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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第五章 大切なもの
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297.悪意の胎動

 嘴状の仮面。その内側に取り付けられているのは大量の魔石。

 怪しく灯る光がみっつ。役目を終えたかのように砕け散る。


「……思いの外、時間は稼げたようだな」


 仮面の奥で、男は笑みを浮かべた。

 自らが蘇らせた死体を三名、再び斃されたというのに心の内に動揺はない。

 むしろ、想像以上の成果を得られたという事実に口角を上げている。


 男は魔石を通して、クリム達の視覚と聴覚を共有していた。

 一見、シン・キーランドはかつて殺した相手を前にしても躊躇なく殺したように見える。

 けれど、自分の見立てより時間が掛かったという現実がひとつの答えに導かれる。


 あの男(シン)は仏頂面を装ってはいるが、間違いなく精神を摩耗させている。

 今回は一度殺した相手だからこそ、戦う事が出来た。再び殺す事が出来た。

 では、()()()()()()()

 生み出された仮説は、シンの精神を更に削り取ろうとするものだった。

 

 ある意味では、男は嬉しかった。見初めた人間(シン)の実力は、紛れもなく本物だったのだから。

 けれど、同時に憎らしくも思う。()()の手によって、自分は全てを失ったのだから。

 この怒りは、彼らを絶望させる事によってでしか静まりはしないだろう。


 シンとフェリーの強さを認めているからこそ、男は慎重だった。

 その二人が別行動を選択したのは、男にとって僥倖だった。


 彼らは互いの存在を強く意識している。

 それは同時に、片方が瓦解すればもう片方も引っ張られてしまうだろうという諸刃の剣。


「クリムの奴。最後に余計なことを……」


 聊か喋り過ぎではないかと、怒りを滲ませながら吐き捨てる。

 自分から離れた位置にいるが故に制御が利かなかった。

 

(起きたものは、仕方がないが)

 

 今回放った刺客は、全員がシンの手によって殺されている。

 彼に恨みを抱いている。同類だと勝手に判断した自分自身の落ち度だ。

 自分が思っている以上に、クリムがシンに情を持っていたに過ぎない。


 尤も、男の本命は決してクリム達ではない。

 彼らがシンに敗ける事など、初めから織り込み済みだ。

 彼にとって重要なのは次。次の一手こそ、些細な失敗すらも赦されない。

 確実に精神を甚振らなくてはならない。自分は誰よりも特等席で、その様を眺めるのだ。


 クリムが遺した一言により、シンはカランコエへ向かうだろう。

 想定していた状況からは変わるが、最悪ではない。

 むしろ、シンを地獄へ突き落すまでの時間が早まったと男は好意的に解釈した。


「それに、加減は必要なくなるだろうしな」


 男が持つ『憤怒』の邪神。『憤怒』(サタン)はマーカスと共に解放軍の元へ向かわせてある。

 シンと解放軍の距離が広がっている今、『憤怒』(サタン)を止める手立ては存在しない。


 目的はベル・マレットの勧誘及び、解放軍の殲滅。

 最悪、シンが『憤怒』(サタン)に討ち取られる可能性も視野に入れていたが杞憂に終わりそうだった。

 

「待っていろ、シン・キーランド。貴様の生まれた地で、永遠の眠りにつかせてやる」


 不気味に口角を上げる男。

 仮面の奥に隠された眼は、醜く濁り切っていた。

 

 ……*

 

 森を駆け抜けた解放軍の距離は、シンからもゼラニウムからも離れていた。

 このままでは森を抜けてしまう。果たしてそれで良いのだろうかという問題が、新たに発生していた。


 そんな中、マレットが頻りに立ち止まっては後方を確認する。

 まだ合流しないシンを気に掛けているのは明白だった。


「ベル、気持ちは分かるけれど……」

 

 自分達を先へ逃がしたシンの姿が現れる気配は、依然として訪れない。

 オルガルが心配しているであろうマレットの気持ちに共感しようとしていたが、それは誤りだった。


(いくらなんでも、遅すぎる)


 マレットの脳裏に浮かんでいるのは、状況の整理。

 10年前。確かにクリム達はシンよりも手練れの冒険者だった。

 けれど、今のシンが勝てない相手ではない。そう判断したからこそ、彼も自分達を先へと行かせた。


 では、何故合流が遅れたのか。

 マレットはいくつかの仮説を組み上げ、自分の中でしっくりくるものはどれなのかと思案する。


 まず浮かび上がったのは、単純にシンがクリム達に敗北をした可能性。

 最も、これだと前提が成り立たない。故に、考える意味が無いと判断をする。

 視点を変えて、殺した時以上にクリム達が強くなっていると仮定をした。

 

 次に、クリム達に増援が現れた可能性。

 立て続けに三人もの死者が現れたのだから、まだ増えてもおかしくはない。

 シンがかつて殺した人間に限定をしても、まだまだストックはあるだろう。


 そして最後は、カランコエへ向かった可能性だった。

 ある意味では、マレットにとって一番腹に落ちる理由でもある。

 解放軍に加わっているとはいえ、シンにとってフェリーは命よりも大切な存在だ。

 何らかの危機を察知したならば、彼が向かわない道理はない。


(ま、全部当て嵌まるって可能性もあるんだけどな……)


 これらの要因が複合的に組み合わさっていれば、シンとの合流は困難を極める。

 残る戦力はオルガルとオルテール。そして、魔導石(マナ・ドライヴ)を搭載した義肢を装備している解放軍の面々。

 宝岩王の神槍(オレラリア)を持つオルガルは兎も角、戦力としては心許ない。


(さて、どうしたもんか)


 頭をボリボリと掻きながら、マレットは白衣のポケットへ手を入れる。

 作りかけの物だったり、小型で収めやすい物が細い指先へ触れていく。

 自分でさえ中身を完璧には把握していない、ある意味では宝箱のような存在。


(……ん?)


 その中で彼女の指は、ある小さな欠片に触れた。

 明らかに魔導具ではないそれは、二粒程の小さな石ころなのだと指の腹で確認する。

 

(しゃーねえ。アタシも、やれること全部やってやるか)


 指先で石を転がしながら、マレットは決断をした。

 

「なあ、ダンナ。頼みがあるんだ」

「お? どうかしたのか?」


 汗を拭うギルレッグの元へ、マレットは徐に近付いていく。

 何をする気だと見上げる彼の目の前で、マレットは着ている白衣を脱ぎ始めた。


「ちょっ! おい、ベル! 何考えてやがんだ!?

 森の中(こんなところ)でよ! ワシには女房がいるんだぞ!?」


 素っ頓狂な声を上げるギルレッグに反応して、周囲の視線が集まる。


「ベ、ベル……。突然何を……」

「小娘! 貴様、はしたないとは思わんのか!?」

「ロイン様は、見てはいけません」

「マ、マクシス!? 何があったのですか!?」


 視線以外にも、様々な反応が彼女達に集まっていく。

 マギアの誇る天才が身に着けていた白衣を脱いでいる。その事実に、生唾を呑み込む者もいた。


「ほれ。悪いけど、ダンナのでっかい鞄にこれを預かっておいてくれよ。

 案外気に入ってるんだ。汚れたり破れたりしたら勿体ないからな」


 しかし、周囲が考えているような事は起きなかった。

 マレットはただ、自分の白衣を預かってもらうようにギルレッグへ渡しているだけ。

 他は動きやすい様に、前髪を髪留めで押さえ直しているぐらいだろうか。


「お、おお……」


 畳まれた白衣をギルレッグは受け取る。

 呆気に取られたせいか、声もどこか弱々しい。


「しっかし、男ってのはよー。そんなことばっか考えてんだな」


 ケタケタと笑うマレットを前にして、全員が彼女から顔を背ける。

 今、眼があってしまえばどんな風に揶揄われるか判らない。犠牲者になるまいと、必死だった。


「中でも、ダンナのは傑作だったぜ。『女房がいるんだぞ!?』だってよ!」

「や、やめろ!」

「安心しろって。ダンナの勘違い、奥さんには黙っといてやるよ」

 

 ギルレッグの顔が茹で上がるのを楽しみながら、マレットは彼の耳元へ近付いていく。

 また何か揶揄われるのかと、ギルレッグが身構えた時だった。

 マレットの小さな声が、彼の鼓膜を微かに揺らしたのは。


「……保険だ。アタシになんかあった時は、シンに白衣(それ)を渡してくれ」


 いつになく真剣な声を前にして、ギルレッグは思わず彼女の顔を見上げた。


「おいおい。そりゃ、ダンナの背丈じゃ絶景かもしれないけど、堂々としすぎだろ」


 見上げた先にあるふたつの山。

 その奥にあるマレットの顔は、ケタケタと笑ういつもの彼女だった。

 

「フン。人を揶揄うことばかり覚えおってに」

「お? ジイさんも散々アタシに文句言ってたのによ。いやぁ、まだ枯れてなかったんだなぁ」

「何を! この女狐が!」

「ま、まあまあ……」


 憤りオルテールに、彼を嗜めるオルガル。

 二人を見て更に揶揄い、屈託のない笑みを浮かべるマレット。

 

(ベル。どういうつもりだ?)

 

 考えようによっては、緊張感を和らげようとしているとも受け取れる。

 しかし、その狭間には確かに存在している。真剣な声色から発せられた、彼女の真意が。

 それを周囲へ悟られないように振舞っているという事実を知るのは、ギルレッグだけだった。


 ……*


 カランコエの村は、既に地図から存在が抹消されて10年の月日が流れている。

 焼け朽ちた家屋は己すらも支えきれなくなり、炭のような姿で無造作に積み上がっている。

 地面から伸びている雑草は、そこに活路を見出したかのように絡みついている。

 改めて、10年という時間の重みを突きつけられたようだった。

 

 フェリーは村の片隅に突き立てられた、一本の剣に視線をやった。

 柱同様に雑草が纏わりつくそれを、フェリーはよく知っている。

 

「……ごめんね、シン」


 イリシャに聴こえないように気を遣いながら、フェリーは呟いた。

 自分がカランコエを燃やした日。シンが初めて、自分に手を掛けた剣がそこにはあった。


 あの時は、村を滅ぼしたという事実で頭がいっぱいだった。

 彼の気持ちも考えずに、自分を殺してくれと懇願してしまった。

 挙句に、酷い勘違いまでしてしまって。10年もの間、彼を苦しめ続けてしまったのだ。

 誤らずには、居られなかった。


「フェリーちゃん、このお墓がそうなの?」


 イリシャが指を差したのは、雑草に埋もれた簡素な墓。

 シンとフェリーが10年前に用意したものだった。

 その隣には、大好きだったアンダルの墓も並べられている。


「うん。ここが皆のお墓」

「そっか。じゃあ、まずは綺麗にしましょう」


 腰を下ろし、フェリーはイリシャと共に周囲に生えている雑草を抜いていく。

 覆っていた雑草が消え、顔を現わした墓を今度は丁寧に磨いていく。

 

 手や頬が土塗れになっても構わない。

 感謝と謝罪を籠めて、フェリーはひたすらに墓を拭き続けた。


「おじいちゃん、ただいま」


 墓を磨き終えたフェリーは、イリシャと共に手を合わせる。

 ゆっくりと瞼を閉じて、まずはアンダルへ祈りを捧げた。


「おじいちゃん。あたしね、シンといっしょにいろんなところを旅をしてるんだよ。

 ……おじいちゃんが教えてくれたのとは、ちょっと違うけど。

 でも、妖精族(エルフ)のリタちゃんや魔獣族のレイバーンさんともお友達になったりしてね!

 龍族(ドラゴン)にも逢ったし、他にも――」


 これまでの旅を一生懸命思い出しながら、フェリーは言葉を紡いでいく。

 子供の頃に聞かせてくれていた冒険譚とは、全然違うものになってしまった。

 けれど、フェリーにとっては掛け替えのないものと沢山出逢う事が出来た。


「――それに、ホラ! イリシャさんとも出逢えちゃったんだよ!

 おじいちゃん、こんなキレーなひとと旅してたんだね!」

「もう、フェリーちゃんったら」


 クスリと微笑みながら、イリシャもアンダルへ祈りを捧げる。

 彼と旅をしていた時代を、思い返すように。


(アンダル、黙っていてごめんね。わたし、ずっとこの姿のまま止まっているの)


 その程度の事で怒るような人物ではないと知りつつも、イリシャは謝った。

 自分がシンやフェリーを待っていたのは、彼がシンの願いを叶えた事にも起因する。

 素敵な出逢いをありがとうという、感謝を述べる前に必要だと思ったからだった。


(けれど、驚いたわ。貴方が、こんなに立派に子育てをしているなんて。

 フェリーちゃんね、優しい娘に育っているわよ。とても可愛いし、見せてあげたいぐらいだわ。

 シンもね、今が出逢った時と同い年なの。約束を守って、フェリーちゃんのことをとても大切にしているわ)


 僅かな期間ではあったが、三人で冒険した時間をイリシャは懐かしむ。

 誰も彼も、約束を守った結果が今。自分の家同様に、想いはきちんと紡がれている。


「それでね、おじいちゃん。シンのコトなんだけど。

 シンはいつもやさしくて、あたしのコト大切にしてくれてるって、今はちゃんとわかるんだ。

 ときどきケンカもしちゃうけど……。ホントにときどきだよ?」


 本人には中々言えないけれど、アンダルになら言える。

 フェリーはありったけの想いを、アンダルの墓前へと投げかけた。

 

 どんな顔をするかは、見られなくても判る。

 大好きなおじいちゃんは、自分が一生懸命話すといつもニコニコしてくれるのだから。


「おじいちゃん。あの時、あたしを見つけてくれてありがとう」


 体感ではあっという間だったけれど、きっと長い時間が過ぎたのだろう。

 寒空に晒された身体が震え、自然と暖を取ろうとしている。


 アンダルへ語りたい事はまだ沢山あるけれど、フェリーにはやるべき事が残っている。

 カランコエの皆への、謝罪。


「……また、来るね」


 フェリーがアンダルの墓前から離れようとしたその時だった。


「そう言わずに、もっと話をしないか? 久しぶりに、フェリーの声が聴きたいんだ」

「え……?」


 不意に聴こえる声は、知っている。聴き間違えるはずがない。


「おじい、ちゃん……?」


 それは、かつて眠るように息を引き取った自分の育ての親。

 アンダル・ハートニアのものだったのだから。

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