302.想像力
地面に這いつくばった彼を見る事が出来たのは、一瞬だけだった。
けれども、男の心は言葉では表せない程に満ち足りていた。
自分の人生を破壊した男の命が今、尽きようとしているのだから。
「いいぞ。これで、シン・キーランドは終わりだ」
嘴状の仮面の中でひときわ輝く魔石。
待ち望んだ光景を前に、男は胸を躍らせた。
……*
明らかにアンダルは他の躯や術者を感覚を共有している。
創土弾による視覚の遮断が意味を成さない事は判り切っていた。
シンが本当に遮断したかったものは、射線や自分の姿ではない。
そうすれば必ず、他の躯や術士の意識は自分の位置を捉える事に傾く。
右か左か。前か後ろか。大まかな位置さえ判れば、アンダルの魔術で狙い撃ちが出来るのだから。
ただ、既に放った魔術が降りてくるのは想定外だった。
樹に登った自分を見上げた時から、アンダルも布石を打っていた。
流石というべきだろうか。一筋縄ではいかない相手だった。
だからこそ、この攻防で確実に仕留める。
空気の塊が自分の身体を圧し潰そうとしていても抗う。
「終わりだ、シン。大分鍛えたようだったが、儂には届かなかったな」
アンダルの掌から、炎が放たれようとした瞬間。
シンに向けられていたはずの視界と掌は、夜空へと向けられていた。
止めを刺さんとした紅炎の槍は、虚空へと放たれる。
「――なっ!?」
急激な体勢の変化にアンダルは戸惑いを見せる。
何かに足を取られた事までは感じ取れるが、その過程への理解が及ばない。
シンの両手は、自分に向けられてはいない。
空気の塊に圧され、銃口は地面に向かって伸びている。
なのに、どうして自分の体勢が崩されているのか。
炎を夜空に放ちながら、その原因の必死に探った。
「俺が越えたいのは偽物じゃない。けど、終わりなのは同意するよ」
完全に身体をひっくり返され、仰向けとなったアンダル。
見上げた先にはシンが居る。アンダルが支配の端に捉えたのは魔力で紡がれた一本の縄。
「はっ、そんな単純な手にやられちまったか」
己の右足に巻き付く縄を眺めながら、アンダルが自嘲する。
創土弾は意識を逸らす為の布石。
着弾よりも一瞬早く、魔術付与の縄は落ち葉の下へと潜り込む。
空気の塊をその身に受けながらも、シンは決して魔術付与を解く事はしなかった。
輪となった先端をアンダルが踏む可能性を、決して棄てなかった。
アンダルも当然、シンの眼が死んでいない事には気付いていた。
だが、近付いた。魔導砲の性能を散々見せつけられたが故に。
紛れを無くそうと距離を詰めた結果、逆に罠の餌食となってしまう。
(いや、ちげぇな……)
魔術付与による縄も、シンによって見せられていた。
それでも魔導砲にばかり意識を割いたのは散漫に過ぎない。
壁越しでも放たれる強烈な一撃が、眼を曇らせた。
視界から消えたシンが、本当に隠したかったものを見誤っていた。
「終わりだ」
シンは仰向けのアンダルが絡まった縄を力の限り引き付ける。
右脚が持ち上がったまま、アンダルの身体はシンの元へと寄せられていく。
「まだ終わりじゃねえぞ!」
こんな間抜けな体勢では終われないと、アンダルは抵抗を試みる。
指先に魔力を集め、咄嗟に炎の魔術で高熱を生み出す。
魔導砲から伸びている縄は、感覚からして水の魔術付与が施されている。
高熱を以て蒸発させてしまえば、抜け出す事は可能だと判断した。
シンが手繰り寄せるよりも早く、アンダルは自分の足首に巻き付いた縄を蒸発させる。
自由となった右足を勢いよく振り下ろし、そのまま反動で自らの身体を起こした。
「どうだ、シン!」
「終わりなのは、変わらない」
再び視線を交差させるシンとアンダル。
戦いはこれからだと主張するアンダルとは対照的に、終わりだと主張するシンは魔導砲の銃口をアンダルへと向けていた。
アンダルによって焼き切られてしまっても、縄はシンの手元へと引き寄せられる。
むしろ、それこそが彼の狙いでもあった。
弾倉ごと魔導砲に巻きつけられた縄は、引き寄せられると同時に回転を始める。
それはアンダルがシンへ向かった空気の塊に宿っている魔力を吸着し、充填をしていく。
実弾を放つ魔導弾では、吸い取り切れない空気の塊によって軌道が逸らされてしまう。
魔導砲による疑似魔術があってこそ、この戦いに決着をつける事が出来る。
「――ああ、そうか。儂が焼き切る所まで想定済みだったってことか」
自分より一手速く攻撃の体勢に移っていたシンを前にして、アンダルは苦笑をした。
弾倉を回転させるという工程を、自分にさせたのだ。
最後の攻防はシンの想像力が、自分の想像力を完全に上回ったという証明でもあった。
これがもし、本物のアンダル・ハートニアであるならば。
数多の危機を乗り越えた、百戦錬磨の冒険者であるならば。
シンの細工に気付いていただろうか。気付いた上で尚、上回っただろうか。
眼前に立つ男を偽物だと断ずるシンにとって、納得のいく答えは得られそうにもない。
そして、アンダルにとっても結末は気持ちのいいものではない。
これがシンとアンダルの個人的な決闘であれば、後は彼に討たれるだけだっただろう。
それを許さないのは、自分を再び大地に立たせた『憤怒』の男。
彼から発せられる命令が、アンダルに最後の悪足掻きを強制する。
「シン、勝負はお前の勝ちだ。けど、逝くのは一緒だぜ」
「――っ!」
アンダルの言葉が嘘ではないと、シンは本能で察した。
手を打たせまいと魔導砲から放たれるのは、金色の稲妻。
最速の弾丸が、アンダルの身体を貫く。
雷に貫かれても尚、アンダルの口角は上がっていた。
躯である彼は人間とは違う。動きを止めるまでに、まだ一定の猶予があった。
シンへ放っていた空気の塊には、自分の魔力が残っている。
残滓をかき集めるようにして、極限にまで圧縮をした。
続けて放つのは、紅炎の槍。
シンを仕留めきれる威力でなくてもいい。狙いは決して、彼ではない。
「また逢おうぜ」
最後の力を振り絞って創り出した紅炎の槍を放った先。
それは、先刻自分が集めた空気の塊だった。
「じいちゃん……っ!」
はち切れんほどに圧縮された空気が、熱に触れる事によって膨張を始める。
自分を押しとどめていた膜すらも破り、小さな爆弾と化した空気の塊が轟音をカランコエの村へ響かせた。
……*
「なっ、なに!?」
思わず耳を塞ぎながら、イリシャは身を屈めた。
突如鳴り響く轟音と、大きな揺れ。
震源地が村はずれの森である事は明らかで、シンとアンダルに何かが起きたと考えるのが妥当な流れだった。
「シン……! おじいちゃん……!」
音が収まると同時に立ち昇る煙を目の当たりにしたフェリーの顔が青ざめる。
まるで自分がカランコエを滅ぼした時のように、煙は淡々と夜空へ消えていく。
胸騒ぎがした。シンに二度と会えないような気がした。
居ても立っても居られななくなったフェリーは、涙で滲む視界を袖で拭った。
「シン!」
「フェリーちゃん!」
まだ震える身体を無理矢理動かしながら、フェリーは森へと駆ける。
一番大切な男性の無事を、ただただ祈りながら。
……*
男は仮面の奥で、湧き上がる高揚を抑えきれなくなっていた。
厭らしく口角を上げ、轟く爆音を何度も脳内で再生をする。
「ふ、くふふふ。ははははははは! やった! やったぞ!
あの憎きシン・キーランドを、漸くこの手で殺すことが出来たんだ!」
男は両手に天を掲げ、邪神へ感謝の意を示す。
自分の人生を狂わせた男、シン・キーランド。
彼の恩師を利用して屠れたのだから、これ以上の愉悦は存在しないと言い切ってもいい。
残す標的はフェリー・ハートニアただ一人。
ベル・マレットにも恨みはあるが、マーカスとの約束を反故にする訳には行かない。
彼には『憤怒』を適合させてくれた借りがある。口惜しいが、マレットとマーカスの交渉が決裂した時にまた復讐を提案すれば良い。
世界再生の民の人間はフェリー・ハートニアにも警戒をしているが、男からすればシンよりも大幅に楽な存在だった。
彼女の精神を支えている男が、シン・キーランドなのだ。その彼はたった今、散った。
対して、自分が扱っている躯は元々が死んだ者達で構成されている。
独学で身に着けた死霊魔術と、『憤怒』の左足を応用して亡者としてこの世に再臨させた屍達。
『憤怒』の能力として、男がその身に宿した能力は共振。
ある時は魔力を以て感情を揺さぶる。ある時は己の感情を、他者へと押し付ける。
魔力を以て他者に干渉するという意味では、魅了や治癒魔術に近い性質を持っていた。
男は共振を利用し、どんな魂にも確実に宿っている生への未練を揺り起こした。
後は屍人と同じ要領で生み出した躰へ魂を定着させ、共振によって自分の怒りを上乗せする。
共振による工程が追加された事により、屍人とは似て非なる駒が出来上がっていた。
元々が死霊魔術により接続していた躯達は、術者である仮面の男に抗う事は出来ない。
強く揺さぶられた自分の感情と、押し付けられた男の感情。その狭間で魂のバランスを崩しながらも、シン達へ牙を向けていた。
躯として操られたカランコエの村人もまた、シンやフェリーと戦いたくはなかった。
魂が有していた記憶が彼らを揺さぶる事に効果的。ただそれだけの理由で、掘り起こされ、使い倒される。
何より下衆であるのが、魂がこの地に眠る以上はいくらでも彼らの再生は利いてしまう。
仮面の男にとって、シンは無駄死になのだ。フェリーを揺さぶる為の駒など、また生み出せば良いのだから。
彼によってフェリーは、シン程の脅威ではない。
現にカランコエでの彼女は、終始動揺を繰り返しているだけだった。
震え、怯え、悔やみ、泣く。
自分では決断できず、懐いていた者相手では決意すら揺らぐ。
彼女を無効化する方法など、いくらでもある。
新たに増えるであろう手駒を利用すれば、それは容易く達成されるに違いない。
彼女にとって一番大切だった者。シン・キーランドを利用すれば。
「さて、では早速シン・キーランドを……」
仮面の男は死霊魔術を用いてシンを蘇らせようと試みる。
この場で散ったばかりなのだから、まだその魂は何処にも消えていないはず。
万が一見失ってしまうよりも先に、共振で掘り起こしておく必要性があった。
「……どういうことだ?」
だが、いくら探してもシンの魂は見つからない。
同じ場所で散った躯達の魂はまだ彷徨っているにも関わらず、シンだけが見つからない。
(爆発で身体と一緒に魂が消し飛んだ? いや、あり得ない)
魂ごと散ってしまう衝撃だった可能性を考慮するが、すぐに自らで否定をする。
それならば、他の魂も消し飛んでいなければ辻褄が合わない。
(まさか――)
男の脳裏に過ったのは、あるひとつの可能性。
あり得ないと思いつつも、辻褄があってしまうもの。
彼の懸念が現実となって姿を現したのは、その直後の事だった。
「見つけたぞ」
背後から聴こえてくる声に、仮面の男は戦慄した。
よく知っている声。憎くて仕方がない声。もう、聴こえてはいけないはずの声が鼓膜を揺さぶる。
「シ――」
仮面の男は、その名を口にする事さえ赦されなかった。
信じられないと振り返ろうとする男の仮面が、銃弾によって吹き飛ばされる。
続いて無慈悲に放たれるのは、魔導砲に装填していた重力弾。
重力が架され、男の膝が崩れ落ちる。
「お前には答えてもらう必要がある。まずはこっちを向け」
低く重い声には、自分とは比べ物にならない程の怒りが込められていた。
意にそぐわぬ行動をすれば、即座に殺される。好機を見計らうべきだと、男はシンの指示に従った。
割れた仮面から覗かせる顔が、シンを見上げる。
二人を隔てるものは、シンの持つ銃口のみ。
「お前は――」
「やあ、久しぶりだね。シン・キーランド。いや、『牙』」
濁り切った男の眼を見て、シンは言葉を失う。
思わぬ形で、見知った男との10年ぶりの邂逅を果たしてしまった。
かつて、自分がクリムを殺した時。
自分を人殺しの世界へ巻き込んだ、紳士の振りをした男との。