305.相見える研究者
シンがカランコエで戦闘を繰り広げている頃。
彼に促され、別行動を取っていた解放軍の前に悪意が形となって現れる。
「君たちが、ルプス陛下に逆らう反逆者だね」
「誰だ!?」
徐に現れた男を前にして、解放軍の面々は最大まで警戒心を高める。
現れたのは凡そ戦闘には向いていないであろう、小太りの中年。
世界再生の民の研究者。マーカス・コスタ。
(どれ、ベル・マレットは――)
臨戦態勢に入ろうとする解放軍を気にも留めず、マーカスは品定めをするかの如く眺めていく。
その過程で驚いたのは、主要メンバーとなっているであろう者達の立ち振る舞いだった。
国王より受けていた情報によれば、解放軍の主力は先の内乱で大きく傷ついた者達が多いと聞く。
事実、自分がピアリーで雇っていた荒くれ者達と同等の雰囲気を醸し出していた。
けれど、彼らはその質がまるで違う。
彼らにっては暴君である国王を討つという大義名分があるからだと思った。
だが、同じ研究者である故か。マーカスはすぐにその本質に気が付いた。
彼らは力を手にしたのだ。彼らの失った四肢を補っている魔導具の存在に。
(ほう、これは……)
まるで身体と一体化しているかのように、自然な動きを実現している。
関節部分に魔導石を設置し、微かな魔力でも動くように調整を重ねているのだろうか。
自分も邪神の分体を移植するにあたって、同様の試みは既に成功させている。
けれど、それはあくまで『核』に適応した人間だけの話だ。
路傍の石に対して四肢の機能を取り戻させてやれと言われ、出来るだろうか。
不気味に口角を上げるマーカス。
全員から怪訝な眼を向けられようとも、笑いを堪える事が出来なかった。
ベル・マレット。彼女ならば、互いを高め合う事が出来るという確信を目の当たりにしたのだから。
「おい、アイツなんなんだよ? 気持ち悪いんだけど」
尤も、当のマレット本人はマーカスの意思など知る由もない。
突然現れた、明らかに敵だと思われる存在が気味の悪い笑みを浮かべている。
それだけで既に、生理的には受け入れ難かった。
「ワシに言われても、解るわけないだろう」
「あの、僕らなら解るみたいな感じにされても……」
眉を下げたギルレッグが、オルガルやオルテールへ応えるよう促す。
だが、解放軍もこの小太りの男など知りはしない。全員が首を振っては、荒事に備えていた。
そんな中、マーカスは目的の女性の姿を眼に留める。
むさくるしい男が揃う中で一際目を惹く栗毛の髪と、隠そうともしないその魅力的な身体。
目つきの鋭さが気の強さを現わしているかのようで、その点だけはマーカスの気に召さなかった。
ピアリーで村の女性を片っ端から屋敷へ呼び寄せていた彼からすれば、マレットの容姿は生唾を呑み込む程に魅力的だった。
「貴女がベル・マレットか。話に聞いているよりも、ずっと美しい女性じゃないか」
「げっ。アタシか……」
矛先が自分へ向いた事により、マレットは露骨に顔を引き攣らせる。
こんな小太りで、他人を嘗め回すような視線で見る男など生理的に受け入れられない。
目が合った瞬間に鳥肌が立ってしまう。勘弁願いたいと、心の中で呟いた。
「私はマーカス。マーカス・コスタ。
ミスリアの貴族……というより、あるモノを研究していると言った方が君の気が惹けるかな?」
遠回しな言い方が癪に障るが、マレットは即座に言葉の意味を理解した。
鋭くなる目つきを前にして、『強欲』の悪意に触れた事のあるオルガルとオルテールが状況を察した。
「ベル、もしかして」
オルガルは咄嗟に宝岩王の神槍の穂先をマーカスへと向ける。
彼が神器を取り出した事により、解放軍には一層の緊張感が走った。
「だろうな。あんなに構って欲しそうなアピールしておいて、違ったらダサすぎる」
やや呆れながらも、マレットはオルガルの言葉を肯定した。
目の前に居る男は自分が邪神を創り出した。そう、物語っているのだから。
「どういうことだ? ベル・マレット」
臨戦態勢を取りつつも、解放軍は状況を把握しきれない。
彼らを代表してマクシスが、説明をマレットへ求める。
「どうもこうも、あのオッサンが国王のご乱心に関わってるってことだよ。
もうひとつ言うと、奴らはミスリアからも追われている。お尋ね者ってわけだ」
「ミスリアからも?」
「暴走するにも、それなりの切っ掛けがあるってこった」
マクシス達解放軍からすれば、敵はあくまでマギアを圧政にて苦しめようとしている国王となる。
国王がミスリアをはじめとした他国への侵略を企てている事は知っているが、まさか外部から入れ知恵があるとは思ってもみなかった。
「いいか。アイツはミスリアの人間だろうが、ミスリアがこの騒動を引き起こしてるわけじゃないからな。
そこんとこは、絶対に勘違いするなよ」
「……分かった」
マーカスから下手に情報を小出しにされて混乱させられるよりはマシだと、マレットは彼らがミスリアの人間である事を伝える。
念押しをするマレットの気迫を前に、マクシスは気圧されながらも頷いた。
彼女にとっては大切な事なのだろう。それだけは、よく分かった。
「……で、その危ない研究をしてる人間がアタシに何の用だよ?」
不敵な笑みを浮かべるマーカスへ、マレットは怪訝な表情を突きつける。
表情や声色。仕草からも、拒絶の態度を示しているのはあからさまだった。
勿論、このような展開になる事はマーカスにも判り切っていた。
同じ研究者という立場ではあるが、陣営としては敵対している。
邪神の研究をしていると伝えたところで、良い感情が表に出てくるはずもない。
だから、マーカスはこの状況に一石を投じる。
解放軍の人間。その全てが人質だと言わんばかりに。
「ベル・マレット。私は君を勧誘しに来たんだ」
「勧誘だぁ?」
想像よりも遥かに下らない提案を前にして、マレットは一層嫌悪感を強くする。
予想通りの反応だと言わんばかりに、マーカスは彼女を無視して続けた。
「魔導石を生み出した、マギアの傑物。
君のような人間が、存分に力を振舞えないのは世界にとっても損失だ。
私と共に来るといい。どんな研究でも、思うがまま出来る。誰も邪魔はしない。
それがどんなに素晴らしいか、君なら解るだろう?」
「つまり、お前らについていけばどんな研究でもし放題だと?」
「勿論だ。例えば、到底他人に知られてはならないような実験でもね」
マレットの脳裏に蘇ったのは、ピースを通してシンから渡された邪神の『核』と思わしき石ころだった。
多くの女性が取り込まれ、そして見るも無残な怪物に成り果てたと聞かされた。
マーカス本人は自覚があるのだろうか。
今の自分が暗闇の中でもはっきりと判る程、醜い顔を晒している事に。
血や内臓のような、グロテスクなものが苦手なわけではない。
ただ、マレットは必要とあれば視るだけだった。この男のように、結果としてそんなものを求めた事はない。
「……まあ、研究するのに縛りがないってのは魅力的だよな」
「ベル!」
まさかの肯定を前に、オルガルが声を荒げる。
取り乱した幼馴染の様子を見て、マレットは安心をした。自分の感覚が正常である事に。
「逸るなよ、オルガル。あくまで魅力的って言っただけじゃねえか。
マーカスさんよ、悪いがアタシはついて行く気はないね。
アタシはまだ、そこまで狂ってないみたいだからな」
親指を下へ向け、マレットははっきりと拒絶を示す。
流石のマーカスも、これには顔を引き攣らせた。
彼女はまだ立場が分かっていないらしいと、額に青筋を浮かべる。
「魔導石で大量の人間を殺しておいて、よく言えたものだ」
既に同じ穴の狢だろうと、マーカスは吐き捨てる。
マレットが言い返さない所を見ると、触れられたくない事実なのだと気付いてまた口角を上げた。
「それは聞き捨てならないぞ!」
「全く、いい年した男が情けないわい」
「貴様が国王を惑わした張本人だというのであれば、ここで仕留めれば戦いが有利に運べるな」
これ以上の舌戦は意味がない。
そう判断した解放軍は、マーカスからマレットの身を隠すように立ちはだかる。
「私を仕留めた所で、国王は止まらないだろうが。
まあ、いい。ベル・マレットの心が変わるまでは相手をしてあげよう」
彼女の様子を見る限り、存外他人の痛みを気にするタイプのようだ。
こういう手合いは精神的に追い詰めさえすれば、後は思い通りに動かせる。
ピアリーの村人がそうだった。ひとたび娘を一人人質に取るだけで、後は容易かった。
事情は違えど、元鬼族の王であるオルゴも精神的に脆い男だった。
彼もその立場を追われ、精神的に追い詰められている。
自分より格上だと認識しているアルジェントに従うしか生きる術を持たず、世界再生の民へと加わった。
鬼族の存在は研究に於いて非常に有益なものとなった。
いつしか彼を基本に、邪神の分体に近しい存在を生み出したいものだとマーカスは考えている。
ベル・マレットも似たような手合いだろう。
その心さえ追い詰めれば、彼女の頭脳の恩恵を世界再生の民へ向けさせる事が出来る。
その為の準備は、入念にしてきたつもりだ。
(あの化物女を抑えてくれている、彼には感謝をしなくてはな)
マーカスは数ヶ月前に、煮え湯を飲まされた少女を忌々しく思っていた。
殺しても死なない、正真正銘の不死。ある意味では、多くの権力者達が目指す頂きに立っている人間。
検体としては興味深いが、邪神さえも燃やし尽くさんとするその炎は厄介極まりない。
仲間のシン・キーランド共々、復讐を果たしたいのは山々だが、それは仮面の男へと任せてある。
『憤怒』の力が齎す、意思を持った躯は彼らの精神を著しく傷つけるだろう。
躯を用いた復讐は上手く行くと思っているが、万が一の場合もある。
ここは横槍が入る前に、自分の目的であるベル・マレットを連れ去る事を優先した。
連れてしまえば、心変わりをさせる手段はいくらでもあるのだから。
「出番だ、『憤怒』」
徐に手袋を外したマーカスの右手。その人差し指へ、指輪を填める。
血潮のように真っ赤な宝石が取り付けられた、不気味な指輪だった。
「な、なんだ!?」
「ロイン様、下がっていてください!」
刹那、周囲の空気が重いものへと変わっていく。
地鳴りとは違う。ただ、心臓が締め付けられるような強大な圧迫感。
気味が悪いというよりは、ただただ不安を掻き立てた。
「マクシス!」
「駄目だ、ロイン坊。あれはワシらが邪魔をしていい存在じゃねえ」
ロインの身体を抱きかかえ、邪魔にならないようにと引き寄せるギルレッグ。
彼の判断は正しかった。現れた存在は、邪神の分体。相手の持つ、最高戦力と言っても過言ではないのだから。
現れた分体は、真っ赤な外殻を持つ龍族にも似た存在だった。
中心から外側へ向かって、血潮のような紅が広がっていく。外へ近付くにつれ、赤黒く染まる異形の存在。
(……なんなんだ?)
その現れるまでの過程を、マレットは目を逸らす事なく眺めていた。
初めは人の形をしていると思った。マーカスが命令すると同時に現れた子供が、四つん這いになったように見えたのだ。
だが、それは一瞬で終わる。強力な魔力の放出と共に、外殻を覆っていく。長い首が、大きな翼が、太い尻尾が創られていく。
瞬く間に出来上がったのが、四足歩行の怪物だった。
マーカスは本来であれば、『憤怒』の適合者ではない。
彼が『憤怒』を操る事が出来ているのは、単に適合者の協力によるものが大きい。
カランコエで躯を操りつつも、男は『憤怒』をマーカスの元へ顕現させていた。
尤も、マーカス自身も補助はしている。自らに填めた指輪がそうだった。
ピアリーで生み出した怪物を操っていたのと同様に、『憤怒』の欠片を使用した魔導具。
これにより一時的ではあるが、『憤怒』を自分の制御下へと置いた。
(適合者自身が扱うよりも幾分か出来落ちだろうが、この程度の相手なら問題はないだろう)
屈強な男達は居れど、脅威となりそうな人間は神器を持つ男一人ぐらいだった。
これならば、『憤怒』の敵ではない。
「行くがいい、『憤怒』」
指輪を通して、マーカスは『憤怒』へと命令をする。
『憤怒』からは誰へ放っているのか判らない怒りの咆哮が、森の中を響かせた。
「全く……。この間の奇妙な腕を持つ小僧といい、薄気味悪い奴らばかりと戦う羽目になるとは」
「オルテール、そんなことを言っている余裕はないよ!」
武器を構え、『憤怒』の襲撃に備える解放軍。
彼らが邪神の分体を持つ驚異的な力を目の当たりにするのは、それから間もなくの事だった。