幕間.トリを務めた男
黙々と雑務をこなす私の隣に居るのは、レチェリだった。
懐かしくもあり、不思議でもありながら、やはり慣れてしまった光景。
一度は妖精族の里を売った身でありながら、リタ様と周囲の厚意によりこうして復帰している。
族長の立場としては複雑だが、単純に戦力としては助かる。
隙があればリタ様は抜け出そうとするし、他の者では勝手が解らないことも少なくない。
妖精族だけならば兎も角、今では他種族と共存をしている。
出来るだけ円滑に事を進めるための準備という点では、彼女の存在は有難かった。
「私は父がどのような男だったのかは知らないから、反応に困ったりするのだがな」
などと私に愚痴を垂れてはいるが、満更でもなさそうだ。
彼女はどうやら、人間と妖精族のハーフという立場から色々と相談を受けていると聞く。
妖精族や魔獣族との悔恨が完全に消えたわけではないだろうが、それでも皆も歩み寄ろうとしているのだ。
レチェリ自身も、歩み寄らなくてはいけないと自覚している。
リタ様やレイバーン殿が自分のために奔走していたことを知っているから。
そして何より、レチェリの存在自体がこの共存に於ける希望でもあるのだから。
その点については、あまり心配をしていない。
元々、レチェリは聞き上手だ。昔からリタ様の話を一身に受け止め、優しく頷いていた。
きっと皆にも、同じように接しているのだろう。
人間の父を知らないというのは些細なことだ。彼女の能力が否定されるわけではないのだから。
「ところで、レチェリ」
「どうかしたのか?」
繰り返すが、レチェリは聞き上手だ。他人の相談事を適当に流すような真似はしない。
それでいて、リタ様はキーランドたちとは適度な距離感がある。彼女以上の適任者を、私は知らない。
私が珍しく話題を振ったからか、レチェリは少しだけ驚いていた。
それでもペンを止めないのは流石と言ったところか。これがリタ様なら、休む大義名分を得たと言わんばかりに机の上を片付け始めている。
「ああ、どうかしたといえば、どうかしたのだが……」
「珍しいな。はっきり言えばいいだろうに」
言い淀む私を見て、レチェリは訝しむ。
自分から話題を振ろうとしている手前、申し訳ないとは思うが待って欲しい。
口にしてしまっては後戻りできない。背中を押してくれる者は、ここには居ない。
むしろ、居て欲しくない。
私は大きく息を吸い、冷たい空気が脳を冷やしてくれる。
何度ども逡巡を繰り返す私を、彼女は黙って待ってくれていた。
よし、言おう。言うぞ。大丈夫だ、レチェリは口が堅い。間違いない。言って問題ない。
「……お前の所に来る相談は、そんなに色恋沙汰が多いのか?」
数秒、この空間だけ時間が止まったような錯覚に陥った。
違う。いや、大まかな意図としては違わないのだが、違う。これではただの世間話ではないか。
「あ、ああ。そうだな、比率としては決して低くないと思う。
個人的なことだから他人に漏らすような真似は決してしないと、固く誓ってはいるが」
僅かではあるが、レチェリは困惑の表情を見せていた。
無理もない。彼女にこのような話題を振る日が来るなんて、私自身も思ってみなかったのだから。
「そうか……。いや、他人の色恋沙汰を聞かせて欲しいというわけではないぞ。
ただ、傾向としてはどの種族が多いとかは――」
「意外だな。ストルがそんなことに興味を持つなんて」
「……私も、色々と気にはなっているんだ」
少し考えた後、レチェリは口を開いた。
全体的な傾向や割合などは教えないと、前置きをした上で。
意外だったのは、私が思うよりも妖精族が排他的では無かったということだ。
これに関してはリタ様とベルが見解を述べているという。
「リタ様曰く、妖精族は愛と豊穣の神様を信仰しているのだから当然だと仰っている」
愛と豊穣の神様は愛と豊穣を司る。故に、神が背中を押してくれているのだと。
言われ見ればと納得しかけたのだが、それでは今日までの閉鎖的な環境が説明できない。
リタ様が女王となるまでは、皆が豊穣を重きに置いて祈りを捧げていただけなのかもしれないが。
そもそも、リタ様自身が魔獣族の王に恋する乙女だ。彼女に当てられるのも無理はないのかもしれない。
興味を引いたのはもうひとつ。ベルの見解の方だった。
「半妖精族や魔妖精族という定義が存在しているのだから、過去にはそれなりの数がいたのではないかと言っていた。
これは獣人を含む亜人全般に言えることで、定義として存在している種族は異種族との交配が盛んだった時代があるんじゃないのか?
他の種族から良い所を取り入れたいのは、どこも変わらないだろうしな。実際、人間も貴族同士でくっつくのはその辺が狙いでもあるわけだし。だそうだ」
なんとも実用的な話だったが、ベルらしい見解だった。言われてみれば、その通りだ。
妖精族の歴史でずっと他者との関わりを避けていたのであれば、半妖精族や魔妖精族が生まれるはずもない。
半妖精族はレチェリが目の前に居るとして、魔妖精族も前例があったのは確実なのだ。
兎にも角にも、私が思っているほど妖精族の本質は排他的ではないらしい。
少しだけ安心をした私は、意を決してレチェリへ相談をする。
「……では仮に、私が人間の少女へ好意を抱いても自然だということだよな?」
レチェリの手が止まる。目を点にして、何度も瞬きを繰り返す。
無理もない。言ってしまえば、私は排他的な妖精族の代表格だったのだ。
居住特区の設立や研究チームに加わることで段々と、物腰が柔らかくなったとは言われていた。
だがまさか、人間の少女に恋心を抱いているとまでは思われなかったのだろう。
「意外だな」
暫く続いた沈黙を破るかのように、レチェリが呟く。
正直、彼女の気持ちはよく分かる。自分自身、驚いているのだから。
「……悪かった。昔は愚かだったと、自分でも思っているよ」
「いや、人間にという点もだが。お前から色恋の相談を受ける件についてもだ」
改めて言われるとむず痒い気持ちになる。
照れくさくなり視線を逸らそうとしたが、視界に入ったのは必死に笑いを堪えているレチェリの姿だった。
「ちょっと待て! 私はこれでも本気で相談しているんだぞ! 笑う奴があるか!?」
「ふ、ふふふ……。いや、悪い。なんだかおかしくてな」
私が恋愛相談をするのが、そんなにおかしかったのだろうか。
眉を顰める私に、レチェリは確認を取るかのように問う。
「まあ、なんとなく誰なのかは想像できるが。オリヴィア・フォスターで間違いか?」
自分がここまで緊張をする性質だったとは、思ってもみなかった。
本人の居ぬ間で、頷くだけなのに。まさかここまで勇気を求められるとは。
……*
「最初からいっぱい投げてる人もいるのに、最後に投げた人が持て囃されるんですか?
なんか不公平じゃないですか、それ?」
「いやいや。やっぱり最後はどうしても緊張をするものなのですよ。
なんたって、これまでの全てを背負っているわけですから」
わたしは研究室でピースくんの話に異を唱えていた。
今はヤキューというスポーツの話を聞いている。丸っこい球を棒で打って走る、チーム戦だ。
こういった話を聞く度に、彼は別世界の住人だったと思い知らされる。
ベルさんがしきりに色んなことを訊いているので、研究室に籠り切りのわたしもすっかり常連だ。
「因みに、そのスポーツで魔導具を使う要素はありそうか?」
「死人が出かねないからやめとけ」
彼が言うにはそのヤキューを題材にした御伽噺も世に溢れていたらしい。
現実よりとトンデモがあるらしいけど、その辺は何を言っているか解らなかった。
魔導具を使うとトンデモ寄りになるらしいっていうのは、ピースくんの反応から窺えましたけど。
彼は今、妖精族の里でこのヤキューを子供たちに教えようとしている。
チームを組むから、種族間でも結束力が高めやすいんじゃないかと言っていた。
この間のぷうるみたいに下心もなさそうだったので、これに関しては皆が好意的に受け止めている。
問題があるとすれば、身体能力はピースくんのいた世界よりこっちの皆の方が高いことぐらいだろうか。
ベルさんやギルレッグさんと、怪我をしないような道具作りに勤しんでいるようだ。
「ピースさんの言っていることも解りますよ。殿を務めるというのは、やはり大役ですからね」
アメリアお姉さまはピースくんの話に賛同をしていた。言われてみれば、殿を任されるというのは実力者の証だ。
その辺は戦いもスポーツも変わらないのかもしれない。わたしだって、有事の際にはフローラさまには先に逃げてもらわなくては困る。
「トリを務めるっていうのは、やっぱり重みが違うんですよね。
勿論、先発が試合を作らないとそこまでたどり着きませんけど」
饒舌にヤキューを語るピースくんが何を言っているのか、わたしは殆ど解らなった。
けれど、最後を務めることの重要性だけはなんとなく脳裏にこびり付いていた。
「悪い、遅くなった」
ストルが研究所に顔を出したのは、そんな時だった。
彼は珍しく頬を染めている。息も切らしているし、走ってきたのだろうか。
「別にそんな急がなくてもよかったぞ。アタシたちも、休んでたところだし」
ベルさんの言う通りだった。転移魔術は魔導具も含めて、完成までこぎつける事が出来た。
勿論これから更に最適化する必要はあるし、課題が後から現れるかもしれない。
実際、シンさんに渡している簡易転移装置は改善が難しいとベルさんがボヤいている。
けれど、わたしはこの結果に凄く満足をしている。
独りで研究をしていた頃は、一生かけても完成しないのではと不安になっていた。
妖精族の里に来て、ほんとうによかったと心から思っている。
「そうですよ。ピースくんの嘘か真実か誰も判らない話を、皆で聞いてただけですから」
「いや、ちゃんと本当ですからね!?」
憤慨するピースくんに、ケタケタと笑うベルさん。
お姉さまは「もう、またそんなことを言って」とわたしを叱る。
テランに至っては「嘘なら嘘で、大したものだけど」とフォローをするものだから、皆で笑っていた。
……*
夕日が差し込み、研究所内を橙色に染め上げる。
普段は最後まで動かないベルがだったが、ピースと共にイリシャの元へと出かけた。
他の者も各々の用事を済ます為に離れていき、今では私とオリヴィアの二人しか残っていない。
「ベルさん。絶対にイリシャさんの料理が食べたいだけですよね」
「間違いない」
くすくすと笑いながら、オリヴィアが魔術書を整理している。
彼女の言う通り、ベルはリントリィに胃袋を掴まれてしまっている。
ヤキューとやらの道具を渡すという口実で、夕飯を食べに行ったことは想像に難くない。
「でも、ベルさんもピースくんも子供たちには人気ですからね」
「確かに。あの二人といれば、子供たちは退屈しないだろうからな」
玩具を作っては顔を出すマレットと、知らない遊びを教えてくれるピース。
子供たちにとっては、この二人は英雄かもしれない。いつも刺激的な毎日をくれるのだから。
しばらくオリヴィアと談笑を続けるが、雰囲気は悪くない。
これならばと思った矢先、オリヴィアが突然口を開いた。
「わたし、妖精族の里に来てよかったと思います。
転移魔術の研究もですけど、皆優しいし楽しいですから。
ずっと王宮に籠っていたら、きっとこんなに充実しなかったと思います。
皆には感謝をしていますし、好きですよ」
好き。
意味合いが違うにも関わらず、私はその言葉に硬直をした。
混乱した頭で、愚かな質問をしてしまう程に動揺していた。
「その、皆というのは……」
小首を傾げながら、オリヴィアが当然のように続ける。
「そりゃあ、妖精族の里で出逢った皆さんですよ。
リタさんにレイバーンさん。ギルレッグさんも。あ、勿論ストルもですよ」
「あ、ああ。私も、皆と出逢えて良かった。
見識が広がったからな。今まででは、考えられない進歩だったよ」
虚勢を張っては見るが、ショックは隠せなかった。
彼女にとって自分は、この地で知り合った友人のひとりだと思い知らされた気がして。
けれど、今はそれでもいい。こちらが一方的に抱いている恋心なのだから当然だ。
いつかきっと、振り向いてもらえるように努力をしよう。気持ちを伝えるのは、その時だ。
「これからもよろしくお願いします、ストル」
「ああ、勿論だ」
悪気なく微笑むオリヴィアが、愛おしく思えた。
今はまだ、この時間を失いたくない。我ながら、情けない話ではあるのだが。
……*
太陽が完全に沈む中、研究所にぽつんと佇むのはわたし一人。
雑務が残っているとかで、ストルはこの場から去ってしまった。
嫌なことだってあるはずなのに、一切手を抜かない。
彼は働き者だ。アメリアお姉さまもだけど、精力的に仕事をしている人をわたしはほんとうに尊敬をする。
――トリを務めるっていうのは、やっぱり重みが違うんですよね。
「トリ……ですか。なるほど、これはなかなか……」
ひとり残された研究所で、わたしはピースくんの言葉を思い出した。
ほんのりと顔を紅色に染めながらその言葉の重みを、噛みしめていた。




