29.遭難する魔女
ティーポットを温め、紅茶の準備をする。
先日、たまには遠出をしようとウェルカまで出向いた際に見つけたポーション。
それがあまりにも酷い粗悪品だったので、つい目の前で粗を暴露してしまった。
以降、自分のポーションが飛ぶように売れてしまって懐があったかいのだ。
自分が精製しているポーションは丹念に薬草を選び抜き、成分を抽出し、治癒魔術が通りやすい様に魔力を込めている。
その手間から値段が張ってしまい、ベテランの冒険者以外には中々売れなかった。
自分もそれで生活に困っていないので、別に構わなかった。
しかし、粗悪品を売りつける輩がいるとなれば話は別だ。
回復薬というものは冒険者の命綱だ。質の悪い物を掴んだせいで命を落とした冒険者が出てくることは許されない。
そういった正義感から大衆の前と解りつつも、質の悪さを指定してしまった。
あまり目立ちたくは無かったのだが、つい言ってしまったので仕方がない。
自分のポーション以外も、いい回復薬の売れ行きが上がっているようなので良しとしよう。
そういった事もあって、最近は少しいい茶葉でティータイムを楽しんでいる。
彼女にとっては嬉しい誤算だった。近々訪れるであろう『彼』に、いいお茶が振舞える。
「そろそろだよね。逢えるのを待ってるよ、シン」
……*
冷気が容赦無く体温を奪い、歯の根が噛み合わない。
身体が小刻みに震え、必死に体温を上げようと足掻いている。
当然のように指先の感覚が鈍く、火を起こす事すら上手くいかない。
「たっはー、まいったね」
後頭部に手を当てながら、フェリーが苦笑した。
声のトーンからして全く反省していないという事は、長い付き合いから判っていた。
事の発端はウェルカを発つ際にフェリーが発した一言だった。
「マナ・ライド壊れちゃったし、いっそマナ・ライドで行けないトコ行ってみようよ!」
そんな理由で二人は妖精族が住むというアルフヘイムの森を目指す事になった。
ミスリアの北側にあるドナ山脈を越えた先にあるのだが、その山脈が両間の侵入を拒み自然の城砦と呼ばれている。
尤も、その山脈を越えた先を越えた先には妖精族だけでなく魔族の国も存在するので積極的に向かおうとする者は少ない。
ミスリアが魔術大国となった背景も、ドナ山脈を越えてくる魔物に対抗する為という逸話が残されているぐらいだ。
事もあろうにフェリーは、そのドナ山脈を越えようと言い出したのだ。
流石のシンも最初は止めたのだが、この魔女は言い出したら聞かない。
人間だけで営みが行われているわけではない世界。その向こう側で彼女に『死』を与える手掛かりがあるかもしれない。
そう自分に言い聞かせて、シンはフェリーの提案に乗る事を決めた。
出来る限りの装備を整え、あらゆる状況に備えて。
その結果が、遭難である。
途中までは良かった。空気は勿論、水や山菜も美味しい。
ウェルカで仕入れたバターやミルクでシチューを作ってみたりして、順調に登山を進めていた。
状況が変わったのは、山を歩き始めて三日後の事である。
突如崩れる天候。
山の天気は変わりやすいというが、あまりにも突然だった。
季節外れの爆弾低気圧に見舞われ、辺り一面が銀世界へと変わる。
そこでテンションを上げてしまうのが、フェリーだった。
走り回って、雪の絨毯に足跡を刻んでいく。天真爛漫な笑顔で、この状況を楽しんでいた。
しかし、はっきり言ってこの状況は命に係わる。
頬と鼻を赤くし、吐息は出た傍から白くなる。
それでも楽しそうなフェリーの手を取り、身を隠せる場所を探す。
小一時間程歩き回って漸く二人が入れる程度の洞穴を見つけ、逃げ込むように入り込んだ。
現在は天候が静まるのを待っているという状況だった。
「まいったね。じゃないだろ。これ、完全に遭難だぞ」
「まさか急に雪が降るなんてねぇ」
フェリーは風に乗って暴れる雪を、物珍しそうに見ている。
そのせいで緊張感が無いようにも見受けられるのだが……。
二人の故郷では雪はほとんど降らなかったが、10年の旅で何度か雪国に赴いた事はある。
それでもあくまで体験したのは街中であり、雪山での遭難は初めての出来事だった。
「でも、雪ってドンドン積るんだね。ビックリしちゃった」
「それは俺も思った。完全に油断してたよ」
正直に言うと、シンも山を甘く見ていた節はある。
山の天気は変わりやすいのだ。
自分の見通しの甘さを悔いた。フェリーというよりは、自分の責任だ。
「とりあえず、はい。これ被っててね」
「え?」
フェリーはシンの頭から毛布を被せ、シンの視界を隠す。
「濡れちゃったし、服着替えるね。……見ちゃダメだよ」
シンの返答を待つより先に、フェリーが服の胸元を緩め始める。
毛布で視界が隠されてはいるが、出来る限りの誠意としてシンは彼女に背中を向けた。
衣擦れが艶めかしい旋律を奏でる。
聞いてはいけないと、耳を塞ぐ。
涎を垂らしている彼女の寝顔はいくらでも見てきたが、さすがに水浴びの時は空気を読んで離れている。
こんな状況は初めてだった。
不意に毛布越しに閉じた瞼を橙色の光が透過する。
魔導刃でも起動させたのだろうか、暖かい空気が毛布の下から流れ込んでくる。
今の状況で、彼女の魔導刃から流れる空気は身に染み入るようだった。
瞼を閉じ、体力が奪われた中で暖かな空気に覆われる。
心地良くて思わず眠ってしまいそうなほどだった。
「よし、おしまい!」
フェリーが被された毛布を拾い上げると、極端な冷気がシンの身体を覆う。
温度差で身体を震わせながら、シンは彼女の方を振り向いた。
「今度はシンが着替えないとね。これ持っててあげるから、着替えていいよ」
魔導刃を松明のように持ち、熱を当ててくれる。
その事自体は非常にありがたいと思う……のだが。
「俺の時は目を閉じないのか?」
「そりゃそうだよ。魔導刃でどっか燃えたらタイヘンじゃん」
それはそうなのだが、シンは腑に落ちなかった。
とはいえ、見られて困るものではないのでシンも着替えを始める。
体温を奪われる方が余程問題だ。
ただ、顔を合わせたままでは気まずいと思い、背中を向けている。
……が、それはそれで視線が気になる。
その中で、フェリーは彼の背中にうっすらと残る傷跡に気が付いた。
「シン、そのキズ……。こないだの?」
自分では見えないのでよく判らないが、恐らく双頭を持つ魔犬と戦った時の物だろう。
「あぁ、多分そうだろうな。
アメリアに治療はしてもらっていたけど、すこし傷跡が残ったみたいだな。
まぁ、そのうち消えるだろう」
特に意識をする事なく言ったのだが、フェリーは黙ってしまった。
なんとなく、気まずい空気が流れる。
「……ごめん。あたしがウェルカに行きたいって言ったから」
謝っている理由はそれだけではないと、シンは気付いていた。
彼女なりに遭難の責任を感じているのだ。
「実際に行くと決めたのは俺だ。フェリーが謝る事じゃないだろ」
「そうかもだけど……」
そう、シンは自分で決めたのだ。
ウェルカの時も、ドナ山脈を越える事も。
その結果、自分の命が危険に晒されても彼女が謝る道理はない。
第一、ウェルカの件は駆け付けなければアメリアや街の人がどうなっていたか解らない。
結果が一番大事なのだ。この遭難も、生還できれば笑い話に変わる。
しおらしくなった彼女を放っておくわけにもいかないので、シンは素早く着替えを終えた。
改めてフェリーと向き合うと、彼女は顔を逸らす。鼻を啜っているのがバレバレだった。
彼女にハンカチを渡すと、見られないようにして鼻をかんだ。
誤魔化せているつもりのようなので、シンはあえて何も言わない。
「明日には動けるかなぁ……」
二人は火を消し、身を寄せて毛布にくるまっている。
触れ合う肩から伝わる体温が心地良いものだと、フェリーは初めて知った。
「雪が止んだら、なんとかしないとな」
「そうだねぇ……」
うとうととするフェリーに「寝てもいいぞ」と言うと、彼女はそのまま眠りについた。
死なない彼女はともかく、自分は気をつけないといけない。
そのまま起きれなくなったら、それこそ最悪だ。
……*
夜が明けると、吹雪は止んでいた。
洞穴に差し込む朝日が心地よくて、フェリーは目を覚ます。
「起きたか」
雪解けの水を沸かしていたシンが、フェリーにコップを渡す。
身体の芯から温まるような感覚だった。
「今日は動けそうかな?」
「天気は良いし、また崩れる前に脱出したいな」
「それもそうだね」
フェリーは白湯をグイっと飲み干し、自分の頬を叩いた。
乾燥した肌がヒリヒリと痛むが、気は引き締まった。
……とはいえ、相変わらず二人は慣れない山道を歩くのに苦戦していた。
雪がまだ残っているのは勿論、吹雪いた時に避難場所を求めて歩き回ったのがまずかった。
現在地が全く判らないのだ。
それでも二人は必死に道を掻き分ける。
今まで様々な旅をしていた経験に基づいた勘がそうさせた。
どれぐらい歩いただろうか。既に太陽は真上に昇っている。
雪も段々と解け始めていた。狙いすましたように昨日だけ吹雪いたのは一体なんだったのか。
もしかすると、山脈の向こう側の影響なのかもしれない。
「あっ……。シン、あれ!」
自分達の知らない土地に行く期待と不安について考えていると、フェリーの声がシンを現実に引き戻す。
彼女が指している方角を向くと、人工の建物が見えた。
「家……か?」
丸太を積み上げた、ログハウスが見える。
「誰か住んでるのかな?」
「……その可能性は高そうだな」
周りには雪こそ被っているが、畑が耕されていた。
丁寧に耕されたそれは、今も人が住んでいる事を予感させるには十分だった。
「……入ってみる?」
逡巡している二人に気付いたのか、はたまた偶然なのか。
ログハウスの扉が開き、ひょっこりと顔を覗かせる。
「あら」
扉の向こうから現れたのは、雪をそのまま映したかのような銀髪の美しい女性だった。
整った顔立ちから感じる気品は、金髪の少女が思わず見とれてしまう程だった。
「すっごいキレーなひと……」
「あら、ありがとう」
思わず漏らした声が聞こえたのか、彼女はフェリーへとほほ笑む。
そして――。
「久しぶりだね、シン」
「……は?」
彼女が発した言葉の意味が理解できず、シンは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。