286.同行者、もうひとり
シン達がマギアへ向かう為の準備をしている中。
ギルレッグの同行を耳にして決意する者もいれば、納得しない者もいた。
「お姉さま。ベルさんたちだけに行かせて、大丈夫だと思いますか?」
頬杖を突きながら、オリヴィアが呟く。
数日もしないうちに、この研究所から主が姿を消そうというのだから無理もない。
「なんだかベルさん、様子が少し変でしたし。
無事に戻ってくるといいんですけど……」
マレットと出逢ってから、オリヴィアは刺激的な毎日を送っていた。
彼女が心底研究を愉しんでいるのが、自分にも伝わって来ていた。
だからこそ、オリヴィアはマギアへ行くと決心した彼女の様子に違和感を覚えた。
良くない事の前触れでなければいいのだがと、頭を悩ませている。
「そうは言っても、マレットさんの言う通りです。
私たちがマギアへ行っている間に、ミスリアで争いが起きれば元も子もありませんから。
シンさんとフェリーさんに、任せましょう」
オリヴィアを宥めてこそいるが、アメリアも同じ気持ちだった。
事の発端はミスリアにある。マギアは悪意に呑み込まれようとしている形だというのに。
先を見据えた形とはいえ、どうにも頼り切りになっているのが歯痒かった。
「そうですよねぇ……」
オリヴィアが顎先を机に乗せると、造りかけの魔導具たちが一斉に視界を覆う。
書きかけの図面もそうだ。彼女はまだ研究所でやりかけのものが山ほど残っている。
まだ彼女は出発していないというのに。
いつかまた談笑しながら、これらが組み立てられていく日が待ち遠しいと感じてしまっていた。
……*
「ねえ、シン。マレット、だいじょぶかな?」
旅支度を終えたフェリーが、ぽつりと呟いた。
転移先であるマギアの南部は、魔導石によって悲劇が生まれた地。
そこに開発者であるマレットが赴こうとしているのだから、不安になるのも無理はなかった。
「だからこそ、マレットは俺たちを指名したんだろう」
今回、相談もなくマレットにより同行者が選定された。
転移魔術が一方通行であるが故に、戦力の漏出を防ぐという彼女の考えは嘘ではない。
けれど、それ以上に彼女は遠慮をしたのだ。
皆が自分の為に、危険な地へ繰り出そうとしかねない事を。
マギア南部での出来事を全員へ話さなかったのは、決して隠したいからではない。
もしも話してしまえば、きっと気の良い仲間達が自分の身を案じてしまう。
同盟を結んでいる妖精族の里や、アメリア達はミスリアでの有事に備えなくてはならない。
思考の妨げとなる不安要素を、彼女達へ抱えさせない為の配慮でもあった。
そこまで考慮した上でシンへ声を掛けたのは、戦闘は避けられないだろうと察している証拠でもあった。
自分独りでマギアへ赴いた際に、事態に対処できない可能性をマレットは少しでも排除したかった。
「マレットも、アレで案外気を遣ってるんだ」
「ふだんの様子だと、ぜんっぜんわからないけどね」
やや力を籠めながらも、フェリーは笑みを溢した。
普段は他人を揶揄う事に余念がないというのに、面倒見はとてもいい。
それでいて、いざ自分が迷惑を掛けるかもしれないとなればしおらしい一面を見せる。
旅の途中、マギアへ戻る度にフェリーは彼女に揶揄われていた。
身体のあちこちを弄られながらだったものだから、フェリーはマギアへ帰る事に難色を示している時もあった。
でも、今なら解る。彼女なりに、自分の罪悪感を薄めようとしてくれていたのだと。
「あたしたちは、マレットの護衛をずっとしていればいいの?」
「状況によると言いたいところだが、今回の目的は主にこの辺りだろうな」
今回、シン達がやらなくてはならない事は主にみっつある。
ひとつは、マレットの護衛。
マギアの南部で起きるであろう身の危険から、彼女を護る事。
続いて、マギアの状況を確認。
先行してマギアへと帰ったオルガルの情報を元に、出来る限りミスリアとの衝突を避けるように動く。
尤も、貴族でもないシンやフェリーではどうにもできない。
マギアにて発言力あるマレットが、どうにかして説き伏せる事が出来れば最高の結果となる。
一方で、マギアは軍事力強化の為にマレットの身柄を求めている。
彼女に迫りくる危険は、決して南部による逆恨みだけではない。
最後に、世界再生の民の暗躍を阻止する。
ピースがウェルカで聞いた以上、悪意が根を張っている可能性は十分にある。
王族にまで手を伸ばしているのか。周辺で留まっているのか。
何にせよ、彼らの思い通りにさせる訳には行かなかった。
(……思ったより、キツい戦いになりそうだな)
こちらの戦力は自分とフェリー。後は現地で合流するであろうオルガルとオルテールのみとなる。
邪神の分体が待ち受けているのであれば、厳しい戦いとなるのは必至だった。
「シン、どうかした?」
眉間に皺を寄せるシンの顔を、フェリーが覗き込む。
「いや、なんでもない」
「ホントかな……」
前科が多すぎるが故に、言葉通りに受け止められないフェリーが訝しむ。
そんな時だった。彼らの元へ、ひとりの女性が現れる。
「シン、フェリーちゃん。ちょっといいかしら?」
銀色の髪を靡かせる、とても美しい女性。
イリシャ・リントリィが、決意を胸に秘めて二人の前へと立つ。
「イリシャさん! って、その荷物……。どうかしたの?」
表情を明るくするフェリーだったが、直ぐに違和感に気付いた。
彼女の装いがいつもと違う。動きやすい服装に加え、手には鞄がしっかりと握られている。
まるで旅に出ると言わんばかりの様子だった。
「わたしもマギアへ行くわ」
「え゛」
不意の通達を前にして、シンとフェリーは互いの顔を見合わせる。
重なった視線が硬直を生み出すが、揃って首を横に振る。
何も知らない。何も聞いていない。その事実が、二人を更に混乱させた。
「どど、どーして!? イリシャさん、今のマギアは――」
「危ないっていうのは、ベルちゃんからも散々聞かされたわ。
シンとフェリーちゃんだけを連れて行こうとしたのも、先を見据えての話だってね。
だから、わたしもその為について行こうと思ったのよ」
「えっと、どゆコト?」
先を見据えて戦力を温存するという話なのに、どうしてイリシャが同行するという結論にたどり着くのか。
よく意味が分からないと、フェリーが小首を傾げる。
「マギアでも戦闘が起きるなら、シンの手当を出来る人が必要でしょう?
薬だけを渡すより、ちゃんと手当が出来るもの」
そう言って鞄の中を開けて見せるイリシャ。
中には彼女が調合した薬や、救急道具が一式揃えられていた。
「いや、俺もなるべく負傷しないように戦うつもりでは……」
絶妙に困った顔をしながら、シンがおずおずと手を挙げた。
厚意から言われているのか、怪我を前提で言われているのか判断に困っている。
「ウソだ! シンはいっつも、大ケガするもん!」
「そうよ。貴方、治癒魔術は効かないんだから。
せめて手当ぐらいは大人しく受けなさい」
説得力がないと、フェリーが頬を膨らませる。
浮遊島でも、クスタリム渓谷でも。シンは無茶をした結果、負傷をする。
一刻も早く手当を受けられるというのであれば、フェリーはイリシャの同行に賛成だった。
「だけどな、イリシャを戦闘に巻き込むわけにはいかないだろ。
マレットだって、同行を許可するはずが――」
「取ったわよ。取ったから、荷物をまとめたんだもの」
シンの言葉に被せるようにして、イリシャははっきりと言い放った。
彼女の根回しの早さに、流石のシンも驚きを隠せない。
「ベルちゃんの言い分が先を見据えてって話なら、マギアでのゴタゴタの後も考えなきゃ。
邪神だって、ミスリアが本命でしょう? だったら、シンの怪我は一刻も早く治すべきだわ。
怪我をしたままでも、無茶をするのが貴方だもの」
そう言うと、渋々マレットも了解をしたとイリシャは付け加えた。
シン・キーランドという人間は自分の身体を省みる事はない。
純然たる事実を、改めて口頭で突き付けられた気分だった。
「シン、イリシャさんのほうがあってると思うよ」
シンの隣に立っているフェリーは、完全にイリシャへ同調している。
彼女の場合は、単に怪我が長引いて欲しくないのもあるが。
「……と、まあ。建前はここまでかしら」
ひとしきり、許可を得た経緯を話したイリシャが両手を合わせる。
先刻までの決意をした顔は、若干物悲しいものへと変わっていた。
「建前?」
眉を顰めるシンと、また金色の髪を地面へ垂らすフェリー。
建前を用意してまで同行を決めたという事は、彼女自身にマギアへ行きたい理由がある事となる。
「本当はね、カランコエへ行きたいのよ。
わたしも、シンのお母さんには服を仕立ててもらったし。
アンダルとも、一緒に旅をした仲だもの。少しだけ、お祈りさせてもらいたいわ」
フェリーの夢の話を聞いたからだろうか。
マギアへ行く切っ掛けが出来た事もあり、イリシャは同行する事を決めた。
墓前はなくとも、かつて世話になった者達へ祈りを捧げる。
その中には少なからず、謝罪の気持ちもあった。
カランコエが焼き尽くされる事を、あの当時では自分だけが見過ごしている。
きっと自分が居ても何も出来なかったかもしれないけれど、思うところはある。
せめてもの謝罪の言葉を、いつかきちんと送りたいと考えていた。
「そっか、カランコエの村……」
フェリーが己の胸を強く握りしめる。
大切な記憶も、忘れたい記憶もそこには眠っている。
「シン、あのね……。あたしも、カランコエに行きたい」
自分も故郷で謝罪をしたいと、シンへ伝える。
「……分かったよ。だけど、危なかったら引き返すからな。
ゼラニウムには、マレットの屋敷があるんだ。張り込まれていても、おかしくない」
転移先がマギアの南部になった経緯を考慮すると、素直には頷けない。
マレットの屋敷は一番厳しくマークされていて当然だと判断するべきだ。
一方で、シンは言葉にこそ出さないものの感謝もしていた。
自分の家族を大切に想ってくれている。その事実は、少なからず彼の心を和らげていた。
「うん! ゼッタイに約束するね!」
「ええ、分かったわ」
目一杯に頷くフェリーと、同意を得られてホッとするイリシャ。
こうしてマギアでの目的地と同行者が、またひとつ増える事となった。
……*
出発の日、イリシャはフローラとコリスへ後を託した。
「それじゃあ、フローラ殿下にコリスちゃん。しばらくの間、子供たちをお願いね」
「はい。イリシャさんこそ、お気をつけて。
戻ってきたら、また色々と教えてくださいね」
イリシャに心配を掛けまいと、フローラはにこやかに送り出す。
今まで教えてもらった全てを、出し尽くさねばならないという重圧を必死に隠していた。
「必ず帰ってきてくださいね……!」
マギア出身であるコリスは、やや不安げに彼女を見送っていた。
邪神の顕現に関わった身でもある。自分の目の前で起きた惨劇を思い返せば、心配せずには居られなかった。
「大丈夫よ。シンとフェリーちゃんがいるもの」
フローラやコリスに加え、横並びで手を振る子供達に見送られながらイリシャはマギアへと向かう。
久しぶりの旅は、緊張からか僅かに唇を乾かしていた。
……*
「よし。ほんじゃ、行くか」
「ああ」
「うん!」
転移魔術が施された魔法陣の上に乗ったシン達を、光が包み込む。
瞬く間に周囲の景色は光のカーテンで覆われ、やがて薄くなっていく。
完全に光が消え去った時、五人の前に広がる景色は全く違うものとなっていた。
それは同時に、転移魔術が正しく作動した事を意味する。
「……おいおい、オルガルの奴。なんてとこに設置してくれたんだよ」
マレットの顔が引き攣る。
転移を体験した感想よりも先に、オルガルへの恨み節が先に口から漏れた。
「えと、これって……」
「ワシの目から見ても……」
「歓迎されてない……っぽいわよね」
周囲が醸し出す剣呑な雰囲気に一同は固唾を呑んだ。
転移した五人を待ち受けていたのは、薄暗い洞窟の中。
目の前の出来事を信じられないという風に、大勢の人間がシン達の姿を見つめていた。
その奥にある感情は、決して良い物ばかりではない。少なからず、怒りが含まれているように感じ取れた。
(これは……)
中には大きな傷跡や、身体の一部が欠損している者もいる。
僅かな灯りに照らし出される者達を見たシンが、粗方の事情を察する。
かつてマギアの南部で起きた内乱。
魔導石により終戦したあの戦いに参加していた者達が、この場に集っているのだと。
彼らの瞳には、一体どう映ったのだろうか。
かつて自分達を傷付けた魔導石が、新たに引き起こした奇跡を。
 




