285.天才の逡巡と、職人の決意
マギアへと帰ったオルガルに持たせていたのは、転移魔術を発動させる為の魔導具。
その魔導具に生じた反応は、彼らに救援を必要とする状況が発生したという事を意味する。
元々、懸念はしていた。
コリスが巻き込まれた、邪神の分体を顕現させる為の儀式。
マレットがマギアを離れる切っ掛けとなった、軍備の増強。
そして何より、マギア内で戦争への機運が高まっているという事。
戦争と言えば聞こえはいいかもしれないが、これは侵略だ。
近年、急速に発展したマギアがついに他の大陸にまで勢力を伸ばそうとしている。
ミスリアの人々からすれば、到底受け入れられるものではない。
護る為に、戦う。その背後に邪神が絡んでいたとしても、始まってしまえば止められない。
多くの命が失われる状況を阻止する為に、オルガルはマギアへと帰っていった。
その際に渡した保険を、彼は使用したのだ。
難点があるとすれば、この反応はあくまで魔導具の設置場所が判るという一点のみ。
一方通行である以上、出向いてしまえば妖精族の里へは自力で帰る必要がある。
故に、転移は慎重に行わなくてはならない。だからこそ、オルガルは設置場所に意味を込めているはずだった。
転移装置の反応が発生したのは、マギアの南部。
マレットにとっては、因縁浅からぬ地でもあった。
長年続いた内乱を、たったひとつの発明で終わらせた救世主。
マギア南部を絡めてベル・マレットを語る時、国の中枢に近い者はこう評価する。
一方で、マギア南部の人間にとって彼女は魔女と評されてもおかしくはない。
魔石を改造し、その質量からは考えられない魔力の暴発で多くの命を奪った。
その事実を知りながら研究を続けていたのだから、悔恨が消えるはずもなかった。
幼馴染であるオルガルが、南部に根付くマレットへの遺恨を知らないはずがない。
それにも関わらず、彼は魔導具を設置したのだ。憎き魔導石を、因縁の地へ。
「マレット、大丈夫か?」
設置場所で彼女の胸中を察したシンが、やや躊躇う。
オルガルの真意を知りたくても、魔導具は沈黙を貫いている。
マギアへ向かわなければ、何もわかりはしない。
「……変な気ぃ使わなくても、平気だ。
アタシが後であのバカを問い質せば、それでいいんだからな」
顔に映っていた困惑の表情を消し去りながら、マレットがぶっきらぼうに呟く。
今の台詞でシンは確信をした。彼女は、マギアへ向かうつもりなのだと。
彼女の決断がオルガルの意に沿っているかどうかまでは、判らないが。
「とりあえず、皆に話さないことには始まらないよな」
救難要請があった以上、無視は出来ない。
ここでの沈黙は、取り返しの事態を生みかねなかった。
マレットは腕を組みながら、肩で大きく息をする。
彼女にしては珍しく、悩んでいるようにも見えた。
……*
主要なメンバーを集めたマレットは、転移魔術装置の反応が発生した事を伝えた。
「マギアの方で、動きがあったということですか……」
フローラが神妙な顔つきで、マギアの地図を眺めている。
覚悟はしていたが、迫りくる脅威を考えると心臓が締め付けられるような気持ちだった。
「アタシはシンとフェリーを連れて、マギアへ行くつもりだ」
彼女が同行者として指名をしたのは、初めに相談をしたシン。
そして、彼が赴くのであればフェリーが行儀よく留守番をしているはずもない。
三人にとっては、故郷への凱旋となる。
「ベルちゃん、私も行っちゃダメかな?」
銀色の髪を揺らしながら目いっぱい手を伸ばしたのは、妖精族の女王であるリタだった。
大人しくマレットの話に耳を傾けていたが、彼女は前のめりで同行者まで決定してしまっている。
これは相談ではなく、通達をしているだけだ。
「どうしてだ?」
「単純にフェリーちゃんたちの故郷に興味があるっていうのもあるけど……。
戦力面なら、申し分ないと思うよ」
リタを皮切に、皆が我こそはと立候補する。
アメリアやオリヴィアも、その一人だった。
「マギアに異変が起きているのであれば、邪神が関与している可能性は十分にあります。
私たちも、マギアへ赴く理由があるはずです」
「そうですよ。それに、装置の様子を確かめたいですしね」
フローラへ視線を送ると、彼女は頷いている。
彼女達が自分の手から離れる事に納得している様子だった。
「お前ら……」
正直に言うと、マレットは嬉しかった。
建前は違えど、皆が自分達の身を案じてくれているのが伝わってくる。
「気持ちは有難いけど、ダメだ」
けれど、だからこそマレットは毅然とした態度で断る必要があった。
予め、シンとも相談をしている。今ここで戦力の大半をつぎ込む事は危険なのだと。
「どうして!? マギアも危ないなら、私たちが行ってもいいじゃない!」
「リタさんの言う通りですよ! ベルさんたちだって、お互い様って感じじゃないですか!」
納得がいかないと、憤慨をするリタとオリヴィア。
マレットが少し困ったように頭を掻き毟ると、栗毛の尻尾が僅かに揺れた。
「何も意地を張ったりしてるわけじゃないんだよ。ちゃんと理由がある」
徐にペンを取り出したマレットが、壁に掛けられた地図へ書き込んでいく。
「転移魔術の出口は、マギアの南部だ。それで、マギアの王都は国のど真ん中にある。
海からどんどん離れる形で、進んでいかないといけないんだ」
「それの何が問題なの?」
外の世界を知らないリタが、首を傾げる。
「オルガルに設置させた転移装置は一方通行だ。使ってしまったら、妖精族の里には戻れない。
戻ってくるにしても海を渡ってミスリアを経由する必要がある」
付け加えるならば、ミスリアの王都も海に面していない。
マギアの状況を鑑みると、スムーズにミスリアへ移動できる保証すらも存在しない。
「魔導石搭載型の船が無ければ、相当な日数が必要になるよな……」
実際に船を利用して移動したピースが、声を漏らす。
折角妖精族の里とミスリアを転移魔術で繋いでいるのに、人員が居なければ本末転倒だった。
「確かにマギアに異変は起きてるんだろうよ。
けどな、考え無しに戦力を投入すればきっと後悔する。
ミスリアを狙っているのは、マギアだけじゃないんだ」
「つまり、他の脅威に備えて待機しておくべきだと?」
「邪神の本懐はミスリアなんだ、ミスリアへ行ける戦力を割くわけにはいかないだろ」
アメリアの問いに、マレットは肯定をする。
彼女の言葉に、異を唱える者は居なかった。
ただ、マレットは話せてはいない。
本当はもうひとつ、彼女達の同行を躊躇う理由がある事を。
それが転移魔術装置の設置場所である、マギアの南部。
マレットに恨みを持っている人間は、きっと少なくはない。
自分の仲間だと知られる事で、彼女達が脅威に晒される可能性を懸念してのものだった。
事情を知っているシンにだけは、そのつもりだと明かす予定だった。
けれど、付き合いの長いシンが彼女の胸中を察さない訳がない。
自分なら大丈夫だと、同行を申し出てくれた。
フェリーも同様だ。彼女もマレットには、返しきれない程の恩がある。
もしも南部の人間が刃を向けようものなら、盾となる覚悟があった。
そもそも、二人にとってもマギアは自分の故郷であり、大切な場所。
流石のマレットも、彼らの思いまでは覆せない。
「なーに、オルガルのヤツが大した用事でもないのに呼び出した可能性だってあるんだ。
もしそうだったら、一発ぶん殴ってちゃっちゃと帰ってくるって」
ケタケタと笑い声を上げながら、マレットは両手を叩く。
心配を掛けまいとする、彼女なりの気遣いでもあった。
……*
「……うし、行くか」
冷たい水で顔を洗い、マレットは気を張り直す。
マギアへ移動すると決めたからには、やるべき事がまだ残っている。
「ギルレッグのダンナ。ちょいといいか?」
「どうしたんだよ、ベル? さっき話が終わったばかりじゃねぇか」
魔導具を造るべく、一心不乱に小人王の神槌を振っているギルレッグがその手を止める。
「悪い悪い。あの場では話辛くてな。ダンナに個人的な頼みがあるんだよ」
「あん? 頼みだ?」
首を傾げるギルレッグだが、彼女が自分へ頼む内容など限られている。
魔導具の製作か、それに関わる何かに違いない。そして、その予想は当たっていた。
「ちょーっと、魔術金属や魔硬金属で用意してもらいたいものがあるんだ。
どれぐらい必要になるか判らないから、出来るだけたくさん」
マレットは欲しい者を纏めたメモを、ギルレッグへと手渡す。
初めは黙って彼女の書き綴る文字を眺めていたギルレッグだが、次第に眉間に縦皺を刻んでいく。
「おい、ベル。こんなに用意して、何を企んでやがるんだ?」
彼が気にしたのはメモに書かれた物自体ではなく、その量だった。
マレットが求めた物は、新たな魔導具ではない。制作自体は可能だった。
けれど、明らかにその量がおかしい。
何を想定すれば、到底転移魔術が無ければ運びきれない量を要求してくるのだろうか。
そもそもマレットは勿論、シンやフェリーにも必要がない物だ。彼女の考えている事が、全く読めない。
「……そこを何とかって言っても、ダメか?」
「お前さんの頼みだから聞いてやりてぇが、駄目だ。理由を話せ」
ギルレッグならそう言うだろうと、マレットも想定はしていた。
出来れば話したくはなかったが、彼に納得をしてもらう為には必要な事だ。
マレットはかつての過ちを話さなくてはならない。
マギアの南部で起きた内乱を終わらせたモノを。
……*
マレットの話を、ギルレッグは黙って聴いていた。
珍しく苦しそうにする彼女の姿を眺めながら、彼はひとつの決断を下す。
「成程な。お前さんの考えは理解できた」
「じゃあ、造ってくれるのか!?」
深く頷くギルレッグに、マレットは安堵する。
しかし、彼の返答は想定外のものだった。
「けどな、ワシがいくら量産してもお前さんが困るだろうよ。
そもそも、実際に使用する時の微調整はどうするんだよ」
「いや、それは何とか現地で……」
今日一日で、普段は見せない顔をどれだけ見せるつもりなのだろうか。
しどろもどろになるマレットを前にして、ギルレッグは大きくため息を吐いた。
「そんな簡単な代物じゃないって、お前さんが一番よく知ってるだろうが。
ワシがマギアへ同行した方が簡単なのは、お前さんだって理解してるだろう?」
「分かってるよ。分かってるけど、ダンナにだって危ないかもしれないって言っただろ!」
当然ながら、魔導具については一家言あるマレットでも魔術金属や魔硬金属の加工となれば話は別だ。
小人族であるギルレッグに比べると、精度と速度は雲泥の差だ。
それで彼女は、ギルレッグの同行を頼もうとはしなかった。妖精族の里で出逢った気の合う仲間を、危険な目に遭わせたくはなかった。
「そんなモン、承知の上でついて行ってやる。
元々ワシは、戦闘に向かないんだ。他の襲撃に備える必要はないだろ?
だったら、ワシはワシの能力が最大限活かせる所へ行く。それだけだ」
「ダンナ……」
ギルレッグは己の胸を、力の限り叩いた。全てを知った上で尚、彼は選択をした。
そこには職人としての小人族の矜持と、友人に協力をしたいという気持ち。
更に、もうひとつ。感謝の気持ちが存在していた。
「それに、シンとフェリーも行くんだろ? ウチの息子や長老を救けてもらった恩があるんだよ。
アイツらが行くってんなら、ワシもどれだけ危険だろうが力になってやる」
胸から熱いものが込み上げそうになるのを、マレットは必死に堪えた。
誘拐されそうになった時も、魔導石で死者を大量に出して落ち込んだ時も、彼が居てくれた。
こんな所でもシンは自分を支えてくれているのだと思うと、嬉しくて堪らなかった。
「……そっか。なら、頼むよ」
普段とは違った、涙声になりそうなのをマレットは誤魔化そうとする。
ギルレッグも違和感こそ覚えたが、言及はしない。今日の彼女は、いつもと違うのだと自分に言い聞かせた。
「おう、任せとけ」
ニッと白い歯を見せるギルレッグに、マレットは肩を竦める。
拳を付き合わせる二人の間に、迷いは無くなっていた。




