303.吐露
転がっていく仮面の破片が、星明りによって乱反射する。
魔石を仮面の内側に埋め込んでいたと思っていたのだが、どうやら仮面だけに留まらないようだ。
男の顔にも、幾多もの魔石が埋め込まれていた。
「お前、その顔は――」
術者と思われる男の顔を見下ろしながら、シンは眉を顰めた。
10年で見違えるような外見となっているが、この濁った眼は忘れようがない。
クリムを殺した自分を、人殺しの道へ引き込んだ張本人。
名は知らない。名乗ってこなかったし、興味も無かった。
ペラティスが生み出していた奴隷市を崩壊させてからは、もう逢う事もないと思っていた。
いや、むしろ死んでいたとさえ思っていた。
「君に色々と壊されてから、大変でね。おかげでこんな顔になってしまったよ。
まあ、今となっては愛着も沸いてきたけれどね」
「減らず口を」
重力弾により身体が地面に縫い付けられながらも、男は吐き捨てる。
不気味に反射をする魔石の輝きが、シンに警戒を誘っていた。
(この男が、みんなを操っていた……?)
シンは突き付けられた事実と自分の想像が乖離している事が腑に落ちなかった。
男の出自に興味は無いが、記憶の限りでは一度も戦う素振りを見せた事がない。
そもそも、これだけ多くの屍人を出現させられるというのなら、10年前の自分が勝てるはずもない。
マギアの例に漏れず、相応の実力を持った魔術師であるはずが無かった。
そうなると、必然的に思考は世界再生の民に寄せられる。
邪神の分体。その何らかに適合を果たした者が、この男だと辿り着くまでに時間は要さなかった。
そしてもうひとつ。死霊魔術を使用したという事実。
男の仮面。そして顔に埋め込まれている魔石は装飾品としては、聊か悪趣味が過ぎる。
つまり、何かしらの意図が込められているはずだと警戒を強めた。
思い出すのは、ピースが遭遇したという廃教会での出来事。
魔石を用いて、大した魔力を持たない少女であるコリスが魔造巨兵を見事に操って見せたという。
魔導石とは違う加工が施されているのだろうと、マレットは推測していた。
同様の形で、この男の魔石にも資料魔術に関する要素が組み込まれていると考えるのは半ば必然だった。
(一体、どうやってこの場に……?
いや、それ以前にシン・キーランドはどうして生きている?)
シンに警戒を促す一方で、男もまた彼が生きている事に困惑の色を隠せない。
アンダルが最後に生み出した爆発は、一瞬のうちに完結をした。
誰よりもアンダルの近くに居たシンが生きている理由が見つからない。
見上げた視線の先には、身体のあちこちに火傷を負ったシンの姿。
決して無傷ではない。確実に爆発の影響はあったにも関わらず、彼は脱出を果たしている。
だからこそ、より彼を不気味に感じていた。
躯となった皆を操っている術者の発見。
これこそが、シンが森に入った最大の理由だった。
早い段階で躯が視覚や聴覚を共有していると気付いたシンは、逆に躯で補えない位置に術者が居ると目星を付けた。
縄を用いた立体的な軌道や、森の中を駆ける動作はあくまで戦闘を有利にしようとしていたと思わせる為の嘘。
本当の目的は、森の中に簡易転移装置の出口を設置する事にあった。
木の枝に装置を引っ掛けたシンは、躯の眼が届かない位置へとアンダルと戦闘を繰り広げながら移動をする。
この時も術者の捜索は怠っておらず、戦闘に巻き込まれまいとした男がシンとアンダルを避けるように移動をした。
森の外にはフェリーが居る。
アンダルたちならいざ知らず、ただの魔術師であるならばフェリーはきっと戦えると信頼もしていた。
故に、術者はこの森から出る事はないだろう。シンの策は、その前提で動き出していた。
誘導されている事にも気付かず、男は躯で補え切れない場所かつ、自身の安全を確信できる場所へ辿り着いた。
簡易転移装置の存在を知らない男にとっては、罠が設置されているとは露にも思わず。
とはいえ、アンダルの最後の抵抗により肝を冷やした事は事実である。
一瞬でも起動が遅れていれば、自分も爆発に呑み込まれていたであろう。
男の位置を探るつもりが、最終的には緊急脱出の手段として運用をしてしまった。
ある程度は誘導を試みていたとはいえ、狙い通りに術者が居たのはシンにとっても僥倖だった。
けれど、そんな目論見は既に頭から消えつつあった。
策を張り巡らせても、狙い通りに行っても気は鎮まらない。
アンダルとの戦いで、随分と消耗をした。傷も決して浅くはない。
抑えきれぬ憤りが、今のシンを奮い立たせている。
「お前自身がどうして邪神に適合したかは、どうでもいい。
吐いてもらうぞ。お前が知っている全てを」
感情の一切込められていない言葉が、男の背筋を凍らせる。
かつて自分が見初めた人間が、明確な殺意を向けている。
男はその状況を打破するべく、濁った瞳の奥で言うべき言葉を探していた。
……*
フェリーはただ走り続けた。シンの無事を祈りながら。
そんな彼女が足を止めたのは、眼前に広がる凄惨な現場を目の当たりにしたからだった。
「フェリーちゃん。どうしたの? って……」
息を切らせながらも、何とか追い付いたイリシャは彼女が向いている方向へ視線を合わせた。
そこで爆発が起きたのだという事は、言われるまでもなく気が付いた。
強引に枝から剝がされた葉は、絨毯のように地面に敷き詰められている。
大樹の幹が大きく抉れ、己を支えきれずに倒れてしまっている。
何より凄惨な光景を示しているのは、ぽっかりと空いた中心地。
土も抉られ、巻き込まれたであろう小動物の死体さえも転がっていた。その中には当然、躯達の姿もある。
形を保っている者はまだいい。見るに堪えない者もおり、イリシャは反射的に顔を背けた。
イリシャは思わず息を呑んだ。
この爆発に巻き込まれたのであれば、シンが無事でいるとは考え辛い。
けれど、精神が不安定となっているフェリーには冗談でも言えるはずがない。
「シ、ン……?」
周囲を見渡すが、彼らしい姿は見当たらない。
膝から崩れ落ちるフェリーと、下唇を噛むイリシャ。
絶望に打ちひしがれそうな彼女達を安心させたのは、森の中に響く渇いた音だった。
「フェリーちゃん、アレって」
「シン!」
間違いなく、銃声の音だった。
それも一発ではない。続けて二発、三発と乾いた音が夜の森に響き渡る。
(でも、だったらこの爆発は……)
状況が掴み切れず困惑するイリシャだが、フェリーは活力を取り戻そうとしている。
安否の確認が銃声だというのもどうかと思うが、一先ず最悪の事態は免れたのだと解釈をする。
「イリシャさん、シンのトコに行こう!」
「え、ええ」
現にフェリーは、シンの元へ駆けつけたくて堪らなさそうだ。
銃声を頼りに森の中を歩もうとしていた二人は、そこであるものを見つけてしまう。
「これ……」
逸るフェリーの足に当たったもの。それは、『憤怒』の男が傀儡として操っていたカランコエの村人。
爆発によって巻き込まれた躯の頭部だった。
爆発に巻き込まれた影響か、首から上だけが遺されている。
顔はグチャグチャになっており、一体誰だったのか判らない。
「……っ」
自分のせいで命を落とした人間が、死して尚弄ばれてしまっている。
やるせない気持ちを抱えたフェリーが、手を伸ばそうと身を屈めた時だった。
「……だよ。シン……キー、ランド……。
じ、ん……の、見立ては……って、なか……」
躯の唇が微かに動き始める。
微かに開閉する口から漏れ出るのは、男の声。
『憤怒』の男と接続したままの躯が、彼の言葉をそのまま複製していた。
「えっ……。ど、どういうコト……?」
「分からないけど、シンと知り合いってことかしら……」
男の声に、フェリーは聞き覚えが無い。話し方からしても、カランコエの誰かとは思えない。
何より驚いたのは、シンが誰かと会話している事だった。
「……ごめんね。ちょっとだけ、ゆるして」
「フェリーちゃん……」
フェリーは首だけとなった躯を、抱きかかえた上で歩き始める。
あの銃声は何だったのか。二人は何を話しているのか。
それがどうしても気になって、仕方が無かった。
……*
フェリーが耳にした銃声は、予想通りシンが『憤怒』の男へ向けて放った物で相違なかった。
両手に一発ずつ。続けて左足へ撃ち込んだ銃弾が彼の身体に刺さらなかった事でシンは確信を得る。
「その左足が、邪神の分体を移植した場所か」
感情を押し殺し、淡々とやるべき事をこなすようにシンは呟く。
そこに熱量は感じられない。
一方で、男は違和感を抱いていた。
フェリーの精神を揺さぶった時のシンは激昂していた。
自分よりも余程『憤怒』を体現していたと言ってもいい。
それが、今はどうだ。一切の熱量を感じさせない。
鉄仮面を被っているかのように。役目を果たす事に、必死になっているようにも見受けられた。
(そうか、そういうことか)
大地に縫い付けられ、四肢を打ち抜かれようとしてもシンは自分をまだ殺さない。
まだ情報を絞り出せてはいないから。彼が感情を押し殺しているのも、本心では今すぐにでも殺したい程に憤っているから。
シン・キーランドの精神だって、削れていないはずがなかった。
絶体絶命の状況で、男は活路を見出した。
「流石だよ。シン・キーランド。自分の見立ては間違っていなかったようだ。
恩師や家族でもさえも遠慮なく殺す。まさに君は、人殺しの鏡だ」
安い挑発に乗ってはいけないと、シンは引鉄を引かなかった。
シンの奥歯が強く噛みしめられたのを見て、男は目論見が成功した事を確信する。
「怖い顔をしないでくれよ。これでも、褒めているのだから。
君は実に多くの人間を殺してきた。冷静に。淡々と。まるで天職であるかのように。
我々と離れた後も、相当殺しただろう? 気持ちよかっただろう? 目論見通りに人が絶命する様は。
いいんだよ、気にしないでくれ。君が他人を殺すことに躊躇いがない、人の心がないことはよく知っているのだから」
男にとっても、これ以上の挑発は賭けだった。シンが激昂してしまえば、自分は一貫の終わりなのだから。
現にシンの銃口は全くブレを見せない。けれど、引鉄が引かれる事もない。
どちらに傾いているのか判断に迷っている所で、シンが閉ざしていた口を開いた。
「そんな、こと……っ! シンがいちばんツラいのに!」
男の言葉に誰よりも憤っていたのは、シンでは無かった。
抱えていた躯から漏れ出る男の声。彼から放たれる心無い言葉を前にして、フェリーは腕の力を強める。
フェリーはずっと後悔している。
シンが人を殺すようになったのは、自分のせいだ。
自分を護る為に誰かを殺して。自分を殺す事で救おうとしてくれていたから。
シンは誰よりも優しいからこそ、その手を血で汚していった。
本来なら咎められるべきはシンではないと、フェリーは涙を堪えた。
そんな中だった。抱えた躯の頭から、シンの声が漏れ始めたのは。
「ああ、俺は人を殺したことを後悔はしていない」
シンの言葉を前にして、男は笑みを浮かべた。
彼にはまだ強がるだけの余裕がある。もう少し揺さぶってやれば、可能性は見えてくると希望を抱く。
ある意味では、シンは男の術中に嵌っていたのかもしれない。
自分の奥底に秘めていた感情を漏らしてしまう。
頑なに閉ざしていた本心を曝け出してしまう程に、シンの精神も削られていた。
躯を通してフェリーが聴いているとは、露知らずに。
「俺が後悔をすれば、フェリーが傷付く」
「は……?」
シンが何を言っているのか、男の理解は及ばなかった。
彼が人殺しを後悔すれば、どうしてフェリーが傷付くというのだろうか。
鉄仮面を被りながらも心境を吐露するこの男の心理状態が、まるで読めない。
「フェリーが自分の責任だと思わないように、俺は俺の意思で人を殺してきた。
あいつは何も悪くない。好きなように生きて欲しいから、人殺しは俺が背負うべきものだ」
フェリーは今までの人生で、沢山の辛い事を経験してきた。
その上で、自分が犯した過ちにまで責任を感じて欲しくはない。
好きな時に笑って、泣いて。表情がコロコロ変わる彼女を愛おしく感じる。
だから、シンは決して自分の過ちを悔やんだりはしない。
過ちだと認めてしまえば、フェリーが傷付いてしまうと知っているから。
躯越しにシンの真意を聞いたフェリーは、足を止めてしまっていた。
自然と溢れ出る涙が、地面を濡らしていく。
「あたしのため? なんで?
どうして、いっつもシンはそんなコトするの?
シンのあんぽんたん……!」
彼の人生を狂わせたのは、間違いなく自分なのに。
それでもずっと寄り添ってくれる。傍に居てくれる彼が好きだったのに。
自分が思っている以上に、シンは多くのものを護ってくれていた。
「シンの……あんぽんたん……」
両手が塞がっているせいで、止めどなく流れる涙を拭う事が出来ない。
早く彼の所へ向かいたいのに、前が見えない。
「シンは、フェリーちゃんが思っているよりもずっとフェリーちゃんを大切に想ってたのよ。
早く、行ってあげましょう」
フェリーに代わって、イリシャが彼女の涙を優しく拭う。
思わぬ形で彼の気持ちを聞いてしまい、驚く気持ちは分かる。
けれど、イリシャは良かったとさえ思っていた。
周りから見ればあからさまなのに、肝心のフェリーがその情愛の深さに気付いていなかった。
10年の間に妙な拗れ方をして、自己否定も重なった結果だったのだろう。
過去での出来事を鑑みると、このまま時を重ねていくのは居た堪れないと思っていた次第だ。
「……うん」
「ん、よし!」
涙を拭った後には、真っ直ぐに前を見据えるフェリーの姿があった。
一刻も早くシンの元へ。彼女の瞳には、それしか映っていなかった。
「意味が解らない。君は誰かに言われるがまま、他人を殺すことが出来る殺人者だよ。
立派な才能じゃないか。それが出来ない人間が、どれほどいることか。
フェリー・ハートニアも、むしろそんな君を誇りに思っているのではないかい?
彼女だけじゃない。君の家族やアンダル・ハートニアもきっと――」
「みんなを侮辱するな」
森の中で銃声が、またひとつ鳴り響く。
『憤怒』の男の左肩を貫き、一拍置いて血が袖を赤く染めていく。
やり過ぎたかと男は後悔をした。彼は人殺しの過去を忌み嫌っている。
ならば、そこを突いてやればこの場を逃げる事は容易なのではないかと考えた。
実際、シンが自分の事を語り始めた時は目論見に手応えを感じた。
けれど、その後がやり過ぎた。彼の大切な人間に触れるのは、神経を逆撫でする行為に等しかった。
こうなってしまえば、いつ衝動的に殺されてもおかしくはない。
左肩の痛みが、絶体絶命の状況だと男に報せてくる。
(また躯を出して、どれだけ時間が稼げるか――)
顔をはじめとした身体中に埋め込んだ魔石と、共振でどこまで抵抗が出来るか。
男が最後の賭けに出ようとした時だった。彼の時間稼ぎが、この成果を現わしたのは。
ばたりと、仰向けに倒れるシン。身体中には、想像以上に火傷が広がっている。
アンダルとの戦い。そして、精神的な摩耗が彼を著しく消耗させていた。
とうに限界は越えていたにも関わらず、むしろここまで気丈に振舞えていたぐらいであった。
「……まさか、とうに限界だったとは」
時を同じくして、重力弾の効果が切れる。
危機が一転、絶好の好機となって『憤怒』の男に訪れていた。
だが、それも上手くはいかない。
「シン! どこなの!?」
「返事ぐらいしてもいいでしょう!?」
森を掻き分けながら聴こえてくる、二人の女性の声。
フェリー・ハートニアがその中に含まれているのは明白だった。
「……チッ」
男は思うようには行かないと、舌打ちをする。
フェリーは躯を前にして、手も足も出なかった。
同じように対処をすれば、制圧できる可能性は残されている。
けれど、万が一シンが目を覚ましてしまえば。
今度こそは逃げられないだろう。四肢を捥がれてもおかしくはない。
あの男はなんだかんだ言って、その一線を越える可能性を持ち合わせている。
「ここは退くしかないか……」
今なら、彼女達はきっと傷付いたシンに気を取られる。
願いの成就こそ叶わなかったが、厄介な男は深手を負った。
一先ずはマーカスも納得をするだろうと、男は森の中へと姿を消していく。
フェリーとイリシャが倒れているシンを見つけるのは、それから間もなくしてからの事だった。