表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第五章 大切なもの
342/576

306.連れ去られた天才

 使い魔のように現れた邪神の分体、『憤怒』(サタン)

 分体(それ)が放つ威圧感は、人間や魔物の発するそれとは明らかに異質なものだった。


「若、来ますぞ!」

「分かってる!」


 オルテールに促され、宝岩王の神槍(オレラリア)を構えるオルガル。

 彼らは既に悪意と接触の経験がある。邪神の分体も、話には聞いていた。

 龍族(ドラゴン)に酷似している姿も、本物(フィアンマ)を見た彼らにとっては怯む材料と成り得ない。


(さて、私で『憤怒』(サタン)をどの程度の制御できるのやら)


 一方のマーカスはマレットの身柄以外にも、隠された目的があった。

 適合者以外による、邪神の分体を操るという実験。

 これが上手く行けば、今後の邪神の運用が上手く行く。


 呼び出しては見た者の、既に全開とはいえそうもない。

 やはり適合者から離れすぎるというのは、良くない傾向なのだろう。


(ま、それでも解放軍を蹂躙するぐらいは問題ないだろうが)

 

 しかし、マーカスの表情に一切の焦りはない。

 高名な魔術師が居ないという事は、純粋な力こそがものを言う。

 いくら出来が落ちていようとも、マギアの人間に後れを取る要素はないのだから。


 四足歩行の怪物は、強引に森の中を突き進んでいく。

 翼は邪魔だと言わんばかりに折りたたまれ、自らの身体を多少打ち付けようとも全く意に介する様子はない。

 龍族(ドラゴン)のような見た目とは裏腹に、猪のような愚直さを印象付けた。


 『憤怒』(サタン)の突進を躱そうと散開を試みるのは、オルテールや解放軍の面々だった。

 宝岩王の神槍(オレラリア)の継承者であるオルガルはその場に踏みとどまる。

 いや、踏み留まらざるを得なかった。

 

「いくら何でも、強引が過ぎるだろうに!」


 オルガルとて、至近距離ならともかく姿形が見えた状態での突進を避ける事は造作もない。

 そうしなかったのは、『憤怒』(サタン)()()()()()()()場合を考慮しての事だった。

 

 自分の背後にはマレットやロインが居る。

 非戦闘員に害が及ばないように。そして、仲間が攻撃をする隙を作るために。

 『憤怒』(サタン)の攻撃を誰かが受け止めなくてはならなかった。


 オルガルは宝岩王の神槍(オレラリア)の穂先を、『憤怒』(サタン)の鼻頭へ合わせるように差し出した。

 押し付けるようにして、刃は僅かに鼻へと食い込む。オルガルはそのまま力を込め、悪意を拒絶するかのように押し出した。


「――!」

 

 宝岩王の神槍(オレラリア)により重力の向きを変えられたのは、『憤怒』(サタン)の首から上のみ。

 己の推進方向と真逆に()()()()()頭に、邪神の分体は困惑の色を隠せない。


 前へ進めば進む程に、己の頭との距離が離れていこうとする。

 形容しがたい矛盾を前にして、『憤怒』(サタン)はその足を止めた。


 顎を天へ向け裏返った頭。その瞳に映るのは、白みが残る己の身体の中心。

 『憤怒』(サタン)の視界は、戦うべき相手を捉えてはいない。

 

「流石ですぞ、若!」


 オルガルの一撃に長年、師を務めているオルテールも賞賛の声を送った。

 己の腕を伸ばしてギリギリ触れる距離。間合いを正確に把握しているからこそ、自身へ危険が及ばない形での反撃を可能とした。


 それだけではない。集中した宝岩王の神槍(オレラリア)の一撃は、『憤怒』(サタン)の頭部のみを狂わせた。

 胴体と重心のつり合いを取れないが故に、『憤怒』(サタン)は困惑をした。オルガルの生み出した一瞬こそが、解放軍にとっての勝機。

 

「やれ! この化物を、仕留めるんだ!」


 マクシスの号令に応じるかの如く、オルテールとはじめとした解放軍の男達が次々と得物を『憤怒』(サタン)へとぶつけていく。

 得体の知れない怪物である事には違いないが、だからこそ動けぬうちに仕留めなくてはならないという思いが強まる。


 外殻が刃によって傷付けられ、鈍器によって形を歪めていく。

 確実に傷つけられていく『憤怒』(サタン)だが、苦しそうな素振りは一切見せない。

 裏返った顔の奥で、怪しく眼光を灯らせるだけだった。


「……っ! この化物め、痛みを感じねえのか!?」


 手応えとは裏腹に沈黙を貫く怪物に若干の恐怖を覚えた解放軍は、その力を強めていく。

 或いは、抵抗が無い姿を前にして警戒を解いてたのかもしれない。

 ただただ、この得体の知れない存在を討伐しようという思いだけが前のめりとなっていった。


「痛みを感じなくとも、動けなくさえすれば!」


 自分も参加すべく、宝岩王の神槍(オレラリア)を構えるオルガル。

 大地を蹴り、神槍の穂先を『憤怒』(サタン)へと向ける。

 沈黙を貫いている『憤怒』(サタン)は、もう目と鼻の先だった。

 オルガルは、解放軍は近付きすぎていた。悪意の塊である、『憤怒』(サタン)に。

 

「……おいっ!」


 最も早く異変を察知したのは、離れた位置から戦闘を見守っているマレットだった。

 『憤怒』(サタン)の様子が明らかにおかしい。沈黙を貫いている事にではない。

 明らかに龍族(ドラゴン)のような身体に、変化が見て取れたのだ。


「一旦離れろ! 『憤怒』(そいつ)、何かおかしいぞ!」


 身体がひと回り大きくなっている。いや、肥大化しているのは尾だけだった。

 それ以外は外殻が浮いているといった表現をした方が正しいかもしれない。

 力が外へ向けられているようにも見えている。『憤怒』(サタン)の近くにいてはいけない。そんな予感がした。

 

(ほう……)


 マレットの判断を前にして、マーカスは賞賛の笑みを浮かべた。

 戦闘に参加をしていないにも関わらず、彼女の眼は『憤怒』(サタン)の変化を正確に捉えている。

 その観察眼は、新たなものを生み出そうとする研究者にとっては必要不可欠な要素。

 やはり彼女は、そこいらの有象無象とは一線を画している。


 事実、戦況に変化が起きたのはマレットが叫んだ直後だった。

 

「――ぐうっ!?」


 マレットが浮いていると判断した外殻が、まるで大砲のように四方八方へ放たれる。

 至近距離で攻撃を加えていた解放軍が避ける事は、不可能だった。

 圧縮された魔力が、解放軍の身体を吹き飛ばしていく。


 マレットの言葉に反応出来たのは、オルガルとオルテールの二人だけだった。

 他の仲間よりは距離があったオルガルは、宝岩王の神槍(オレラリア)の重力操作も相まって放たれた外殻を叩き落していく。

 オルテールは至近距離ではあったが、巧みに槍を操って直撃を避けていた。


「ぐ、あ……!」

「なんなんだ、一体……!」


 思いもよらぬ反撃を前にして、激痛にのたうち回る解放軍。

 マレットとギルレッグにより取り付けられた義肢は魔力の塊にり破壊され、立ち上がる事すらままならない者もいる。

 

「みなさん!」


 負傷者に気を取られた一瞬だった。

 ほんの僅かではあるが、オルガルは確かに『憤怒』(サタン)から意識を逸らした。

 戦闘に於いてはそれが命取りになると、散々オルテールに教えられてきたにも関わらず。

 

「馬鹿野郎! オルガル、余所見すんな!」


 マレットの声が届いた時には、もう手遅れだった。

 星明りだけが頼りとなる、真夜中の戦闘。

 その僅かな光さえも、オルガルの頭上からは消えていた。


 影を生み出しているのは、『憤怒』(サタン)の尾。

 先刻よりも更に肥大化したそれが、オルガルの姿を完全に覆っている。

 

「しまっ――」


 咄嗟に宝岩王の神槍(オレラリア)を突き立てるが、時すでに遅し。

 突き立てられた穂先による重力の操作よりも、振り下ろされた尾の勢いが完全に勝っている。

 『憤怒』(サタン)の巨大な尾により、オルガルの身体は地面へと打ち付けられた。

 

「ぐ……」


 まるで踏みつぶされた蛙のように、大地へ横たわるオルガル。

 息があるのは、重力の向きを上空へ変える事により勢いを殺せたからだった。

 ある意味では、宝岩王の神槍(オレラリア)があったからこそ生き延びられたのかもしれない。


「若っ! おのれっ、この化物が!」

 

 だが、彼の従者であるオルテールが激昂するには十分だった。

 外殻の破片による攻撃は直撃こそ避けたものの、至近距離に居た彼も無傷ではない。

 それにも関わらず、オルテールは果敢に『憤怒』(サタン)へと立ち向かっていった。

 彼もまた、怒りにより視野が狭くなっている。負の連鎖が続いていた。


「おい、ジイさん!」


 自分の制止など聞くはずがないと知りつつも、マレットは声を荒げた。

 またもマレットの視点からすれば、不可解な出来事が起きている。

 先刻までは魔力を溜め込んでいると思っていた。だからこそ外殻は浮き、尾は肥大化したのだと。


 しかし、その一連の行動は終えたはずだ。蓄積した魔力は使い切ったのはずだ。

 それなのに、『憤怒』(サタン)の尾は更なる肥大化を見せている。


(なんだ、何が起きてるやがる?)


 一瞬の中で、マレットはいくつもの選択肢を浮かべては腹に落ちる物を探し求めた。

 マーカスは確かに『憤怒』(サタン)と言った。『憤怒』を司る分体が、持ち得る能力。

 

 テランは言っていた。邪神の能力は適合者に影響された結果、発現をすると。

 奥でほくそ笑んでいる小太りの中年(マーカス)は適合者ではない。四肢も、眼も移植をした様子が見当たらない。

 今、自分が考えるべき事柄ではないと本能が訴えている。

 この際、そんな人間が邪神の分体を操っているという事実は後回しにした。


 しかし、考えを纏めるにはあまりにもサンプルが少なすぎる。

 何処から何処までが邪神の能力が起こした事象なのか。或いは、全てが違うのか。

 マレットが結論を出す間もなく、肥大化した尾はオルテールへと襲い掛かっていた。


「ぐうぅぅぅぅぅ……っ!」


 周囲の樹を薙ぎ直しながら払われる尾を、オルテールは身を呈して受け止める。

 だが、膂力の差は歴然だった。羽虫でも叩くが如く、オルテールの身体は森に聳え立つ樹へと打ち付けられた。


「お、の……れ……」


 オルテールの身体は樹液とは違う、禍々しい色を幹へと塗りたくる。

 屈辱と怒りを以て、『憤怒』(サタン)の顔を睨みつける。

 心が折れていないのは、歴戦の戦士である証拠だった。


「恐れ入ったよ。まだそんな眼をする元気があるとは」

「抜か、せ……。背後で見ているだけの……支配者気取りが」


 老人だと思い侮っていたと、賞賛の拍手を送るマーカス。

 彼の行動を侮蔑だと思ったオルテールは、血の入り混じった唾を吐き捨てた。


「だが、事実この場を支配しているのは私だ。

 そうだ、老い先短い貴公にも命の使い道をあげようじゃないか」

「なにを……」


 虫の息のオルテールを前にして、マーカスはある提案を思いついた。

 矛先は彼ではなく、ベル・マレットに対して。


「ベル・マレット。君が首を縦に振ればこのゲームは終わりだ。

 『憤怒』(サタン)の力を以て、まずはこの老人を殺そう。

 次は神器の継承者だ。そして、解放軍。小人族(ドワーフ)

 ああ、ロイン・ベゴニアを処刑するのは私ではないから安心をしてくれ。

 国王陛下には突き出させてもらうがね」


 マーカスの提案は、実に単純明快だった。

 自分について来なければ、仲間を一人ずつ殺す。

 解りやすく、最低最悪な申し出。

 

「ベル、ダメだ……」


 肺に残った僅かな空気を絞り出しながら、オルガルはマレットの顔を見上げた。

 ついて行けば、何をされるか判らない。幼馴染をそんな危険な所へは連れていけないという、悲痛な叫び。

 

「マレット博士、いけません!」

「ベル。ワシらが抑えている間に、お前だけでも逃げろ」


 非戦闘員であるロインやギルレッグも同様だった。

 自分達に構っている間に、逃げろという。


 他の者も同じだった。

 誰一人として、マレットを悪意の元へ突き出そうとする者は居なかった。

 だからこそ、マレットはこの決断に迷いはなかった。


「そんな脅しは必要ねえよ。アタシは、アンタについて行ってやる。

 但し、嘘だった場合にはお前の欲しがってる頭脳は手に入らない。それでいいな?」

「ああ、君が来てくれるのであれば私としても言う事はない。

 私も『憤怒』(サタン)も、今宵は彼らを見逃そう」


 マーカスとすれば、上々の戦果だった。

 元々解放軍と戦うべき相手は、マギアの軍隊だ。自分が全滅までさせてやる義理は無い。

 

 何れ世界再生の民(リヴェルト)によって滅ぼされるマギアと、稀代の天才の頭脳。

 自分にとってどちらが大切であるかは言うまでも無かった。

 

「おし、話が早くて助かる」

「それはこっちの台詞さ。余計な事をしなくて済んだのだから」


 事実、マーカスとしても盤石の状態ではない。

 遠隔で操作している『憤怒』(サタン)が、いつ限界を迎えるかは判らない。

 『憤怒』(サタン)が消えてしまえば最後、戦闘能力を持たない自分は蹂躙されるだけだった。

 まだ邪神の分体に脅威を持っている今だからこそ、強気の交渉が成り立っていた。


「ベル、おい! お前!」

「悪いなダンナ。皆の義肢、直してやっておいてくれ。

 後は、シンたちによろしく言っておいてくれ」

「ベル……」


 引き留めようとするギルレッグの手を、ゆっくりと解いていく。

 ほんの少し悪びれるような顔が、最後に見せた彼女の表情だった。


 解放軍やオルガルの言葉も、決意をした彼女へは届かない。

 こうしてベル・マレットは、悪意と共に姿を消していった。


 ……*

 

「そんな……」

 

 自分達の不甲斐無さを悔やむように、声を漏らす解放軍。

 口元を覆い隠すようにしながら、イリシャは声を漏らした。

 フェリーはどうすればいいのか判らず、ただただ皆の顔を交互に見回していた。


 解放軍の心と体の傷は、まだ癒えていない。

 そんな中、全てを理解した上でシンはゆっくりと立ち上がる。


「分かった。じゃあ、マレットを連れ戻してくる」


 そう呟く彼の瞳に、一切の迷いはなかった。

 シン・キーランドにとって、それ以外の選択肢が存在するはずもなかったのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ