幕間.アメリアの贈り物
閉じた瞼越しに差し込む太陽の光が、一日の始まりを告げる。
「ん……」
眼を開けると夢から覚めてしまう。
それでも、私はミスリア王国の第三騎士団隊長。
我が国に三本しかない神器を預かる身として、他者のお手本となる必要がある。
寝坊なんて言語道断。その使命感が私を覚醒させる。
「あふ……」
とはいえ、寝起きなので不意に欠伸が出てしまうのは仕方がない。
誰にも見られていないので、この欠伸は良しとする。
今まで「もう少し眠っていたい」や「起きるのが口惜しい」なんて考えた事もなかった。
規則正しい生活を送るのは得意だったはずなのに、もっと眠っていたくなる。
そうなった理由は自分自身が一番理解をしている。
毎日、同じ夢を見る。
そこにはシンさんがいて、隣に居るのは私――。
私の立場や、私と彼の関係では決して起きる事のない夢。
都合のいい、ただの願望。
何度気分を落ち着けようとしても、夢を思い出しては顔が火照る。
トマトのように真っ赤な染まった顔のまま、朝食の席に着く。
「おはようございます。お姉さま」
「オリヴィア。おはようございます」
妹と挨拶を済ませると、段々と冷静になっていく。
姉として、妹に恥ずかしい所を見せるわけには行かない。
4歳年下のオリヴィアには魔術の才能がある。いずれ、私を遥かに超える魔術師になると信じて疑わない。
だから、その日が来るまで私は誇れる姉で居続けなければならないと誓う。
「お姉さま。今日はお城に行かれるのですよね?」
「ええ、ウェルカへ向かう前に現状の報告がありますから」
「なら、一緒に行きましょう! わたしも、今日は姫様に呼ばれていますので!」
姫様に呼ばれている……?
「オリヴィア、一体何があったのですか?」
姫様に呼ばれるなど、只事ではない。
時と場合によっては、私もウェルカの件より優先する必要がある。
「え?」
呆気に取られるオリヴィアを見て、私は気付く。
ああ、思考がマイナスに寄ってしまって変な勘違いをしてしまった。
「お茶をするだけですよ」
「そうですか……」
やっぱり。と、ばつの悪い顔で私は朝食を口にする。
ウェルカ領での一件以来、色々と気を張り詰めすぎているようだった。
……*
人が魔物に変貌するという、恐ろしい出来事。
更に、それを媒介に召喚された魔王の眷属。
未だ見つからない、コスタ公を殺した人物と『核』。
少しずつではあるが、進んでいる街の復興。
「ご苦労、下がってよいぞ」
「はっ!」
ウェルカでの出来事と復興の進捗について報告を終えた私は、歩きながら物思いに耽る。
そんな技術が存在している事に驚嘆する、魔術師としての自分。
それを躊躇いもなく悪用する事に憤る、騎士としての自分。
「来たわ!」
「え……!?」
割り切れない思いをどう消化するべきか考えている私の腕を、不意に誰かが引っ張る。
そのままある一室に連れ込まれた私を出迎えたのは、妹と――。
「アメリア!」
ミスリア第三王女、フローラ・メルクーリオ・ミスリア。
奥にはオリヴィアの姿が確認できる。どうやら、お茶をしている最中だったようだ。
「フローラ様。一体どうしたのですか?」
「久しぶりにアメリアともお話がしたくて!」
フローラ様は年齢が近い事もあって、私やオリヴィアにとても良くしてくれる。
他の臣下に「三姉妹のよう」と言われても、肯定をしてくれるぐらいには。
まだ若年の私が神器である蒼龍王の神剣の所有者として認められたのも、フローラ様のご尽力があるからこそだった。
「またウェルカに行くんでしょう?」
「ええ。まだ、やるべき事がたくさんありますから」
そう、あの街にはまだやるべき事がたくさんある。
何かひとつでも、事件の手がかりを――。
「それって、マギアの殿方のこと?」
「え? えっ!? ふふふ、フローラさま!?」
不意な言葉に、私の顔は茹で上がる。
どうして、フローラ様がシンさんの事を――。
わざとらしく目を逸らして、口笛を吹くオリヴィアを見て全てを察する。
どうやら、ティータイムに出されたお茶菓子は私だったらしい。
「あ、あのですね。フローラ様、シンさんはそういう――」
「シンっていうのね!」
墓穴を掘ってしまう。そういえば、オリヴィアにもシンさんの名前を出した事は無かった。
「お姉さま、勘違いなさらないでください。わたしたちは嬉しいのです」
妹が何を言っているのか、私には解りかねる。
「そうよ。剣術と魔術しかやってこなかった貴女に、気になる殿方が現れるなんて!
今すぐ私もウェルカに行って顔を拝みたいぐらいだわ!」
「そ、そんな事で気軽に出歩かないでください!」
逃げるように、私は王都を後にする。
帰ってきたら質問攻めに遭うと解りつつも、気恥ずかしさから逃げずにはいられなかった。
とりあえず、帰ってからオリヴィアには説教をする事だけは決まった。
……*
アメリアが去った後の部屋で、フローラとオリヴィアは談笑を続ける。
「あれ、やっぱりホレちゃってますよね」
「絶対ホレてるわね」
どんな人物なのだろうかと、想像だけで盛り上がる二人。
アメリアの初恋を純粋に応援したい気持ちと、いつもと違う可愛らしい一面を見せる彼女を語るだけで時間が過ぎていく。
二人とも初恋がまだだという事は棚に上げて、人の恋路でただただ盛り上がるのであった。
……*
ウェルカの宿で、シンさんに治癒魔術を唱える。
本人が言う通り、彼には魔術の素養はあまりない様で完治にはもう少し掛かりそうだった。
好意的に捉えるなら、私がまだここに来る口実がある。
早く治って欲しいのに、まだ治って欲しくない。自分がこんなに意地汚いとは思ってもみなかった。
「いつもすまない。フォスター卿」
「そんな! 私の方こそ街を救っていただいたので……。
それに、アメリアでいいと何度も――」
シンさんは頑なに「フォスター卿」と呼ぶ。
戦闘中は咄嗟に名前で呼んでしまったと言っていたけれど、私はそれで構わなかった。
意中の殿方に「他人だ」と線引きされているような呼び名が変わってくれないかと、毎日願ってしまう。
「それで、ピースの事なんだが……」
シンさんとは治療の間、色々な話をする。
フェリーさんの事。
不老不死だと聞かされた時は驚いたけれど、似たような症例を知らないかと頼られた以上は力になりたかった。
勿論、私が知る由は無かったけれど自分なりに調べようと思った。
付き合いの長さが違うのは判っていても、シンさんに名前で呼ばれるのは少し羨ましい。
ピースさんの事。
これはシンさん自身も首を傾げていたけれど、私も首を傾げた。
転生者? 他の世界から来た? シンさんの周りには特殊な人が集まるのだなと感心をしてしまった。
ただ、一緒に旅を連れていけないというシンさんの顔は申し訳なさそうだった。
魔術を教えてあげて欲しいと言われたので、私なりに精一杯力になりたいと思った。
そして、ウェルカ領での出来事。
ピアリーでの事件で、託された『核』。
私の失態で奪われてしまったそれは、まだ見つかっていない。
「……コスタ公は何故、殺されたのでしょうか」
「考えられるとすれば、『警告』だろうな。
今回みたいな事件を起こせる者が、組織的に動けばどうなるか。決して単独犯ではない事を示すために」
今回の規模のような事件がまた起きる。考えたくないけれど、そうも言ってはいられない。
結界術を研究しているオリヴィアに対策は打てないか相談はしているものの、成果がいつ出るかは判らない。
「もしくは、仲間への『見せしめ』か」
「仲間への?」
「マーカスに対する牽制が大きいかも知れないな。余計な事を話せば、お前もこうなると。
後は、他の仲間に勝手に動かないよう釘を刺しているのかもしれない」
「なるほど……」
確かに、何かに怯えているかのように話しては貰えない。
彼から情報を得るのは、難しいかもしれない。
「あまり役に立てなくてすまないな」
「いえ、そんな! 参考にさせてもらっています!」
実際、シンさんは様々な人を観てきたのでしょう。
色んな事を考えている姿が凛々しくて、また顔が赤くなる。
同時に、ひとつだけ気になっている。
彼は『人の事』ばかり考えている。
優しさから来ているという事は疑いようがない。
ただ、それ以上に自分を殺している場面が多いように思える。
もっとシンさん自身の話を聞きたいけれど、今の私では難しそうだった。
「ただいま戻りました」
ピースさんが宿へと戻ってくる。どうやら、フェリーさんとギルドで依頼をこなしていたらしい。
「お邪魔してます。ピースさん」
「師匠! 今日も魔術を教えてください!」
「ええ、頑張りましょうね」
ピースさんはとても意欲的に魔術を学ぶ。
前世は魔術が存在しない世界だったから、新鮮だと言っていた。
私には想像がつかないけれど、師匠と呼ばれるのは気恥ずかしいと同時に誇らしくもある。
「なぁ、ピース」
「……はい」
シンさんの一言で、ピースさんが固まってしまう。
言いたい事は、私にも判る。
「フェリーはどうしたんだ?」
「……露店を見に行きました」
しかめっ面をするシンさんを見て、あんな表情が簡単に引き出せるフェリーさんが羨ましくなった。
……*
「ただいま戻りました。……シンさん?」
ピースくんの指導を終え、宿へ戻るとシンさんは眠っているようだった。
勝手に部屋へ入ってしまった申し訳なさは、初めて見る寝顔に対する興奮で上書きされてしまった。
たくさんの苦労が垣間見える大きな手も、治療の度にドキッとさせられる。
それ以上に、いつも難しい顔をしているシンさんの無防備な姿に胸の鼓動が早まった。
隠しようがない。フローラ様やオリヴィアにからかわれようと、私はこの男性が好きだ。
起こさないように、そっと彼の前髪に指を触れさせる。
こんな事しか出来ない自分が、もどかしい。
……*
それから更に、時間は過ぎていく。
フェリーさんのお陰もあって、シンさんにも名前で呼んでもらえるようになったのは幸せだった。
ただ、調査の命を受けた私は旅に出る。そして彼らも、新たな旅へと出る。
会える時間は残り僅かだった。その事実が憂鬱になる。
せめて、いつも他人の事ばかり考えている彼に何かお返しは出来ないだろうか。
シンさんから相談を受けたのはその時だった。
「アメリア」
「はい?」
不意に名前を呼ばれ、動揺を必死に隠す。
持っているコップの水面が震えている事には気付かないで居て欲しい。
相変わらず起きている時の彼は眉間に皺を寄せている。お互いリラックスできる関係になりたいと切に願う。
「剣を一振り買おうと考えているんだが、ミスリアだとどういった物がいいのか教えてもらえないか?
あまり金が無いとはいえ、粗悪品を買うわけにはいかないしな」
私は「これだ!」と閃いた。
「任せてください! ミスリアから、最高の一振りを用意してきます!」
「いや、そこまで手持ちは……」
「お代は要りません! 私に任せてください!」
遠慮するシンさんを半ば強引に押し切って、私から剣を贈らせてもらう事になった。
相談を受けた瞬間に贈る品物は決まっていた。
ミスリアの錬金術師が造った最高級の金属から打ち出した剣。
ミスリルインゴットは魔術の付与がしやすいという特性があり、魔導具を開発するマギアにも引けを取らない物だと自負している。
その剣に私が魔術付与をする。
自分が一番得意な、水の魔術を。
シンさんには魔術の素養がないので、剣を触媒に魔術のサポートをするような魔術付与は向いていない。
常に魔力が剣を纏い、彼を護ってくれる。そんな魔術付与を行った。
強く願って、丁寧に魔術を剣へ練りこむ。
私の想いが伝わってくれれば嬉しいと、僅かに思いを馳せながら――。
……*
「本当にいいのか?」
「はい、是非受け取ってください」
水の守護魔術を練りこんだ、ミスリルの剣をシンさんへ渡す。
シンさんは銃を扱う事もあるので片手剣にしてみた。
彼が剣を抜くと、青銀色に輝く刀身が私と彼の顔を映した。
「ありがとう。大切に使わせてもらう」
「お役に立てて何よりです」
「えー。いいなー、シンだけズルいー」
「フェリーには魔導刃があるだろ」
「ふふ……」
フェリーさんが羨ましそうに剣を覗き込む。
渡すまいとするシンさんの姿が新鮮で、私にもそれを引き出す一旦を担えたかと思うと嬉しい。
彼女の可愛らしい様子を見ていると、私も気持ちが穏やかになる。
次に逢う時までには、彼女のような笑顔を向けられるように努力しよう。
だからそれまでは、私の大切な人を護ってくれますように。
そんな願いを、剣に込めた。