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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:間章 少女の分岐点
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273.少女に迫りくる悪意

 街中を歩いていく中で、ライルの心も段々と落ち着いてきた。

 トリスティアの口から、「男」という単語が出て来た時はつい気が動転してしまった。

 

 自分も、ベリア達も。トリスティアの過去は何ひとつ知らない。彼女が語ろうとはしない。

 けれど、逢ってからの彼女なら知っている。とても真面目で、誠実な女性(ひと)だ。

 過去に惚れこむ男の一人や二人、居てもおかしくはないと自分へ言い聞かせる。


(落ち着け。彼女の様子だと、明らかに伴侶ではないだろう)

 

 重要なのは彼女の態度だ。偶々、彼女の考え方に影響を与えた人物が「男」だったというだけだ。

 そもそも、彼女に帰る所がないからこそ、ネクトリア号に身を寄せてくれているのだ。


 分析なのか、安心できる材料を求めているのか。

 感情と思考が混ざり合う複雑な精神状態で、ライルは一歩ずつ大地を踏みしめた。


「ライル殿?」

「あっ、ああ! すまない、少し考えごとをしてしまってね。

 それより、もうすぐだ。トリスティアに、気に入ってもらえるといいんだけど」


 やんわりと断ろうとしても、ライルは食い下がる。

 はっきりと断る事が出来ないまま、二人はセアリアス家の保有する建物の中へと消えていった。


 ……*


「これが……」

 

 眼前に現れた氷の塊を見て、トリスは思わず感嘆の声を漏らした。

 反対側まではっきりと見える、純粋な透明。

 

 中心の杖と氷塊から漂う冷気が無ければ、何も存在していないかのようにさえ感じてしまう。

 故に、氷塊に埋もれた杖の姿をはっきりと確認する事が出来た。


 木製の柄に、先端はやや金属質な飾りが取り付けられている。

 見た瞬間に年代物と判るのだが、不思議と経年による劣化は感じさせない。

 唯一疑問に思ったのが、杖に魔石が取り付けられていない事だった。


(あまり、魔術的な要素は含まれていないのか?)


 通常、魔術師が扱う杖には魔力を増幅させる役割として魔石が取り付けられている。

 大きさは勿論、色彩や透明度により術者との相性が深く関わってくる。

 そこから更に、職人が魔石の形を整える事により魔術師個人に合わせた杖が完成していく。

 魔術師によっては杖を握る事で魔術のイメージを反復し、詠唱破棄の一環として扱う者もいる。


 トリスが杖を贈られようとしたにも関わらず、その気が無かったのは遠慮していだけではなかった。

 悪い言い方ではあるが、他人の手垢が付いた杖は熟練の魔術師にとっては雑音(ノイズ)になりかねないからだ。

 下手に魔力と集中力が乱されるぐらいなら、彼らは何も持たない方がいいとさえ思っている。

 それだけ魔術師にとって杖は、魔力の増幅以上に重要な意味を持っていた。


「どうだい? 気に入ってもらえたかな!?」


 尤も、そんな魔術師の心情など露知らず。

 ライルは単に喜んでもらいたいという純粋な気持ちでこの杖を見せていた。


「え、ええ。年代物ですが、どこか不思議な力を感じます」

「そうだろう! 私もこの杖を見た瞬間、君の顔が目に浮かんだんだ!」


 満面の笑みを浮かべるライルに、トリスはたじろいでいた。

 どうにも断れる雰囲気ではない。気は引けるが、受け取った方がいいのだろうか。

 

 幸い、この杖に魔石は取り付けられていない。

 自分好みの魔石を取り付ける事をライルが快く思ってくれれば、手の内に収めるのは容易かもしれない。

 そもそも、護身用の仕込み杖だったりしないだろうかとトリスは氷の中を眺める。


 見れば見るほど、不思議な光景だった。

 透き通った氷に埋まる一本の杖は、様々な悪意を目の当たりにした自分には眩しいとさえ感じる。

 なのに、目が離せない。言葉には言い表せない魅力が、眼前の氷に秘められている。


「触れてみても?」

「勿論」


 ライルの許可を得て、トリスはそっと氷へ手を伸ばす。

 ひんやりとした冷気が、掌を通じて身体を冷やす。紛れもなく、氷そのものだった。


(……妙だな)


 一方で、トリスはその氷に違和感を覚えた。

 自分の体温は、間違いなく氷に奪われた。にも関わらず、掌は一切の湿り気さえも感じなかった。


「ライル殿。これは、本当に氷なのですか?」

「うーん。氷のはず、なのだけれど……」


 トリスが問うと、ライルは顎に手を当てる。

 どうやら、彼もこの氷に触れているらしい。


 彼の話によると、初めはもっと大きな氷塊だったという。

 外気に触れる事で、当然ながら表面は融けていく。結果、現在のように純粋な透明の塊が残った。


 そのまま全て融けてしまう。そうなる前に、この美しい姿をトリスティアに見てもらえないだろうか。

 ライルの心配は、杞憂に終わった。杖を覆った氷塊は、これ以降一切融ける事が無かったからだ。


「美しい状態でトリスティアに見てもらえたのは良かったけれど、肝心の杖が渡せないからね。

 君に堪能してもらえたなら、いつでも氷を割ってもらって構わないよ」


 ライルにとっては、自分の贈り物がトリスティアの手の内にある事が重要だった。

 珍しい状態も見てもらえたし、もうこの氷塊に思い残す事は無い。


「……いえ、もう少しこの姿で置いては貰えませんか」

「えっ?」


 だが、トリスの反応は違っていた。彼女はこの氷に、興味を示していた。

 魔石すら取り付けられていない杖と、決して融けない氷。

 このまま壊してしまうのは味気ないと、魔術師の本能が訴えていた。

 安易に贈り物を受け取る事に気が引けるという気持ちも、無かった訳ではないが。


「折角珍しい物ですので。よければ、時折様子を見させて頂ければと存じます」

「それは勿論だよ! いつでも言ってくれ!」


 強く握った拳を、思わず天へ掲げそうになるのをライルは堪えた。

 受け取っては貰えなかったが、それ以上の成果を得る事が出来た。

 トリスティアと一緒にいる大義名分。それは感謝の言葉よりもっと意味のある物だった。


 この杖を手に入れる経緯等を話す口実として、食事を共にする事も出来た。

 ネクトリア号が帰還して一日。ライルとしては上々の戦果だった。


 ……*

 

 浮かれるライルと、思案するトリス。

 二人とは裏腹に、ティーマ公国へ災厄が忍び寄ろうとしている。

 

 吸血鬼族(ヴァンパイア)

 他者の精神(こころ)を魅了する魔眼を持ち、他者の肉体を傀儡に変える牙を持つ一族。


 遥か昔、法導歴が制定される前の話。

 その切っ掛けとなった争いにも関与した、古より存在する魔族のひとつだった。

 人々は吸血鬼族(ヴァンパイア)に怯え、生贄を捧げる。我が身可愛さに、同胞を差し出していた。


 魔族の進攻は失敗に終わり、魔術大国ミスリアはその地位を不動のものとする。

 戦に敗れた魔族の内、いくつかの種族はその血を途絶えさせた。

 滅びを免れた種族はというと、500年以上経過した今でも虎視眈々と再興を企てる者は少なくない。

 吸血鬼族(ヴァンパイア)もそのひとつであり、僅かな純血種が機を窺っていた。

 

「ぜひ、ハーマン様のお力添えを……」

 

 そんな彼らに頭を垂れる人間が居た。イーマ公国の令嬢、名をキーラと言った。

 ハーマンはかつて祖先から聞いた栄華の日々を思い起こし、鼻を高くする。


「フン。たかが男一人のために、多くの生贄を差し出すか」

「ライル様は少々お優しいが故、拾った猫の面倒を見ているにすぎませんわ。

 ああ、そんな心優しい所も素敵……。ですが、お優しいが故に切り捨てられないのです。

 わたくしが彼の目を覚まさせてあげないと……」

「そのライルとやら以外は、どうなっても構わないのだな?」


 自ら人里へと赴くのだ。人間一人では割に合わない。

 彼の言わんとしている事を、キーラは当然のように予測していた。


「はい。わたくし、彼以外には興味ありませんもの。

 あのトリスティアとかいう泥棒猫もですが、いい加減獣人も鬱陶しいですわ。

 不要なものは、わたくしがきちんと棄ててあげなくては。未来の妻ですもの」


 一人の人間を、自分のモノとしたい。他は何も要らない。彼に近付く女は、例外なく泥棒猫だと女は言う。

 清々しいまでの自己中心的な性格。彼女と逢った時もそうだったと、頬杖を突いたハーマンが思い返す。


 互いの精神とは裏腹に、辺り一面が純白で覆われた雪の日。

 森に囲まれた、誰も訪れない古城をハーマンは棲み処としていた。

 

 数年前。まだ機ではないと、密かに力を蓄えていた彼の前に現れた女性。

 何人もの従者を連れて訪れたその女こそが、キーラだった。

 

 半ば廃墟と化した古城へ訪れた際、まさか吸血鬼族(ヴァンパイア)が存在するとは夢にも思ってみなかった。

 ただ、定期的に周辺で行方不明者が出るという噂が立つ程に不気味な存在でもあった。

 キーラに良い所を見せようと、腕自慢の男達が彼女を引き連れて現れたのが発端。


 初めて見る魔族を前に、腰を抜かす者。懸命に刃を向ける者。命乞いをする者。

 射止めようとする女性を前にして、その人間達の本性が見えた。

 

 無論、キーラも例外ではない。自分だって、寒空の下連れられて命を失うのは勘弁こうむりたかった。

 元々、ひとかけらの興味も沸かない男達に連れられたのだ。自分は被害者なのだと、キーラは開き直っている。

 

「この者たちは好きにして構いませんわ。

 足りなければ、定期的にわたくしが都合をつけます。

 ですから、わたくしだけは見逃してください」


 一瞬の戸惑いもなく、すらすらと紡ぎ出される言葉を前にして、戦慄が走る。

 キーラを連れ出した男達も、彼女の世話をするべく同行させられた従者も容易く切り捨てる。

 吸血鬼族(ヴァンパイア)のハーマンですら、呆気に取られる発言だった。


「ク、ククク。いいだろう、女。貴様だけは見逃してやる」

「お心遣い、感謝いたしますわ」


 こうして、人知れず吸血鬼族(ヴァンパイア)に供物が捧げられる日々は復活していた。

 一部の者は餌となり、残った者は魔眼と牙により傀儡とされる。

 表向きは何も変わらない中、吸血鬼族(ヴァンパイア)の魔の手はティーマ公国で着実に伸びていた。


 ここまでが、キーラの知る吸血鬼族(ヴァンパイア)とのやり取り。

 彼女には知る由もない。安易に行動範囲を広げてしまった魔族に、悪意が接触していた事は。


 ……*


 ネクトリア号の船員で家族を持たない者は、陸地ではセアリアス家が用意した宿舎に寝泊まりをしている。

 トリスも例外ではなく、セアリアス家の屋敷から離れた場所に部屋を貰っている。

 

 いくらライルがトリスティアを気に入っていても、寝床までは特別扱いは出来ない。

 人間と獣人で扱いが違うとなれば、セアリアス家の信念にも関わってくる。


 決して自分達が獣人を助けていると思い上がるな。獣人に助けられているのは、自分なのだと理解をしろ。

 父であるハボルの教えを、ライルは肝に銘じていた。

 そんな人物だからこそ、ネクトリア号の乗組員は彼を若旦那と慕い、トリスティアとの仲を応援している。

 問題があるとすれば、トリスにその気が全くない点についてだろうか。


「ふう……」

 

 トリスは湯舟に身体を沈めながら、航海の疲労を吐き出すかのように声を漏らした。

 冷えた身体が次第に暖まり、血が巡っていく。もっと温もりが欲しいと、自然と身を深く沈めていく。


 口元を沈めた時、自らの紅い髪が湯舟に舞っている事に気が付いた。

 身体を湯舟から出すと、首元や背中へと張り付いてくる。


「……っ」

 

 纏わりつく紅を前にして、トリスは口を閉ざした。

 全く違うと判っていながら、彼女の脳裏に過るもの。


 浮遊島での戦い。今際の際に立ったジーネスが、身に纏っていた色。

 紅は、否が応でも彼女に血を連想させる。その先にある、『死』と一緒に。


 湯浴みによって体温が上がっているのが、彼女にとって幸いだった。

 脈打つ血流は、トリスに『生』を実感させる。自分はまだジーネスの最期の言葉を護れているのだと、思える事が出来る。


 ティーマ公国は、嫌いではない。否定的な表現を使う事が失礼とさえ感じる。

 トリスは紛れもなく、この国が好きだと感じていた。


 人間と獣人が当たり前のように共存をしている。

 逢った人は皆、温もりを持っている。


 けれど、一方で言葉に出来ない不安が押し寄せる。

 自分はそれさえも表面的にしか捉えていないのではないかと、もう一人の自分が語り掛けてくるようだった。


 甘い言葉に誘われ、汚れた手を更に汚した。

 今、眼前に差し出されている者も。自分の知らない奥深くでは悪意が渦巻いているのではないだろうか。

 また、自分以上に自分を見てくれた人が血に塗れるのではないだろうか。


「ジーネス。私はどうすればいいんだ?」


 自然と浮かび上がる涙を誤魔化すかのように、トリスは自らの顔をお湯で拭った。

 裏切られるのも怖い。世界再生の民(リヴェルト)の手が伸びて、裏切ったと思われるのも怖い。


 進むべき道を示してくれる者はいない。

 トリスは初めて、自分で何かを決めなくてはならないと感じていた。

 それがどれだけの重圧になるのかも、今初めて知ったのだ。


 一方で、彼女の意思とは関係なく悪意は侵攻をする。

 失いたくはないものに魔の手が伸びている事を、今は気付く由もなかった。

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