292.向かう先は
マギアの南部で力を蓄えていた解放軍に、隠れ家として利用していた遺跡から発つ日が訪れる。
目指すはマギアの王都。暴君と成り果てた国王、ルプス・アリウム・マギアを止める為の戦いが始まりを告げようとしている。
「しっかし、まあ。オリヴィアたちを連れて来なくて正解だったな」
「そうだな」
マレットははるか遠くを見つめながら、ぽつりと呟いた。
彼女の言う事も尤もだと、殿を務めているシンも同意をする。
ミスリアを護る為の戦いをしていた自分達が、マギアでは国王と戦うべく動いている。
戦争に成り得る火種を止めるどころか、国王そのものを討とうとしているのだから。
もしもミスリアの人間がこの場にいたならば、有無を言わさず両国間で戦争が始まっていたことだろう。
それも侵略行為を行ったのはミスリアだと、相手に大義名分を与える形で。
心情的にも王女であるフローラの立場を考えると居た堪れない。
彼女は先の戦いで、国王であり父のネストルを失っている。
防衛に備えるという名目で仲間の同行を断ったが、結果的に正解だったのだと強く思うようになった。
一方で、戦力的にはかなり厳しい戦いを強いられる。
今回の件は間違いなく世界再生の民が絡んでいる。
永遠の命とやらの詳細は未だ想像もつかないが、背後にちらつくのは邪神の影。
邪神との戦闘を行うのであれば、蒼龍王の神剣を持つアメリアが居ればどれほど心強かっただろうか。
彼女は折れた神剣を修復した事により、新たな役割を得た唯一の継承者。
蒼龍王の神剣によって、邪神の能力を断つ事が出来る。
世界再生の民と戦うにあたって、救済の神剣以上に頼れる存在は類を見ないだろう。
「ところで、解放軍の人たちに邪神のコトは話さなくていいの?
オルガルさんも言ってないみたいだけど」
ひょいと顔を覗かせながら、フェリーが小首を傾げる。
彼女の言う通り、先行して解放軍に参加しているオルガルは勿論、シン達も邪神の存在は明かしていない。
恐らく邪神との衝突は避けられない。黙ったままでいいのかと、疑問に思っていた。
「ほぼ間違いなく絡んでいるだろが、折を見てってとこだな。
国王の次はミスリアだって矛先が向かない保証もないだけだし」
現状、解放軍では永遠の命を手に入れたと豪語する国王の話題で持ち切りだ。
確信が持てない以上は、悪戯に恐怖心を煽る必要はないと判断している。
加えて理由を挙げるならば、邪神の存在。その背後にはミスリアの人間が浮かび上がる。
元々、国民感情としてマギアはミスリアを快く思っていない。下手に解放軍の感情を逆撫でする事を、オルガルも拒んだのだろう。
「そっか。ミスリアが悪いワケじゃないって分かってもらわないとだもんね」
「そゆこと。フローラたちに迷惑が掛からないように、滅多なことは喋るなよ」
「だいじょぶだよ、任せて」
「ホントかよ」
グッと親指を立てるフェリーを、マレットは鼻で笑っていた。
……*
「若。他の貴族が日和っているのであれば、これは好機ですぞ」
「やめなよ、じいや」
先頭を歩くオルガルとオルテール。
バクレイン家を再興する機会だとやや興奮の色を見せるオルテールを諌めるのは、彼の主君であり弟子のオルガルだった。
「その考え方は、世界再生の民と何も変わらないよ。
僕らはあくまで、国王陛下の圧政から皆を解放するために戦うと決めたんだ。
それにかこつけて立場を得ようというのは、間違っている」
ミスリアに滞在している間、世界再生の民を離反したリシュアンから聞かされた話でもあった。
己の立場の向上を撒き餌に、言葉巧みに操られミスリアを裏切った者達が居る。
リシュアンは邪神の齎す破壊を目の当たりにし、猛省したようだが致し方ない部分も否めない。
心の隙というべきか、誰もが持っているであろう欲望を突かれた形となる。
事実、好機と見れば野心に燃える者は動き始めるだろう。
オルテールでさえも、弱小貴族であるオルガルが再び成り上がる好機だと見てしまったのだから。
彼の言う通り、客観的に見れば己の立場を上げる絶好の機会である事は間違いない。
他の貴族は国王を恐れ、表立った行動は出来ない。どれだけ横暴に振舞おうとも、首を縦に振るだけの傀儡と化している。
けれど、オルガルはどうしてもそのような気にはなれなかった。
自分の眼で見た、静まり返ったマギアの街並み。失われた活気を取り戻したいと、本気で願っている。
「若……。申し訳ありませぬ。このオルテール、浅はかな考えにより道を踏み外すところでした……」
「そこまで気落ちしなくても……。じいやがいつも僕のことを考えてくれているのは知っているから」
「若……っ!」
両目から涙を溢れさせ、敬愛する主君へ抱き着くオルテール。
困惑するオルガルを尻目に、後方からマレットが「何してんだ?」と呆れかえっていた。
……*
前進をする解放軍が歩みを止める。間も無くマギアの南部を抜けようとしている。
過去の内乱もあって国王に良い感情を持っている者が少ない南部と違い、これから先は何が待ち受けているか判らない。
ここで一度、英気を養うと同時に今後の方針を再確認しようという話になった。
とはいえ、大勢の人間が一度に泊まれる宿は存在しない。解放軍は休息の血を郊外に求めた。
「……で、よりによって廃教会なのかよ……」
一周回って趣すら感じさせる、木造の建物を見上げながらマレットは呟いた。
選ばれた場所は、彼女にとっては因縁浅からぬ場所。ロベリアの街、その西側にある廃教会だった。
不完全ながら顕現を果たした邪神の分体が生まれた場所であり、一戦を交えたという嫌な記憶が蘇る。
廃教会の中を覗くと、相変わらずと言うべきか。
所々床が抜けており、残った床も負荷が加わると即座に悲鳴を上げる。
「オバケとか出て来そうだよね」
「お化けなら、まだマシだったんだけどな」
ゆっくりと床を踏みしめるフェリーに対して、マレットが自嘲気味に嗤った。
ほんの数ヶ月前。この場で奇妙な化物が誕生し、呼び寄せた人間達さえも喰らっていった。
何が起きるかを知らされていなかったとはいえ、魔術師に焦がれているコリスは両親と共に邪神の顕現に協力をしていた。
彼女はその事を心の底から悔いていると同時に、引き起こした惨劇を目の当たりにして心に深い傷を負ってしまった。
妖精族の里で子供達の世話をしているうちに、少しずつ傷が癒えてきたようにも思える。
ピースやマレットは孤独となった彼女を連れたまではいいものの、その後はどうするべきか決めかねていた。
コリスの事を誘ってくれたイリシャには、感謝してもしきれない。
「いや、ほんと。イリシャはいい女だよ」
「え? どうしたの、急に?」
ひとり納得をして、マレットは深く頷く。
急に持ち上げられたイリシャは、マレットの真意が読めずに若干引いていた。
「そうだよ。イリシャさんはキレーだしやさしいし、カンペキだもん」
「だからお前はイリシャの何なんだよ」
フェリーに言われるまでなく、彼女は人気がある。
美貌もさることながら、負傷者やリハビリを行う者への献身的な姿勢が皆を惹きつけるというべきだろうか。
心が解された後に、手料理で胃袋まで掴まれるのだから全方位から好意を寄せられるのも無理はなかった。
腑に落ちない点があるとすれば。フェリーはどうして得意げに頷くのだろうか。それだけが、マレットの理解の外側にあった。
……*
宿泊先に選んだ廃教会。その礼拝堂で一行は寝泊まりをすると決めた。
夜が明ければ、ついにマギアの南部を抜ける。
その為にはまず、目的地を設定する必要があった。
「色々考えたけれど、やはりゼラニウムに行くのはどうだろうか」
マレットの故郷でもあるゼラニウムへ行く事を提案したのは、他でもないオルガルだった。
軍の人間がマレットの屋敷を定期的に監視しているにも関わらず、目指すのには理由がある。
「ペラティス卿もゼラニウムで情報を集めているし、出来れば一度合流しておきたい。
彼なら、周辺で隠れる場所も知っているだろうし……」
マギアの軍には、国王の意向により望まず徴兵された者も少なくない。
不用意な戦闘は避け、出来るだけ隠れて王都を目指したいというのがオルガルの案でもあった。
かつて奴隷市の元締めを行っていたペラティスならば、裏社会にも顔が利く。
潜伏をしつつ進むことは十分に可能なのではないかというのが、彼の意見だ。
「そうだな。ゼラニウムの連中なら話も通じやすいだろうし……。
このまま補給無しってのも無理だ。土地勘もあるし、行くとすればゼラニウムだろうな」
若干、自分の存在が気掛かりではあるがマレットも同意をした。
皆の手前、気恥ずかしさから口に出す事は避けたが、自分を逃がしてくれた街の連中も気掛かりだった。
マクシスを含め、解放軍の面々もオルガルの案に反対をするものは居ない。
南部を抜けてしまえば、自分達は余所者だ。土地勘のある者に従った方が、よりスムーズになると理解を示した。
次の目的地は、ゼラニウム。ここから先は、きっと国王の支配が強くなる。
解放軍にとっても、最後の休息となる可能性が高かった。
(そっか、ゼラニウムに行くんだ……)
そんな中、少女はただ一人別の事を思い浮かべていた。
ゼラニウムの近くに存在していた、自分が消滅させた村。カランコエの存在を。
状況が状況だけに、フェリーは立ち寄る事を半ば諦めていた。
ぐっと堪えようとしていた気持ちが、再び溢れ出ようとしている。
「フェリーちゃん。カランコエも寄れたらいいわね」
イリシャはそっとフェリーへ耳打ちをする。
銀色の髪が、フェリーの金髪を撫でるように触れた。
「……うん」
イリシャもまた、カランコエに立ち寄りたいと考えている一人だった。
鎮魂の祈りと、崩壊を知っていながら何もしなかった事への謝罪の言葉を送りに。
「あのね、マレット。オルガルさんも……。
カランコエは、寄っちゃダメ……かな?」
おずおずと手を挙げるフェリーの顔は、若干俯いていた。
そんな事が言える状況ではないと解っている。
けれど、フェリーにとっては掛け替えのない場所でもある。
ずっと怖くて、死にたいと思っていた今までとは違う。
シンと一緒に生きたい。シンと一緒に歳をとりたい思っているからこそ、心からもう一度謝罪の言葉を送りたかった。
「悪い、二人とも。俺からも頼む。
俺たちがゼラニウムに滞在している間でいい、一目だけでも見させてやってもらえないか」
下唇をきゅっと噛むフェリーに援護を送ったのは、他でもないシンだった。
彼は自分が行けなくても、フェリーだけはカランコエに行かせてやりたいと考えている。
それは自分が同行してしまえば、言い辛い事もあるだろうという配慮も含まれている。
マレットとオルガルは顔を見合わせ、やがて頷く。
ロインや解放軍を説得する為にも、名分を造る事に決めた。
「そうだな。カランコエは10年前に地図から消えている。
ゼラニウムからは近いし、案外隠れるにはもってこいかもだ。
フェリーとイリシャに下見してもらうってのは、どうだ?」
軍の目が届きにくい場所なのではないかと、提案をするマレット。
最悪、ゼラニウムで補給を行っている間にカランコエで野営を行う選択肢があると付け加えた。
「……そうですね、あまり戦火を広げたくありませんから。
戦いを避けられるなら、それに越したことはありません。
マクシスも、構いませんよね?」
ロインは思案するが、やがて頷く。
彼が生まれる前に消えてしまった村だが、シンとフェリーにとっては故郷だという。
自分を逃がして命を散らした母の事を思い出してしまった。もう戻らない、大切な場所。
掛け替えのない場所であるなら、立ち寄ってもらいたい。御旗である以上、それぐらいの決定権はあるはずだ。
小さな事かもしれないが、自分が解放軍でしてあげられる数少ないものであるならばと、ロインはマクシスへ同意を求める。
「ロイン様がそう仰るのであれば。戦力差も考えると、なるべく接触は避けたいですし」
マクシスの同意を得た事で、フェリーの願いを止める者はいない。
「決まりだな。フェリー、イリシャ。アタシたちがゼラニウムに行ってる間、カランコエの様子を見てきてくれ」
「みんな……。うん、ありがと」
「よかったわね、フェリーちゃん」
フェリーはうっすらと涙を浮かべながら、大きく頷く。
皆の優しさが染み入るようだった。
「フェリー。俺も後で行くから、先に様子を見てきてくれ」
「うん。カランコエで、待ってるね」
10年前は、勝手に冒険へ出かけるシンに頬を膨らませながら待っていた。
けれど、今回は違う。きちんと向き合って、シンが帰ってくるのを待ちたい。
その前にはまず、自分の犯した過ちを改めて謝ろうと思う。
少しだけ怖いけれど、避けては通れない道だから。
この時点では、シンもフェリーも知る由は無かった。
健気な少女の想いが、悪意によって踏み荒らされる事を。