293.それぞれが迎える夜
廃教会で過ごす事となった一夜。
夜が明ければ、ついに南部を抜ける。
これから先に待ち受けているものは、暴君と化したマギアの国王。
解放軍の御旗となった少年、ロインにとっては実の父と戦う事を意味する。
今まで彼は、父について何ひとつ知らなかった。
知ろうともしなかった。母が語ろうとしないからと、幼い子供なりに気を遣っていた。
彼の優しさとは裏腹に、ロインは父の存在を最悪の形で知ってしまう。
永遠の命を手に入れたが故に、マギア国王であるルプスはこの魔導大国マギアを永遠に統治出来る。
いや、それ以上のものだって手に入る。王という皮を被った醜い欲望が蠢く様を誰もが目の当たりにするのは、元々時間の問題だった。
前国王である父が病で早逝した影響もあり、ルプスは20にも満たない年齢で玉座の主となる。
自分が即位しなければ、父の弟や妹の子が継承する。実現してしまえば、自分の手に地位が戻らないのは明白だった。
彼は一瞥もくれず、マギアを統治する道を選んだ。
初めの頃はまだよかった。
領地こそ広いが、弱小国家のひとつに過ぎなかったマギアを護る為、彼はあらゆる手を尽くした。
その一方で王のみが直系の血筋を残す為に重婚を可能とするなど、己の欲を定期的に解放していた。
ただ気に入った女を囲いたいだけの理由だったなどと、周囲の者は知る由もない。
転機が訪れたのは40を越えてからだった。
ベル・マレットが魔導石の開発した事により、マギアは飛躍的な発展を遂げた。
ルプスは直感的に感じていたのだ。この魔力の塊を兵器として転用すれば、ミスリアにすら劣らない軍事力を手にすると。
ただ、高すぎる自尊心が大きな魚を獲り逃す事もある。
マレットとの関係はお互いにとって最悪に近い相性だっただろう。
それでもマレットが自由を奪われなかった理由は、ひとつしかない。
ルプスも恐れていたのだ。選択を誤り、この稀代の天才を失う状況を。
現に、彼が軍備増強に舵を切った途端にマレットはマギアを飛び出した。
ギリギリまで我慢していたのは、間違っていない判断とも言える。
覇権を手に入れる可能性がぶら下がっているのに、手を伸ばさない訳がない。
ルプス・アリウム・マギアという人間は、誰よりも深い我欲をその身に宿していた。
アルジェントが適合しなければ、『強欲』は彼の元へ辿り着いていてもおかしくはない程に。
そうならなかったのは、ルプスがそれを良しとしない事をビルフレストが予見していたからに過ぎない。
邪神の分体が宿す強大な力自体は魅力的に映ったとしても、世界再生の民の総帥はミスリアの第一王子だ。
彼の、ミスリアの下につく事を受け入れられないだろうと判断した結果、適合を見送られた経緯がある。
そして今、世界再生の民は違う形でルプスと接触を果たす。
あくまで自分達はミスリアに弓を引く存在。ミスリアを墜とすのであれば、強力をしようという形で。
欲望に塗れたルプスが彼らを迎合するのは、ある意味では必然でもあった。
ルプスは世界再生の民によって永遠の命を手に入れた。
マレットの時と同様に今でこそ協力関係だが、頭の片隅では常に考え続けている。
どうすれば、世界を全てを手に入れる事が出来るのか。
ミスリアも、世界再生の民も。邪神さえも。
……*
「あの、ギルレッグ様……」
廃教会の一室で、少年は恐る恐る小人族の王を尋ねた。
他種族とはいえ、王たる存在と出逢えた事は彼にとって僥倖だった。
「別に様はいらねぇが。ロイン坊、どうかしたのか?」
自分が話し掛けられるなどと、ギルレッグは夢にも思ってみなかった。
子供らしからぬ強張った顔に、呑み込まれる固唾。緊張をしているのは明白だった。
「あの、その……。訊きたいこと……。
あっ、いえ! 教えていただきたいことがございます」
先日までただの子供だったはずのロインは、頭の整理が追い付かないままに思った言葉を無作為に並べていく。
慌てふためくロインを見たギルレッグはふっと軽く笑みを浮かべ、彼の胸に軽く拳を当てる。
「無理に畏まらなくてもいいさ。お前さんの話しやすいように話してくれ」
年齢の割にしっかりしている子供だという印象だった。
けれど、真実は違うのだとギルレッグは察する。
彼は解放軍の御旗として、ルプス・アリウム・マギアの子。王族の人間として、振舞おうとしているだけだった。
ロイン・ベゴニアという本来の自分を押し殺していたに過ぎない。
状況が状況とはいえ、ギルレッグも素直に感心は出来なかった。
人間の国の事はよく判らないが、子供は子供らしく振舞って欲しい。
今でも妖精族の里で元気に遊んでいるであろう息子を持っているからこそ、心からそう思う。
「はっ、はい! ありがとうございます!
それで、その。訊きたいのは……王様のことで……。
一体、どんな存在なのでしょうか……? 仮にこの戦いに勝利しても、ボクは皆をどう導けば……」
「ふうむ、『どう導けば』か……」
ギルレッグは立派に蓄えた白い髭を撫でながら、じっくりと考え込む。
所々泳ぐ視線に意味があるのかと思い、必死に追従するロインを見て楽しんでいた。
「期待に添えなくて悪いが、ワシにもよく判らんわな!」
白い歯を見せ、豪快に笑う小人族の王。
予想外の回答に、少年はただただ目を丸くするだけだった。
「人間と小人族の違いってのはヌキにしてだな。
ワシら自慢じゃねぇが、とても戦闘には向いていなくては。
魔物からも逃げ出して、穴倉生活をしていた頃もあったんだよ」
穴倉生活とは、この教会での一夜や遺跡で過ごした時間のようなものだろうか。
ロインは想像を膨らませるが、マギアから出た事のない彼では想像力が及ばない。
「その程度なモンだからよ、皆で助け合って生きて行くしかなかったんだ。
だから、ワシが王だから何かしないとって考えたことが殆どねぇんだ」
「皆で、助け合って……」
それはロインにとって、天啓にも等しい言葉だったかもしれない。
今のマギアは、皆が王を助ける構図となっている。
全く逆の事をする王が居てもいいんだという回答は、彼の胸のつかえを取り除いた。
「ギルレッグさん、ありがとうございます!」
「お、おお? こんなんでよかったのか?」
大したことを言っていないと首を傾げるギルレッグだが、彼が納得をしているのは表情を見れば一目瞭然だった。
確かにロインは感じ取ったのだ。戦いが終わった後に、自分が成すべき事を。
「はい! それと、もしよければですけど……。
いずれ小人族のことも色々と教えてください!」
「ん? ああ、そんなことならお安い御用だ」
ギルレッグが胸を強く叩くと、ロインの顔が綻んだ。
そんな彼を遠巻きに眺めていたマクシスは、責任を感じている。
解放軍の御旗として、幼いロインを担ぎ上げなければならない自分達の弱さを恥じた。
マレットが怒りを露わにするのも、当然の反応だったのだ。
彼女に言われて頭に血が上った事が、未熟である何よりの証。
それでも、ロインは自らの運命を受け入れた。
或いは、身寄りがなくなった事によりそうせざるを得なかっただけかもしれないが。
幼気な子供を担ぎ上げている責任は、大人にある。
初めて見た子供らしい一面を前にして、マクシスは誓う。
決して、彼だけは不幸にしない。それが大人としての、最低限の責務だと。
……*
一歩踏みしめるごとに、床の板が軋んでいく。
慎重になりながらも、決してその歩みを止めようとはしない。
かつて悪意が形をなした地へ向かう者が二人。
シンとマレットだった。
「ここだ。ここでアタシとピースは、気色悪い怪物と戦ったんだよ」
コリスを含む黒ずくめの集団が、邪神の像を元に分体を呼び寄せた場所へと再び足を踏み入れる。
黒と白が入り混じった達磨のような怪物は、何度思い返しても気味が悪い。
あれから数ヶ月。この部屋は一体どうなっているのか。
人の出入りしている痕跡があれば、この場は危険だという事が窺える。
周囲を確認するべく、マレットは魔石による灯りを部屋全体に灯した。
竜巻を創り出す颶風砕衝を放った影響で、部屋の壁はズタズタに破壊されている。
隙間風が笛のように鳴り響き、臆病な者にとっては恐怖心を煽るものとなっていた。
そして、床に染みついた赤黒い染みが戦闘の痕跡として残っている。
広く、濃く。決して取れないであろうその染みは、一体どれだけの血が流れ出たというのだろうか。
改めて邪神という存在の危険性を認識させる。
「何か変化はあるのか?」
当時の状況を知らないシンが、眉を顰めるマレットへ尋ねる。
彼女は灯りを高く掲げ、部屋全体を照らす。
悲鳴にも似た隙間風と、命が消えた証でもある赤い染みを前にしても彼女は一歩も退かない。
代わりに見せた反応は、苛立ちを現わすような舌打ちだった。
「全部消えてやがる」
部屋全体の次は、部屋の隅々までピンポイントに照らしていく。
だが、やはり見つからない。
戦闘の痕跡は残っているが、肝心の死体は影も形も残ってはいない。
いや、死体だけならまだいい。邪神の痕跡が消されている事に比べれば。
「クソ、アタシのミスだな。破片のひとつでも持ち運んでおくべきだった」
この廃教会には、邪神の手掛かりとなるようなものは何も残されていない。
魔石で作れた薄気味悪い像も、それを中心に描かれていた魔法陣も。
邪神像を調べれば、弱点のひとつでも見つかったかもしれない。
魔法陣を転記していれば、後に出逢ったオリヴィアやストルが解読できたかもしれない。
怯えるコリスを、ずっと留めておく訳には行かなかったからか。
大量の死臭を前に、無意識のうちに逃げ出したくなっていたのか。
翼颴の完成で、舞い上がっていたのか。
何れにしろ、マレットにとっては悔やみきれない失策だった。
「マレットは悪くない。むしろ、感謝したいぐらいだ。
あそこで撃退していなければ、マギアはもっと早く混乱していたはずだ」
不完全な状態で現れたという達磨のような邪神の分体。
『暴食』の出来損ないは、マレットとピースが居なければどうなっていたのだろうか。
下手をすると今頃、南部はおろかマギア全土に血の雨を降らせていたかもしれない。
出現直後に撃退出来たのは、奇跡に近かった。
感謝する事はあっても、彼女やピースを責める事など出来るはずもない。
「それよりも、片付けられているという事実の方が面倒だ」
「……だな」
邪神に纏わる痕跡が消されているという状況は、情報の面以外でも厄介だった。
世界再生の民が、もしくは彼らに唆された者がこの廃教会を訪れているという証拠。
数日間の滞在を選択しなかったのは、ある意味では正解だったのかもしれない。
敵と邂逅する危険は、可能な限り減らしたかった。
「ま、この様子だと最近は来ていないみたいだけどさ」
床の上。かつて魔法陣が描かれていた場所の上に積っている埃を、マレットは指で掬いあげる。
はっきりと指の跡が残るほどに積った埃は、長期間誰も訪れていないと告げていた。
「証拠隠滅にだけ来たのかもしれないよな。
ま、絶対に安全っていう保証にはならないけどさ」
「ああ。元より、廃教会は存在が知られている。
人が出入りしているという情報があれば、すぐにでも追手が駆けつけてくるだろう」
「そうなると、朝イチに出た方がいいだろうな。
外れにあるとはいえ、人目につくと面倒だ」
勝手に方針を決めるなとオルテールに怒鳴られそうだと、マレットは深くため息を吐く。
シンが自分もついて行くと話をすると、「ジイさんに限っては、その方が面倒なんだよなあ……」とぼやいていた。
……*
解放軍に女性はおらず、故に広い場所を必要とはしない。
流石に礼拝堂で一緒に寝る訳には行かないと、廃教会にある比較的綺麗な部屋が割り当てられている。
「フェリーちゃん、早く寝ないと」
「うん、わかってるんだけど……」
朝は早いと、シンから聞かされたばかりだ。
一刻も早く眠らなくてはならないのに、どうにも目が冴えて眠れない。
この教会を出れば、目指す先は故郷であるカランコエの村。
かつて自分が滅ぼした、大切な場所。
改めて皆へ謝罪をしたい。
大好きだったアンダルへ、自分が何をしてきたか伝えたい。
シンの家族へ、シンの事を教えてあげたい。
彼はきっと合流しても自分では語らないだろうから、代わりに伝えてなくてはならない。
昔と変わらず、ずっと優しいままで居てくれていると。
一方で、少しだけ怖くもあった。
かつてにぎやかで沢山の笑顔があった村が、崩壊した様を眼に焼き付けるのは。
自分の中で楽しかった頃の記憶が書き換えられてしまうのではないかと、不安になる。
「……イリシャさん、もすこしだけ寄ってもいい?」
返事を聞くまでもなく、フェリーはその身をイリシャへと近付けた。
フェリーにとって、イリシャは不思議な存在だった。彼女が傍にいれば自然と心が安らぐ。
妖精族の里にいる子供達も、解放軍の面々もそうだ。彼女はきっと、包容力に溢れている。
「ええ、良いわよ。というか、フェリーちゃんはしょっちゅうだけどね」
「えへへ、ごめんなさい」
フェリーがイリシャと共にリタの家へ泊っている時もそうだった。
共に寝ると、気付けばくっついてしまっている。
今回も変わらないと、イリシャは優しく彼女を受け入れる。
フェリーは顔を綻ばせながら、受け入れてもらえる事を喜んでいた。




