295.新たな刃
心臓の鼓動が聞こえそうな程、動揺している。
それでも向けた銃口は一切のブレを見せない。
人を殺める事に慣れすぎたという事実が、シンの心を二重に揺さぶる。
眼前に立つ男の名はクリム。
初めての冒険で瀕死に陥った自分を救ってくれた人間。
そして、自分が初めて命を奪ってしまった人間。
「なんだ? 黙り込んじまって。久しぶりに会ったってのによ。
皆で集まって楽しそうじゃねえか。祭りでもするのか?」
記憶にある彼の面影が重なる。
見た目も、声も、立ち振る舞いも、自分に知っているクリムと同じだった。
この瞬間、シンの脳裏に浮かんでいた仮定が否定される。
何者かが、クリムを屍人として呼び覚ましたという可能性が。
屍人は通常、自我を持たない。
ただ与えられた命令だけを淡々とこなす傀儡となって、蘇る。
もしくは、かつてテランが行ったように魔力を通しての操り人形がいいところだ。
自我を持つ、ましてや記憶を継承している屍人など聞いた事もない。
ならば、クリムが生きていたというのか。
シンの記憶は、それすらも否定をする。
間違いなくクリムは、自分が命を奪った。
10年前に、自分の握っていた剣が彼の胸を貫いた。
息絶える様を誰よりも間近で見ていたのだ。見落とすはずもない。
(どういうことだ……?)
矛盾するふたつの事実を前にしても、シンは決してその右腕を下ろしはしない。
この異常な事態を前にして警戒を放棄出来るような人間では無かった。
(クリムって確か……)
珍しく緊張をしているシンを前にして、マレットが自らの記憶を紐解く。
彼女もまた、シン同様にクリムの人相には見覚えがあった。
冒険者に成りたてだった頃。自分の実力も弁えていなかったシンの命を救った男。
以降、クリムはシンに先輩としてあれこれ面倒を見ていた。
冒険者ギルドの中では、シンが最も懐いていた人間だろう。
ただ、マレットも知っている。彼の命を奪ったのは他でもないシンであるという事を。
シンが一線を越えた日の事を、忘れるはずもない。
表では先輩風を吹かせる冒険者だったクリムだが、裏では子供を攫っては奴隷市へ売り捌いていたような男だった。
10年前のある日。子供を攫っていた彼と出くわしたシンが交戦した結果、命を落とした。
その男が、10年の時を経て自分達の目の前に現れている。
シンが動揺している理由は解った。状況を、測りかねているのだ。
「シンさん、知り合いの方ですか?」
「ばっ……!」
事情を知らないオルガルが、シンの知人を一目見ようと顔を覗かせる。
何より、期待もあった。彼が腰に差している物は、間違いなく剣だ。
オルガルにとってシンは、憧れの存在でもあった。
加えて彼はミスリアの魔術師達はおろか、妖精族や魔獣族までも味方につけている。
祖国に手練れの知人が居ても何もおかしくはない。心強い協力者になってくれるかもしれない。
オルガルが抱いた期待を打ち砕いたのは、他でもないシン自身だった。
「おい、訊かれてるぜ。答えてやったらどうなんだ?」
眼を輝かせているオルガルに反応を示すべきだと、クリムが促す。
それでもシンは、決してクリムを視界の外には置こうとは考えなかった。
オルガルに背を向けたまま、低く重い声で彼の疑問へ応える。
「この人は……。俺が10年前に、殺した人間だ」
場の空気が、一瞬にして張り詰めたものへと変わっていく。
シンとフェリーの事情を知ってるマレットやギルレッグは、微動だにしない。
オルテールもまた、動揺する事はない。手合わせをした上で、人を殺めた経験は少なくないと察していた。
ある意味では、腑に落ちたとでもいうべきか。
彼に憧憬の念を抱いていたオルガルもまた、驚きこそすれど頭の片隅では理解をしていた。
宝岩王の神槍を継承してから、自分も命のやり取りをした事がある。
強いて言えば、邪神との戦いに身を置く前の話だったという事ぐらいだろうか。
「おいおい、それじゃあお前が強いって自慢しているだけみたいじゃねぇか。
昔はもっと、可愛げがあったのに……よっ!」
これ以上の時間稼ぎは難しいと判断したクリムが、鞘から剣を抜く。
瞬く間に剣閃はシンの眼前を横切り、前髪が身体から切り離される。
じりじりと詰め寄る爪先から、シンは彼の行動を予測していた。
変わらない。この切れのある動きも、やはり彼の持っていたものだ。
「悪いが、俺ももう子供じゃないんだ」
居た堪れない気持ちになりながらも、銃口は的確にクリムの剣の腹を捉える。
一発、二発と銃弾を撃ち込むと、剣はクリムの手から弾き飛ばされていく。
「なんで今、ここに立っているかは訊かない。けれど、邪魔もさせない」
クリムがどうしてこの場に居るのか。疑問は尽きないが、やるべき事を見失ったりはしない。
このまま彼を逃がせば、ゼラニウムへ入る事さえもままならない。
ならばもう一度、彼の命を奪うしか手段は残されていなかった。
照準をクリムへと変え、シンは引鉄を引く。
放たれた銃弾を防いだのは、土の魔術による防壁だった。
「っ!」
状況の変化に、逡巡するシン。
その隙を逃さず、クリムとは違う角度から剣が縦に振り下ろされる。
間一髪躱したシンは、そのままクリム達と距離を置いた。
「シン、あの時のお礼をさせてもらいに来たよ」
「オレたちの連携がどれほどのものか、お前はよく知っているだろう?」
物陰から現れたのは、魔術師の女と剣士の男。
ゼラニウムを拠点に、クリムと共に活動していた冒険者達の姿だった。
「……ポイナさん。デリットさんまで」
知っている者の名を、シンはぽつりと呟く。
またも殺したはずの人間が、眼前に姿を現していた。
(さあ、どうする? 殺した相手は、お前に恨みを持っているぞ)
その様子を遠巻きに眺めるのは、『強欲』に適合した仮面の男。
クリムに引き続き、ポイナとデリットを刺客として放った張本人。
シンの動揺を誘う一手だったが、彼は失策を冒した。
死んだはずの人間が眼前に現れるという奇策は、動揺という形で一先ずの成功を見せていた。
間違いなく、シンは動揺していた。仮面の男が読み違えたとすれば、その動揺が殆ど表情に現れなかったという事だろうか。
だから、奇策を重ねてしまった。
再び殺した相手を出現させる事で、更なる動揺を誘うという狙い。
仮面の男はシン・キーランドを知っている。知っているが故に、警戒を怠らない。
まずはその戦意を削ぐ方向に意識を集中させようという目論見だった。
彼が読み違えたとすれば、同じ手品を何度も見せたという点。
それは単にクリムが偶発的な存在ではなく、何者かによって引き起こされた事由だと証明してしまう。
シン・キーランドに思考の余裕を取り戻させるには、十分な結果を献上してしまった。
「おい、シン……」
援軍を前にして、マレットの脳裏に過るのはクリムと同じ存在ではないかという懸念。
かつてシンによって命を奪われた者達が、彼の前に立ちはだかる。
その事実を彼はどう受け止めているのだろうか。
「ああ、ポイナさんもデリットさんも昔の知り合いだ。俺が、この手で確実に殺した」
「……言ってくれるじゃないの!」
淡々と言い放つシンを前にして、ポイナが挑発に乗る形となる。
魔術の詠唱を始め、周囲に風が沸き起こり始める。
だが、シンに一切の動揺はない。10年前とは、経験したものが違い過ぎる。
マギアに高名な魔術師は存在しない。魔導石による魔導具の発展が、何よりの証拠だった。
そしてポイナは、正真正銘マギア出身の魔術師。
魔術大国ミスリアで。更に魔力濃度の濃いドナ山脈の北側で戦闘を繰り広げて来たシンにとっては、畏れるものではなくなっていた。
「不意打ちで勝ったと思い込むなんて、子供の発想だな!」
詠唱するポイナを邪魔させないよう、クリムとデリットが左右から襲い掛かる。
クリムは拾い上げた剣を逆手に、デリットは持った剣をそのままシンへと向ける。
「シンさん!」
オルガルが宝岩王の神槍を手に取り、援護へ入ろうとする。
シンの強さは知っているが、三対一では何が起きるか判らない。
何より、彼はずっとその表情を自分達へは向けてくれていない。
どんな顔をしているのか、判らないのだ。
「ここは俺が相手をする。お前達は先へ急げ!」
銃でクリムとデリットを牽制しつつ、シンが解放軍へこの場を離れる事を促す。
既に戦闘は始まってしまった。マギアの軍がいつ勘付いてもおかしくない状況にある。
解放軍。特に御旗であるロインを、彼らの前に晒す訳には行かない。
「ですが……!」
「若、行きましょう。あの小僧の言う通りですじゃ」
戸惑いの色を見せるオルガルを、オルテールが諫める。
促した先には、戦闘を前にして身体を振るえ上がらせるロインの姿があった。
「ロイン様を失うわけにはいきません。小僧が稼ごうとしている時間を、無駄にしてはいけませぬ」
「……っ。わかったよ、すまない」
自分がするべき事は一体何なのかと、オルガルは諭される。
宝岩王の神槍を下ろし、オルテールやマクシスと共にロインの護衛が出来るよう陣形を組み始めた。
背を向かい合わせるシンと解放軍。
足音が遠のく前にと、シンはマレットに一言だけ言い残した。
「マレット、頼んだ」
「あいよ」
何ひとつ、彼は説明を行っていない。
けれど、信じていた。マレットなら、自分の意図を理解してくれていると。
マレットに出来るのは、その信頼に応える事だけ。返事は、短くても十分に伝わる。
シンから離れていく解放軍。
彼らの背後からは激しい戦闘の音が聴こえてくる。
後ろ髪を引かれる思いを抱えながらも、彼らは走り続けた。
……*
「ベル、シンは何を頼んだんだ?」
森の中を駆け抜けながら、ギルレッグは先の会話について尋ねる。
それなりの付き合いになってきたと思っていたが、二人の会話が全く掴めなかった。
「ああ、ひとつはゼラニウムの街へ入らないようにしろってことだよ。
戦闘音でマギアの軍がやってくるかもしれない。街へ近付くと、鉢合わせるだろうって」
「ひとつ……?」
納得をすると同時に、ギルレッグに新たな疑問が湧き上がる。
たった一言の会話に、複数の頼み事が混じっていたというのだから驚きだ。
「もうひとつは、あのクリムたちについてだな。
シンがどうしてはっきりと『殺した』なんて言ったと思う?」
「それは……」
首を傾げながらも、ギルレッグは答えを導きだそうと唸りだす。
シンの考えそうな事を想像し、マレットに向かって答え合わせをする。
「自分に恨みがあるはずだから、関係ないワシらを逃がすためか?」
「お、ダンナも中々やるね。半分は正解だよ」
栗毛の尻尾を上下に揺さぶりながら、マレットは頬を緩ませる。
「半分?」
「もう半分は、あの三人の正体についてだ。殺した相手が三人も目の前に現れたなら、もう偶然じゃないだろ。
絶対に何かカラクリがあるはずだから、解き明かして欲しいっていう頼みだよ」
ギルレッグを初め、オルガルやロインもマレットの解説に目を丸くしていた。
たったあれだけの会話で、きっちりと意思の疎通が出来ているというのだから驚きだ。
「だが、それなら余計にお前さんはあの場に居た方が良かったんじゃないのか?
シンが斃した後に調べたりは……」
「そういうのは後回しだ。まずは目の前で起きたことを冷静に受け止める」
マレットは短い時間ではあるが、接触した三人について考え始める。
殺したはずの人間が、再び姿を現した。シンがわざわざ口に出す程なのだから、姿形は模倣の域を越えていると仮定する。
屍人ではない。屍人には見られない特徴を、いくつも兼ね揃えていた。
言動も、動きの俊敏さも、そして魔術の詠唱さえもしてみせた。
尤も、魔術についてはテランが遠隔操作で放てる事を証明している。
ポイナのそれが自立的なものかどうかは、現状では検証のしようがない。
(テランが居れば、もうちょい楽だったんだろうけどな)
眉間に皺を寄せるマレットだが、ない物ねだりをしても仕方がない。
マレットは屍人ではないが、限りなく屍人に近い性質を持っていると推測している。
理由は、死んだ人間しか現れていない事。
限りなく本人に近い模倣なら、存命の人物でも良かったのだ。
それこそ、国王を大量に生み出せばマギアの人間は恐怖でひれ伏すだろうに。
(……ああ、成程。その可能性は十分にあるか)
唐突に思い至った国王の存在が、マレットの脳をクリアにする。
永遠の命を手に入れたと豪語する国王と、殺した人間が姿を現したという事実。
生死の理を超えたという点に於いて、これらは同等の位置付けが可能だと判断した。
ある意味では、彼女自身の時間が巻き戻っているフェリーよりも近しい存在だと言える。
(その方向で考えてみるか)
マレットは自らが立てた仮説を元に、国王の秘密についても組み立てていく。
それは同時に、理を越えた力を手に入れた者が近くに居る事を意味している。
……*
「格好つけて、一人でオレたちとやろうとはよ!
お前も随分と偉くなったもんだな!」
デリットとクリムは的確なコンビネーションで、シンの行動範囲を限定していく。
密集した木々と、剣閃を躱していくうちにポイナが魔術の詠唱を終える。
「風刃!」
放たれた風の刃が、シンの頬を掠める。
決して威力の高い魔術ではないが、巻き上がる土煙が厄介だった。
ただでさえ薄暗い視界の中、クリムとデリットの刃を視界から消そうとしつこく土煙を巻き起こす。
「終わりだ、シン!」
逆手に持った剣を、クリムが力の限り振り上げる。
反対側に回ったデリットは、ワンテンポ遅れながらも脳天から斬り裂くべく剣を振り下ろす。
同時に襲い掛かる凶刃を前にして、シンはホルダーに収めていた魔導砲を手に取った。
非情にシビアなタイミングだが、やるしかない。
まずはクリムの振り上げられている剣の腹に、弾倉を押し当てる。
そのまま剣の上を走らせながら、シンは身体を捻った。
「なにっ!?」
カラカラと弾倉が回る音と同時に、剣が押し込まれる。
振り上げられた腕は、がら空きになった脇腹を晒しだしていた。
シンは自らの身体でそれを押し込むと、バランスを崩したクリムが倒れ込む。
「クソッ!」
身体をクリムへ預けた影響で、デリットの剣はシンに触れることなく地面へと突き刺されていた。
力いっぱい剣を引き抜いたデリットだが、今度はデリットの剣を利用して弾倉を回転させるシン。
魔力が吸着するのを感じると同時に、腹部に蹴りを入れてデリットの身体を吹き飛ばす。
「この! 生意気なのよ!」
その間にも詠唱を唱えていたポイナが、またも風刃を放つ。
シンは派手に動いて、躱す余裕がないはずだと放たれた風の刃。
自分へ風刃が命中するよりも早く、彼は引鉄を引いた。
「……なんなのよ、それ」
しかし、シンは避ける必要すらなかった。
土煙の向こうで立っている青年の右手には、銃が握られている。
ポイナが言葉を失ったのは、銃そのものについてではない。
ベル・マレットが開発した魔導具。魔導砲の銃口から延びている、光の刃についてだった。
それはシンが望んでいた接近用の武器。魔導砲に蓄積した魔力を利用した、疑似的な魔導刃だった。




