298.有り得ない再会
最後に聴いたのがどれだけ昔だとしても。
彼の声をフェリーが聴き間違えるなんて事はあり得なかった。
「おじい、ちゃん……?」
「ああ、そうだ。フェリー、本当に大きくなったなぁ」
老人は墓の裏にある茂みを掻き分けるようにして姿を見せた。
フェリーにとって育ての親となる、アンダル・ハートニア。
「ホントに……。ホントのホントに、おじいちゃんなの!?」
何度も、何度も確かめてしまう。
自分が12歳の時に死別したはずの大好きだったおじいちゃんが、突如現れた。
これまでもフェリーは、自分の体質以外に様々な事を体験してきた。
不思議な経験も決して少なくはない。けれど、今回はその中でも飛び切りのものとなる。
目を凝らし、フェリーは何度も彼の姿を見直した。
真っ白になった髪の毛。口元に蓄えられた立派な髭。
よく動いていたからか、年齢の割に痩せた体つき。
少し皺が多いけれど、優しく撫でてくれた手。
どこをどう見渡しても、自分が知っているアンダルそのものだった。
「ああ、そうさ。フェリー、本当に大きくなったな」
微笑み方まで同じだと思い知り、フェリーの目頭が自然と熱くなる。
目の前にいる人間はアンダルだと、脳に入り込んでくる全ての情報が語り掛けてくる。
(アンダル? どうして……)
動揺をしているのはフェリーだけではない。
イリシャもまた、突如現れたアンダルの姿に眼を見開いていた。
自分と共に冒険していた頃よりも、歳を重ねているのだろう。
当時よりも老けてはいるが、見間違えるはずもない。
紛れもなく、何度見直してもアンダルだという結論へ辿り着く。
「イリシャも来てくれたのか。相変わらず美人だな。
ちっとも見た目が変わっていないから、驚いたぞ」
「わ、わたしのことも覚えているの……?」
「何を言ってるんだ? 当たり前だろう?」
自分の存在にも言及をするアンダルを前にして、イリシャは驚きを隠せなかった。
もう二度と会えないと思っていたアンダルが、目の前に居る。
(確かに、アンダルかもしれないけれど……)
旧友と再会出来たにも関わらず、イリシャの本能が眼前の存在を否定する。
彼はもうこの世には存在していないはずの人間。目の前に現れてはいけない。
思考と現実が噛み合わない状況を前にして、彼女は出来る限りの可能性を考慮した。
(屍人みたいなもの? でも、ちゃんと喋っているし……)
イリシャが至った結論は、同じくクリム達に遭遇したシンやマレットと同様のものだった。
魔導大国マギアには、邪神の魔の手が伸びている。どんな事が起きていても、不思議ではない。
けれど、それを口にするのは想像以上に難しい。
誰よりもアンダルに逢いたかったであろうフェリーの心を、深く傷付ける事になる。
「なあ、フェリー。もっと近くで顔を見せてはくれないか。
久しぶりに会えたんだ。じいちゃん、もっとフェリーの話を聞かせて欲しいんだ」
「おじいちゃん……」
ある日、眠る様に息を引き取ったアンダルが目の前に居る。
二度と話せないと思っていた。笑った顔を見る事も叶わないと諦めていた。
こんな日がまた訪れるだなんて、夢にも思わなかった。
「っ! フェリーちゃん……!」
ゆっくりと。しかし確実にアンダルへ近付いていくフェリーを、イリシャは引き留めようとする。
だが、肝心の言葉が見つからない。自分の中でも考えが纏まっていないのだから、ある意味では当然だった。
確実に言えるのは、今が異常事態だという事のみ。
そんな曖昧な答えで、フェリーの足取りが止められるとは思えない。
「おじいちゃん、あのね。教えて欲しいことが、あるの」
「ああ、いいぞ。フェリーは教えて欲しがりだもんな。
儂が何でも、教えてやるぞ」
戸惑うイリシャとは裏腹に、フェリーは自らの意思でその足を止めた。
アンダルは変わらず笑みを浮かべている。フェリーは今、どんな顔をしているのかイリシャには判らない。
腰にまで伸びた金色の髪が、風に乗って僅かに舞い上がった。
「どうして、シンのコト訊かないの? おじいちゃんも、シンのコト好きだよね。
いつもオコってたけど、いつも気にしてたもん。どうしてココにいないのか、訊かなくてもいいの?」
周囲の気温が、一層下がったような錯覚に陥る。
アンダルにとっても、予想外の質問だったのだろう。
口を半開きにして瞬きを繰り返しているのが、何よりの証拠だった。
(フェリーちゃん……)
フェリーはイリシャが思っているよりもきちんと状況を把握していたのかもしれない。
中々返答をしようとしないアンダルへ、更なる言葉を投げかける。
「あのね、おじいちゃん。あたし……、おじいちゃんに会えたのすごいうれしいよ。
でも。おじいちゃん、こうも教えてくれてたよ。『命』はひとつしかない、だいじなものだって」
幼いフェリーに、言い聞かせるように重ねてくれた言葉。
全てが掛け替えのない思い出でも、一際印象に残っている。
「あたしがちっちゃいころ。お花を枯らしたときのコト、覚えてる?」
「ああ、勿論だ。たくさん水をあげてしまった時のことだろう?」
彼にとって答えやすい話題だったのだろう。アンダルの口が、途端に饒舌なものへと変わる。
根腐れをさせてしまった事や、暫くリンの元で泣きじゃくっていた思い出を、彼は身振り手振りで語り始めた。
「あのときね、おじいちゃんはお花さんが『死んじゃった』って言ったの。
死んじゃったら、もう会えないんだよね。シンが新しいお花の種をくれたけど、それは違う花だったから……。
おじいちゃんは『死んじゃったお花の分まで、愛情を注いであげよう』って言ってたよ」
思い返せば、アンダルは事あるごとに『命』の大切さを自分に説いてくれていた。
ひとつしかないから、大切にするのだと。失くしてしまえばもう会えないから、大切にするのだと。
「あたし、あの時はよく分からなかったけど……。今はちょっとだけわかるよ」
いつしかフェリーの瞳には大粒の涙が浮かんでいた。
本当は会えて嬉しいのに、こんな言葉を告げなくてはいけない。
そう思うと、涙が溢れて仕方が無かった。
「おじいちゃんは、死んじゃったもん。だから、今会えるの……。おかしい、よ……」
辛いけれど、大好きなおじいちゃんは『命』を失った。
覆しようのない事実を、フェリーが口にした。
幼い頃の自分が泣いていると、アンダルはいつも駆け付けてくれた。
アンダルが息を引き取った時、いつも涙を拭ってくれるおじいちゃんは居なかった。
代わりにずっと手を握ってくれていたのは、シンだった。
泣き止むまで彼が居てくれた事で、フェリーはアンダルの『死』を受け入れられた。
「だから、だから……っ」
はっきりと「違う」と言い切ろうとするフェリーを、嗚咽が邪魔をする。
まだ心の奥底で、眼前に居るアンダルが本物だと思いたい自分が存在している。
本当はすぐにでも駆け寄って、昔みたいに頭を撫でてもらいたいと思っている。
あり得ないと強く思う度に、余計に求めてしまっている。
けれど、同時に違うと言う確信があった。
シンは過去でアンダルに逢ったと言っていた。その時に、自分を見つけてもらうように約束したと言っていた。
自分の残りの人生を捧げる約束をしたのだ。その相手に言及をしないなんて、アンダルの性格からは考えられない。
「あなたは、ほんとうに……。おじいちゃんなの?」
声を何度も詰まらせながら、フェリーは問う。
彼女の悲痛な叫びを前にして、アンダルは再び沈黙していた。
……*
朽ちたカランコエから、少し離れた位置に男は隠れていた。
嘴状の仮面。その内側に取り付けた魔石の輝きを、濁った眼で見つめている。
(流石に、篭絡するまでは行かないか)
魔石の向こう側に映るのは、大粒の涙を溢している不老不死の少女。
男は今、魔石を通してアンダルの視覚と聴覚を共有している。
先刻シンと交戦をしたクリム達同様に、アンダルの身体は仮面の男が創り出したものだった。
この地に眠るアンダルの魂を呼び覚まし、土で彼の形を象った魔造巨兵へ定着をさせた。
技術自体は、高位の死霊魔術師であれば可能な範疇。
アンダルやクリム達のように、自立した思考や生前の能力を持たないという点を除いては。
そこから先の、この不可解な現象については男が宿した『憤怒』が大きく関わっている。
男自身は高名な魔術師でない事が影響し、『憤怒』の能力にはムラがある。
今回は上手くいっている方だ。これも単にシンやフェリーへの恨みの大きさが影響していた。
アンダル・ハートニアを利用してフェリーを篭絡出来ればと目論んでいたのだが、残念ながら叶いそうにない。
ならばと、男は当初の予定へと移行をする。
遠巻きに呼び起こした先刻とは違う。
この距離ならば、クリムのように余計な事を喋らせるつもりはない。
言葉も行動も、全てが思うがまま。
幼気な少女の精神をただ一方的に甚振るという無慈悲な行いを、男は選択した。
……*
「……ああ。そうだよ、フェリー。よく見てごらん。儂は紛れもなく、アンダル・ハートニアだ。
フェリーの大好きなおじいちゃんじゃないか。そんな風に言われると、流石に傷つくぞ」
沈黙を破ったのは、アンダルの方だった。
両腕を広げ、彼女を受け入れようとする一方で、敵意がない事も示して見せた。
「でも! でもっ! おじいちゃんは死んじゃったから……!
ホントはもう会えないって、あたし知ってるから……!」
アンダルの態度を前にして、フェリーの心は強く揺さぶられる。
本当はあの腕の中へ飛び込んでいきたい気持ちは変わらない。本能に『待った』を掛けるのも、辛い。
「アンダル。貴方、本当に……」
「イリシャも、儂が老けてしまったから戸惑ってるんだろ?」
「違うわ、そんなことじゃなくて……」
アンダルと別れてから、イリシャにとっては30年以上の年月が経過している。
細部まで彼と瓜二つかと言われれば、彼女には自信が持てない。
けれど、フェリーの話を聞いて腑に落ちた。
あれだけシンとやり取りを交わして、彼について言及をしないのは不自然だ。
まるで、現状を知っているかのような薄気味悪さ。
アンダルだけど、アンダルではない。眼前の彼には、確かに違和感が存在している。
「そうか。二人とも、儂のことを疑っているんだな」
「っ……」
物悲しそうに呟くアンダルを前にして、フェリーの良心が痛む。
けれど、やはりどこかが違う。自分の知っているアンダルはもっと強気だ。
こんな風にいじける姿など、見た事がない。
「……ごめんね。でも、ほんとうは誰なの? 教えて」
固唾を呑み込むフェリーを前にして、アンダルは短く息を吐く。
決して自嘲的なものではなかったが、緊張感が周囲の気温を更に下げたような気がした。
「フェリーもイリシャも疑っているけど、紛れもなく儂はアンダル・ハートニアだ。
二人との記憶も、ちゃんとあるだろうに」
「それは、そうかもだけど……」
フェリーとイリシャが混乱する一番の原因は、そこにあった。
彼の存在自体は偽りだとしても、持っている記憶は本人のものとしか思えない。
だから、どうにかしてそれすらも誤っているという証拠を引き出したかった。
しかし、思いとは裏腹にそれは叶わない。
魂に刻まれている記憶は、紛れもなく本人のものだったのだから。
「なに、いいんだ。儂がどう言おうとフェリーにとって偽物なら仕方がない。
ただ、皆も悲しむだろうな。あんなに仲良くしていたフェリーに、疑われるってことは」
「みん、な……?」
アンダルの言っている意味が分からず、フェリーはその言葉を復唱した。
いや、本能ではその言葉の意味を理解していた。ただ、受け入れたくなかった。
「ああ、皆だ。フェリーも会えて嬉しいだろう」
アンダルの言葉を皮切に、大きな揺れがカランコエの村で起きた。
同時に、カランコエの村に襲い掛かるのは大地の揺れ。
「フェリーちゃん!」
その中心が墓であると察したイリシャは、慌ててフェリーの手を引く。
薄い抵抗で為すがまま引き寄せられたフェリーの顔は、血の気が引いていた。
「……フェリーちゃん?」
小刻みに唇と歯の根を震わせるフェリー。
彼女の動きに呼応するかのように、墓地の揺れは大きくなっていく。
地下から、地表へ向かって突き上げられるような動き。
地面が持ち上がったと思えば、埋もれていたモノが次々と地上へと溢れ出していく。
「……っ」
フェリーの全身を悪寒が駆け巡る。
視線が泳ぐ。喉が締め付けられるように苦しい。
いつの間にか、掌が汗でぐっしょりと濡れていた。
自分が真っ直ぐ立っているのかすらも危うかった。
目の前の現実を、受け入れられなかった。
「おじさん、おばさん……。リンちゃん……」
美しい黒髪が月明りに反射して輝いている。
シンとはまた少し違う、細くて長くて心地よい髪を持つ女性達。
シンの両親と、その妹。ずっと自分の面倒を見てくれていた、キーランド家の人達。
「村のみんなも……」
地面から現れたモノは彼らだけではない。
それは、かつて自分が焼き尽くした人間達。
アンダル同様、大好きだったカランコエの村の住人達だった。
……*
「さあ、どうする? フェリー・ハートニア」
仮面の男は身を潜めながら、青ざめる少女の顔を愉しんでいる。
フェリーにとっての、最大の弱点を突いた形となる。
不老不死である彼女は殺せなくても、行動不能には出来るはずだ。
手始めに、仮面の男は彼女にとっての精神的外傷を徹底的に攻めると決めた。
滅びた村で、再び破壊の炎が燃え上がろうとしていた。