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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:間章 少女の分岐点

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276.苦い経験から

「到着いたしましたわ、トリスティア様」


 にこやかに笑みを浮かべるキーラとは対照的に、トリスの心中は穏やかでは無かった。

 事実だけを述べるなら、ここは紛れもなく城だ。森の中に聳え立つ城と言えば、聞こえはいいかもしれない。

 

(ここで本当に、茶を……?)


 城壁一面には蔦がカーテンを作り、積み上げられた煉瓦の隙間からは苔と雑草が生命力の強さを見せつけている。

 キーラは趣味で買い取った別荘だと言ったが、明らかに手入れがされていない。本当に使用した事があるのかさえも疑わしい。


「あの、キーラ殿。ここは本当に――」

「お待ちしておりました。キーラ様、トリスティア様」


 逡巡するトリスの声を遮ったのは、一人の男。

 城門の向こうから続いている植物のアーチの下を、ゆっくりとした足取りで歩んでいる。

 

 すらりと伸びた長身に、薄く青白い髪は雪景色にマッチしている。

 穏やか物言いとは裏腹に、強い存在感を持つ男というのがトリスの印象だった。


「……キーラ殿、この御仁は?」


 予期せぬ人物の登場に、トリスの眉間に皺が刻まれていく。

 キーラは「お伝えするのを忘れていましたわ」と、わざとらしく振舞っては男の元へと駆け寄る。

 

「こちら、ハーマン様と言いますの。

 わたくし同様、一度トリスティア様に大層興味があるそうなのです。

 ですから、つい呼んでしまいましたわ」

「ハーマンです。この城で、よくキーラ様とお話をさせていただいております。

 この度は、私もトリスティア様に興味がありましたので。以後、お見知りおきを」

「……トリスティア・エヴァンスです」


 深々と頭を下げられた頭は、見上げていたトリスの目線を下へと向ける。

 やはり言葉の節々にどこか力を感じる。

 戸惑いを見せながらも、トリスは彼へ応対するかのように頭を下げた。


 ……*


 キーラとハーマンに導かれるまま、トリスは古城の門を潜る。

 広がる光景は古ぼけた様子の外観に比べれば、人の手が加えられている事が明白だった。

 

 緑で彩られたアーチが降り注ぐ太陽の光を遮り、広がる葉は雪の受け皿となる。

 まるで城へと道が、ここしかないと言わんばかりに地面の色が伸びていった。


 アーチの外はというと、城門同様に放置しているとしか言わざるを得なかった。

 四方八方へ伸びきった雑草の上に、雪が被せられる。

 重みに耐えきれず雪を地面へ流し込む葉もあれば、懸命に支えようとした結果潰れてしまったものまである。

 

 何れにしろ、ある意味では綺麗な状態だった。

 誰かが踏み荒らした様子も、雑草を抜いて剥げている箇所も存在しないのだから。

 

(どうして、このような造りを……?)


 トリスは目を細め、周囲の様子を観察する。

 全てが放置されているのであれば、納得も出来るだろう。けれど、実際は違っている。

 外に広がる景色は不完全な美しさを表現しているとも言い難い。ズボラと言った方がまだ腹に落ちる。


 意味もなく。意味も見出せぬ、放置されているとしか言い表せない。

 城へと続くこのアーチでさえも、丁寧に作られたとは思えない。

 

 骨組みに巻きつけられただけの蔦と広がる葉は、雑草同様に四方へ飛び出しており、とても剪定されているとは言い難い。

 地面もそうだ。雑草を抜いたというよりは、何度も踏みしめられた結果、植物が己の存在を誇示できなくなったのではないだろうか。

 道の脇に最後の抵抗と言わんばかりに、雑草が生えているのはその為だろう。

 緑の天井で陽光から身を護る事だけを考えられたような、仕方なく造ったという拵えだった。


 定期的にこの場所を使っているのは間違いないだろう。踏みしめられた大地が、そう物語っている。

 一方で、それだけ使用するのであれば手入れのひとつでもすればいいのではないかという疑問が湧き上がる。

 自分では答えを導き出せず、眉間の縦皺を増やす。肩に乗ったヴァルムも主人の様子を察したのか、首を傾げていた。

 

「トリスティア様? どうかされましたか?」

「え? あ、ああ。そうですね……」


 前を歩いていたキーラから不意に名を呼ばれ、トリスの身体が強張る。

 招待されておきながら、品定めをしているような態度を取ってしまった。

 キーラから向けられた微笑みを見て、トリスは申し訳なさで自己嫌悪に陥る。


「ええと、その。自然のままの姿を活かしているのかなと思いまして」


 流石にこれだけじっくりと吟味しておきながら、何もないとは言い辛い。

 相手の気分を害さないようにと、トリスは懸命に言葉を選んだ。

 

「まるで、トリスティア様のように。と言ったところですかね」


 落ち着いた声色でトリスの言葉に声を被せたのは、ハーマンだった。

 先頭を歩いていたはずの彼はキーラを横切り、トリスの眼前へと現れる。


「私が……?」


 この人は何を言っているのだろうというのが、トリスの率直な感想だった。

 確かにローブに穴は開いているし、化粧っ気だってない。

 それでも一応は淑女だ。この古びた城のように放置していると言われ、首を縦に振るのは本意でない。

 

「ええ、トリスティア様は自然そのままの御美しさを活かしておられるようですから」

「いえ、買いかぶりすぎですよ」


 だが、ハーマンが言おうとした意図はトリスが思い描いていたものとは違うようだ。

 どうから彼は、自分を褒めるつもりで言ったらしい。突然の事に驚きながらも、トリスはやんわりと否定をする。


「美しいというのは、キーラ殿のような方です」


 キーラの眉が微かに動く。

 塗りたくられたような笑顔が一瞬引き攣った事に、トリスは気付いていない。

 

 トリスからすれば本心から語った言葉だった。自分もかつては、必要とされる場面があったからこそ判る。

 彼女のように着飾って、小物にも注意を払って。立ち振る舞いひとつからも美しくあろうとしている。


(この女。いけしゃあしゃあと……!)

 

 けれど、相手がその言葉を素直に受け取るとは限らない。

 意中の男性(ライル)を虜にしているトリスの言動は、余裕の表れと取られてしまっていた。


 どれだけ着飾っても、化粧を重ねても、顔を合わせてはアプローチを試みても。

 ライルの心は自分へと傾かなかった。彼女が例外なのではなく、他の女性に対してもそうだった。

 それがキーラにとって心の拠り所なのだが、唐突にその均衡は崩されてしまう。

 

 彼の心を奪うのには、時間など必要無かったのだ。

 瞬く間にライルを虜にした少女は、キーラからすれば魅力が判らない小娘だった。

 

 年下の、一切着飾ってなどいない小娘に。伏し目がちで、相手の顔を真っ直ぐ見られないような小娘に。

 どうして彼が惹かれてしまったのか。いくら考えても判らない。

 止めどなく溢れるのは、妬みと苛立ちだけだった。


 だから、キーラは手を打った。この女さえ消えてしまえば、再び均衡は保たれると。

 トリスティアの何が良いのか解らないが、今度は彼女を真似てみようと思う。

 

 真似をしやすいところでは、視線だろうか。彼女の目を合わせられないようなしおらしさを気に入ったのかもしれない。

 今まではあまりにも直情的過ぎた。自分が釣ったという事実に達成感を覚えるタイプだったのかもしれない。

 ライルの好きなように任せてみようと、キーラは思案を張り巡らせる。口角が上がりそうになるのを、必死に堪えながら。


(分かっていますわね?)

(……喧しい女だ)

 

 尤も、先の話は全てトリスティアが居なくなっている事が前提となる。

 キーラはハーマンへ目配せをすると、彼の切れ長の目は辟易しながらも承諾を示していた。


 この女は幾度となく生贄を差し出しては来たが、どれも吸血鬼族(ヴァンパイア)を満足させるものでは無かった。

 無駄に筋肉を付けた冒険者の男や、自らの身体を商売道具とする女。とにかく、忽然と姿を消しても影響のなさそうな人間が主だ。

 

 無論、生き残った吸血鬼族(ヴァンパイア)も選り好みをしていられる立場ではない。

 美食家としては及第点が出せなくても、出された食事は有難く馳走になった。

 使えそうなものは眼と牙を用いて眷属としたが、彼らに舌鼓を打たせるような者は未だ現れていない。


 キーラから差し出される不味い食事にかまけている暇はない。

 先日現れた、黒衣の男の事もある。悲願である王の復活。その可能性が目の前に湧いて出たのだ。

 

 街に置いてある眷属を駆使すれば、獣人を捕らえる事は容易い。

 自分は太陽が沈むまでは、満足にこの城から外へは出られない。

 それまでの暇つぶしとして、キーラから差し出された最後の食事を口にしよう。ハーマンは、その程度の認識でいた。

 

「何を仰いますか。トリスティア様こそ、着飾らないお姿でありながら隠し切れない気品が溢れております。

 今日は貴女のような方にお会いできてよかった。この出逢いは、運命です」

 

 トリスへ聴こえないよう、キーラが小さく舌打ちをする。世辞にしても言い過ぎだと。

 だが、ハーマンは思った事をそのまま述べている。多少誇張はしているが、決して嘘は言っていない。


 キーラが連れて来た人間では、間違いなく最大の上玉。

 整った顔立ちも、張りのある肌も。貪りやすそうな首筋と鎖骨を見るだけで、涎が溢れるのを止められない。

 そして何より、ティーマ公国ではお目に掛かれないような魔力が彼女から感じられる。

 初めてキーラを褒め称えたいとすら思った。トリスの全てが、ハーマンにとって極上の品だった。


「いえ、そんな。私なんて……」

「謙遜ならさないでください。ほら、照れている顔もお美しい」


 ハーマンはトリスの頬へ手を伸ばす。腹の指を押し返す弾力は、思った通りのものだった。

 これだけ極上の品に抵抗され、鮮度が落ちてしまっては困る。

 まずは自分への警戒心を解こうと、金色の瞳を以て彼女を魅了しようと試みる。


 一方のトリスは、自分の頬を撫でる指を前にして固唾を呑み込んだ。

 自分の肌が押し返すような感覚を前に抱いたのは、嫌悪感。

 

 込められた力や、触れられた場所こそ違えど、同様のものを自分は知っている。

 愉しんでいるのだ、自分の感触を。よく自分に触れていた、ジーネスのように。


 ただ、ジーネスの時とは勝手が違う。

 彼は嫌悪される事までを想定していた節がある。それでも欲望に従うのだから、呆れた男だった。

 自分に数多く声を掛けてくれながら、適切な距離感を保とうとするライルの人間性がよく分かる。


 では、ハーマンはどうだろうか。触れた指先は、自分の頬をなぞっていく。

 彼の指使いを見る限り、自分が拒絶されるとは微塵も考えていなさそうだ。

 トリスに鳥肌が立っている事など、気付いてすらいないだろう。


「ハーマン殿――」


 キーラの顔を潰す訳には行かない。しかし、このままされるがままという訳も行かない。

 やんわりと離れる事を促そうとしたトリスと、彼女を虜にしようとしたハーマンの視線が交錯する。


(な、ん……だっ!?)


 不意に襲い掛かるのは、頭の中を弄られる様な不快感。

 緊張で絞られた喉を、強く収縮する胸を、トリスは両手を以て抑えつけていた。


「トリスティア様?」


 頭を垂れ、激しい動悸に襲われるトリスティアを見下ろすのは、吸血鬼族(ヴァンパイア)の男。

 一瞬だが、確かに金色の魔眼は彼女を捕らえた。虜となるのも時間の問題だろうとほくそ笑む。

 

(吐き気が……)

 

 トリスにとって僥倖だったのは、『色欲』の魔眼を持つラヴィーヌに操られた経験だった。

 彼女の防衛本能が、他人と目を合わせる事を無意識下で拒絶する。

 

 結果、吸血鬼族(ヴァンパイア)の魔眼を捕らえたのは視界の片隅。

 瞳を通して通じてくる魔力は、彼女への侵入に失敗した。

 

 それでも尚、自分の中身に触れられるような不快感が残っている。

 呼吸を落ち着けながら、トリスは自分の身に何が起きたのかを必死に考えていた。


 頭が重くなる一方で、何故か思考がクリアになっていく感覚。

 自分の意思ではない何かを優先してしまい、己の存在を否定する感覚。


(そうだ、これは……)


 彼女にとってもうひとつの僥倖は、ジーネスの持つ『怠惰』により魅了(チャーム)がかき消された事だった。

 操られるまでの過程と共に、自分がはっきりと自我を取り戻す過程が身に刻まれている。

 

 故に、彼女は気付いた。ハーマンの持つ眼によって、自分の意思が奪われようとしていたのだと。

 魔眼からは正しく魔力が送り込まれていない。ギリギリではあったが、トリスの意思は吸血鬼族(ヴァンパイア)の魔眼に抗うだけの強さを残していた。


 何故、ハーマンが自分の意思を奪おうとしたのか。

 そもそも、()()()()()()()。トリスの疑問は、自然と彼の正体へとスライドしていく。


 下げた頭から視線だけを動かし、キーラとハーマンの様子を探る。

 二人とも、自分の様子がおかしいというのに立ち位置を変えていない。つまり、()()()()()()


 ならば、何も遠慮する事はない。

 顔を上げたトリスは戸惑いを含みながら、その言葉をハーマンへと投げた。


「ハーマン殿。貴方は、一体何者だ?」


 その言葉だけで、状況が判る。彼女は魔眼に操られていない。

 トリスの質問に答えるよりも、ハーマンにとってその事実の方が屈辱だった。


 吐いた言葉は、もう戻せない。

 一触即発の空気が、古城に流れていた。

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