん!」
理由も話さないのであれば、フェリーとて折れるつもりはない。
徹底抗戦の構えを見せようとする中、シンはギルレッグに昨夜の出来事を再確認する。
「邪神を連れていた男は『今宵』と言ったんだろう?」
「あ、ああ……」
『憤怒』を連れた男。マーカスは、確かに「今宵は彼らを見逃そう」と言った。
記憶に違いはないと、ギルレッグが肯定をする。
「だったら、今晩にでもまた攻めてくる可能性はある。
手負いの解放軍だけで対処するには不安が残る。
フェリーには、解放軍の皆を護衛して欲しい」
「むう……」
(どの口が言ってるのかしら……)
手負いなのは自分もだろうと言いたげなイリシャを他所に、フェリーが躊躇いの様相を見せた。
シンの言う通り、解放軍は負傷者も多い。特に義肢が破壊された者達は、ギルレッグの修理を待つ他無い。
襲撃されてしまえば、一網打尽となるだろう。
「それに、今回はきっと俺一人の方が動きやすい。
大丈夫だ、ちゃんとマレットは連れて帰る」
「……わかった。ゼッタイ、帰って来てね。シンもだよ」
「ああ」
カランコエでは沢山迷惑を掛けた事もあり、我儘ばかり言って困らせたくないという思いが彼女の決断を後押しする。
まだ完全に呑み込めた訳では無いが、フェリーは彼の言葉を受け入れた。
「ギルレッグ。用意して欲しい物がある。
小人王の神槌を使えば、造れるか?」
「物によるが、ワシに出来る物なら用意しよう。
なんでも言ってくれ」
シンがギルレッグへ作成を依頼したもの。
それは数本の鉄で出来た投擲用のナイフと杭。そして、魔硬金属製の糸だった。
「使うかどうかは兎に角、取り回しの利きやすい道具が欲しいんだ」
「それぐらいならなんとかできる。待ってろ」
義肢に使用した魔硬金属の破片は持ち歩いている。
ナイフや杭もそこから用意しようと、ギルレッグは小柄な体躯に似合わない巨大な鞄へと手を伸ばした。
「ああ、そうだ。コイツを預かってたんだったな……」
彼を出迎えたのは、金属ではなく畳まれた白衣だった。
別行動を取りだした直後に、マレットが意味深な言葉と共に遺した物。
彼女は確か、「シンに渡せ」と言ってた。意図は判らないが、シンなら気付くのだろうか。
「なあ、シン。ちょっといいか?」
「どうかしたのか?」
「いや、なんだ。あのな、別の奴が白衣を脱いでいったんだ。
『何かあったら、シンに渡せ』だとかなんとか……」
揶揄われた事を思い出し、顔を赤らめるギルレッグ。
何故か言い淀む彼に首を捻りながら、シンはマレットの白衣を手に取って見せた。
シンは白衣を広げては、彼女の身に着けていたものをまじまじと見つける。
外見に変化が無いと見るや、シンはよく彼女の手を暖めていたポケットへと手を伸ばす。
「シ、シンってば……」
「マレットのでも、いちおう女のひとの服なんだよ!?」
「俺に渡したんだから、何か探せって意味だろう」
全く躊躇いを見せない様子に呆れるイリシャと頬を膨らませるフェリー。
そんな事を言っている場合ではないと、シンは意に介さない。
白衣のポケットに状況を打破する物がないか。ただそれだけを求めた。
彼の指先に触れたのは、指で摘まめる程度の板だった。
徐にポケットの中から取り出すと、見覚えのある魔導具が姿を現す。
「マナ・ポイントか」
魔力を通す事により、対象の位置を知る事の出来る魔導具。マナ・ポインタ。
発信と受信による二枚一組の魔導具だが、ポケットの中には片方しか収められていない。
察するに、自分の掌に乗せられているのは受信機側だけだろう。
「そういえばベルの奴、白衣を脱いだ後に髪留めを付けていたな……」
思い返せば、彼女にしては珍しい行動だった。邪魔だからと言って、髪を後ろで縛っている事は多い。
けれど、前髪を抑えている姿など見た事はない。彼女はあの時点から、自分達の身に何か起きる可能性を感じ取っていたのだ。
「だったら、多分そっちが発信機だな。魔力を通せば、大まかな位置が判るはずだ」
「ってコトは!」
「探す手間は省けるわね」
マレット奪還の足掛かりが見え、僅かではあるが解放軍は活気を取り戻した。
彼女は自分の存在価値をよく把握している。連れ去られるなら自分かロインだと、当たりを付けていたのだろう。
その点では、彼女は大きな仕事を果たしたとも言える。
(これだけか?)
一方で、シンの顔は浮かない。確かに位置を報せてくれるというのは有難い。
だが、場所が判ったとしてもそこがどれぐらい危険であるかは解らないのだ。
極論、敵がマナ・ポインタの存在に気付いていれば罠を張られている懸念すらある。
命を預ける情報としては、聊か心許ない。
マレットならば或いは、他に何か残しているかもしれない。
確証のない期待を胸に、シンは再度ポケットの中へと手を伸ばす。
作りかけの魔導具が、いくつも指先に触れてはポケットから取り出されていく。
期待とは裏腹に、マナ・ポインタのように明確な魔導具の類は無かった。
全て出し終えたと思った頃、シンの指の腹である物が転がる。
(砂? いや、それにしては大きいか)
もしかすると魔導具の部品かもしれないと、シンはその粒さえも取り出す。
掌で転がっているのは、二粒の石ころ。濁った色をしたそれは、とても魔導具の部品には見えなかった。
勿論、魔石の類でもない。魔石であるならば、もう少し透き通った色をしているはずだ。
通常あれば、ただの塵芥がポケットに入り込んでいたと考えるのだろう。
だが、シンはそれをゴミだとは思えなかった。既視感があったからだ。
ゆっくりと、自分の記憶を紐解いていく。自分は必ず、この石ころを邂逅した事があるはずだと。
(マレットの奴、まさか……)
確証はない。けれど、そうだとしか思えなかった。
自分に扱える保証はない。そもそも、使用できる保証すらない。
シンは己の勘に従って、この石ころを自分の懐へと収めた。場合によっては、切り札になると信じて。
「どうだ、シン。他に何かあったのか?」
「いや、マナ・ポインタぐらいだな。
これだけでも随分と助かるが」
「確かに、ベルの奴は抜け目ねえよな」
「全くだ」
心の底からそう思うと、シンは同意をする。
ただ、彼は仲間へ石ころの存在を伝える事を避けた。
妙な期待も不安も、皆には持たせたくない。何より、知られたくない相手が居るからだった。
「――マレットの白衣はこれでいいとして。
後はイリシャ。悪いが、この薬を用意してくれ」
「……え? どういう風の吹き回し?」
思いがけないシンの行動に、イリシャは面食らう。
自分が彼へ治療用の道具を渡した事はあれど、薬を指定されたのは初めてだ。
どういう風の吹き回しかと、眉を顰めながらシンのメモを受け取った。
「言っておくけど、シンの怪我は診てるんだからね。
間違っていたら、ちゃんと――」
薬師としての役目は果たさせてもらうと言わんばかりのイリシャだったが、その動きが固まる。
メモの中身を前にして、取るべき反応を探しては目を泳がせていた。
「ふむ、どうかしたのか? 儂も、薬にはある程度知識があるぞ」
余程、無理難題を吹っ掛けられたのだろうかとオルテールが顔を覗かせる。
親指に力が入り、紙に皺が刻まれているが問題はない。
メモの奥には、火傷の治療に使われる軟膏がつらつらと書き綴られていた。
「ふむ。小僧、思ったより薬の知識があるのだな」
感心をしたと、オルテールは白髪と白髭を上下させる。
イリシャはというと、シンとメモを交互に見比べていた。
「行けそうか?」
その言葉に含まれているものを、イリシャは知っている。
自分が首を横に振れない事だって、承知の上で問いかけているのだ。
「ええ、任せておいて」
イリシャは、首を縦へと振った。
肯定が意味するものは、治療薬の準備だけではない。その先にある、本当の頼みまで含めて。
「フェリーちゃん、シンの薬を準備したいから少し手伝ってもらえないかしら?
その後は、皆の治療も必要ね。忙しくなるけど、いいかしら?」
「うん、分かった」
連鎖するように、イリシャはフェリーへと繋いでいく。
シンから託されたバトンは、彼女達二人に委ねられた。
……*
「……よし。それじゃあ、シンに持たせる荷物を纏めましょうか」
解放軍から少し離れた位置にイリシャとフェリーは腰掛ける。
ゆっくりと薬品を並べながら、シンの鞄へ取り出しやすいように詰め込んでいく。
「でも、どうしてこんな隅っこでするの?」
イリシャは敢えて、解放軍から離れた位置に陣取った。
この後、皆の治療をするのであれば離れる必要はないのではないかと小首を傾げる。
「それはね、メモのせいよ」
「うん?」
解放軍に気取られないように、あくまで薬の種類を確認するように。
イリシャはシンから受け取ったメモをフェリーへと差し出す。
「お薬の名前がたくさんあるね」
フェリーは薬に明るい訳ではない。羅列した文字に、特段疑問は思わなかった。
尤も、シンにとってもこの薬品には特段を持たせてはいない。
あくまで自然にメモを渡す為の動作に過ぎなかった。
「えっとね、フェリーちゃん。見て欲しいのはこっちよ」
イリシャはメモの上で指を滑らせていく。
彼女が強く握った事により歪んたそれは、視方によっては紋様のようにも見える。
「……うん?」
いっそう小首を傾げるフェリーを見て、イリシャはどうして自分へこのメモを渡したのか理解をした。
フェリーは読めないのだ。薬品名の下に掛かれた、シンの真意が。
「えっとね、フェリーちゃん。これは、ピースくんの世界の文字で……」
妖精族の里で、暇を見つけてはピースが教えていたもの。
それは、彼が前世で使用していた文字だった。
自分達だけが理解のできる言語として、シンが採用したのは片仮名だった。
描き慣れていないが故に角ばった文字ではあるが、却って皆が知る文字とは逸脱していく。
――スパイ ガ イル。
「……えっ?」
読み上げた言葉を前に、フェリーは思わず解放軍の面々を見渡した。
『憤怒』と戦った者は痛みに悶え、壊れた義肢を物悲しそうに見つめている。
オルガルやオルテールだってそうだ。不甲斐無い自分に、ずっと腹を立てている。
とても間者が居るようには思えないとイリシャへ視線を戻すが、彼女も見つけきれていないらしい。
「ほんとうに、いるの……?」
フェリーの問いに、イリシャは眉を下げる。
自分にも確証はない。シンにメモを渡されて、驚いたぐらいだ。
けれど、間者が居るならば色々と辻褄が合う。
今回の襲撃は、異常なまでにタイミングが整っていた。
街を避けて北上したにも関わらず、ゼラニウム付近でシン達は躯と遭遇をした。
ほぼ同時刻に、解放軍とは全く関係ないルートを通った自分達も村人の躯に襲われる。
極めつけは、手薄になった解放軍を狙い撃つかのように現れた邪神の分体。
全てが出来過ぎているのだが、間者が居るというのなら話は早い。
世界再生の民は何も労せず、的確に攻め込むだけで良いのだから。
言葉を使わず、メモ。それも片仮名を使ったのはシンも目星を付けられていないからだ。
妖精族の里。それも気が向いた人間しか学んでいない言語を、わざわざ使用した。
オルガルやオルテールでさえも、警戒して然るべきだという意思表示に他ならない。
「シンには出発まで時間がないもの。……わたしたちで探すしかないわ」
フェリーを解放軍へ残したのも、間者を警戒しているからに違いない。
戦力が手薄になれば、必ず攻めてくる。救援に向かうのであれば、間者を見つけてから。
「……うん。なんとか、見つけなきゃだね」
顔を強張らせるイリシャを前にして、フェリーは固唾を呑み込んだ。
シンは自分を置いて行こうとしたのではなく、頼ってくれている。
彼の信頼に応えたい。その思いが、自然と強まっていた。




